3
私は京都と大阪の境目のギリギリ大阪側に住んでいる。水がきれいで、田んぼや畑が点在するのどかな地域だ。うちは自転車屋で、曾祖父が始めた店を、祖父、父が継いで今日まで来たけど、一人娘の私は会社員になってしまったし、それ用に婿まで捜すというようなご時世でもないし、父親がもうやめる、と言ったらそこで終わりになるらしい。残念な気もするけど、まあ仕方ない。
一旦家に帰って、ちょっと今から智んち行ってくるわ、と言うと母に水茄子の漬物を持たされた。宗田智の家はうちから原付で三分の高台にある。
智は、最初に言ったように所謂クォーター、172センチの長身に小さな顔、いかにも彫りの深い面差しで、ぱっちりした猫のような上がりぎみの両目は濃く長い睫毛に縁取られ、ふつうにしていればひとが振り返るような美人だし、智の年子のお兄ちゃんと三つ下の弟は智よりさらにガイジンなのに、子供たちより倍も濃くカタルニアの血を引いているはずのママ、尚美オリビアはどうした按配なのかどこからどう見ても全く以って純モンゴロイドで、原由子にそっくりだった。
私が訪ねていった時、智は原坊と台所の丸テーブルで、折り込み広告の裏に鉛筆で五目並べをして遊んでいた。私が原坊に、夜分にごめんママ、と言って水茄子を渡すと、原坊はとても喜んで椅子をすすめてくれ、素敵な唐津の湯飲みにほうじ茶を淹れてくれた。原坊は食器を集めるのが趣味なのだった。
「参った」私はお茶をひと口飲んで、五目並べの戦況をちらりと見た。
「どないしたん」
「さっき饂飩食べに行ったら順君に彼女がいた」
「は? 饂飩屋に順君の彼女がいたん?」
いや、そうやなくて、と事の次第を説明している最中に当の順君から「EP忘れてるで」とメールが来たので、それも智に見せて、私は呻いた。
「ショックや」
「レコードくらい明日取りに行けばいいやん」智は早速原坊が切ってくれた水茄子を齧って、うま、と呻いた。
「レコードはな。でもレコードやなくて」
「わかってるわかってる。みなまで言うな」智はもぐもぐ口を動かしつつ手を振った。
私も水茄子をつまんだ。「でも自分がこんなめっちゃ好きやとは思わへんかった。いや、好きやってんけどな、よう考えたら。こんな人が彼氏やったらええなー、とは思た」
漬物を咀嚼しながら私がそんなふうに言うと、そら完全にゆわされてるやん、と智はママ共々失笑した。
原坊は、昔は、というか今も当然そうなんだけれど、圧倒的に「友達のお母さん」だったはずなのに、相手がオトナという立ち位置から動かないのに対して、こちらが十四、十七、二十歳、と間を詰めてゆくに従って、なんというか、ちょっと年上の知り合い、つーか姉ちゃん、みたいな感じになってきて、私が智の家に来ると、原坊も忙しくない限り、こうして話に交ざるのが常となっていた。多分原坊のそういう雰囲気は、去年退職するまで長い間高校で美術の教師をしていたために若者慣れしているというのも関係あっただろう。
「なんか、最初ナンパされたかと思って、でもナンパにしてはえらい間延びしてんなーと、てことは普通に友達になったってことで、私としてはまあそれはそれで嬉しいし、よかった面白いひとと出会ったなあ、って思っててんけど」
私がだらだらと弁明しようとすると、智は、あー、となにやら思いついた様子で、
「くれなゐのうす染衣浅ちかに相見し人を恋ふるころかも」と三十一文字を唱えた。
「日本語でしゃべってもらっていいですか?」
「だから、べつに何ちゅうこともなく会うてた人が今さらえらい恋しくなったわー、もー、ってこと。まあ相見し言うたらまず同衾してるやろから、君らとはちょっと違うけどな」
「コウルコロカモて、スキカモー! いうやつ? おいしいカモー! みたいな?」
「ああ、あれってそういう詠嘆の『かも』やったんか。そう思たらあんま腹立たへんな」
「あれ腹立つよな。最近聞くこと減った気するけど。これいいカモー! ってワレの感想くらいちゃんと言い切れ」
「ほんまやで。ちゃんとしゃべれ」
智は原坊に、ママ生姜おろして生姜、と言うと、自分はまた一切れ漬物をもぐもぐ食べながら両腕を広げた。
「ほれ、マリ、順君やと思って。抱きしめたるから近う寄れ」
「おんなじ髪型なだけやろ」
智は尋常にさえしていれば文句なしの別嬪さんなのに、何の因果か爺臭い駄洒落を好むのみならず、ときたま宇宙からの電波が入ってきたら、その美貌を敢えて空費するようななりをすすんでし、この頃は栗色の髪の毛を丸刈りにしていた。順君も当時、丸坊主だったのだ。
友人として、智には何度も、勿体無い、そのうちバチかぶる、と忠告した。でも智はへらへらしながら、「いっぺんやってみたかってん。さっぱりしたし枝毛も全部リセットしたった」とご満悦だった。
一度、どうして普通の別嬪さんライフを送らないのか智に尋ねたことがあった。智は一言、めんどくさい、と答えた。そう? そっちのが得じゃない? 重ねて私がそう問うと、今だってべつにソンしてる感はないで、と言われた。確かに実際坊主刈りにしていようがチャカ・カーンのようなカーリーにしていようが薄汚いワークパンツを穿いていようが袖口のほつれたスウェットワンピースを着ていようが、宗田智が一種名状し難い色気のある美女であることには違いなく、繁華街を一緒に歩いていてもそういう業界の人から写真を撮らせてくれとかテレビに出ないかとかよく声を掛けられていた。智はその度に「いやや」とにべもない返事をしていたが。
でもほんとうに、智がふつうに、少なくとも髪型だけでもふつうにしている時期であれば、智には老若の男どもが雲霞の如く群がってくるのだった。そして、智本人も気が向いたらその中からよさそうなところを選んで付き合ってはみる、けれども全く長続きせずあっという間に別れる、というのがパターン化していた。
私に関して言うと、智の隣でワリを喰ってたけど、正直私は私でまずくないと思う。多分。多分な。智とは趣を異にするにせよ、私もちょっと見は和風の顔面じゃなくて、高校に入ってすぐの頃「神戸であった日印交流イベントでミス印僑に選ばれたことがある」と冗談を言ったらクラス全員に簡単に信じられてしまって撤回するのに苦労した。一度ならずディズニー映画に出てくるジャスミン姫に似ていると評されたこともある。他にも「オリエンタル系」「クレオパトラ」「ハムラビ法典」「ダルシム」「ガンダーラ仏教美術」「ベリーダンサー」「ボンベイ」「ボンベイサファイア」などの渾名をつけられ、広域すぎる上モノだかヒトだか男だか女だか逆に分からない向きもあるとは思うけれど、ともかく本朝より西方の人、という印象を与えるらしい。
高校一年生から大学の二回生になるまでの間に三人彼氏が出来た。それが多いか少ないかは知らない。きっと普通だろう。でも私も、どのひととも長続きしなかった。特に三人目、美形はいけ好かんとか言いながら、私が大学一回生の冬から二回生に上がった春までのワンクール、約三ヵ月付き合っていた二歳上の千早さんというひとなどは、白馬の王子ってのはこういうのやろ! と思われるような切れ長の目元の美男だった。
この王子の国では長らく一夫多妻制がとられていて、北大路にあった王子の城、つまり千早さんの下宿の洗面台には常に種類の違うメイク落しが五つ以上置いてあるとか、歯ブラシが十本立ててあるとかいう噂が絶えず、実際私と出会った当時は少なくとも四人の女性と懇ろになりながら誰にも膝を屈さない、特定の誰かに言質を与えないという、千早の名に違わぬ難攻不落ぶりだったらしい。
だのに一日、私と千早さん共通の友人の下宿で開催された鍋パの際、気を利かせてというよりもむしろ自分がどうしても食べたかったがために作って持参したバッテラを以って、全くの初対面だったこの私が図らずも射落とすという事態をみたため、関係者筋から私はゴッドハンド、黄金の右腕、あるいは毒入りバッテラ職人と呼ばれることになった。鍋パから約ひと月に亘る王子の求愛行動に対し、私は一夫多妻制の即時撤廃を条件に輿入れを承諾、我々はとても上手くいって、千早王子はその後約三ヶ月間、私の懸念も周囲の予想も裏切って、よその女を相手に猿股を脱ぐようなマネはせず、それまでの王子の行状を知る女子達が、私にあやかりたいと件のバッテラのレシピを、つてを頼りに求めてきたりした。
けれども四月の初め、他人からすればまったく些細な事だろうけれども私にとっては地雷レベルの破壊力をみせたある出来事で、千早さんのことが急に厭になってしまった。若干勿体無いとは思ったけど、一度ケチのついてしまったものはどうにもこうにも払拭できず、なぜどうしてと理由を問う千早さんを半ば足蹴にするが如く唐突に袖にして、紅顔の王子をしてその頬肉をがっさり失わしめたあとには私はもうヤマタノオロチを倒したスサノヲばりに神格化され、一連の出来事は「北大路百一日の奇蹟」と長く人々の語り種となった。
そんなこんなで結局私と智とはたいがい二人で過ごしてばかりで、お互いがお互いのことを「私の『おんな彼氏』です」とひとに紹介するような有様だったのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます