【五】

 雪中に、凄惨がひろがっている。眼にも耳にも鼻にも、醜悪と不快がおりのようにこびりつく。鳥揃のときのような華燭絢爛は微塵もなく、ただただ鉄と血と肉が爛れて混じりあう。

 開玉八年三月十二日の遅い冬。私は初めて、戦場というものを体感した。忘れがたい衝撃として私のなかに刻まれ、こうして筆を執る。地獄絵図を、詩文に置きかえる試み。

 人は人であって人ではなく、命は路傍の石であった。矢の雨の跡にあふれる血の河。槍と旗の林を縫うように舗装された、人と鳥の獣道。割れた頭から脳がこぼれる。垂れながれた目玉や舌は、もう動くこともない。怨みにみちた憤怒の形相。怯えきった泣き顔。笑っているかのようなやすらかな顔。生者がそうであるように、死者の顔もさまざまだった。

 えたような腐ったような、えがたい臭気が漂う。眼と鼻から胃へ、胃を遡行して口へ。私は吐きちらかした。どろどろに混濁して黄色く変質した、朝餉あさげの米粒。周囲の臭気につつまれて、私自身の悪臭がわからない。不快さに、涙があふれでる。

 死者だけが悲惨なのではなく、生者も酸鼻を窮めている。勝者は敗者に、どこまでも残酷になれた。敗者たる陀来門徒は、死を怖れずに抗いつづける。虜として生きるのをよしとしない。老いも若きも男も女も、手に手に得物を取って打ちかかってくる。得物や腕を落とされてもなお、脚をばたつかせ犬歯を剥く。これでは奴婢として売りものにならず、殺すほかない。雑兵どもは容赦ない。武具と服を剥ぎ、女であれば犯す。阿鼻叫喚。敗者の悲鳴と勝者の嬌声。乱取りは勝者にゆるされた特権であり、雑兵たちへの正当な報酬である。勝者は醜悪きわまりない。

「これが戦。若、慣れられませ」

「四郎、代わってやろうか」

 外側からの弾正の声と、晴影の囁きが重なる。私は、弾正も晴影も拒絶する。こんな惨劇を目のあたりにして、平然としていられるほうがおかしい。人でなしになることが武家の習いというのなら、私は人であることをえらぶ。武家であることを棄てられるのなら、ぜひそうしたい。私だけの体ではないので、それは叶わない。まったく忌まわしい。

 なぜここに、私が顕現しているのか。次郎の指図である。晴影と闘うために慣れておかねばならぬ、と。

「おれとて眠らねばならぬ。忌み子のやつは眠りやしない。おれが眠っているあいだは、三郎とおまえに委ねなければならん」

 次郎の意図はよくわかるし、それにこたえなければならないこともわかる。私が隙となれば、晴影はそこを衝いてくるにちがいない。晴影に体を奪われれば、晴鏡も私たち五人も死ぬ。私たちの死は私がいま見ている死のように、生々しいものではないだろう。においも不快も伴わない。ただ消えて、あとには虚無がひろがるのだろう。私たち五人には、輪廻転生も極楽地獄もないだろう。晴鏡に生みだされたまがいものの魂に、救済があるとは信じがたい。

 だからこそ、晴影の好きなようにさせてはならない。この現世で精いっぱい、生きながらえたい。私は詩句を練り、文を綴る。それが生きた証となり、私にとって生きるということになる。それを貫くために、曲げなければならぬことが多々あるのだ。

 食ったものをあらかた吐きだしてようやく、吐き気は鎮まる。涙は乾いて、涸れた。けれどこの臭気と景色には、慣れそうにない。慣れたくもない。ただ、堪えられるようにはならなければならない。

「四郎、無理はするな。次郎もえげつない。おまえにこんな苦役を強いるんだからな」

 晴影はそうやって、私たちを唆しにかかる。そうやって五人の連携を崩し、体を奪おうという目論見だ。見えすいている。そうやって姫と六郎を誑すのを、次郎と三郎とで見張らなければならない。だいたいは晴鏡と次郎を悪者にして、そちらの側へ引きいれようとする。あるいは、同情を買おうとする。三郎と私はそんな手には乗らないし、次郎が籠絡を受けることはない。次郎が晴影の側についたら、私たちは終わりだ。

「おまえの悪どさにくらべたら、どうということもない」

 そう言いかえすと、「ほほう」と晴影が嘲笑する。

「若、なにか言われましたか?」

 体に顕現しているときは、体をとおして受けこたえをする。弾正には、私が独語しているようにしか見えていない。晴影の囁きなど無視を決めこんでいればいいのだが、堪えられぬときもままある。

「大事ない。ただのひとり言だ」

 いちいちの弁明も面倒だ。私はどうして、このように生まれついてしまったのか。晴影のように、この体を独占しようという覇気もない。そんな闘争に費す時を、すべて詩に投じたい。次郎の指図も煩わしい。けれど、協力していかざるをえない。

「四郎、替われッ!」

 唐突に三郎が叫び、私たちは入れかわった。

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