【二】

 破邪丸の父・慶滋よししげ少将しょうしょう晴俊はるとしは、権謀術数の人である。そうでなければ、次郎と忌み子の親としてふさわしくない。いま、管領かんれいの地位にもない。

 管領とは「総管頭領そうかんとうりょう」の略称。京師みやこにあってみかどもと、軍権を司る役職である。東西に分かれてからの西朝さいちょう独自の職制で、四管領家しかんれいけの持ちまわりである。澁谷しぶやと慶滋と久我くが古巻こまき。この四家を角逐させ、禁軍を独占させない。管領が朝廷を脅かす存在であってはならない。摂政関白を始めとする公達きんだちらの智謀は、深遠にして陰湿である。

 少将は幼時より才気煥発。深遠と陰湿の波を乗りこなし、狡猾な公達らと堂々と渡りあった。彼の先達たる前管領・澁谷しぶや中将ちゅうじょう鑑時あきときは、「老怪ろうかい」と呼ばれた政略の巧者。長く管領の地位にあって、もうしばらくは澁谷の時代がつづくと思われていた。その老獪な中将を政略で出しぬき、管領の座を奪いとったのが開玉かいぎょく元年(一四八〇)の春。破邪丸は九歳となっていた。

 私たち五人と忌み子の暗闘は、止むことなくずっとつづいている。周囲にどられぬよう周囲の手法を看取して、暗闘はより高度になってゆく。私たちが他者と異質であることを自覚したのは、ちょうどこのころであった。肉体一個に人格一個という普遍。破邪丸ひとりのうちに私たち七人があるという状態は、他者に理解されることはない。私たちが、普遍を理解できないように。他者は私たち七人がないまぜになったものを、慶滋破邪丸として認識しているにちがいない。私たちはその誤解に乗じるだけである。


 九歳となった破邪丸に、少将は傅役もりやくをつける。名を、荒屋敷あらやしき弾正少弼だんじょうしょうひつ長隆ながたか。清堯四年(一四五二)生まれで、少将より二歳年少。その母は、少将の乳母うばである。慶滋家の重臣で、家中随一の戦上手。荒屋敷家の三男として生まれたため、幼くして仏門に入れられ「源澤げんたく総然そうねん」と名のっていた。座主ざすとなるべく研鑽を積みあげていた十五の年に、ふたりの兄を流行病はやりやまいで亡くして還俗。その履歴が弾正を、文武両道の万能人として大成させた。傅役として打ってつけの人材である。

 弾正は熱心に厳格に、破邪丸を教育する。その熱はしかし、破邪丸自身には伝わらない。武の鍛練のときには三郎が顕現し、文の講義には私が出ばるからだ。破邪丸と六郎は眠り、姫は文武に関心がない。次郎と忌み子は眠ることなく貪欲に、弾正の熱を吸収する。競いあうための智恵と力をつけつづけてゆく。

 弾正の一子が、破邪丸の学友となる。「子龍丸しりゅうまる」という元学侶らしい、大陸様たいりくようの命名である。子龍丸は破邪丸より二年年少であるが、その体躯は破邪丸よりも大きくすくすくと育ってゆく。弾正はわが子により熱く厳しく、武技と軍学を叩きこむ。めぐまれた体躯はするすると、それらをものにしていった。

 子龍丸がとおを越えたあたりから、三郎は打物うちもので彼を打ちまかせなくなる。体格と同様に実力がひらかなかったのは、負けず嫌いの三郎が必死に食らいついて鍛練をつづけているからだ。けれど弓については潔く、三郎は負けを認めた。「物心つくまえから、弓をおもちゃにしていたようなやつだ。敵うわけがない」と。飛ぶ鳥の手羽と手羽の隙間を射抜いて落とし、矢を抜いてみれば鳥に矢傷はない。射落とされた鳥はなにごともなかったかのように、ふたたび飛びたつ。

「子龍丸。おまえは武略で、若を支える者となるのだ」

 弾正はくりかえし子龍丸に言い、「若、殿の真似はなさいますな。若は聖賢の道を歩まれませ」と私たちを諭す。権謀と帝王学を、弾正は私たちに教えない。次郎と忌み子は、それを少将のやりようから学びとる。この暗闘に真に必要となるのは、弾正が教えないことである。けれど弾正の教えは、破邪丸が生きてゆくためには身につけておかなければならないものばかりである。次郎も忌み子も、そこを分けて考えている。内面の暗闘を制するだけでなく、外界での生を成りたたせなければならない。少将の跡を継いで、管領として外界を支配するために。

 三郎は純然に強さを求め、私は詩道に邁進する。姫と六郎は、俗世に関心がない。破邪丸はのうのうと生き、次郎と忌み子だけが同じ野心を持つ。

 弾正は少将の乳母子めのとご、無二の忠臣である。弾正が「殿の真似をなさいますな」と言うのは、少将の権謀を嫌うからではない。むしろその逆で「なんびとにも殿の真似はできますまい」と、その天才を崇めている。破邪丸の性質には、権謀は不向きと考えている。

 弾正の教えを乞うまでもなく、破邪丸は仁者である。賢いとは言いがたい。陰謀渦巻く世界を乗りきれやしない。そのあたりのことは、次郎にまかせれば問題ない。次郎もそのつもりでいて、忌み子との暗闘に傾注する。忌み子に体を奪われてしまっては、元も子もない。


 開玉六年(一四八五)。十五歳となった破邪丸は元服。名を「慶滋よししげ左馬太郎さまのたろう晴鏡はるあきら」とあらためる。それにあわせ、忌み子はみづからの名を創る。

 「晴影はるかげ」。

慶滋家の通字つうじ「晴」に、照応する「鏡」に映る「影」。「鏡」そのものに取って代わろうと目論む、怖るべき「影」である。


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