影鏡

錫 蒔隆

【一】

 清堯せいぎょう二十四年(一四七二)の夏に慶滋よししげ破邪丸はじゃまるが生まれたとき、体はふたつあった。ふたつの体と引きかえに、その母の命は喪われた。双児であった。

 兇兆と忌まれた片割れは殺されて川に流され、体はひとつになった。忌み子として死んだはずの片割れはしかし、生に執着した。魂として現世にのこって、生きのこった破邪丸に憑いて雌伏した。私たち五人は、そのときに生まれた。私たちは双児の魂ふたつの弟妹、いや......愛欲なき交わりのすえに生じた、観念の子らである。

 破邪丸の体を奪わんとする忌み子から破邪丸を守るために、私たち五人は結託する。私たち五人は慶滋破邪丸という一個の肉体のうちにあって、たがいにたがいを識別する必要がある。だからそれぞれに、名が必要であった。そこに詩的装飾は必要ない。

 原初からあった私たちの父たる主人格・破邪丸は、私たち六人の存在も暗闘も知らない。私たち五人を生みだすことで、忌み子からおのれを守る。私たち六人が体に顕現しているとき、彼は眠っている。なりゆきも辻褄も知らず、のうのうとすごす。私たち五人の存在意義は、それに尽きる。

 無類の善人、底なしの愚者。殿上人てんじょうびと家人けにん衆生しゅじょう、男にも女にも老いにも若きにも分けへだてなくやさしい。人なつっこい笑みを向けて、たらしこむ。誰をも好きになり、誰しもが好きになる。愚かしく、人を疑うことを知らない。物乞いがあれば、施しをくれてやる。道に骸があれば、ねんごろに弔ってやる。見かえりもなにも求めない、生粋の仁者。

 忌み子はその、破邪丸の心根を憎む。どうにかしてその純潔をけがしてやろうと目論む。たとえば。体を奪ったときに、近侍の者でも誰でも殺そうとする。体へもどった破邪丸に罪の意識を刻みつけ、ずたずたにするためだ。私たち五人は必死になって連携して、それを押しとどめる。破邪丸の心が壊れてしまえば、私たちも生きてはいられないだろう。亡霊であることを脱却し、破邪丸としての転生を画策しつづける忌み子。私たちはそれを阻む。忌み子に体を奪われ、奪われては取りかえす。それをくりかえす。この体が滅びるまで、この闘いは延々とつづく。

 私たち五人のまとめ役たる第二の人格を、左馬次郎さまのじろうと呼ぶ。次郎と略す。司馬しば摂関家せっかんけの流れを汲む慶滋家の嫡男が、元服とともに称する仮名けみょう左馬太郎さまのたろうである。その順をなぞっただけの命名である。忌み子が忌まれずに元服できたのなら、もしくは遅く生まれて元服したのなら......その仮名は、忌み子のものであったはずだ。

 次郎は私たち五人のなかで、一番の切れ者である。必要とあれば、残虐も非道も厭わない。その性質は破邪丸のそれからかけはなれ、忌み子のそれにもっとも近い。そうでなければ、忌み子と立ちまわることなどできない。毒を制するものは、毒でなければならない。

 第三の人格を左馬三郎さまのさぶろう、三郎と略す。私たち五人のうちで一番の勇者、顕現しては破邪丸の体を鍛えている。忌み子に実体があれば、とっくのむかしに打ちころしているだろう。次郎が破邪丸の智を担い、三郎が武を担う。そうして破邪丸は周囲から、智勇兼備の御曹司と認識される。

 第四の人格が見者けんじゃたるこの私、左馬四郎さまのしろうである。同様に、四郎と略される。次郎と三郎のように、智謀も武勇も具えているわけではない。そういったものには、とんと興味がない。私は詩人でありたいとねがい、体に顕現したときにはこうして書きものをする。詩句を練っているときが、私の至福である。忌み子に体を奪われれば、その至福も味わえなくなる......ゆえに私は、忌み子と闘いつづける。次郎の指図に従い、協力を惜しまない。

 第五の人格は私たちのなかで、もっとも観念的ではないだろうか。左馬姫さまのひめ、すなわち女である。左馬姫という命名は、慶滋の家法によるものではない。詩的装飾は不要、女ゆえに姫と呼ぶのみである。女ではあるが、体は男のままである。その違和を悲しむそぶりを見せず、彼女は女でありつづける。双児が生まれたときに喪われた母の表象を、彼女は担う。彼女があることで、私たち六人の均衡は保たれている。

 第六の人格を左馬六郎さまのろくろう、六郎と略す。出生のそのときから、六郎の時間は止まっている。成長を諦め、幼子でありつづける。忌み子に憑かれた時に取りのこされた、いわば贄である。破邪丸の脱殻としてありつづけることで、私たち六人の心を救いつづけている。

「ほかの連中を見ろ。おまえの心なんざ、どうでもいいんだ。おまえを贄に、のうのうと生きつづけるんだ。おれの側につけ、わるいようにはせんから」

 忌み子は六郎をそそのかす。のうのうと生きる破邪丸を憎み、駄々をこねて私たちに合力しない。忌み子の口車に乗りそうになる六郎をなだめ、慰められるのは姫だけである。姫は母性で六郎をつつみこみ、こちらの側に引きもどす。

 私と次郎と三郎と六郎とで忌み子を封殺しかけたとき、それを阻んだのも姫だった。「同胞はらからで消しあうなんて、そんなむごいこと......」と、涙ながらに。この体が滅びるまで、この奇妙奇態な相関は終わらない。

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