エピローグ ~王子様と私

 うらうらとした日差しのもと、薄紅の花――桜が満開に咲き誇っている。もうすぐ五月という時期を考えれば、本来はありえない風景なのだが……

 「ほら、繭の周りで草木が枯れてたじゃない? あれって、中のものに生命力を送り込んでたんだと思うのよね~」

 「美羽が壊したおかげで、要らなくなったものが戻って来たんじゃな。で、一回冬の状態まで戻った草木が急成長を始めたと」

 「そゆこと。杏珠ちゃん達も、それから駆けつけて下さったあなたもありがとうね。

 あなたたちが水のバリアを張ってくれたから、うちの相棒が火を使えたんだもの。おかげで助かったわ!」

 『いえ、とんでもないことです。私は旦那様とお嬢様から、遅まきながら加勢して差し上げろと言い付かっただけにございます』

 明るくお礼を言うリアに、丁寧に応えているのは白銀の甲冑をまとった青年。言うまでもなく、つい先日死霊騎士から水神の眷属へと生まれ変わったカイルである。今回は見えないところでもしっかり役目を果たすという、騎士の鑑みたいな働きをしてくれていたのだった。ついでに言うと、

 「ねえねえ、がたろーさんて歌舞伎の役者さんになりたいの? そのまんま舞台上がって大丈夫なの、お皿とかさ」

 『ははは、さすがにこのまんまじゃお客さんにも視えねぇからな。そん時はシダの葉っぱで皿をなでて、ひとに化けるんでさぁ』

 「わあ、水芸だけじゃなくて変身もできるんだ! すごいねー、わたしファンになっちゃったかも!」

 『うん? ふぁん、てなぁ何だい?』

 「んーとね、応援する人とか、ご贔屓さんとか、そういう意味。舞台に出るときは教えてね、絶対前の方の席で応援しちゃうから!!」

 『おっ、そいつぁありがてぇな! 弟子入り前からこんな可愛い御贔屓さんがつくとは、役者冥利に尽きるたぁこのことだね!』

 抱き上げてはしゃいでいる紗矢と、すっかり打ち解けた様子のがたろーがいた。彼もまた水を操って、ドラゴンの火炎放射から周囲を護ってくれた功労者なのである。

 『……随分と盛り上がっておるが、その歌舞伎とやらは決まった血筋のものしか主役を出来ぬのだろう? いいのか?』

 「いえ、それがですね。大部屋の俳優さんでも、実力があれば芸養子という形で一門に加えていただけることがあるんですって。狭き門ではあるのですけど」

 『ほう、詳しいな』

 「幼なじみの観劇に付き合わされることが多くて。知識ばかり増えて経験が伴わないので、少しお恥ずかしいです」

 『いやいや、知らぬより知っておる方が良い。知識は知性となってその者を輝かせよう。むしろ誇って良いぞ』

 「あ、ありがとうございます。……綺麗な声をしてらっしゃるのね」

 『はは、そのようなことは久方ぶりに言われたな。存外嬉しいものだ』

 傍らで河童さんたちを見守りつつ、まだ外に出たままのケルピーと巴萌がそんな話をしている。相手がうら若い乙女なためか、機嫌よく褒めてくれる水魔に、ちょっと頬が赤くなっているようだ。

 「……あらやだ、巴萌ちゃんてば良い声のひとに弱い?」

 「うーむ、らしいな。しかし二人ともすっかり視えるようになっておるのぅ」

 「一時的なものだとは思うけどねえ。仮にも女神様の勢力範囲内で、真正面から攻撃くらったんだもの。そりゃあショックで第三の目も開くわよ」

 「……まあ、ではそのうち消えてしまうのですね。あんなに楽しそうにしてらっしゃるのに、何だかお気の毒ですわ」

 「いや~、それもまだはっきりしないのよね。特に紗矢ちゃんは前からちょっと鋭かったみたいだし、これがきっかけで定着するかも……伊織さんは元々の体質なんだっけ?」

 「はい。おかげさまで可愛らしい同僚さんたちにも恵まれまして、毎日楽しくお仕事させていただいておりますわ。ね、マナさん」

 『ふふふ、はいっ』

 『ほ~♪』

 てきぱきとお茶を運んできてくれた伊織に、すっかり元気になって手伝っているマナ、およびレプリカーンが嬉しそうに応えた。半分凍らされたダメージは長引かず回復したようだ。よかったよかった。

 ちなみに先程まで大活躍だった朔子はいうと、一連のあれこれが終わると同時に糸が切れたみたいに寝入ってしまった。今は杏珠が八雲と一緒に抱えてやっている状態である。

 『……すぴ~~~~』

 『くーん』

 「うむ、良く寝ておるのう。こうしておると、あんな強烈な力を持っておる神様とは思え――あ、鴻田先生。お疲れ様じゃったのぅ」

 「おう。寮まで連れてったが、結局目を覚まさなくてな」

 「ごめんなさいね。うちの相棒のせいで驚かせちゃって」

 辛くも窮地を脱した委員長に、約束通りにことのあらましを説明しようとしたところ、真っ先に目に入ったヴァンダリスの姿にものすごい衝撃を受けたらしい。その場でひっくり返ってしまい、呼んでもゆすっても起きなかったので、鴻田によって送り届けられることとなったのだった。

 『申し訳ございません、マダム。私の身体が大きいばかりに……』

 「あー、いいからいいから。いくら陸上最強の魔法生物でも遺伝子には勝てないって」

 「意外と繊細なんじゃのう、相棒どのは」

 「まあ、いろいろと気を遣う立場だからな……つうか、本当にまだ帰らなくていいんですか? さすがにそろそろまずいような気がするんですが」

 「大丈夫だってば。外に出る仕事は全部片づけてあるし、多分明日の昼ぐらいには心が折れて謝って来るから! 経験上」

 「経験ってあんたね……」

 「つまりは少なくない回数、ストライキ作戦で勝利をもぎ取っとるんじゃな。ナイスじゃ姉上様!」

 「ふっふっふ、そうでしょう杏珠ちゃん。もっと褒めてくれていいわよ~」

 「うむ! さすがは実の弟から女王陛下、って呼ばれるだけあるのう。格好良いな!」

 「ん? あー、そうね、まあおおむね事実だからね~~」

 その瞬間、鴻田は見た。他意なく褒めちぎる杏珠の言葉に、始終にこやかにしていたリアの目がちょっとだけ泳いだのを。

 (……というか、あれだけ盛大に言い間違ってバレなかったことの方が奇跡なんだがな。宣下だの即位だの)

 たぶん、美羽も杏珠も気付いていないだろう。目の前で日傘を差してころころ笑っているこの淑女が、大使館で見ただということに。ついでにそこから逆算すれば、見た目の年齢を軽く十歳は超す御歳なのだということに。

 身分階級が絶対で、それに相応しい行動を求められるイングローズの王族として、このご姉弟は間違いなく破格中の破格だ。留学中に出会った七年前からこっち、有り余る行動力でしきたりとしがらみを吹き飛ばして動き回るものだから、見ている方は冷や汗が止まらない。……まあ、それを放っておけなかったというか、面白い人たちだなぁと思ってしまったのが運の尽きだったんだろうが。

 「……そういや、アルと立花はどうした?」

 「あっちじゃ、あっち。全くあやつは、いいとこで乱入して来おってからに!」

 「はあ?」

 教え子と親友の姿が見えないことに気付いて問いかけると、杏珠は例の遮光式土偶っぽい仏頂面になった。ぶつくさ言いながら指さした先に、向かい合う三つの人影がある。



 「――そういうわけで、校外への被害はほとんどなかったよ。結局あんまり手伝いが出来なくて申し訳ないな」

 「ううん、とっても助かりました。ありがとうございます!」

 「いいよ、上からの命令でもあったからね。朝一番で植物園のちがやを刈ってこい、って言われたときは何事かと思ったけど」

 礼を言う美羽に苦笑したのは、道案内後にどこかへ立ち去っていた風祭少尉だった。その手には、青々とした細長い茅を束ねて作ったしめ縄のようなものが携えられている。

 なんでも彼が率いる『青嵐』、実は軍部が選りすぐった視える人の集まりだそうで。妖怪などがかかわる、一般人には解決しにくい事件で活躍する専門部隊なのである。

 今回、リアから情報を受け取った上層部が被害の拡大を防ぐべく、彼らに帝都植物園にて栽培されている茅を使って結界を作ることを命じたらしい。そのおかげで氷の蛾や冷気の害は外に漏れず、周辺住民への影響も最小限に抑えられたのだ。

 「あ、そうだ。あの」

 「うん、なに?」

 「名前、ずっと言ってませんでしたね。立花美羽です、いろいろありがとうございました」

 にこっと笑って名乗った美羽に、相手はほんの一瞬動きを止めた。やがて、涼しい目元がふっと緩む。

 「……うん、やっぱり好きだ」

 「はい?」

 「いや何でも。じゃあ、周辺の整備とか報告とかがあるからこれで。またね」

 「あ、はい」

 「お世話になりました」

 お辞儀する美羽の隣から、アルベルトが一歩進み出て握手を求める。その手を握り返しつつ、ぐっと顔を寄せた風祭が低くつぶやいた。

 「……言っとくけど、僕は諦めないからね?」

 「ええ、肝に銘じておきましょう」

 疑問符を飛ばす美羽の頭上で、派手に見えない火花が散る。不穏なやり取りなどなかったかのように、青年将校は相変わらず颯爽と立ち去って行った。

 「お疲れさまでした。美羽さん」

 「いえ、先生こそ。お怪我とかは本当に大丈夫ですか」

 「ええ。幸いかすり傷くらいしか負いませんでした」

 他の一同は気を遣ってか、やや離れた場所でぶらぶらと花見をしている。特に、しきりに桜を見たがっていたリアは嬉しそうだ。あっちに混ざりたい気もするが、まだこうして二人で話していたい気もする。

 「――夢路を通って来られたそうですね。あそこは人によって見るものが違いますから、驚いたでしょう」

 「はい、気が付いたらいきなり桜並木が出来てて。きれいな川まで流れてて、びっくりしました」

 労わるアルベルトのことばに、不思議な空間のことを思い出しながら話す。あそこは暑くも寒くもなかったな、と、ぽかぽか陽気の中庭を眺めながら、

 「小さい、うちの弟くらいの男の子がいて。妖精が見えることを悩んでたみたいで、いろいろ話を聞いたりしました。なんか放っておけなくて」

 なにか参考になっただろうか。元気が出てくれたらいいのだが――と、思いながら横を見て驚いた。なんと、いつかのように横を向いたアルベルトの顔が真っ赤になっていたのだ。

 「せ、先生?」

 「…………すみません。それ、私です」

 「、はいっ!?」

 「いえ、ですから、小さい頃の私なんです。夢路は時間の流れが交錯するところですから、ときどき過去や未来に魂が迷い込むらしくて……」

 (うわああああえらそうなこと言っちゃったー!!) 

 まさかの展開に頭を抱えて撃沈した。ということは、ダンスホールで言ってた恩人て自分の事か! てっきりお姉さんだと思ってたのに!!

 相手に勝るとも劣らないほど赤面している美羽に、どうにか持ち直したアルベルトはふっと真面目な顔になった。自分もひざをついて、美羽と同じ高さまで屈みこむ。

 「あれから、ずっと言いたかったことがあるんです。――そばにいても、いいですか」

 話がしたいから言葉を覚えて、どんなところに棲んでいるのか文化も学んで。

 ずっとずっと逢いたかった。慕わしかった、愛しかった。それは今、こうして向かい合っているときも変わらない。むしろ前より強くなったかもしれない。

 「どうか、あなたのそばに居させてください。いることを許してください、我が君」

 真剣な表情で、片手を取って告げてくる。……栞に書いてあった文章が頭をよぎって、目の奥まで真っ赤に染まった気がした。

 『Absence sharpens love, presence strengthens it.』

 あんな小さい頃のことを、逢えない間もずっと覚えていてくれたのか。だから逢えてからも、たくさん助けてくれたし、そばに居てくれたのか――

 美羽の方の時間が追い付いていなかったのだから、しょうがないといえばそうなのだが。全く気付いていなかったのが申し訳なくて、ついでに恥ずかしくて、でも嬉しい。

 「……あの、返事のまえに、これ」

 「? 栞ですか? 桜の押し花ですね」

 思い切ってえい、と押し付けたものを、アルベルトは不思議そうにしながらも受け取ってくれた。それにほっとして、一生けんめい言葉を紡ぐ。

 「弟が、字を覚えだして。そのうち本を読むだろうから、送ったらいいかなって。両親にも作ろうと思ってるんです。

 ……でも、いちばん最初に渡したかったの、先生だから」

 美羽にとっては最初に出逢った日、窓辺に飛んできた桜の花だ。こうやって渡すことになるなんて、あのときは思いもしなかったけれど――これもきっと、何かの縁だ。

 「来年も、作りたいです。一緒にいて下さい、……私も、すきだから」

 蚊の鳴くような声でどうにか伝えたら、思いっきり抱きしめられた。

 「もちろんです。――As you wish,My darling.」

 耳元で、今まででいちばん優しい声がそう告げて。ふわりと降ってきた柔らかなものが、美羽のくちびるに触れた。


 


 どっしゃーっ。


 「「「わあああああっ!?」」」

 「ひゃっ」

 背後で、何かが盛大にこける音がした。ばっと振り返ったら、さっきまで花見をしていた一同がそろっているではないか!!

 「なななななんでいるのー!?」

 「い、いやあ、だってのう? めでたく両想いが判明したから、その後の展開が気になって」

 「そ、そうそう、おねーさんもお邪魔するつもりじゃなかったのよ? でもほら、お赤飯だっけ、あれを伊織さんに炊いてもらうかどうかの都合もあるし!」

 「理由になってないー!!」

 「「「わーっっ」」」

 蜘蛛の子を散らす一同を、人生史上最高に顔を真っ赤にしている美羽と、彼女に手を引っ張られる形のアルベルトが追いかける。

 桜はうららかに咲きまくり、みんなの笑顔も咲きまくり。そんな中、こちらはのんびり日向ぼっこ中のがたろーがしみじみと、

 『やあやあ、思いがけず出逢った恋の花。こいつぁ春から、縁起がいいわえ!』

 『わふっ!』

 

 じきに初夏を迎える、寶利学園の中庭。

 今日限りの桜の花が、陽気の中であでやかに咲き誇っていた。


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桜華の国の紋様術士 古森真朝 @m-komori

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