#8-b 過去

「……十二年前も、迎えに来たお母さんと一緒に、この廊下を歩いてた。あんなふうに」


 病室の外、白が視線を向けた先には、不自然なほど白い病院の廊下と、黒い人影。

 影は手を繋いで歩く仲のいい母子の形を取り、いつか襲ってきた怪物のような凶暴さはない。話しても大丈夫だろう。そう判断した亜理子は、小声で白に問いかけた。


「お母さんって、やっぱり、兎沢がアキラで、あの影は過去のアンタなワケ?」

「……そう。嘘ついて、ごめんね?」

「良いよ、もう。事情があったんでしょ?」


 白はうなずくと、言い訳と説明の代わりに、二つの影へ目を向ける。


――今日はね、亜理子ちゃんとゲームやってたの!

――そう……


 影の母娘は、楽しそうに会話を続けている。

 もし顔が真っ黒なのっぺらぼうでなければ、眩しい子どもの笑顔と、優しい母の微笑を見ることが出来たかもしれない。


「……でも、ここでゲームが現実になった」


 が、二人が廊下の奥に差し掛かった時、階段の先から黒い羽根を生やした子猫が飛び出してきた。亜理子が子どもの頃、アキラと一緒に遊んだゲームに出てきたモンスターだ。アキラやアキラの母のような影の塊ではなく、ゲームのパッケージ絵をそのまま膨らませた様な姿で、宙に浮いている。


――あっ! カゲネコだっ!

――アキラッ!


 驚く母親をよそに、アキラはモンスターの下へと駆け寄っていく。

 差し出された手に、甘えるように擦り寄るモンスター・カゲネコ。

 アキラはそれに応えるように、抱き上げて頭をなる。

 数秒もすると、カゲネコは小さく光り、ファンシーなエフェクトを残して消えた。


――こうやってねー、仲良くなると、一緒に遊んでくれるんだよっ!


 得意げにゲームの説明をしながら、母親の方に向いて、くるりと一回転。すると、消えたはずのカゲネコが、再びゲーム的なエフェクトと共に現れた。ただ、さっきとは違い、首にスカーフを巻いて、足には青いローラースケートをつけている。そして、手にはもう一組、ピンクのローラースケートを抱えていた。

 ピンクのローラースケートを差し出すカゲネコ。

 受け取るアキラ。ゲームと同じなら、この後、アクションゲームが始まるはずだ。


――ダメよ、アキラ。病院じゃローラースケートは禁止


 だが、母親はそれを、ごく自然な動きで止めた。


――はぁい……


 おとなしくローラースケートをカゲネコに返すアキラ。

 受け取ったカゲネコは、残念そうな顔を見せながら、効果音を響かせて消えた。


――そうだ、お母さん、研究室に忘れ物しちゃったから、ちょっと寄り道していくわね?


 母親は、何の異常もないかのように問いかける。


――うんっ!


 アキラは母親と手をつなぎなおすと、楽しそうにゲームの話を続けながら、母親と並んで歩きはじめた。

 が、先ほどまでの母娘の光景は、すぐに崩れた。

 アキラのペースに合わせていた母親の歩調が少しずつ乱れ、時折、アキラが駆け足で追いすがるようになった。

 母親がアキラに返す言葉も、減っていく。

 アキラも、子どもらしい敏感さでそれを感じ、話の勢いを弱めていく。

 硬直しかけた空気を間に抱えたまま、廊下を進む母娘。

 病院の受付を通り過ぎ、裏口から外へ出た。そのまま、改築中の建物が並ぶ中を抜け、まだ新しい施設へ。「脳科学研究所」と書かれたプレートが掲げられたエントランスを横目に、階段を上がる。

 二人が入ったのは、205号室。


――あら? 何か、忘れ物?


 出迎えたのは、アキラの母と同じ背格好をした、女性の影。


「……この人、お母さんの同僚。お母さんが忙しいとき、よく面倒を見てくれてた。覚えてない?」

「覚えてるも何も、こんな真っ黒じゃわかんないわよ」


 探るように聞く白に、亜理子は困惑を交えて答える。

 流石に友達の母親の同僚までは記憶にない。もっとも、それも十年以上前の話。ただ亜理子の印象に残らなかっただけで、白は「母親の同僚」を亜理子に紹介していたのかもしれない。いや、していたのだろう。そして、事件に関する重要な存在なのだろう。白がここでわざわざ話を持ち出したのだから。

 が、当の白は、「そう」と小さくつぶやいただけで、再び視線を三つの影に向けた。「母親の同僚」の正体はもう少し先、という事らしい。


――いえ、『発症』したのよ


 出迎えの言葉に、アキラの母が答える。

 同僚の女性はちらりとアキラの方へ顔を向けた後、低い声で聞き返した。


――本当なの?

――ええ。悪いけど、今朝の『治療』、もう一度お願いしてもいいかしら?


 大人ふたりの会話に不安になったのか、アキラは母親と同僚を交互に見上げた。

 同僚の女性は、かがんでアキラと顔を突き合わせると、明るい声に切り替えて、話しかけた。


――アキラちゃん、もう一度、『治療』、受けてもらっていい?

――えっ!? でも、朝、受けたのに……

――ごめんなさいね。でも、お願い!


「……このときは、毎日、『治療』を受けてた。ヘッドホン付けて、イヤな音聞かされるの」


 ポケットから携帯を取り出す白。

 音量を上げたのか、ヘッドホンから不快なノイズがひずみ始める。


「……このときは、自分の病気がよく分からなかったし、イヤな音の意味も分からなかった。だから、どうやったら治療を受けなくて済むか、考えてた」


――あっ! そうだっ! シロネコ!


 何か思いついたのだろう、アキラはぱっと表情を明るくさせた。


――え? 白猫……?

――うんっ! ケガ、治してくれるの!


 先ほどカゲネコを呼んだ時と同じように、アキラがくるりと回る。

 すると足元に、看護師の帽子を頭に乗せ、聴診器を首からぶら下げた白い猫が現れた。言うまでもなく、亜理子の知るゲームのキャラクターだ。確か、「仲良くなる」と、次々やってくる患者役のモンスターに絆創膏を貼ったり、包帯を巻いたりする、妙なアクションパズルが遊べるようになったはずだ。ぶっ飛んだ設定だが、演出はもっとぶっ飛んでいる。操作をミスすると「苦痛メーター」なるものが上がり、ゲージが一定値を超えると、相手が苦悶の声を上げ、可愛いシロネコが凶暴な顔に豹変するのだ。今でもそのシーンだけはよく覚えている。


――アキラちゃんの病気はちょっと特殊だから、ちょっと、この子じゃ治せないわね


 が、同僚の女性は諭すように続ける。

 幼い思いつきを否定され、残念そうにするアキラ。

 最後の抵抗とばかりに、シロネコをぬいぐるみの様に抱き上げ、上目遣いで問いかけた。


――あの、じゃあ、この子、連れて行っていい?

――そうね、そのくらいなら……


 少し戸惑いながらもうなずく女性。アキラはようやく笑みを浮かべると、母親に連れられて、研究室の奥にある扉を開いた。


「……この、窓のない部屋が、治療室。お父さんは、お母さんが、アキラのために、無理やり用意してもらったって言ってた」


 研究室とはまるで違う無機質な部屋の中、アキラが治療椅子の上で電極を貼り付けられていく。亜理子は眉をひそめながら問いかけた。


「その、お父さんは?」

「……この時には、死んでる。私の病気を治そうとして、『現実化』した『創作物』に巻きこまれて」


 押し黙る亜理子。創作物の現実化という、ここ数日の異常を直接言い表す言葉は気になったものの、肉親の死と一緒では聞きにくい。そんな亜理子の内心を悟ったのだろう、白は気にしていない、とでも言うかのように、自分から話し始めた。


「……私の病気の名前は――空想過剰症候群。想像したものが現実になる、病気」

「病気って……!」


 超常現象を病気と言い切られ、絶句する亜理子。

 それをよそに、白は治療室のPC近くにある書類入れをあさり始めた。

 亜理子は影が何か言ってこないか気になったが、二人はこちらを気にした様子もなく、「治療」とやらの準備を続けている。どうやら、本当に「過去」のまま動き続けるようだ。


「……これ、お母さんの論文」


 白も影をまったく気にせず、紙の束を引っ張り出す。

 そして、いつも以上に感情のこもらない声で、読み上げ始めた。


――健常者Aがサイコロを振り、出た目を患者Bが当てるという実験を行った。

――Aがサイコロを振った結果、出た目は1だった。しかし、Bが5と回答した瞬間、Aの目の前で、サイコロの目は5に変わった。サイコロの出目だけでなく、Aが記載したノートや、我々が記録した電子媒体の中身でさえ、5に置き換わっていた。

――人を含めたあらゆる生物は、「確定した事項」という意味で、過去を変えることができない。先述のサイコロの事例では、サイコロを振る前に1が出る確率は6分の1だが、サイコロを振った後に、確率は存在しない。ただ1という結果が残るのみである。

――個の人は、世界を構築する多くの他者によって、それこそ微生物や動植物と言った、人間以外も含んだの他者によって観測され確定した世界の中で生き、同時に、自分でも観測し、確定する事によって現在を創り出している。つまりは未確定物質を固定化していると言えるが、空想過剰症候群の患者は固定化ができないばかりか、観測の結果を強制的に解除、自分が認識した通りに再観測を行っている。

――ただし、再観測の「結果」は、必ずしも患者にとって「都合のよい結果」になるわけではない。患者の信じる「悪い予感」が実現するのは勿論、「細部まで想像できていないもの」も現実になる。この場合、五感で感知できない、「影のようなもの」となって出現する。

――患者に花を思い浮かべて、絵を描いてもらうというテストを行ったところ、一部が「影のようなもの」で出来た花が出現した。一般に、絵を描く作業を行う際、大まかな形をイメージし、描いて行く途中で細部を決める、というプロセスを踏むが、今回のケースでは、後者のプロセスの途中で「発症」したため、細部まで想像できなかった部分が五感では認識できない、影のようなもので「誤魔化され」た、と考えられる。

――我々はこの「影のようなもの」を「ゴースト(幻影)」と呼び、さらなる研究を……


 ※ 続きます(次回更新は、2019年6月28日(金)を予定しています)。

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