その十五 無理解とは人を殺すもの

〈触手編〉

 振り下ろされる白刃。

 吹きだす、赤黒い血。

 俺は、反射的に叫んでいた。


「ヨハンアァ!」


 弾き飛ばされる勢いに逆らい、触手を伸ばす。

 身体が床に打ち付けられるのも構わず、崩れ落ちるヨハンナを受け止め、一気に引き寄せる。


「っ!? 触手!? アーちゃんか!?」


 遠くで何か叫んでいるポチを無視して、ヨハンナを抱き留めた。


「あ、あきゅ、ら……」

「喋るな! 傷が!」


 開く、と言いかけて、口を閉じる。

 ヨハンナの身体は、失血で、既に冷たくなり始めていた。

 死。

 思い浮かんだ言葉に、目を見開く。

 俺は、叫んだだろうか、泣いただろうか。

 だが、混乱しかかる頭は、確かに、歪んだ視界の端の、落とし穴を捉えていた。

 ヨハンナを抱えたまま、飛び込む。

 深い穴の闇に包まれていく視界と、全身を襲う落下感の中、ただ、願う。

 間に合ってくれ、動いてくれ、と。

 背中に衝撃が走ったと同時、光に包まれ……


 気が付いたとき、まばゆい光は、炎に代わっていた。

 熱い。

 俺は高温に焼かれ、転げまわりながら、ヨハンナを探し、

 見慣れた触手を見つけた。


「っ!? ヨ、ハンナッ! ヨハンナかっ!?」

「アキュラ、ム?」


 伸ばされる触手を、掴む。

 だが、同時、後頭部に、衝撃が走った。


「おお、みなさん! これは古文書にある通りです!」


 炎の先で、誰かが叫んでいる。


「あの少年が、あの悪魔の像から、魔王を呼び出したのです!」


 足元には、べっとりと血が付いた、ハンマー。


「我々は、戦わねばなりません!」


 ふらつく視界がぐらりとまわり、空を映し出す。

 倒れたのだろう。


「化け物を殺せーー!」

「聖戦だ!」

「我々に救いを!」


 遠くで、狂ったような声が聞こえる。

 目を向けると、手に金属バットやら、椅子やら、その辺の武器になりそうなものを持って殺到する人々。

 ああ、そうか、帰って来たんだな。

 俺はようやく、そう悟った。

 そして、気づいた。

 こいつらは、ヨハンナを殺そうとしているんだと。

 酷く鈍くなった思考の中、手を動かし、身体を持ち上げ、立ち上がる。

 振り下ろされた鉄の棒が、固いプラスチックの塊が、肉をえぐり、骨を砕いた。

 受け止めた手の指が折れ、顔に直撃した衝撃が、意識を揺らす。

 それでも、俺は後ろのヨハンナの方を振り向き、


「俺を、喰って、きおく、を……」


 そう、伝えようとして、


「あぁぁぁぁああああ!」


 絶叫に、かき消された。

 ヨハンナの触手が、俺を包みこむ。

 暗転する視界。

 遠い意識の先で、人々の悲鳴と絶叫が、肉を砕き、消化する音がこだまする。


「おお、神よ! なぜ……!」

「放せ! 化け物が! 信者の肉ならくれてやる!」


 いや、本当に声なのか?

 まるで、意識が流れ込んで来るような……


「教祖様! 何を!」

「黙れ! 集団をつくらないと信仰を果たせないクズが!」


 ああ、そうか。


「だましたのかっ!」

「クズをだまして何が悪い!

 だまされていればよかったんだ! すがりついていればよかったんだ!

 あの小娘は、経典を勝手に解釈して! 私に楯突いたからああなったんだ!」

 ヨハンナが喰らった、人間の意識か。


「私が死ぬはずがない! 他人の中でしか生きられないゴミとは違……っ!」


 うる、さいな。

 俺は、不快な、しかしどこか懐かしい声から逃れるように、意識を閉じた。


〈人間編〉

 降り注ぐ油。

 投げ込まれたタバコ。

 迫る炎に、ただ驚愕する。

 なぜだ!

 私はそう叫んだだろうか。

 怒りに任せ、睨んだ先にいた神主は、

 笑っていた。

 いや、この場合は、嗤う、とでもいうのだろうか。

 まるで、見下していた相手が、望みの結末を迎えたかのような、そんな顔だ。

 私は持ち上げていた薄汚いベンチを投げ捨て、

 炎とは違う光に包まれた。

 白に潰された視界は、すぐに光景を取り戻す。

 陽光に揺れる木々と、その間からのぞく空。

 だが、その下に広がるのは、あの小さな、四角い箱が並ぶ都市の中に、ひっそりと立っていた神社ではなく、深い樹海を横断する道と、背後にそびえるアトラの城門。


「っ! 先輩っ……!」


 そして、赤黒い血にまみれた、先輩だった。

 冷たい身体を、揺する。

 薄く目を開く先輩。

 その目は、確かに、私を見ていた。

 その目は、とても、美しかった。

 その目は、しかし、すぐに閉じられた。

 まるで、醜いと感じ続けた私を、否定するように。


「アーちゃん! アーちゃんかっ!」


 遠くから、ポチグリフが駆け寄ってくる。

 まるで、先輩と私を、引き離すように。

 警戒しながら、遠巻きにこちらをうかがう獣人達。

 まるで、先輩を殺そうとした、あの信徒達のように。

 しかし、流れ込んで来る、あの身体の持ち主の記憶は、

 私、アキュラムが地球にいる間、代わりに過ごしていた記憶は、

 死を当然の帰結だと説明していて。

 私はただ、重くなった先輩の身体を、支え続けていた。


 ※ 次回、最終話。2019年6月19日(水)を予定しています。

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