エピローグ
#X-x 再開
圭の日記:十二年前―――――――――――――――――
四月一日
脳科学研究所に、新たに研究員を迎えた。
アリソン=ブラック。
教授の話だと、世界的に有名な大学の研究室から、客員として招かれたらしい。
うちみたいな地方の弱小研究所に、なんで? と思っていたら、お子さんが、空想過剰症候群を患っているとのことだった。理論上でしか発見されていない上、他じゃ一笑で切り捨てられるような理論だから、受け入れられる場所を求めてたんだと思う。おかげで、証明するサンプルが手に入ったと、研究室は大喜びだ。
四月二日
さっそく、アリー(アリソンの愛称。そう呼んでと言われた)が、お子さんの
空想過剰症候群の発症を恐れて、日中の大部分を薬で眠らされ続けたその子は、小学校に上がる前としても小さすぎ、やせ細っていた。悲惨な姿を前に、喜んでいた研究室も、一気に暗くなる。みんな、現実に慣れていなかったせいだろう。普段、数字と論文に埋もれてばかりで、ろくに実修が出来る環境じゃなかったせいだ。私も、日本人の旦那さんから、「娘をよろしくお願いします」と言われたときは、自分が恥ずかしくなった。
そんな状態だったから、用意していた実験もできず、この日はヒヤリングだけで終わった。ヒヤリングといっても、実際は、明楽ちゃんと遊んでいただけ。患者との信頼関係の構築は大事だけど、こんなので大丈夫かしら?
四月十六日
ようやく、ポツポツと実験を始め、その結果も出始めた。
サイコロの出目を当てるゲームや、絵を描くテストを、明楽ちゃんは遊び感覚で受け入れてくれた。素直ないい子だ。
いや、素直すぎる。
家に帰って、亜理子に同じゲームを持ちかけると、「つまんない」と言われた。
四月二十五日
相変わらず、明楽ちゃんのテストと計測、脳波測定を続けている。
記録をする方は大変だ。なにせ、記録をしても空想過剰症候群が発症すると、記録した内容まで変わってしまう。おかげで、記録する側の記憶違いなのか、本当に症状が発生したのか、やっているうちに自信が無くなってくるという変な状態が続いている。
五月三日
ゴールデンウィークで休み。家族で実家に帰った。
といっても、隣県なので旅行という程でもない。例年のごとく、隣で亜理子が遊んでる横で、お義父さんとお義母さんに挨拶。おじいちゃんとおばあちゃんの家に行くのも、嫁としての勤めになってしまった……。
五月四日
実家から帰る途中、交通事故に巻き込まれた。最悪。
私は大したことなかったけど、旦那が重症で、亜理子が足を骨折した。
五月五日
入院その他の手続きで一日潰れる。
駆けつけてくれたお義父さんとお義母さんが、ずいぶん助けてくれた。
普段からまともな関係を続けていてよかった。後でお礼言っとかないと……。
五月六日
一日たって、ようやく落ち着き始めた。
亜理子はもう元気になって、おじいちゃんおばあちゃんと一緒だと喜んでいる。旦那は、音大勤めでこの怪我じゃ指揮棒も振れないから、と笑っていた。
私も、久しぶりにお弁当でも作ってみようかな? 入院食じゃ、飽きるだろうし。
五月七日
仕事の合間にゴールデンウィークの話をすると、アリーがお見舞いに来てくれた。
明楽ちゃんを大学病院に送るついでだけど、明楽ちゃんは亜理子とは会わせられないのが残念。空想過剰症候群さえなければ、いいお友達になれると思うんだけど。
五月九日
旦那に頼まれた音楽雑誌を持っていく。
入院中、インターネットで見た記事が気になったらしい。気になった記事というのは、音楽が脳波に与える影響を扱った論文だった。ほとんど科学誌だ。最近の現代音楽はこういうところも気にするらしい。
五月十一日
今までのデータを見ていると、明楽ちゃんの脳波が、発症時に特異なパターンを示している事が分かった。
もしかして、と思って、旦那に特定の脳波を抑える音を創れるか聞いてみた。難しいが、無理でもない、ということだった。アリーと教授に話してみよう。
五月十八日
脳波を抑える音波の特定に成功した。
始めはAIを使っても、何年かかるか分からなかったけど、アリーさんが明楽ちゃんを連れてきて、「圭お母さんの仕事、きっとすぐに終わるわ。そしたら、一緒に遊びましょうね?」と言い聞かせたら、すぐ見つかった。
空想過剰症候群を利用した形だ。
必死にAIを調整していた私はいったい何だったんだろう……?
五月十九日
明楽ちゃんに「治る音」を聞かせる。
結果は成功。一時的に、発症が抑えられる事がわかった。
それにしても、イヤな音だ。壊れたラジオが慣らす、ノイズみたい。
旦那も、脳の働きを抑制するわけだから、人間の耳はイヤな音に聞こえるようにできてるんだろう、と言っていた。
五月二十二日
旦那が退院。しばらくはリハビリが続くから、職場には復帰できない。
まだ入院中の亜理子の世話と、家事をやってもらう事に。旦那自身は、嫌がるわけでもなく、キミも明楽ちゃんを治すのに忙しいだろうから、と笑っていた。
でも、「大人が読む怖い絵本」を間違って買ってきたのはいただけない。
五月二十四日
定期的に音波を聞かないといけないけど、明楽ちゃんに少しづつ、普通の生活を始めてもらっている。サイコロゲームから、現実化してもさほど問題ない絵本に進み、薬も少しづつ減らしていっている。
明楽ちゃんはご機嫌だったけど、「治っても、一緒にいてくれますか?」と聞いてきた。
そういえば、「病気が治る」という「想像」は現実化しなかった。
空想過剰症候群を抱え続けたのは、病気が治ることで愛情が実感しにくくなるのを、無意識に拒んでいたせいかもしれない。
五月二十八日
亜理子に明楽ちゃんを会わせる。
亜理子ももうすぐ通院に切り替える予定だったけど、あんまり仲良くなったから、もう少し退院を遅らせてもいいかもしれない。
病院を託児所代わりに使うのは気が引けるけど。
五月三十一日
教授が音波の改良を行った。
より長い効果が得られるはずだけど、ノイズが歌みたいに頭の中で回り続けるせいで、脳の負担は大きくなる。
アリーは反対していたけど、教授は強行。
でも、途中で明楽ちゃんが自分でヘッドホンを外してしまった。
私は実験を中止して、アリーが泣いている明楽ちゃんを慰めて、アリーの旦那さんが教授に詰め寄って、
教授は、老人に変わった。
旦那が間違って買ってきた、あの本に乗っていた「悪い魔法使い」だ。
知らないうちに、間違って亜理子が手にして、明楽ちゃんと一緒に読んだんだろう。
元教授はアリーの旦那さんを焼き払って、明楽ちゃんを襲おうとして、アリーは明楽ちゃん連れて逃げて。
私は、旦那に電話で話のあらすじを聞きながら、追いかけた。
絵本の内容は、悪い魔法使いが権力を維持するため、病床のお姫様に危険な治療を強行するというもので、お姫様の視点から、始めは優しかった老人が豹変する恐怖が描かれていた。
明楽ちゃんには、教授が悪い魔法使いに映ったのだろう。
でも、絵本のラストでは、お姫様は剣を持った王妃、つまりは母に助けられる。
明楽ちゃんも、それを待ちわびているはずだ。
剣の代わりに他の研究室から拝借したメスと警備員を引き連れて、走った。
空想過剰症候群のなせる業か、研究室の廊下がいつの間にか病院の廊下に変わり、逃げ道を防ぐように、亜理子の病室が現れる。
扉を開けると、亜理子をかばって背中を杖で刺される旦那がいて、
私は、持っていたメスを、元教授につきたてていた。
六月五日
警察からの事情聴取や亜理子のケア、明楽ちゃんの「治療」が続いている。
旦那の死は、亜理子には言っていない。
小さく首をかしげて、「お父さんは?」と聞かれて、とっさに出張で誤魔化してしまった。
でも、目の前で実の父が焼かれる光景を見た明楽ちゃんは、もっと悲惨だ。
アリーか亜理子か私か、誰かが一緒にいないとパニックに陥ってしまう。
本来なら、旦那の死の原因だから、私はこの娘を恨まないといけないんだろうけど、そんな気もなれない。
どうかなりそう。
でも、話を聞いてくれる人は、もういない。
六月十日
ようやく研究を再開する。
あの後、アリーと話して、亜理子にも支えてもらって、ようやく始める気になれた。
このまま、明楽ちゃんを放っておいて、亜理子を旦那と同じ目にあわせるわけにはいかない。教授の遺した資料から別人格作成のプログラムも見つかったから、解決の糸口もある。
このプログラムがありながら、教授があんなノイズを造りだし、強引に使ったというのは、辻褄が合わない。
教授も、空想過剰症候群の被害者だったんだろう。
六月十二日
午前中、明楽ちゃんと実験して、午後は明楽ちゃんを亜理子のところに連れて行って、迎えはアリーにお願いして。
そんな日々が続いていた。
でも、それも明日で終わり。
大がかりな装置が必要だったけど、別人格作成の用意はできた。
これで、空想過剰症候群も、克服できるはず!
六月十三日
結論からいえば、私とアリーの目論見は失敗に終わった。
人格作成プログラムは、前日になって明楽ちゃんが「発症」したせいで、不完全な状態で起動せざるを得ず、アリーも現実化した創造物の前に、死んだ。
明楽ちゃんは実の母の死を受け入れられず、私を母親と思い込み、「アキ」になって。
亜理子も「私の娘」から「よその娘」に変わってしまった。
でも、あのプログラムは不完全だから、いつか、第二人格は「他人」と認識されるはず。
なら、私は、空想過剰症候群を利用してでも、やり直そう。
例え何年かかっても、娘を取り返す手段は、残されているのだから。
――――――――――――――――――――――――――――――――
六月十三日
実験は成功!
明楽ちゃんはセカンド――認識されない第二人格を受け入れ、絵本やゲームに触れても、もう、何か異変が起こることはない。
しばらくは定期的な検査が必要になるけど、これで――
「お母さん? なに読んでんの?」
「ん? 昔の日記よ。昨日、部屋の中を整理してたら、出てきたの」
週末の午後。圭は話しかける亜理子を前に、日記帳を閉じた。
最後に目を通した数行を、興奮しながら書いたあの日から、十数年。
無事に年月は過ぎ、事件は思い出に代わっている。
「ああ、あの頃の亜理子は可愛かったわ~」
「ちょっと、そういうのやめてくんない?」
見事に反抗期を引きずった娘は、あまり真面目でない学生になってしまったが、それでも、「ああ、私にもこんな年代があったな」で済むくらいには、道を踏み外すことなく成長してくれている。
「今日、部活で遅くなるから」
「あら? 明楽ちゃんとデート?」
「だから、部活だって!」
もう突っ込まないよ、とばかりに出ていく亜理子。
その背中に、「晩御飯の用意とかあるから、帰る前には、連絡入れてね」と投げかけ、圭は、書棚に日記帳を戻した。
# # # #
自宅――ファミリー層向けのマンションを出た亜理子は、学校への道を歩いていた。途中、信号待ちのスキに、携帯を開く。
――演奏会が近いから、いつもより遅くまで合奏します。無理な人は、連絡してね?
――ってメールを昨日出したんだけど、亜理子ちゃん、返信がないわよ~?
(まったく、普段ふざけてばっかりなのに、こういうトコはマジメなんだから)
心の中で文句を言い、バイト先の店長や、図書委員の先生にどう言い訳しようかと考えながら、いつもと変わらない通学路を進み、
とある家の前で、足を止めた。
高級住宅地の中にある、ドラマに出てくる院長が自宅にでも使っていそうな、いかにも金持ちの住んでいそうな家。
そんな家を、じっと見上げる。
「あ、亜理子ちゃん!」
声をかけられて、振り向いた。
「? どうしたの?」
首をかしげる明楽。
いつも一緒の、幼馴染。
自分とは正反対の、真面目で、地味な優等生。
しかし、
「ちょっと、六条とか、六条さんとか、呼んでみてくんない?」
「え? ええっ? ええっと……ろ、ろくじょう、さん?」
「ん~、あ~……やっぱいいわ。なんかゴメン」
「ちょっと、待って! 何?! いいって何が?!」
亜理子は追いかけてくる声と豪邸を背に、現実が広がる日常へと、歩き始めた。
(了)
mALICE from fiction すらなりとな @roulusu
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