カロリメト
甘木 銭
ラブホテル
「もしもし?あー、今暇?」
そう尋ねると、電話の向こうの女はしばらく間を置いてから聞いてきた。
『そっちからそんな事言ってくるって事は、結構重大事項?』
流石だ。顔を合わせてもいないのによくわかるな、なんて言いながら質問に答える。
「実は、彼女と別れたんだ」
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国道からちょっと外れた所にあるラブホテル、その一室。仄かな照明に照らされた薄暗いその部屋で、僕と彼女は綺麗に整えられたベッドの上に腰掛けている。
ここでの「彼女」っていうのは恋人って事じゃあない。英語で言うとshe。僕が1年間付き合っていた恋人とは、ついさっき別れた所だから。
「で、あの子はなんて?」
無遠慮ながら、どこか優しく甘い声でそう尋ねてきた彼女は高崎志乃。一言で言ってしまえば悪友。
「おーい、どうしたのさ、何フリーズしてんの?」
顔も体も女としてはかなり魅力的だ。男にモテそうな容姿、ていうか実際モテるんだけど、僕には決して恋愛対象になり得ない。
何故ならこいつはビッチだから。生理的に受け付けない。
「おーい!」
頭に衝撃が走り、僕は顔から思いっきりベッドにダイブした。痛い。こめかみをおもっくそ殴られた。なんだこの暴力女。ゴリラか。ビッチな上にゴリラなのか。ゴリラビッチなのか。
「ゴリラビッチ……」
「は?」
「いやいや、なんでもない。」
思わず声に出してしまった。誤魔化さなければ危うく死ぬところだった。
「で?彼女にはなんて言われたの?」
「彼女じゃない、元カノだよ」
「あっそ」
冷たいやつだ。
「あんた、彼氏持ちの女をラブホに呼びつけるってのがどういう事か、ちゃんと分かってんの?馬鹿な事ばっか言ってたらすぐ帰るよ?」
「はてさて、お前の彼氏は会う度に変わってる気がするんだけど、僕の気のせいだったかな?」
「つまらない男には興味ないからね」
なんという事だろう。このゴリラの歴代彼氏はつまらない奴しか居ないのか。
「わざわざ私を呼んだって事は慰めて欲しいんでしょ?ほら、慰めてあげる」
彼女は僕を抱き寄せようとする。しかし僕はそれを拒んで、ベッドの反対側に倒れ込んだ。
「いや、そういうのはいいんだ」
「……は?」
「いや、だから別にそういうのは求めてないんだ」
ポカンとした顔になる志乃。よっぽど僕の言葉が意外だったらしい。まあ確かに男女でラブホテルに来てたら、普通はヤる事ヤるんだろうしこの反応も当然といえば当然かもしれない。
しかし、僕の目的はそこにはない。何故なら今の僕は普通じゃないから。
「ヤるためだけにお前を呼ぶくらいなら、風俗にでも行くよ。ここに来たのはそのためじゃないんだ」
彼女は怪訝な顔をする。歪んだ顔もそれはそれで綺麗なんだけど、やっぱり僕はこいつにラブできない。
「じゃあなんのために呼んだ訳?」
「なんでだろう。ただ、この場所は……」
続きを口にすることは、少し躊躇われた。
「この場所は?」
「……前に、元カノと来たんだ。このホテルの、この部屋に」
彼女はさっきよりももっと怪訝な顔になる。まあこの反応は大体予想通りだ。しかし、ここまで来るとあまり美人ではない。
「……へえ、じゃあここであの子としたんだ」
「いや、してないよ」
「へ?」
「そういうことは1回もなかったなぁ」
「ホントに、なんで私をここに呼んだの?」
「さあ、なんでだろう」
志乃の顔が、歪みのピークを迎えた。
ふと、これはこれで綺麗かもしれないと思った。
---------------
僕と奈央は大学に入ってから出会った。
奈央は小柄で、愛嬌のある明るい性格の可愛らしい女の子だった。少ししてから付き合いだして、それから僕は奈央にどんどんのめり込んで行った。
奈央は僕を愛してくれていたし、僕も彼女を愛していた、と思う。今日までの1年間、僕達はお互いに尊敬し、認め合う健全なお付き合いをしていた。
でもそれも今日で終わってしまった。奈央は……
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「で?なんであの子に振られたの?」
なんの感慨もなく、元カノの事を思い出していたら、不意に声をかけられた。意識を呼び戻された僕は、声の主の方を向く。
ぼんやりとした照明に照らされた志乃の顔は、すっかり元の美人に戻っていた。
「お互いの為にならない、だってさ。僕が甘やかしすぎだから、自立できなくなるし僕にも迷惑かけるだとか」
「何それ」
「奈央は待ち合わせによく遅れてたんだけど、僕それを1回も責めたことないんだよ。ドタキャンも然り。喧嘩しても絶対僕から謝ってたし」
「ああ、よく愚痴ってたやつね。あの子見た目からしてそんな感じだもんね。確かに甘やかしてるなー、とは思ってたけど。でもなんか、胡散臭いよねぇ」
「やっぱりお前もそう思うか」
「そりゃそうでしょ。全部嘘とまでは言わないけど、なんか裏がありそう」
それは僕も薄々感じていた。理由そのものが疑問だったし、話していた奈央の様子もおかしかった。
「なんでそれで分かったって言っちゃった訳?」
「理由はどうあれ、奈央が別れたいなら、引き止める権利は僕にはないよ」
「意外とドライなんだね」
ドライか。そうかもしれない。実際、奈央と別れたショックの様なものを、僕はほとんど感じていなかった。
「来る者拒まず去るもの追わず。失ったものには執着しないんだ」
「好きだったんじゃないの?」
「さあ、好きだったのか、好きになろうとしていたのか」
僕は、奈央を愛していたんだろうか。この部屋に来てから僕の中にはそんな疑問が浮かんでいた。
「そう、辛かったね」
「辛かった?僕が?」
「あんた以外に誰かいる?あんたさ、かなり傷ついてるでしょ」
「別に傷ついてなんかないよ。」
何を言っているんだろう、こいつは。
「嘘つき。あたしの前でくらい、見栄はらなくてもいいじゃん」
「見栄なんか...」
「じゃあ逃避?傷ついてるのに、自分の心から目を逸らしてる」
違う。違う、僕は。
「あたしを呼んだのは、結局そういうことなんじゃないの?心の拠り所が欲しかったんじゃないの?」
「そんな、いや、別にそんなことは...」
「いいから、こっち来て」
来いと言いながらも、彼女は自分から僕に近づいてきた。志乃に抱き寄せられて、僕は拒むことが出来なかった。
あぁ、そうか、人に言われて気付くこともあるんだな。
「泣いてる?」
「……別に」
僕は志乃を抱きしめた。顔を見られないように必死だったが、静かな部屋に大きな嗚咽が響いてしまっているので、きっとバレバレだっただろう。それでも志乃は何も言わずに、震えている僕の背中をただただ撫でてくれていた。
しばらくして落ち着くと、僕は急に恥ずかしくなってきた。志乃にからかわれるかと思ったけど、意外なことに何も言ってこなかった。ただただそれがありがたかった。
こんなに感情を露わにしたのはいつ以来だったろう。少なくとも、ここ1年は覚えがない。
「時間だ、出ようか」
「延長しなくていいの?もっと色々してあげてもいいけど?」
「いや、要らない」
そこだけは揺らがなかった。志乃は何故だか少し残念そうな顔をしていたけれど、素直に聞き入れてくれた。
建物から外に出ると、冬の空はもうすっかり暗くなっていた。ずっと暖房の効いた部屋にいたので、外の寒さが身にこたえた。
白い息を眺めながら、しばらく出てすぐの所に立ち止まっていた。
「スッキリした?」
「まあ、多分」
「忘れなよ、早めに」
「頑張るよ」
忘れられる気はしないけど。
そのまま帰るのも気まずい気がして何となくその場に留まっていると、後ろから仲睦まじげな男女の声が聞こえてきた。僕らは慌てて植え込みの後ろに隠れる。痛いな、クソ。植え込みの手入れくらいちゃんとしてろ。
顔のすぐ近くに枝があるし、少しでも身動ぎしたら体のあちこちに枝が突き刺さる。
痛いのを我慢してカップルの影が通り過ぎるのを待っていると、志乃が口を開いた。
「ラブホから出てくるカップルを見るのってなんか……」
「気まずいな……」
答えながらカップルの方を見る。暗くてよくは見えないが、女の方の顔を見た時、僕はホントにもう卒倒しそうになった。植え込みから少し顔を出すとまた体のあちこちに枝が刺さったが、もうそんなことを気にする余裕もなかった。
しばらく動けずにいるうちに2人は僕らのいる場所を通り過ぎ、かなり向こうへ行ってしまった。
「どうしたの?」
志乃に聞かれたが、僕は答えられない。というか、志乃が発した言葉の意味を理解することすら出来なかった。
それから、僕の中で何かがふっと切れて、気が付くとカップルを追って走り出していた。しかし混乱していたせいもあって勢いよくすっ転んだ。アスファルトに思いっきり顔をぶつけて、口の中が血の味でいっぱいになった。痛い。だが、それ以上に僕の頭の中は一つのことでいっぱいだった。
志乃が僕を追いかけてきて、起き上がらせてくれる。でも、立ち上がる力は湧いてこなかった。
「なんなの?一体どうしたの?」
志乃の声が遠い。意識が呆然としている。
でも、間違いない。
既に角を曲がり、姿が見えなくなったカップル。髪型や服装はいつもと違っていたけど、暗い中ではあったけれど、あのカップルの女は間違いなく奈央だった。きっと、僕じゃなかったら気付かなかった。でも、あれは、あれは絶対に……
「ふふ……」
「え、何?なんで……笑ってるの?」
「あは、あはは……」
あは、あはははは、あはははははは。
ふふ、ふふふふふふふ。
はっはっはっはっはっはっ
あははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは...はは……は…………
この時、確かに僕の中の何かが壊れた。
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