第19話:ベロニカとエミリアの死

 マリアに教えてもらった、刺繍「ししゅう」と料理で、生計を立てて、今は、最高に幸せな時間だといった。ファミリーの子供達に、更に素晴らしい人生を送ってもらいたいと言ってくれた。これは、みんな、レフのお陰だよ、ありがとうよと、また泣いた。


 ちょっと疲れたからと言い、ベッドに入って、少し話をして小さな寝息が聞こえ、寝てしまった。翌朝、朝食をとり、九時ころ、マリーナを出発して、昼過ぎにリスボンの家に着いた。今年の夏は、最近にはなく暑い夏だった。


 ベロニカが、暑さで、体調崩して二週間入院した。レフは、ベロニカが、可哀想な位、やつれた姿を見るに忍びなかった。秋風が吹き涼しいなってきてが、レストランの方は、変わらず、盛況で繁盛していた。


 寒い風が吹き始めた十一月、再びベロニカが、急に具合が悪くなり救急車で病院に運ばれた。入院の予定が二週間と言われたが、体調が回復せず、2006年12月24日、危篤状態になり、12月25日に亡くなった。


 マリアの時と同じように、何があっても仕事の手を休めないよう、質素に身内だけで仮葬儀をしい2007年の年が明けレストランが休みの日にファミリー総出で葬式を執り行った。遂に、レフが、マリア・ファミリーの最長老になりファミリーの更なる発展を誓うのだった。


 マリア、ベロニカも亡くなり、レフとアリサだけで、店のビルに住む意味がなくなり、リスボン郊外の海辺の別荘に住む事を考え始め、その月の休みの日に不動産にいって数件見て、コインブラに近い、ナザレの郊外の高台にある戸建ての別荘を30万ドルで買う事を決めた。


 2009年、ブルーナとセルジオとアマンダが一緒に、リスボンに帰ってきた。今回は、三人とも、アベックで帰国した。以前、帰国したときに話していた、フィアンセと結婚した様だ。ブルーナとセルジオは、既に子供ができた様で、今回は、家に置いてきたそうだ。


 フィアンセの紹介をしてくれた。そこでレフが、君たちの口座に結婚祝いと、出産祝いを送金しておくよと言った。それは、助かりますとアマンダが言うと、かみさんになると、みんな、しっかりするんだからと、大笑いした。


 今回も、ポルトのマリーナを二泊、取ってくれますかとセルジオがレフに聞いた、すぐ電話するからと言い電話で空きを確認してツインを三室予約した。交渉事は全てセルジオの役とアマンダが茶化した。車を連ねてマリアとベロニカのお墓をお参りして別れた。


 この年は、EUの加盟国の一つ、ギリシャで2010年5月に突然財政危機が表面化した。これは今まで数字を偽装して隠していたものが、昨年の政権交代で、新政権になって隠さずに、表する様になり発覚したものだった。


 レフ74歳、妻のアリサも73歳になり結婚記念日2009年10月10日に長期休暇を取り地中海クルーズを初めて経験した。レフもアリサも十分に休むつもりで出かけたもののファミリーの仕事は大丈夫かとか心配で十分楽しめない。


 朝起きると真っ青な海と太陽こんな世界があるんだと驚きの連続。 食事も良かったし何不自由のない生活なのだが、何か生きているという実感が乏しい7日間だった。ファミリーへのお土産を買いリスボンの港について、ソフィアとアンドレにお土産を渡しクルーズの思い出を話した。


 マキシム、イザベルに土産とクルーズの話をした。するとレフの妹のエミリアが今度は私も連れてって言うので了解した。エミリアはリスボンからアメリカまでクルーズ船で行き、また、クルーズ船で帰ってきたいと言った。来年の春に出かける約束をした。


 今年も寒い風が吹く季節12月がきて、クリスマスを過ぎ、2011年となった。エミリア73歳は風邪を引き、熱が出て、なかなか下がらず、とうとう病院に入院する事になった。インフルエンザだった。


 救急治療室に入り懸命の治療を施したが、遂に、肺炎を併発して入院後8日目にあえなく帰らぬ人となった。あまりの早い死にファミリー全員も全く信じられない様子で死亡の確認に病院に出向いてあまりにむごい現実を知る事となった。

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