第14話:ファドレレストランと孫の米国留学
また、翌日、レストランの方が一段落した間をぬってレフとマキシムがブルーナ、セルジオ、アマンダを連れて移民局で教えてもらった私立の米国系の学校、カルルーチ・アメリカン・インターナショナルスクール・リスボンへ行って入学の手続きと必要書類をもらって来た。
翌日に書類を書いて、学校に届けた。すると翌週の水曜日に両親とお子さんを連れての面接をすると言われマキシムがイザベル、ソフィアとアンドレ、ブルーナ、セルジオ、アマンダを連れて、水曜の8時に職員室に行き2家族、別々の部屋で、面接試験をした。
そして、収入、入学の目的、宗教、出身国、移住の理由などを聞かれて、1時間後、合格と言われ、喜んで家に戻ってきた。そして来月から子供達3人で徒歩で通学する事となった。この日は、12時からの営業と看板を出した。
その後レストランの方はレフとエミリアが中心になって料理をしてホールをアリサとソフィアが担当し精算をアンドレに任せた。マキシムも料理上手でレフと交代で料理をした。1987年になり、以前、ここでファドレストランをしていた人達が、店を訪ねてきた。
立派な店をオープンしましたねとレフに言い、またファドを地元の人が歌えるようにして下さいと言った。了解しましたと言い、何を用意すれば良いですかというと、椅子を2~3つ、ギター伴奏者様に用意してと言われた。
ギャラはと言うと地元の人でアマチュアですから必要ないと言い、食事と飲み物をサービスしてくれれば、それで良いと言った。レフが、それでだけで良いですかと聞きなおし、それなら了解ですというと、じゃー、早速、私がこの店でファドを歌えると仲間達に話しておくと言ってくれた。
もし何か、あれば私に電話してと名刺をくれた。翌日から2名のギター奏者と多くのお客さんが来てくれた。昨日の紳士も来て、ギター奏者2名に、軽い食事だけ、お願いしますと言った。レストランが会場で30分も過ぎた頃、近所の高齢の女性とたまに男性が身振り手振りと、独特のファドを歌い出した。
店もファドを聴くために静かな雰囲気でだった。ビール、ワイン、カクテル、ウイスキーと料理の注文が増え出した。思ったよりも、ゆっくりとした雰囲気で注文もスムーズにこなせる程度で仕事がしやすかった。営業時間は17時開始で24時に閉店とした。
その後、お客さん達にはポルトガルにない料理が好まれた。更にリスボンは、暖かいので生ビールとサーモン、小エビ、ハム、ソーセージ、サラミ入りの野菜サラダの注文が多かった。寒い日は、ロシア仕込みの牛肉、魚の煮込み料理、ボルシチ、ビーフストロガノフ、ピロシキも人気だった。
レストランも順調な売れ行きで客の入りも増えていった。やがて春になり魚、肉、野菜の市場もわかり、安くて新鮮な食材が手に入り、お酒の格安ルートも教えてもらい原価が下がり、店の利益が増え出した。
ソ連時代では考えられない良い材料が格安の値段で手に入った。ただの1つの欠点は、駐車場が屋外で料金が高い事だった。そのため2台持っていた車を1台に減らして、町中は、路面電車、バスを使う様にした。
少し足を伸ばせば、観光地があり周りの環境も良かった。お店の方は家族経営だが人手があるのでモーニングサービスを始めた。珈琲、紅茶とパン、クロワッサンとゆで卵とサーモン、小エビ、ハム、ソーセージ、サラミ入りの野菜サラダのメニューで近所に朝からやってる店がない様で開店初日から大繁盛だった。
特に持ち帰りの客が多くプラスチック容器、飲み物カップを用意した。特にロシアン・ティーは評判が良かった。最初、朝、7時から9時までと考えていたが、地元や観光客が切れないので従業員を交代しながら、昼まで通しで営業した。
その後、最終的には、朝七時~夜十二時まで連続営業する事になり。従業員を途中で交代させ、休ませながら連続営業で、大忙しだった。あっという間に一年が過ぎて1988年を迎えた。その後、電話で注文を受けてバイクで宅配するサービスも始めて店は益々繁盛していった。
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