切り札はふくろう

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切り札はふくろう

「私はな、諦めが悪いんだ。近藤」

 長い黒髪を右手で撫でながら、隣の席に座っている森野先輩は朗らかに笑った。

「最後までな」


 教室の窓から、ふわりと風が流れ込んできた。冷たい風だ。もう三月だというのに、寒さは一向に退く気配はない。卒業式には相応しくないだろう。だが、そんなことはどうでもよかった。


「知ってるか? 諦めの意味はな」

「知ってますよ、そんくらい」

「本当に?」

「本当です。男に二言はありません」

「なら諦めの意味を言ってみろよ」

「そうじゃなくて、先輩が諦めが悪いってことを、知ってるんです」


 そんなことより、式を終えたというのに、わざわざ二年生の教室に居残っている先輩の方が、よっぽど卒業式に相応しくなかった。


「近藤、お前に私の何が分かるっていうんだよ。言ってみろ。辞書の文言通りにな」

「辞書に先輩のことが載っているんですか?」

「載ってるぞ」

「なんて?」

「物知り博士、哲学者、忍者ってな」

「なんですか、それ」


 ガハハと、女らしさのかけらもなく笑った先輩は、おもむろに机を動かし始めた。ガタゴトと乱雑に音を立て、正面へと移動させている。いくら他の生徒が帰ったとはいえ、ここまで煩くすると、教師に咎められてもおかしくない。


「そんな変なことを言うから、変なあだ名をつけられるんだ」

「つけられたことなんてないですよ」

「私はある」


 前の席を足で蹴飛ばし、どすんと座った先輩に、低い声で訊ねた。


「それで? 諦めが悪い先輩は何をするんですか?」

「なんだと思う?」

「分かりません」

「手品だよ」


 思わず、ため息をついてしまう。その内容があまりにも下らなかったからではない。またか、と呆れたのだ。先輩がこうして手品を仕掛けてくるのは、もはや日常と化していた。


「でも、先輩」

「なんだ?」

「一度も成功したこと無いじゃないですか」

「さっき言ったじゃないか」

「え?」

「私は諦めが悪いんだ」


 胸を張る彼女を前に、ただ茫然と口を開けることしかできない。何が彼女をそこまで手品に突き動かすのだろうか。


「先輩には無理ですよ。トランプで言えば、先輩は精々4ぐらいです」

「なんでだよ。ジョーカーの方がまだいい」


 きめ細やかな白い肌を僅かに上気させた先輩は、得意げに、懐からトランプの束を取り出し、一枚抜き取った。それを、机に強く叩きつける。陽気な笑顔を見せるピエロがそこには描かれていた。カードの端には、Jokerと角ばった字で書かれている。


「映画とかでよく言うだろ? ジョーカー。このカードは特殊な意味を持つんだ」

「はあ」

「なくてはならない存在。圧倒的強者。まさに切り札」

「大袈裟ですね」

「なんなら、告白の時に言えるんじゃないか? 私の切り札になってくださいって」

「そんな告白したら、絶対振られますよ」


 ほう、と挑発するように鼻を鳴らした先輩は、机の上に置かれたジョーカーを、もう一度トランプの束へと戻した。おそらく、手品を始めるのだろう。これで先輩の下らない手品も最後か。そう思うと、少し寂しく感じた。


「いつも似た手品ばっかりですからね、先輩。イノシシと豚くらい」

「みみずくと梟くらいか?」

「みみずくと梟に違いなんてあるんですか?」

「知らないのか?」


 そんなの、分かるわけがなかった。


「違いはな、耳があるかどうかなんだってよ」

「耳?」

「みみずくはな、兎みたいに耳が生えてるんだ。で、生えてない方が梟。面白いだろ?」

「まあ、はい」

「私はね。みみずくの方が好きなんだよ。梟より背伸びをして、何としても勝ってやるって気概を感じる」

「そうですか?」

「それに比べて梟は駄目だ。その場に胡坐をかいているだけの、停滞した奴だよ」

「梟に怒られますよ」

「梟が怒るわけないだろ」


 なに言ってんだ、と指をさして笑ってくる先輩に、少し腹が立った。だからだろうか、いつの間にか、らしくもなく言い返していた。


「梟だって、いいとこあるんですよ?」

「ほう。言ってみろよ」

「ほら、あれですよ」


 勢いよく啖呵を切ったものの、梟のことについて、まともに考えたことはなかった。ただ、夜にほうほうと鳴いているイメージしかない。


「梟って、格好いいじゃないですか。魔法使いが使ってそうだし」

「そうか?」

「そうですよ。僕は梟が好きです」

「嘘だろ?」

「本当ですよ。愛してるといってもいいです」

「ほう。変わってるな」


 先輩にそう言われるのは心外だったが、これ以上追及したところで、碌な目に遭わなそうだったので、やめた。時計をちらりと見る。すでに、六時を回っていた。こんな時間まで居座っていることがばれれば、確実に追い出される。


「いいから、はやく手品をやってくださいよ」


 扉が開き、先生が入ってこないかと気にしながら、先輩をつついた。と、むっとした先輩が、わき腹をつつき返してくる。


「なにするんですか」

「やられたからには返す」

「いいから手品やって下さいよ」


 やれやれ、と肩をすくめた先輩は、机の上にあるトランプを手に持ち、切り始めた。何度も手品をやっているはずなのに、どこか不格好で、時々くしゃりと嫌な音がしている。だが、先輩は気にも留めていなかった。


「よし。なら、お前はこのトランプがきちんと切れているか確認してくれ」

「いいですよ、別に」

「いや、やれ。私はな、大事なことはしてもらいたい派なんだよ」

「そんな派閥があるんですか」


 差し出されたトランプを受け取り、ぱらぱらとみる。正直に言えば、さして興味はなかった。そんなことより、ここを去ってしまう先輩のことばかりを考えていた。


 だから、そのことに気が付いたのはある意味運が悪かったに違いない。


「あれ? これ、さっきとjokerの絵柄が違くないですか?」

「ほう」

「ピエロだったのが、梟になってますよ」


 カードを一枚抜き出し、まじまじと見つめる。角ばった字で書かれたjokerの文字は何一つ変わっていないが、絵柄が変わっていた。笑顔を見せるピエロの姿はなく、キャッチーな梟の絵に変わっている。もしかして、これが先輩の言う手品だろうか。


「もう一つ、気づくことが無いか?」

「え?」

「ふつう、jokerは何枚ある?」

「そりゃ、二枚ですけど」


 そう口にしながら、もう一度トランプを広げる。そこで、ようやく先輩が何を言いたいのか分かった。


「一枚しか、ないですね」

「そうだろ」

「もう一枚はどこにあるんですか?」

「気になるか?」


 大して気にならなかったが、どういうわけか、無言で頷いていしまった。すると、勢いよく席を立った先輩は、にやにやしながら入り口の扉へと近づいていき、近くの棚に積まれていた辞典に手を伸ばした。国語辞典、と背表紙に書かれている。


「ここに、ある」

「わざわざ仕込んでたんですか?」

「そういうことを言うのは野暮だぞ」


 ほれ、と投げてきたそれを受け取り、箱から取り出す。どうして卒業式に国語辞典からトランプを探さなければならないのだろうか。


「私には、変なあだ名があってな」


 いやいや国語辞典をめくっていると、先輩がいきなりそんなことを言い出した。もしかしたら、卒業の感慨に浸っているのかもしれない。


「運動神経もよくて、頭もよかったからつけられたあだ名なんだが」

「意外ですね」


 面倒になり、適当に国語辞典を開くと、しおりのようにトランプが挟まれていたからか、簡単にそのページを見つけることができた。見つけて、驚いた。本当にカードがあったからではない。その、辞典の項目の一つが、蛍光ペンで色付けされ

ていたからだ。


「その動物も、運動神経が良くて、頭がいいらしいんだ」


 その単語を見る。ボールペンで、タイトルに、森野、と書き加えられていた。思わず、声に出し、読んでしまう。


「ふくろう。森の物知り博士、哲学者、忍者と呼ばれることもある鳥類」

「そうだ。ふくろう。それが、私のあだ名だ」

「え?」

「私の苗字は森野だろ? 森野、物知り博士、哲学者、忍者」

「駄洒落じゃないですか」


 その、項目欄をじっと見つめる。梟、と書かれたそこは、心なしか大きく見えた。


「いったい、何がしたかったんですか」手品にしては、意味が分からなすぎる。

「先輩のあだ名が梟だったってことしか分かりませんよ」

「それさえ分かればいい」

「どういうことですか?」

「お前、言ったじゃないか」何故か照れくさそうに笑った先輩はふっと息を漏らした。

「梟が好きだって」

「え」


 一瞬、先輩が何を言っているのか、分からなかった。が、ようやく頭が追い付いてくる。


「愛してるといってもいいとも言ってたな」

「それは意味が」

「しかも、男に二言はないとも言ってたぞ」


 どう反応したらいいか分からず、立ち尽くすことしかできない。それは、動物の梟の話をしているのであって、先輩のことではない。そもそも、先輩が梟というあだ名だったことも知らなかったのだ。


「いったい何がしたいんですか」

「いや、私は今日で最後だろ? 卒業するから」

「ええ」

「だから、強引にでも、告白されたかったんだよ」

「え?」


 らしくもなく、ごにょごにょと話す先輩は、落ち着きなく髪を触っていた。心なしか、緊張しているようにも見える。


「私は、大事なことはしてもらいたい派だからな」赤くなった耳を撫でた先輩は、わざとらしく咳をした。

「そして、やられたからには返す」

「え?」

「なあ、近藤」


 ずいっと体を近づけてきた先輩は、顔を下げた。そのまま、らしくないほどに、ゆっくりと息を吐いている。先輩の胸の鼓動が聞こえた気がしたが、どう考えてもそれは自分のものだった。


「私をお前の切り札にしてくれないか」


 教室の窓から、ふわりと風が流れ込んできた。冷たい風だ。もう三月だというのに、寒さは一向に退く気配はない。だが、それでも体のほてりを覚ますには足りなかった。


「も、もちろんです」

「本当か!」

「ただ」


 ふっと息が漏れた。


「ほんと、最後の最後ですね」

「言ったろ?」


 がばりと顔を上げた先輩は、太陽のような笑みを浮かべ、言った。


「私は諦めが悪いんだ」

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