第6話:ナホトカから横浜へ日本旅行
そこで年に4回、7日間の休みを設ける事にした。つまり客の少ないシーズンにマリアファミリーを半分ずつ休ませると言う計画を立てた。そのレストランの長期休暇を利用してレフが日本海の向こうの日本へ旅行してみようと友人のフョードルに提案した。
するとフョードルの奥さんのポリーナが、とても興味があると言うので、日本見学の旅を決めた。1968年5月1日からにレフと妻アリサとフョードルと妻ポリーナが、裏白ストックから4時間かけ、ナホトカ港へ行った。そこから、3日かけて横浜港行った。
レフの以前、出かけた東京と横浜の日本旅行で感動した場所を訪ねた。まず、横浜から汽車に乗り清水駅で降りて美しい富士山の絶景を眺めた。その後、清水から電車で小田原へ小田急に乗り換え箱根湯本でおりて湯元富士屋ホテルに泊まった。
そこの宿の温泉が気持ちよくて天国にいるような心地だったと話した。翌日、芦ノ湖へ向かい、遊覧船に乗って、再度、富士山の絶景を鑑賞した。その後、小田原経由で鎌倉へ、大仏さんと長谷観音、銭洗い弁天、鶴岡八幡宮を見学して、横浜へ戻った。
その晩は、ホテルニューグランドに泊まりシャリアピンステーキを食べた。翌日は東京へ行き、皇居を散歩して多くの写真を撮り、銀座のレストランで昼食をとり、浅草の浅草寺をお参りして、東京駅に戻り、日比谷のホテルに宿泊した。
奥さん達は、和服を着た日本女性に、レフとフョードルは、築地市場の魚と日本のオモチャみたいに小さな自動車に興味をひかれた。日本車のデザインが良く、気に入った様で、車のディーラーで日本車のカタログをもらった。
レストランで食べた日本食では、うまい米に感動して、お土産に精米した米を買って帰った。もちろん、鎌倉の大仏、神社の大きさと装飾の美しさ、富士山の絶景にも感激した。麺類、ラーメン、蕎麦にも驚いていた。駆け足で日本を回り8日目にウラジオストクへ戻った。
マリアとベロニカにそれぞれお土産を買ってきた中でマリアは日本のお米、蕎麦、うどんの乾麺、レフは日本車のカタログに特に興味を持った様でマリアは、お米を炊いてみて、その旨さに感激、乾麺の保存が効く事と調理が簡単な事に興味を持ちロシアに輸入したいと考えるほどだった。
レフは日本の車の中古車を輸入できれば良い商売ができるだろうと考えた。ロシアでは、この頃からインフレがひどくなり、物の値段が上がってきて庶民生活が苦しくなった。翌年の1969年にマリアとユーリとミラナとフョードルが日本旅行に出かけた。
フョードルが、昨年と、ほぼ同じコースで観光してまわった。富士山、箱根、鎌倉、横浜港、皇居、銀座、渋谷、浅草を案内して回った。ミラナは、長谷の大仏、皇居の大きさに驚いた。食べ物では、日本そば、静岡のお茶、まんじゅう、中華街の本格的な中華そばが、美味しかったと話した。
その他、美味い珈琲、きれいで豪華な箱根の富士屋ホテル、横浜のホテルニューグランド、帝国ホテルには、驚かされた。また、日本の文化の高さにソ連との違いをまざまざと見せつけられたような気がした。
こんな小さな国、日本に、こんな素敵な町、ホテル、自然があったとは、全く知らなかった。マリアは、東京で食べた、お好み焼き、もんじゃ焼き、横浜中華街で食べた中華麺が印象に残ったようだ。
ユーリは、女性達と別行動で、自動車のディーラーや系列の中古車屋を見て回り、中古車の値段の安さに、日本車を輸入すれば良い商売ができると考えていたが、ソ連当局の許可が、下りず、実現できなかった。
ミラナは銀座を歩く日本女性の美しさに驚き、着物が一目で気に入ってしまった。着物の古着屋を訪ね歩き、これが輸入できれば、儲かると考たが、これも中古車と同じで当局の許可が下りず、実現できなかった。
帰る時には、マリアが蕎麦、うどんの乾麺をバッグいっぱいに詰め込んで、8日目にウラジオストクへ戻った。1970年代になりブレジネフ政権下、言論統制、当局の締め付けが厳しくなっていった。
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