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 男性が一人で来店するというケースもないではない。けれど極めて稀だ。そしてその場合、その日に成約するなんてことはまず皆無と言ってよい。とりあえずこちらの話を持って帰ってもらい、上手くいけば後日婚約者を連れて再び来てくれる。そしてさらに上手くいってくれれば、やっと契約が成立する。でもそれもかなり大幅に上手くいけばの話なので、これまで男性一人の新規客には私、大変申し訳ないけれども全く身が入らなくて、常にテキトーな心持で望んでいた。

 しかしこの度は、懐かしい臼井幸雄がお客様なのだ。とにもかくにも高校生活は楽しかった。赤点も追試も補講も今ではみんな良い思い出だし。その思い出につらなる先生に会えたこと、それも私や宗田智と同じかそれ以上の問題を孕んだ名を負う臼井先生に再会出来たことには、自分でも意外なほど嬉しいキックがあった。自分はもっとクールな人間だと思ってたんだけど。


 自然愛想もよくなった。お腹は減ってたけど、それでも!

「もちろん、喜んでお話しさせていただきます」

 先生はああ、じゃあ、じゃ、などと数回頷き、

「そのー、ね。僕は名前がアレだから、もし国内で式を挙げるとなると、ウスイサチオなんてね、神主さんや仲人さんが言ったらみんなズッこけると思ってね」

 と言った。

 神前式の知識も仕入れていた私は、神主さんの祝詞で読まれるんやったら先生の場合は「ウスイサチオ」やなくて「ウスイノサチオ」、真ん中に「の」が入ると思いますよと咽元まで出かかったが、何のフォローにもならないばかりか余計気の毒な仕上がりになる気がして止めた。

「そんなん、先生、私もオダマリやのに、白無垢着たいのに、どないしたらいいんですか」

 自分がオダマリでよかった。そうでなければどう落としどころをつけるかちょっと迷ったと思う。


 新規のお客を応接するにあたっては、本人の情報と式に関する希望を簡単に聞くための用紙がある。予算とか、旅行日数とか、行き先などの項目があるのだ。でも、私がそれを差し出しても先生はうーんと唸るのみで全く手をつけなかった。

「大体、ほんっとに漠然とでもいいんで、いつごろかとか、先生のご希望はありますか? まあ来年になってからとか、いや今年中にとか」

 とハードルを下げに下げて聞いてみたら、ようやく、

「まあ、むづかしいかもしれないけれども、できれば来年がいいなあと思うんだけどね、春とか。その、僕だけの希望だけどね、それは」

 という猛烈に曖昧な返事を、先生はした。

「あ、では婚約者様は今年中にと思ってらっしゃって」

「いやいや、うーん、まあでも来年か、それ以降っていうかそのー、本当に、外国で式をあげるってーのはどんなふうなのか、それだけでも教えてもらえるとぼくはありがたいんだなあ、簡単に」

「じゃご希望の方面、例えばハワイですとか、ヨーロッパの方ですとか」

 私は言ってみた。けれど臼井先生はそうだねー、うーん、そうだなー、なんて繰り返すばかりで一向に埒があかない。


 明らかに変。変変変。


 ウチの店では、二年とか三年とか未来の資料を請求してくる客や、世界各国津々浦々さんざん説明だけさせておいて絶対に予約はしない輩のことを「竹の人」あるいは「バンブーさん」と呼んでいる。「妄想だけ」。「孟宗竹」ってことだ。

 先生、多分竹。

 今私は相手が臼井先生だから決してぞんざいに扱うことはしないけれども、これが見ず知らずの唐変木であったなら。


 こうなっては私は本当にタダのおはなし相手だ。私は遠慮なしに先生の目を見て話を始めた。わざわざ「遠慮なしに」というにはわけがあって、我々ウェディングカウンターの女子社員は、お客がつがいで来ている場合、必ず新婦の目を見て喋らなくてはならないことになっている。新郎の方は、シカトにならぬ程度にとどめる。なぜなら、我々がオスの方を見ること度重なると、メスが勘ぐってやきもちを焼くからなのだ。大丈夫、安心して、心配御無用と両方の肩をつかんでぐんぐん揺すぶってやりたいが、実際去年新人だった後輩の比嘉ちゃんは、ある日やって来た新郎を見つめることしきりだったため、クレラップちゃんのような髪形の新婦に掴みかかられて顔面を負傷した。私は傷口にオロナインを塗ってあげたのだった。閉店後、御局様に失策を問い詰められた比嘉ちゃんは、涙ながらに、

「新郎があまりにも片桐はいりに似ていたので」

 と答え、

「男性が女性に似るわけないでしょ!」

 という理不尽な御局のさらなる叱責を招いた上、翌日から比嘉ちゃん自身が「片桐さん」あるいは「はいり」というコードネームで呼ばれることになった。


 ともかく臼井先生は一人で来られているのでそうした気遣いはいらない。

「例えばご予算がたちますと、行き先も絞れるんですよね。お二人だけの式と旅行ということでしたら、お安いのはグアムで平均七十から百万円くらいでご用意できますし、もう限界まで頑張れば三十万円台でも出来ないことはないです。あとハワイで百から百五十が平均ですね。中高年の方とかですと、ちょっと持ってるし自分もこだわりたい、っていうご希望が強い方多いんですけど、そういう方にはヨーロッパ方面をおすすめしたりしますね。フランスのお城で式が出来るところとかもあるんですよ」

「へえ、いいね、お城ね」

「そう、ただそちらへ行かれるとなると移動に時間がかかるんで、お仕事はお休みをまあ十日は取って頂くことになりますね。三日は飛行機の時間ですから。観光することを考えたら、ヨーロッパは日数の条件がすごく大きいですね」

「じゃヨーロッパだといくらくらいになるのかな」

「最低で百五十ですねー。で、お休みをそんなに長くは取れないけど、でも豪華にかつこだわって行こう、てことになると、バリはいいと思いますよ。ホテルがすごい、というかバリはホテルのみに意義があると言ってしまっていいくらいホテルのグレードが高いんです。プライベートプールがあって、ヴィラって、離れ屋ですね、ヴィラがあって、スパがあって、くつろぐのにいいのはバリですね。挙式の方もバリだとチャペルもありの本格的な教会もありのなんで、どちらでも選んで頂けますし。ただね、バリはほんとにホテルだけなんですよ。買物したい、免税店とか市街地でいろいろ買いたい、てことになるとバリは全然そういうのがないんです。工芸品とか、もうほんま籠細工とかそういうのしかなくって。だから、ブランド物欲しい! とにかく買物したい! っておっしゃる方ですと、バリよりハワイの方がいいかもしれません」

「なるほどね、ハワイね。バリよりも」

「その、日頃の趣味というか、お好みというか、旅先での目的で行き先も左右されますね」

「いやあ、そうかあ。僕は若い人の好みってわからなくてさ。もうおじさんだからね僕は」

 まさか「そおっすよねー」と同意することも出来ず、またまたー、全然、若いのにやめてくださいよー、とサチオを持ち上げる私。先生なら教え子にいらん気をつかわせるのはやめてほしい。いや、そんなことより、「若い人」って何? 若いの? 先生の彼女。


 チェックシートの頭にはお客の名前と年齢とを書いてもらう欄がある。男女二つの枠があるが、前述したように臼井先生の用紙は全くの白紙だった。過去私が先生に提出した試験答案もこんなに真っ白じゃなかったぞ。ただ、普通に書いてくれるお客の場合でも、年齢のところだけは空けてあることがちょくちょくあって、人間はどういうわけか自らの年齢を表明することに何らかの屈託があるというひとつの傾向が見て取れる。だからこそ、普段なら年に関してそれ以上こちらから尋ねることは絶対に、絶対にしないのだけど、この時ばかりは先方からのフリもあったし、顔見知りの先生だしで、私は小声で聞いてみた。「先生の彼女、お若いんですか」

「あっ、いや、僕よりはね、若いよ」臼井先生はにやけたような、半泣きなような、何ともいえない妙な顔つきになった。「僕の半分くらいだからね」

 ぅえええええ。と吼えたかったけれどももちろん我慢。まあ海外挙式に年の差のあるカップルは多い。過去に一度、五十を過ぎた白髪の新郎と二十歳の新婦を前に、てっきり父と娘だと思い込んでしまって、「父」の方には「列席者の方はですね」みたいな案内を入念にしていたら、時間の最後の方で「父」が旦那だったと判明し、ワキ汗デコ汗滝の如く一人で焦りまくったことがある。私の思い込みは先方にも多分バレバレだったと思うけど、全然怒ったりせず知らん顔していてくれた新郎さんのことを、ほんとうにありがたく思ったものだ。

 私はつとめて平常な口調で、あー、若い方だと買物はお好きなんじゃないですか、と言ってみた。先生は一瞬ホッとしたかのように見えた。先生の半分って、私よりももっと下なんちゃう?

「そうだね、買物は多分好きだと思うよ。ブランド物とかね、財布とか他も何でも、なんだっけ、ヴィトンだしね、好きだろうね」

 先生はうんうんと頷き、じゃハワイかな、と言った。続けて、でもバリもなあ。お城もなあ。と独りごちた。

「先生は時期とかもお決まりでないってことですけど、東南アジアなんかは雨季乾季とか、時期時期の天候でモロにお値段が変わってきますし、その他の地域でもやっぱりハイシーズン、ローシーズンがあるんで、一番カナメになるのはご予算なんですよね。ご予算と、旅行日数と、現地で何をしたいかっていう旅の目的。この三つで行き先が絞られてくる、っていう。あっ、先生、忘れてた私。タヒチ。タヒチはちょっと高いですけど、個人的にすごいおすすめですよ。めっちゃきれいでした。海、真っ青ですよ」

「あ、小田さん行ったんだ。カレシと?」

「なわけないっす」ぁごめん先生、ちょっと本気で怒ってしまった。触れんといて。そういう繊細な部分に。「宗田智って、覚えてはりますか」

「ソウダさん、ソウダさん」

「半分スペイン人の」半分ではなく本当はシブイチなのだけど、顔面は七十五パーセントくらいの濃度なので、私はそうヒントを出した。「まだ学生の頃ですけど、宗田と一緒に行きました」そう、あんときは楽しかった。

「あっ、宗田さんね、わかったわかった。そうか、宗田さんと一緒に。へえー」

 その後は高校の同級生や先生たちの話になって、タヒチの話はちょこっとだけし、次の予約が迫ってきたのでとりあえずはハワイのパンフレットを渡しておいて、「もしお気に入り頂けましたらご婚約者様と是非お越し下さい」とお愛想を言った。この間約四十分。通常ならハワイだけの説明に二時間以上要するので、こんなおしゃべりははっきり言って季節の変わり目によくあるスペシャルドラマの番セン以下の値打ちしかない。でも先生は満面の笑みで、うんそうだね、小田さんがいてくれてよかったよ、しかしほんといいビルで働いてるよね、うらやましい、と帰っていった。


 腹減ったー。


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