【六】

 屍体がむくりと起きあがり、襲いかかってきた。すんでのところで私と入れかわった三郎は、下から振りあげられた兇刃を跳んでかわす。私のままであったら、顔を斬られていた。胆が冷える。

 これらの状況を呑みこめたのは、しばらく経ってからだ。屍体が動くわけがない。死者の群れに紛れて死者のふりをした曲者が、打刀うちがたなをかまえている

「若ッ!」

 刀を抜いた弾正と左馬助が、三郎と曲者の間に割って入る。

「おいおい、いまのは危うかったぞ。危うく体を喪うところだ。次郎。おまえの、わけのわからん目論見のおかげでな」

 悪態をつく晴影を、私たちは黙殺する。身の危急にあっては、晴影も味方にならざるをえない。相容れぬ敵同士が、ひとつ同じ舟に乗っている。奇妙奇態な相関のなかで、晴影はみづからを利することを忘れない。この危機を次郎の失策と指弾し、好機にしようという狡猾さ。私も危うく、次郎の指図を恨めしく思いそうになる。

「あれを躱されるとはな。不意も衝けたし、打ちこみも完璧だった」

 曲者が嬉々として言った。抑揚のないその声調は、東方の訛りだ。血泥にまみれた顔は意外と若く、陽気な口調が印象を裏切る。ぴょんぴょんとたのしげに、動けるしあわせを噛みしめるように跳びはねている。

「なんだあ、あの野郎」

 三郎は呆気に取られている。

「下郎ッ! 慶滋修理亮さまと知っての狼藉か!」

「逃がした魚は大きかったか。総大将とは思わなんだ」

 弾正の大音声を、曲者はひょうひょうと躱す。

「雑兵、名は?」

 問うたのは弾正でも左馬助でも、三郎でもなかった。次郎が三郎と入れかわっていた。弾正と左馬助がいることで、身の安全は担保されている。

「おい、次郎。こいつと戦わせてくれ」

 不満げな三郎の声を、次郎は黙殺する。

「おっ、よくぞ訊いてくだされた。それがし、生国しょうごく乙除国おとよけのくに赫津城あかつきつき玄蕃頭げんばのかみが一子、つき小五郎こごろうにござる」

 乙除国は、京師から東へ百五十里(六〇〇キロメートル)。それよりさきの東はもう、東朝とうちょうの国々である。

「玄蕃頭......」

 次郎も弾正も左馬助も、刮目して曲者を見る。月玄蕃頭の威名は、全国に轟いている。乙除国守護・犬神いぬがみ乙除守おとよけのかみとの抗争をくりかえし、乙除北部で独立を保つ梟雄きょうゆうである。鬼謀百出、押しよせる乙除守の大軍を幾度となく退けた。

 玄蕃頭の息子の名までは、この場にいる誰もが知らなかった。ただ只者ではないということだけは、私にでもわかる。死者のふりをして斬りかかってくるなど、およそ尋常ではない。父譲りの奇謀というか、頭の螺子ねじが外れている。そもそもどうして、玄蕃頭の息子がこんなところにいるのか。こんなところでなぜ、雑兵などしているのか。

「根っからの戦狂いでね」

 そんな疑義を読みとったかのように、小五郎が語りだす。

「乙除は戦が治まっちまってね。親父のやりかたが賢いってのは、おれにだってわかっている。けれど、おれの性にあわなかった。戦場で軍配を振る姿こそ、おれの憧れた親父だった。戦に身を置いてこそ、おれは生を実感できる。だからおれは国を出て、こうして雑兵をやっている」

 小五郎は左手で、顔の血泥を拭う。鋭く力づよい、鷹のような眼。大きな鉤鼻と、両端の釣りあがった口。左頬を縦に走る大きな傷。鋭角的な輪郭、精悍な悪人の面相。五尺七寸(一七一センチ)ほどの長身。

「おれは戦狂いだが、死にたがりじゃない。話をさせてくれ」

 小五郎はそう言って刀を打ちすて、両手を上げた。

「慶滋の若殿。それがしをつかってみる気はないかね?」

「なにをッ!」

 あまりにあっけらかんとした申し出に、弾正と左馬助がいきりたつ。

「次郎、替われ。邪魔をするな」

 三郎の衝きあげを抑えつつ、次郎は小五郎に語りかける。

「日銭いくらで、まろのものになる?」

「......若、なにをおっしゃる」「さすが若殿、わかってらっしゃる」

「おい次郎、なに言ってやがる」「くははは」

 弾正と小五郎と三郎の声、それに晴影の笑声が重なる。私は呆気に取られている。

「弾正。まろはこの、小五郎が気に入った。殺すには惜しい」

「ここで殺しておしまいなさない。憂いを断つのです」

「兵らを呼んで取りかこもうにも、取りにがすだろうよ。逃げおおすつもりでおるな。さすればさっきのような奇策を以て、ふたたびみたび狙われる。それよりもこちらにつけてしまったほうが、得策であろう」

「狼を枕許に侍らすようなもの。いつ寝首をかかれるか、知れませぬ」

「弾正どの、見そこなってもらっては困る。それがしは戦狂い、刺客に非ず。戦のなかでこそ、若殿の首級みしるしも狙いましょう。雑兵には雑兵の意地がござる」

「......だそうな、弾正。小五郎が刺客に堕ちてまろを襲うようなら、そなたらでまろを守れ」

「そんときはおれが出て、けりをつけてくれる。邪魔をするなよ、次郎」

 内外の声がめまぐるしく、かしましい。

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