いひとよの王
うめ屋
*
これは、ある平原の国のお話です。
国はナカノハラといい、茫々とした草原が広がる平地でした。民はわずかな麦を育て、羊を飼って暮らしていました。
国には王様がいらっしゃいました。王は賢く、よく国を治めていました。七人の妃がいましたが、まだ子はありませんでした。
王様はこれを案じ、夜ごと星に祈りを捧げていました。
――どうか、星の神々よ。わたくしに子をお与えください。さすればわたくしは、生涯しもべとなりましょう。
そのとき
王様には、それが夜の賢者――ふくろう鳥の羽ばたきに見えました。
*
ひととせ後、王様のもとに御子がお生まれになりました。念願のお世継ぎです。
しかし妃は、御子の顔を目にして気を失ってしまいました。産婆も腰を抜かしました。王様は産屋に呼ばれ、むうむと低く呻きました。
御子の顔には、それはそれは醜いあざがあったのです。
あざは顔のほとんどを覆い、腐肉のようにぼこぼこ盛り上がっていました。まるで呪いの縄のようです。王様は、ものも言わず産屋を引き返しました。
御子はただ、一の王子、と呼ばれることになりました。
聡明ではありましたが、たいへん無口な王子でした。人を好まず、いつも独りで弓や刀の練習をしています。あるいは馬に乗り、ずっと羊を追っていました。
そのような王子を、国の人々は憐れみと嘲笑をもって見ていました。王様も母御の妃も、王子を扱いあぐねていました。いる者ともいない者ともできず、腫れものに触るようでした。
やがて王子が十八となった夜、王様は王子を呼んで言いました。
「むすこよ、そなたは醜い。国を治める王たるものが、さような顔では民を恐れさせてしまう」
「――」
「ゆえ、むすこよ。そなたは禊の旅に出よ。その厭わしきあざを癒し、身についた呪いを解くための旅に出よ」
王子はすべてを諦めていました。おのれのあざが醜いので、しょうがないと思っていたのです。ゆえ、王様へもすなおに頭を垂れました。
そうした王子に、王様はひとつはなむけを贈りました。
「ひとつ、そなたにさきわいを与えよう。そなたがこれから部屋へ戻り、いちばんに出会った者。その者を旅へ連れゆくことを許す」
王様のおことばに、王子はやはり、礼をとって応えました。
*
王子のお部屋は、王様の御座所とは異なる家屋です。
この国の民は、マルと呼ばれる饅頭のような家に住んでいました。木組と羊皮で組み立てる住まいです。ひとつのマルにひと家族ずつが暮らし、子は婚姻をすれば別のマルを構えます。
王子はまだ妻を娶っていませんが、独りでマルに暮らしていました。いまもその家に帰ろうとして、入り口の毛織物を巻き上げたときでした。
闇夜をすべるように、何者かが飛び込みました。王子がおどろいて刀を抜くと、ホウ、と鳴きます。
灯りをともすと、それは奥の祭壇に留まっていました。まばゆげに目を細め、王子を見つめています。それは夜の賢者――ふくろうでした。
王子はふくろうに近づき、跪いて礼をしました。
――あなたが俺のさきわいだ。どうぞ、俺の旅をただしくお導きください。
するとふくろうはホウと鳴き、応えるように羽根をばたつかせました。
そういうわけで、王子はふくろうとともに旅へ出ました。
あくる朝です。王子は革袋を背負い、馬に乗り、ふくろうの飛ぶ先を目指しました。ふくろうは青空の下、東へと飛んでいきます。
東は、海という異界があるだけの死者の国です。ナカノハラの民ならば近づかない方角でしたが、王子はふくろうに任せました。王子は馬を駆り、心の中で呼びかけました。
――実りのおおとり、
ふくろうは、その背中に黄金の稲のようなまだらもようを持っています。
乾いたナカノハラの地において、稲や米は南からしか入ってこない、貴重なものでした。ゆたかさと繁栄の象徴です。ですので王子は、ふくろうにこのめでたい御名を与えたのでした。
*
ところが、王子が旅に出たすぐ後です。ナカノハラではひとつの慶事が起こっていました。
王様に、第二の王子がお生まれになったのです。
王子は兄王子のようなあざもなく、清く賢そうなまなざしをしています。人々は、これこそお世継ぎにふさわしい王子ではないかと讃えました。
王様も、同じように考えました。
――あの醜い一の王子より、二の王子をこそ継嗣にしたい。
しかし、兄である一の王子を差し置くことはできません。王様はむうむと唸り、占い婆を呼び寄せました。そうして、一の王子の前途を占わせたのです。
占い婆は王様の心を見抜いてお告げしました。
「一の王子は、この国に仇をなす御方です。王様を弑する御方です。いまのうちに、その芽を摘んでしまわれるがよろしいでしょう」
その託宣に、王様のお心は決まりました。
謀反の疑いありとして、一の王子へ軍を差し向けることにしたのです。
*
そのころ、王子は野を駆けていました。
弓をつがえ、走りゆく鹿を追います。馬をあやつり、岩場へと追い込みます。そうして鹿がうろたえた瞬間、王子は弓を放ちました。
しかし、矢はわずかに逸れました。鹿が角で矢を追い払ったのです。
そのとたん、岩の陰から悲鳴が上がりました。
王子は急いで駆け寄りました。鹿はとうに逃げ、王子の肩にふくろうが留まります。王子が岩を回り込むと、そこには、齢七つほどの女児が泣いていました。
薄汚れた、しかし愛らしい顔立ちの少女です。王子を見、なにか近しいものを見つけたように目をみはりました。
「すまない。……だいじょうぶ、か?」
久方ぶりに人のことばを話すと、声がかすれました。
王子は咳払いして、膝をつきました。少女はまだ固まっています。王子は革袋から干し肉を取り出しました。
「いるか?」
少女は上目づかいに王子を見、やがて手を伸ばしました。
そこからは、むさぼるように食べ始めます。そうしながら聴いたところ、少女は捨て子らしいのでした。
彼女の背中には、生まれたときから大きなあざがあるそうです。それが鬼のように恐ろしく醜いので、村の民から置き去りにされたというのでした。王子は少女に訊ねました。
「父や、母はいないのか?」
「とうさまは、初めからいない。かあさまは、わたしを産んだときに死んだ」
「……そうか」
がつがつと肉を噛みちぎる少女を眺め、王子はほのかな哀しみを覚えました。
ふと、父御や母御のことを思ったのです。少女の姿を通して、王子は改めて、おのれの身をかえりみたのでした。
――俺が醜くなければ、王は愛してくださったのだろうか。この子も捨てられなかったのだろうか。
王子の物思いを癒すように、ホロホロ、とふくろうが鳴きます。少女はそれに、歯をみせて笑いました。
腹がくちくなると、少女は王子にもたれて眠ってしまいました。王子はそのぬくもりを感じ、初めて、あたたかいと思いました。
*
やがて夜が来、また明けました。
岩場にとどまっていた王子は、はるか彼方から近づくものを感じて立ち上がりました。
雲のような、地揺れのような氾濫する大河のような。それはすさまじい勢いで王子にせまり、土埃舞う軍勢となってやってきます。
王子はさっと馬に乗り、少女を抱えて走り出しました。
――わからぬ、わからぬ。……だがわかる。あれは王の軍勢だ、父上の兵たちだ。俺を狙ってやってきたのだ。
考えるより先に悟ったことでした。
いきさつはわかりませんが、王は王子が不要になったのです。それで殺しに来たのです。王子は鞭をふるい、馬を駆り飛ばしました。少女が目を覚ましました。
「……なあに?」
「しゃべるな。舌を噛む。俺にしがみついていろ」
少女も後ろを見、身をこわばらせました。しかしすなおに王子へ従います。
王子はこの幼い命を守らねばなりません。この少女を、どうしても、殺させたくはありませんでした。
「飯豊の神よ!」
王子は先をゆくふくろうに叫びました。ふくろうは黄金のひかりのように、夜明けの中を飛んでいきます。王子はふりしぼるように願いました。
「神よ、この子どもを助けてくれ! 俺はいい。ただこの少女だけは生かしてくれ――!」
とたん、王子の乗る馬がふわりと空へ駆け昇りました。
おどろく暇もありません。馬は翼をえたようにぐんぐん昇り、ふくろうの後を追って駆けてゆきます。王子と少女も、馬に乗ったまま大空を羽ばたきます。
やがて東に、洋々たる水のかたまりが現れました。湖よりもはるかに大きな――王子は知りませんでしたが、これが海というものでした。海はあおく遠くさんざめき、王子たちを待っていました。
と、ふくろうがざんぶと海へ飛び込みました。
山よりも高いしぶきが立ち、津波となってあふれ出します。それは怒涛のように、追いせまる兵たちを押し流しました。
王子がハッとしていると、いつしか、海にはひとつの島ができています。ゆたかな稲の原が
神々しいまでのそのひかりに、王子は思わずつぶやきました。
――飯豊の神よ。
これはきっと、あのふくろうが化した島に違いありません。馬はその岸辺に降り立ち、王子と少女を下ろしました。
王子はそこから、向かいの陸に呼びかけました。
「ナカノハラの民たちよ。俺はここであなたたちに別れよう。俺はこの島で生きてゆく、あなたたちはその陸で生きられよ」
その後、津波はナカノハラの国もとにまで届きました。
王様の御座所も水に沈み、王と妃たちは残らず没してしまいました。しかし二の王子だけは助かり、遺った民とともに新たな国をつくりました。津波は平原にゆたかな水と土をもたらし、国を稲の育つ土地に変えました。
そして一の王子は、ふくろうの島に別の国を建てました。捨て子の少女を妻に娶り、たくさんの子をもうけます。そこから広がった子孫たちは、すえずえと栄えました。
一の王子はこの国で、いひとよの王、と呼ばれました。
その治世はあかるく賢く、人々からおおいに慕われたといいます。
いひとよの王 うめ屋 @takeharu811
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