#8-c 未来

 論文の束を閉じる白。

 小さな音が響き、周囲を、静寂が包みこんでいく。


「ワケ、分かんないんだけど」


 亜理子は、やっと、それだけ呟いた。

 が、すぐ感情と一緒に、次々と言葉が溢れ出てきた。


「じゃあ、なに?

 今までの事件って、アンタが原因だったワケ?

 さっきのドラマも?

 コンビニで襲って来たコスプレも?

 全部、分かってたワケ?」

「……ごめん」


 素直に謝る白。

 知っている。この子は、こういう子だ。

 決して馬鹿にしてるんじゃない。本気で謝っている。言えない事情だってあっただろう。ただ表情に出すのが苦手だから、こういう謝り方しかできないだけだ。

 しかし、亜理子は、手を振り上げ、

 急に響いた、大音量の耳障りなノイズのおかげで、振り下ろさずに済んだ。


「ちょっと、何よ、これ!」

「……『治療』。ノイズで脳を一時的に不活性化、再観察できないようにするの」


 白の言葉通り、ノイズはアキラのヘッドホンから聞こえてくるようだった。


 苦しそうに、身体をよじるアキラ。

 大人ふたりの影、いやゴーストの表情は、相変わらず見えない。

 だが、焦った様な声が聞こえた。


――ダメ、脳波、下がらないわ!

――どうして……!?


 ノイズの中、複雑な波形を描くグラフを映すPCを前に、難しい話を続ける二人。

 そんな中、シロネコの鳴き声だけが、妙に間が抜けて響いた。


「……この時は、どんなに音量を上げても、効かなかった。当時は実証されてなかったけど、『創作物』が残ってたせい」


 ポケットからスマホを取り出す白。

 そこには、先ほどとは別の論文が映っていた。


――空想過剰症候群の患者が「見た目を誤魔化した」以上、ゴーストは周囲の「観察」を受け付けず、また、患者自身も「観察の途中」として認識しているため、患者は「再観察」を続け、「発症」した状態が続くことになる。

――なお、「見た目」の情報が与えられていても、他の情報が欠損していた場合、同様に「要観察物質」となり、症状が残り続ける事例が観察されている。


「……つまり、影がまだ外にいると、『治療』が効きにくくなる。ちゃんと見た目が与えられた『創作物』でも同じ」


 読み終えた白は、シロネコへと目を向ける。


 言い争う女性ふたりをよそに、ただ優しい鳴き声を上げ続けるシロネコ。


――仕方ないわ、例の「プログラム」を使いましょう!

――――にゃあ。

――まだ調整中よ? 脳の人格を司る部分にかかる負担が大きすぎるわ!

――――――にゃあ?

――でも、アキラちゃんを助けるにはっ!

――――――――――にゃあ!………ふぎゃぁぁぁぁぁぁぁああっ!


 が、突如、それは、部屋に響き渡る獣の咆哮に変わった。

 亜理子の記憶そのままの、「苦痛メーター」が振り切れたとき、シロネコが上げる金切り声だ。過去のゴースト達は、驚いたようにシロネコへ顔を向ける。シロネコは、顔を真っ赤にして「プンスカプン」という擬音が書かれた吹き出しを頭から出しながら、アキラの膝から飛び降りた。そのまま全身を使って「私怒ってます」とでも言わんばかりに暴れ回り、

 不意に動きを止めると、不調和音を上げながら、体長二メートルはあろうかという白虎に変化、牙をむき出しにして、アキラの母に襲いかかった!


――アリーッ!

――アキラ連れてっ! 逃げてっ! 早く!


 白虎に押し倒されながらも、アキラの母はポケットからキーを取り出し、床を滑らせる。

 同僚の女性のはわずかに躊躇する様子を見せたものの、キーを拾い上げ、アキラを乱暴に治療椅子から引き剥がすと、治療室から飛び出した。

 しかし、白虎は腕を振り上げて、


 振り下ろす前に、白がその剛腕を「小さな友情の剣」で刺し貫いた。


「前はここで、お母さんが殺された」


 言いながら、剣を引き抜く白。

 白虎はガラスの様に色を失い、ひび割れていく。

 いや、ひびが入ったのは白虎だけではない。

 治療室の部屋から、開け放たれた扉の奥に映る研究室まで亀裂は及び、まるで風景そのものを破壊するかのように、音を立てて砕け散る。

 まるで「テディ・モンスター」の、ゲームオーバー画面の様に。

 破壊された光景のあとには、しかし、先ほどと変わらない、治療室。

 アキラの母が、起き上がった。

 その姿は、影、いやゴーストではなく、金髪の女性で、


「亜理子ちゃん……?」


 亜理子を見て、戸惑ったように声をあげた。


「え、あ、いや……」


 対する亜理子も、戸惑った声を上げる。

 亜理子は、この女性を知っていた。

 アリソン=ブラック。

 アキラの母親だ。

 亜理子の母親とは仲が良く、愛称の「アリー」と呼んでいたのを、よく覚えている。

 しかし、白を見たアリソンは、首をかしげた。


「あなたは……?」

「……あなた達が生み出した、セカンド。アキラが過去を『想像』して『現実化』したから、『ここ』に来れた」


 答える白。

 わずかな沈黙の後、アリソンが口を開いた。


「あなたは……過去を変えようとしたの?」

「……変えようとしたのは、私じゃない。私は、『手段』」


 静かに答えると、部屋の外へと歩きだす白。

 亜理子は、慌てて後を追った。


「ちょっと、ワケ分かんないんだけど! 過去変えるってなに?! セカンドって? 手段ってなによっ?! あんたが『原因』じゃなかったの!?」

「……これから、言う」


 まくしたてる勢いに答える短い言葉は、細く、震えていた。

 普段の冷めた態度からかけ離れた様子に、亜理子も勢いを削がれ、ただ、黙ったまま、白の後を追って廊下へと出た。

 不自然なほど白かった廊下は、いつの間にか過去の病院の景色そのものへと変わっている。しかし、ふたりの間に響くのは、ただ廊下を歩く音だけで、


「セカンドっていうのは、人工的に作り出した、もうひとりの人格のことよ」


 耐えかねたように、アリソンが硬直を破った。

 振り向く亜理子。

 アリソンは白が小さくうなずくのを見て、話を続けた。


「アキラの症状は『観察した結果を壊してしまう』ものなの。つまり――」

「……それは、話した。ノイズが、対症療法って事も」

「そう、なら、根本治療の話からするわね? さっき言った通り、アキラは『結果を壊してしまう』から、私達は『壊した結果をもとの通り観察しなおす』事を考えたの。それには『他人』が必要だった。でも、まったく同じものを見て、聞いて、感じる他人なんていない……だから、アキラの中にもうひとりの人格を造ろうとしたの」

「……つまり、二重人格化。それで生まれたのが、私」


 いつの間にかたどり着いていた、「第二実験室」というプレートが掲げられた扉を開く白。そこには、治療室をより複雑にしたような椅子に座った子ども姿のアキと、亜理子の母親――六条 圭が、いた。


「……お母、さん?」

「ウソ、そんなの……!」


 思わず呟く亜理子に、アキの叫びが重なる。

 だが、冷水を浴びせるな、白の声は続く。


「……施術が終わった後、アキラは、逃げた。

 部屋から出る前に、意識が戻って、お母さんが殺されるのが見えて、それを認めたくなくて――記憶を消したの。

『もうひとりのお母さん』みたいな人だったお母さんの同僚を――圭を、お母さんって呼んで、自分の名前も変えた。六条、ううん、亜理子ちゃんとやったゲームで、自分の名前を入力して、間違えて途中で決定ボタン押して、決まった名前――『アキ』に」


 白はそこで言葉を切り、アキへと踏み出した。


「……私は、覚えてる。創りだされて、初めて見た景色だったから。あの時も、圭が、『私はあなたのお母さんじゃないよ』って言い聞かせる間、『ちがう』『ちがう』って言ってた」


 身をよじるアキ。

 だが、治療椅子に固定された身体は、動かない。


「……亜理子ちゃんの家族も、そうやって作り上げた。会った事もないくせに、お父さんがいるって聞いて、きっと立派な人だと思った。ゲームに出てきた主人公のお姉ちゃん役のNPCを見て、こんな風にいつも明るいお姉ちゃんがいるかもって『創造』した。それが、アキラが最後にやった『再観察』」

「っ!? ちょっと待って!」


 声を上げる亜理子。

 立ち止まる白。

 しかし、亜理子の言葉は続かない。

 白の説明に、むしろ納得してしまったから。

 確かに、母が死んだあの日、急に父は別人のようになり、姉の存在も初めて知った。

 そのせいで、幼いころ、いや、つい最近まで、家族に反発を抱き――。


「わ、わたしの、せい、なの……?」


 アキの声が、響いた。


「っ!」


 反射的に、亜理子は駆け寄っていた。

 違う、などという便利な言葉は、出てこない。

 だが、それでも、拘束を引きちぎり、アキを椅子から立たせていた。

 アキは怯えた表情のまま、少しだけ目を見開いて。

 白はそんなふたりに、少しだけ表情をゆるめると、アキのすぐ隣を素通りし、背後にあるコンソールパネルに手をかけた。


「白ちゃん、でいいのかしら? 何をする気なの?」


 声をかけたのは、圭。白は操作を続けながら答える。


「……私は、お母さんが遺したプログラムで造られた。でも、細かいところはアキラの『創造』。見た目も、亜理子ちゃんと一緒に遊んだゲームのキャラクターだし、あの時、お母さんを襲ったモンスターも、ゲームにでてきたアイテム――『小さな勇気の剣』で倒せた。それで事件は解決した……ハズだった」


 白が、ポケットから取り出した携帯を、PCとつなぐ。


「……でも、十二年後、『再発』した。アキラがアキとして生きるうちに、どんどん自我が強くなって、『私』を他人だと『再観測』したから。だから、変な事が起こる度に『私』はゲームのアイテムで『創造物』を潰して、圭がアキを『治療』してた。でも、もう、終わり」


 携帯が、ゲームのアイテムに変わる。


「……ここで、圭が作った、『完全なプログラム』を使えば、私が、異物が、第二人格に消えれば、この過去は『創造』から『現実』に変わる」


 駆け寄る亜理子。

 手を伸ばす。


「……楽しかったよ。創造の世界でも、亜理子ちゃんや、亜理紗先輩に会えて」


 しかし、白は胸にナイフを突き立て、


「……楽しい、夢だったよ」


 ガラスとなって、砕け散った。


 ※ 次回最終話は、2019年6月29日(土)早朝を予定しています。

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