第4話:ダイヤモンド確認と食堂の開業
売れ残りだけでなく使用期限の短くなった商品も捨て値で彼らに譲っていた。1961年フョードルの会社でウラジオストクと横浜港との定期航路が開設され日本とロシアを旅客船が往来する様になった。
そんな、ある日、柔道を教えている加藤が、日本へ旅客船で帰るというのでレフとフョードルも休暇を使って日本に行きたいと言いだした。ユーリが旅費を出してやるから日本を見てきなさいと言い送り出した。
1962年の横浜港に降り立つと大きなビル、電車、人、車の多さに驚いた。横浜に泊まり、翌日、東京へ行き、東京駅周辺の高層ビルに圧倒され、おしゃれな銀座、魚の築地、公園の皇居と2人は見るもの全てが物珍しく興味津々だった。
東京に2泊し、電車で下町、山手、武蔵野の方まで回った。多くの写真を撮ってウラジオストクへ戻った。実家に帰って多くのお土産と写真を家族達に持参して、日本の発展しているの様子に驚いたと語った。
1964年、マリアと言えばベロニカとアリサと一緒に得意の裁縫の腕で綺麗な刺繍入りのシャツや下着を仕立ててユーリの店の一角を借りて順調に商売を続けていた。最近マリアの家でも乗用車を買いレフや妻のアリサが運転していた。
季節は春から夏へ、そんなある日の晩、マリアが20年前のピクニックの話を思い出して、息子のレフと娘のエミリアに、この夏、車で、オイミャコンへ行ってみようと言い出した。毛皮の縫製の仕事と家の方はベロニカに任せ、3週間の休暇を昔の友人に会うと言い出かけた。
一週間ほど、走り続けシベリヤのオイミャコンに到着。ピクニック用具を買い込んで20年前、水晶の様な物を埋めた草原へ向かった。そして、ピクニックに行く振りしてレフとエミリアに、野いちご、レッドベリーなどを取らせてた。
マリアは、埋めたと思われる所を小さなスコップとシャベルで丹念に探し出した。30分位で目印の物を見つけ地中から袋に入った水晶の様なものを探し出した。次に埋めた場所も探して当てスコップとシャベルで探す事15分で目印を見つけ埋めた物を回収した。
その後、買ってきたサンドイッチとポットに入れた珈琲を飲んで、ゆっくり休み、取ってきた野いちご、ベリー類を袋に入れて車に戻った。その後、来た道を一目散に、南下して、ウラジオストクへめざし途中の町で宿泊しながら7日間で自宅に戻った。
帰って、留守番していたベロニカに、お土産を渡して、お礼を言った。14日間で戻ってきたのを不思議に思った。そこで、ベロニカが、マリアに、何かあったのと聞くので、昔なじみの友人達が、モスクワ郊外に、すでに引っ越していなかったと伝えた。
マリアが、その後、持参した水晶のような物をいれた袋を家の縁の下に穴を掘ってしまい埋め戻した。気になったので、一番小さな水晶の様な物を別にして、持ち歩いた。1964年の日曜日にウラジオストクの町の宝石屋に行き、気になり小銭いれの小さな水晶みたいな物を鑑定してもらった。
その結果、間違いなくダイヤモンドの原石だと言われた。こんな物どうしたのと不思議そうに聞いてきたので亡き夫から大事にする様にもらった形見の品だと言い店を出た。マリアは心臓が飛び出そうになるのを抑え、冷静さを予想っていたが額に冷や汗が滲んでいた。
家に帰りベロニカが不在なのを確認して息子のレフと娘のエミリアに本物のダイヤモンドの原石だったと伝えた。すると二人とも大喜びだった。しかし、今のソ連では、こんなダイヤモンドを持っているのは、おかしいと、警察官や役人に取り上げらる。
そして、ひどいめにあわされるから秘密を守り続ける様に言い絶対口外するじゃないよと念を押した。1960年代以降、食料品は依然として配給制で品不足、そのため、魚市場に朝早く出かけて、エビ、カレイ、ウニ、オヒョウを仕入れた。
その他、傷がついて売り物にならない魚を買いに行き、魚の煮付け、フライ、ピロシキの具にして使っていた。野菜市場にも行き、松茸、行者ニンニクなど手に入る野菜を買いあさって料理に使っていた。それでも足らなそうな時は、車で直接、農家を回り、料理に使えそうなものを買いに回っていた。
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