第16話:大学卒業とマリアの死

 その大学は、自然豊で、暖かい、サンディエゴの高台にある、白亜の大学である。サンディエゴの中心街も近く、便利な場所にある。その翌年、1998年はアマンダの受験の年で彼女も寒い米国東海岸より西海岸、カリフォルニアをめざした。6つの大学に入学資料を送り受験した。


 その中のメンロー・カレッジに合格した。彼女は、経済の中で市場調査に興味を持っておりマーケティングを勉強したいと思い、この大学のマーケティング学部に合格した。これにより、マリアファミリーの孫達、全員がアメリカの1流大学に合格しマリアのファミリー全員が、喜んだのは言うもでもない。


 ところで、話は、変わって、LTCM破綻事件の話をしよう。1998年、2人のノーベル経済学賞受賞の学者を擁したLTCMはロシア国債が債務不履行を起こす確率は100万年に3回と計算してアジア通貨危機による新興国に対する投資家の動揺が数時間から数日の内に収束すると予測したが見事に予想を外し経営破綻した。


 その内訳は50億ドルを25倍のレバレッジをかけて1290億USドル「1兆5千億円」の資金を運用しており、さらには1.25兆USドル「16兆円」に上る取引契約を世界の金融機関と締結していた。


 当時のFRB議長アラン・グリーンスパンは、短期金利のFFレートを1998年9月からの3ヶ月間で、3回引き下げるという異常なまでの、急速な対応をとり、LTCM破綻危機により拡大した金融不安の沈静化を図った。


その後の世界経済は再びバブルの様相を呈し海外旅行客も増えてきてレフの三つのレストランも忙しかった。1999年にポルトガルも含む11の国の通貨が全てユーロに変わった。スペイン、フランス、ベルギー、イタリア、ドイツ、オランダも同じ通貨ユーロとに統一された。


 しかし商売の世界で全く変わりがなくなった。ヨーロッパの近隣諸国への出入りが自由になった。 2000年になりネットバブルが崩壊し続いて20001年9月11日にアメリカ同時多発テロ、アメリカ合衆国の経済は深刻な不況へ突入した。世界的な不景気は2002年過ぎまで続いた。 


 2002年にブルーナが、チャップマン大学のコンピューターサイエンスを良い成績で卒業し念願のグーグルに入社してきたと連絡が入った。長い間、レフの経済的に支援に感謝していると話してくれた。


 2003年にセルジオからサンディエゴ大学のファイナンスを卒業し、米国の名門銀行、ウェルズ・ファーゴに採用されたと連絡が来た。彼も、レフに、今までの経済援助のお礼を書き、今後、自立してやっていけるので、経済援助を辞退すると書いてきた。


 二人がこんなに逞しい若者に育ってレフのファミリーは喜んでいた。レフが、また、長期休暇の時にリスボンに来るように、手紙を書いた。2004年にアマンダから、メンロー・カレッジのマーケティングを卒業し、憧れのアマゾンに採用されたと連絡が入った。


 これを見て、レフは、新しい時代へのバトンタッチの時期が近いことを悟った。2003年になりマリアも88歳になり、歩くのが辛くなってきた。そこで良かったら素敵な老施設に入らないかと奨めたがレフに達と一緒に暮らしたいと言った。


 最近は、心臓の調子が悪くなり、近くの病院にかかるようになり、それでも、調子の良い時は、レフと町のファド・レストランへ行き、ファドを静かに聞いて喜んでいた。2004年の海風が寒さを増してきた12月マリアの看病でレフとアリサが付き添っていた。


 しかし、ある朝、レフが、マリアの部屋のベッドに近づくと息をしていない。大慌てで、近くの医者を呼んできたが、すでに息を引き取っていた。近くの葬儀場で荼毘にふされリスボンで葬式を行った。


 生前、マリアが、仕事の手を休めちゃいけないと、常々言っていた通りに、葬式に出席できない人は、後日、マリアの墓石にお参りすると言う事にした。 葬儀を取り仕切った息子のレフは時代の変わりゆくのを肌で感じた。母マリアの死が、レフに、これから、お前がファミリーを引っ張って行く番だよと言ってる様な気がした。

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