【三】

 開玉八年(一四八七)。晴鏡は従五位下じゅごいげ修理亮しゅりのすけに叙され、慶滋修理亮晴鏡と名のりをあらためる。子龍丸が元服し、荒屋敷あらやしき左馬助さまのすけ鏡隆あきたかと名のる。偏諱へんき、晴鏡から「鏡」の一字。

「荒屋敷左馬助。殿と若のおんため、粉骨砕身して勤める所存」

 六尺(一八〇センチ)に届かんとする立派な体躯に、烏帽子えぼし直垂ひたたれは窮屈で不恰好に見える。体躯で彼に並ぶ者は、家中にはいない。打物の腕には磨きがかかり、弓は動不動を問わず的から外すことがなくなっている。父ゆずりの眉目の明瞭な顔だちで、美丈夫とは言いがたい。ただ内に籠る精悍さは隠しようがない。

 そのあるじたる晴鏡の身の丈は、五尺(一五〇センチ)にみたない。顔にはあどけなさをのこす。よわい十七から六くらい差し引いたようなわらべぶりである。「寝る子は育つ」というが、他者よりも眠りすぎている晴鏡の体は育たなかった。一個の体に七つの魂が同居しているぶん、外へ向くべき養分が多く内へ向いたのかもしれない。矮躯と童顔であることと柳葉のような細眼のほかに、外貌について特筆すべき点はない。どうもこうも醜くも美しくもない、衆に混じれば埋もれるような目だたぬかたち。

 外見の凡庸さと内側の異質さの、甚だしい乖離。私たちが異質であることは、まわりに気どらせない。誰にもわかってもらえない。俯瞰すれば、私たちは孤独である。晴影はともに生きるべき味方なのではないかと、誤解してしまいそうになる。現に姫は、そのような誤解に囚われている節がある。そこを晴影に衝けいられはしないかと、気が気でならない。

 晴影が晴鏡に取って代わろうとしているのも、孤独から脱却しようという哀しい試みであるのかもしれない。晴鏡の体に晴影ひとりとなれば、他者と同じになる。忌み子と疎まれて父に殺された怒り哀しみ、私たち五人との争闘......彼は私たちよりも孤独で、惨めであるのかもしれない。だからといって、晴影に体をくれてやるわけにはいかない。私たちとて消えたくはないし、なにも知らずに消滅する晴鏡が哀れだ。私たち五人はそもそも、晴鏡を守るために生まれたのだから。


 開玉八年に、動乱は芽吹く。京師より北へ四十里(一六〇キロ)、托中国たっちゅうのくに摩和まわ半島の根元、東西を北海きたみの荒波に挟まれた深雪みゆきの国。火はそこからおこり、四方へぜる。陀来だくる門徒の一揆である。

 陀来宗は宗我そが帝の御世みよ(一三八六~一四〇三)、妙嶽寺みょうがくじ道蘭どうらんによってひらかれた新教である。天極宗てんごくしゅうとの宗論に敗れて京師を逐われた道蘭が、故地に妙嶽寺を建立。細々と教義を繋いでいた。零細の宗門を隆盛させたのが現在の四世法主ほっす妙嶽寺みょうがくじ道悦どうえつである。道蘭の曾孫にあたる。

 在地郷民との結びつきを強め、門徒を殖やす。金銭を蓄え、雑兵を雇いいれる。法主というよりは、辣腕の頭領であった。一代、雌伏二十年。道悦は朝廷に叛旗を翻した。托中・托後たくご守護しゅごを逐い、朝廷不入の土地となす。みづからを「救世くぜ法王ほうおう」と称し、「光興浄土こうこうじょうど」という私年号を用いる。朝廷と守護の支配がおよばない、陀来門徒の楽土を築きあげた。

 陀来宗の教義は、「衆生皆往生しゅじょうかいおうじょう」。力なき衆生はみな、死ねば極楽浄土へ往ける。世俗にまみれ肥大し腐敗した天極宗の坊主たちは、大衆を救おうとはしない。深厳宗しんごんしゅうの苦行僧たちも、おのれの達悟にのみ汲々とする。陀来宗は貧者らに広く受けいれられた。道悦はその信心をうまく利用した。

 陀来門徒は死を怖れない。生とは苦にほかならず、死ぬことでその苦から逃れられる。極楽へ往ける。老いも若きも男も女も手に手に得物を持てば、退くことを知らぬ死兵となった。乱は托中・托後だけでは収まりきらず、南と西へ伝播する。托前国たくぜんのくに温海国あたみのくにを巻きこむ四国大乱へと発展している。托前は京師のある神輪国みわのくにの北隣。管領となった慶滋少将への試練であるかのように、陀来門徒が立ちはだかったのである。

 少将は挫けない。それどころかむしろ、これを好機と捉えているようだ。前管領・澁谷中将は虎視眈々と、権力復帰の機を窺っている。久我家と古巻家、その他の公家や武家の動向にも注意しなければならない。陀来一揆を鎮定し、権力を磐石のものとする。管領としての手腕を示すことで、潜在的な敵を抑える。敵を以て敵を制す。権謀の基本だと、次郎は私たちに教えてくれる。

 陀来門徒追討の勅命が下る。晴鏡は総大将に任じられる。勲功は慶滋のもとに帰さねばならない。晴鏡の初陣を華々しく飾ることで、次代の布石を打つ。そうするためには、必ず勝たなければならない。荒屋敷弾正が軍奉行いくさぶぎょうを務めるのは、必然の流れである。荒屋敷左馬助も晴鏡に近侍し、初陣を共にする。

 陣触れがなされる。慶滋の被官ひかんを軸とした武家が続々と、京師へ集結する。そこへちらちらと、三管領家の被官や根なしの雑兵らが加わる。騎鳥きちょうかち黒鍬者くろくわもの小荷駄こにだを含めて二万余の大軍となる。参集した兵らは京師の外れ四方八方で野営する。

 禁軍という名の雑軍を執りまとめるのが、軍奉行である弾正の役目だ。三十半ばの少壮ながら、弾正の戦歴を超越する者は禁軍中にただひとりのみであった。そのひとりはとうに隠居の身の老年で、弾正は禁軍随一の将である。実務は弾正であるが、名は晴鏡に帰す。次郎は弾正の手腕を学びとろうとしている。晴影も同じであろう。武辺者の三郎は、初陣に昂っている。

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