【四】
出陣のまえに、
晴鏡の体には、三郎が顕現している。
「修理、みごとな武者姿じゃ」
少将がほくほく顔で言い、三郎は片膝をついて平伏する。左に弾正、右に左馬助を従えている。弾正に風格がある。小兵では、巨漢の左馬助に見劣りする。少将の賛辞は、世辞でしかないだろう。
「修理、左馬助。おまえたちに餞別がある」
鳥飼が二頭の鳥蜥蜴を牽いてくる。「が」とも「ぎ」ともつかぬ、
引きだされた二頭は、体格と嘴と鶏冠と羽毛の色がちがう。一頭は、体高五尺(一五〇センチ)ほど。嘴と鶏冠は血のように赤く、羽毛は雪のように白い。左眼が翡翠色、右眼は青い。もう一頭の体高は、六尺五寸(一九五センチ)ほど。嘴も鶏冠も羽毛も、墨のように黒い。両眼は
私たちは、この二頭を知っている。小さい白いほうが「
「雪違を修理に、墨黄金を左馬助にあたえる」
雪違には王侯のような気品があり、嘴のうちの牙を無闇に見せない。荒ぶることもなく吼えもしない。墨黄金は荒々しい。鳥飼三人でどうにか抑えつけている。晴鏡と左馬助の体躯にあわせた、少将の気づかいが見える。少将はこのときのためにこの二頭を買い、飼い育てたのかもしれない。
左馬助が墨黄金に近より、手を伸ばしてその長い首を撫でてやる。あれだけ荒ぶっていた巨鳥は鎮まり、膝を折って服従をしめす。差しだされた背に乗り手綱を取ると、左馬助はみごとに墨黄金を乗りこなしてみせる。慶滋邸の庭をくるりと一周する。
三郎も左馬助に負けじと、雪違の背に跨がる。雪違は荒ぶることなく、すんなりと晴鏡の体を受けいれる。庭をくるりと一周。三郎が雪違を乗りこなしているように見える。が、そうではない。雪違は心従などしていない。従順なふりをしてその実、人間を下に見ている。手綱と鐙に逆らうのもばからしいと、せせらわらっているかのようだ。乗りこなしているのではなく、乗せられている。人間を背に乗せてその手綱に従うなど、雪違には些事であるのだ。尻からひしひしと、雪違の気高さが伝わってくる。
「おもしろい」
当の三郎が、雪違の腹背に気づかぬわけがない。武技乗術の巧者、私などよりわかっている。
「乗りこなせるようになるのは、たのしみだ」
三郎の心境は、私には理解しがたい。私も詩の道を究めんと求道者を自負するが、詩句がひねりだせず書きあぐねる状態をよしとは思えない。三郎はその停滞すらも、乗りこえる過程としてたのしめる。体を同じくしながら、私とはずいぶんちがっている。ほかの四人もそうであるし、晴影などとはなにもかもがちがう。
開玉八年二月三日、冬のただなか。傍目には三郎が、雪違をみごとに乗りこなしているように見えるのだろう。大鎧の武者姿。左に弾正、右に左馬助。
雲ひとつない晴天の下、騎乗と徒の列が都大路を往く。がしゃりがしゃりと具足武具の音、それに混じる鳥蜥蜴の吠声。そろわぬ足並。ばらばらの武具に、ばらばらな人々。整然とは言いがたい雑軍であるが、慶滋の威風が町並に伝播する。慶滋の旗幟の下に、まとめられているように見える。貴賤入りまじる、沿道を埋めつくす人垣。晴鏡は軍列の先頭にあって、その存在を誇示する。
戦はすでに始まっている。この鳥揃こそが、晴鏡にとっての初陣である。陀来門徒との戦いではない。そのあとに来る、内なる敵との長い戦いへの第一歩である。鳥揃を眺める公家と武家のなかに、多くの敵が混じる。陀来門徒追討の如何で、この内在的な敵を味方につけることができる。鳥揃で威風をしめし、陀来門徒を平らげてなびかせる。晴鏡という存在の披露であり、地歩固めである。
見者である私はどうしても、演者であることを余儀なくされる。外側のことは、次郎と三郎にまかせておけばよい。晴影との闘いにおいては、私も演者でなければならない。私は嘆息する。見者としてありつづけることのできる、私だけの体があれば。そうであったなら一日一日好きなとき、好きなだけ書きものに興じられたのに。
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