その十三 出口の前には壁があるもの
〈触手編〉
暗い岩盤に囲まれた洞窟の中を、飛び続けて数分。
出口には、すぐたどり着いた。
問題は、その出口が頭上にあるという点だ。
ほぼ垂直の壁を登って、太陽の光が降り注ぐ穴の縁まで這い上がらなければならない。
俺は洞窟の壁の出っ張ったところに触手を絡ませ、
そして、すぐに飛び下がった。
岩壁と思われたそれは、「ガーディアンの卵」だったからだ。
まずい、と思ったものの、卵からは何の反応もない。
不思議に思った俺は、卵を消化液で溶かしてみた。
中は、まるで元の世界で普通に売られているような、生卵のような白身と黄身。
アキュラムの知識によると、これは「本物の卵」らしい。
これまで散々悩まされてきたとおり、ガーディアンベビーは、卵から生まれると再度殻を作り、無抵抗な胎児に見せかけて近づいてきた獲物を襲う。が、当然、産まれる前の卵も存在する。故に「本物」。極めて高い魔力をため込んだ、最高品質とされる食材だ。
つまり、あの卵の壁も、黒鎧も、俺のようなハンターから、この「本物の卵」を守る為に配置されていたというわけか。
ちょうど肉を消耗していた俺は、上を目指すついでに、次々と卵を消化していく。
触手の無限の食欲に加え、ガーディアンベビーの細腕を豪力に変える魔力のおかげで、あっという間に再生。触手は、洞窟の竪穴を埋め尽くすまでに増殖した。
そのまま崖の縁に触手を引っ掛け、
ガクン、と身体が下に崩れた。
振り向くと、剣で肉を切り裂く黒鎧。
俺はすぐに切り裂かれた肉を繋ぐと、ガーディアンナイトに襲いかかった。
あまりある触手で、強引に黒鎧を包み込む。
周りが岩壁に囲まれている事も手伝って、さながら虫やらミミズやらを詰めたプールのようだ。
このまま圧殺してやる。
そう思ったものの、ガーディアンナイトは腕力に物を言わせて、強引に触手を引きちぎり、剣を振るう。
斬られた先から肉をつなぎ、何とか包囲を維持しようとするも、身体の中でのたうつように動き回る相手に、次第に回復が追いつかなくなっていく。
このままではまずい。
俺は、黒鎧の指と剣の持ち手の間に細い肉を滑りこませた。
そして、黒鎧が剣を振るった瞬間、僅かに握力が緩んだところへ、大量の消化液を吹きださせる。
漆黒の籠手で覆われた手は、溶かすことはできない。
しかし、潤滑油代わりにはなる。
消化液は見事期待した役割を果たし、手にまとわりついた触手で剣を引き抜いた。
体外に放り出された剣は、金属特有の音を響かせながら、床を転がっていく。
黒鎧はしばらく暴れていたが、やがて諦めたのか、大人しくなった。
このまま触手で拘束して、本体である俺は、遺跡に向かう事にしよう。
怪力の黒鎧を封じるには大部分の身体を切り離す事になるが、この際仕方がない。
俺は出口に触手を伸ばし、
剣に切断された。
見ると、さっき放り投げた剣が宙を浮いている。
唖然とする俺をよそに、肉を削っていく剣。
よく見ると、剣のつばに当たる部分にはめ込まれた卵型の宝石が光っている。
その中には、あの宇宙人モドキを小さくしたようなモンスター。
どうやら、ガーディアンナイトの本体はあの宝石のようだ。
だが、あの宝石に触手を絡めようとしても、刃を振り回す剣が相手では届かない。
次々と切り裂かれていく肉体。
慌てて本体を肉の海に隠そうとするも、剣の化物はそれに反応、刃を振るう。
心臓はなんとかかわしたものの、内臓の一部が切り裂かれた。
激痛が走る。
反射的に、盾になるものを探し――見つけた。
黒鎧。
体外に引きずり出し、水平に振るわれた刃を受け止める。
黒鎧の腕を切断し、胴体の半ばほどで止まる剣。
しかし、すぐ刀身は引き抜かれ、
「アキュラム!」
ヨハンナの声とともに、先ほど切断され、床に転がったはずの黒鎧の腕が飛んできた。
追いかけてきたヨハンナが投げつけたのだろう。
それは紛うことなく剣の宝石を打ち抜き、ヒビを入れる。
俺はそこに、消化液を飛ばした。
「グギャァかァァアア!」
悲鳴とともに、ようやく沈黙する刀。
「ぐ、お……」
が、こちらもただでは済まない。
内臓の痛みで、声が勝手に漏れる。
「っ! アキュラム……大変っ!」
駆け寄ってくるヨハンナ。
ドワーフの鎧を脱ぎ捨て、自らの身体を切り離すと、傷口に押し当てる。まるで注射でも打たれたような感覚と共に、俺の身体と同化していくヨハンナの肉体。
だが、代わりにヨハンナの身体はどんどん削られていく。内臓まで露出しそうになり、
「おいっ! いつまでやってるんだ!」
「えっ!? あ……?」
崩れ落ちそうになった身体をどうにか抱き留め、貰った肉を返す。
「私は、別にいいのに……」
「こっちがよくないんだ。それに、そんなに貰わなくても自分で治せる」
残されたわずかな肉を集め、再生を始める。
内臓周りには人間でいう神経も通っているせいか、ほんのわずかに再生するだけで、まるで傷口を抉られたような痛みが走った。
「痛くない?」
「ああっ……! まったく、痛くないね!」
もちろん、やせ我慢だ。
少し再生してから、痛みが過ぎるのを待ってまた再生。
それを繰り返しながら、ゆっくりと回復を続ける。
「なんで、戻って来た?」
「なんでって……遺跡まで一緒って、約束でしょう?」
「約束以前に、ガーディアンナイトがいただろう?」
「あんなのに、負けないって思ってたから」
「帰れなくなったらどうするんだ?」
「ポチが街に応援を呼びに行ったから、大丈夫」
痛みを誤魔化すように、ヨハンナと言葉を交わす。
しかし、この時、確かに、言葉以外の声が聞こえていた。
大丈夫だと。
きちんと再生すれば、治ると。
だから、がんばって、と。
直接的な言葉を、ヨハンナは口に出していない。
が、疑問に思う間もなく、アキュラムの記憶が告げた。
肉体に意識を保持するテンタクラー族は、知性のあるものを喰らえば、その記憶や想いを、不完全ながら取り込むことが出来る、と。
ああ、触手は、こうやって想いを伝えるんだな。
まったく、とんでもない怪物だ。
会話が止まる。
ヨハンナは、それでも傍に居続ける。
沈黙が満たす空間の中、しかし、出口から降り注ぐ太陽は確実に弱まり、やがて星明りに変わっていった。
〈人間編〉
諸君!
あの儀式から2日目、筋肉痛に足のしびれと闘い続けた私ことアキュラムは今、再び神社の神殿まで戻って来ている!
時間が飛んでしまったが、この間、毎日、トレーニングをこなし、学校に通い、そして先輩と部室で過ごす、という生活を続けていた。
たったの2日ながら、なかなかにハードな生活であったが、今までの繰り返しになるので、詳細な記述は省かせていただきたい。
決して、思い出したくもないとか、そういうわけではない。
本当に、同じだったのである。唯一の違いといえば、オカルト研究部の活動が、初日に行われた様な儀式ではなく、「神境経典」とかいう、明らかに歴史を感じさせぬ薄い経典の朗読に変わったくらいか。
何でも、先輩によると、儀式はそう毎日行われるものではなく、週に一回ほど、古文書の解放時や新しい入信者が現れた時になされるのだとか。
おかげで、今まで神殿の中を調べることが出来なかった。
実際にはこっそり夜間に神殿へ忍び込もうとしたのだが、しっかりと施錠され、結局は徒労に終わってしまっている。
しかし、今日は何やら新たに入信者が出来たとかで、儀式が行われる日。
再び神殿に入れるのである。
喜び勇んで、授業が終わったらすぐ、神社までやって来た。
ああ、やはり、努力が実ろうとする瞬間は素晴らしい。
今日は、素直にこの神社の陰影が美しく感じられ――
「でも、経典は私のを貸していますし……!」
「経典は自分のものを持つということに意味が……!」
「では、余っているのを進呈しては……!」
「いえ、これは神の意思にそうか身を切る試練でもあって……!」
「信仰とはそういうものでは……!」
感じられるはずが、怒声に遮られてしまった。
以前も、アトラと同じ空を見上げているのを邪魔された気がする。
まったく、公共の場所で個を控えぬとは何事か!
声の方へと目を向ける。
そこには、言い争う先輩と神官の姿があった。
向こうもこちらに気付いたのか、目が合うと即座に怒気をひっこめ、笑みを浮かべる。
どうにも、この笑みで色々誤魔化されている気がするな。
まあ、聞かれたくないこともあるだろう。
ここは年長者を立て、自然に接するべきだな。
そう思いながら、2人の方へと歩み寄る。
先の声をかけてきたのは、神官の方だった。
「おや、ずいぶん早いんだね?」
「ええ。何か手伝えることがあればやっておこうと思いまして」
「いやあ、若いのに感心だねぇ。では、早速経典の整理を……」
「いえっ! うちの部員ですから、設営の方を手伝ってもらいたいんですけど!」
が、そこへ先輩が割って入って来た。
一瞬、顔を歪める神官。しかし、すぐに笑顔へと変える。
「ふむ。そうか……なら、彼女を手伝ってくれたまえ。
私は、やってくる他の信者の対応もしなければならないからね」
そして、静かに歩き去って行った。
「よろしいので?」
「ん? いいのいいの。それより、こっち、来てもらっていい?」
言われるがまま、先輩の後について、神社の社の隣にある、狭く薄暗い石畳の道へと入っていく。
庭木の湿度が薫る道の先には、しかしすぐにたどり着いた。
ちょうど、神社の裏側に設けられた、雑木林に囲まれた空間。
「新しい人が来るまでね、他の信者さんにはここで待ってもらうの。ほら、いきなり大勢で迎えたら、びっくりしちゃうでしょう? だからね、ベンチとか出したりするの、手伝って欲しいの」
話す先輩に、私はただ生返事でうなずいていた。
奥、視界の先に、しめ縄が回された岩が安置されている。
彫られているのは、アトラの神像。
かすかだが、魔力を感じる……
「どうしたの?」
「え? あ、はい、すみません。つい、気になったもので」
が、顔をのぞき込まれて、我に返った。
先輩は、いつものように笑みを浮かべて続ける。
「ああ、あの岩? ちょっと不思議な感じがするよね?
他の神社でも、こんなふうに裏に何かあるのは、珍しいらしいよ?」
「そうですか……アレは、何か教義と関係するので?」
「う~ん、儀式の中に取り入れられているのは、あんまり見たことないなぁ。ただ、『神境の書』と違って、ここに来れば誰でもお祈りできるから、待っている間の信者さんには、結構、ありがたがられてるみたいだよ?」
ふむ、つまり、神境の書と同様、この神像にかかわる伝承は失われているわけか。
ならば、「小神像」の可能性も高いわけだ。
というより、他には考えられない。
神棚の周囲にも、異教の神像らしきものがあったが、アレは造りからして最近のものだ。工芸に詳しくない私でも、ドワーフ族の生み出す品々に慣れ親しんだ身からすれば、そのくらいは分かる。
早速、血を注いでみるか?
「さあ、信者さんも来ちゃうから、手伝って?」
が、その前に先輩に手を引かれてしまった。
近くの物置まで強制的に移動させられてしまう。
否応もない。私は岩を気にしながらも、先輩の手伝いを始めた。
「でもよかった。手伝ってくれる人がいて」
「みんな、始めはついてきてくれるんだけどね」
「やっぱり儀式とかが面倒で、来なくなっちゃう人が多くて」
「私のお父さんとお母さんも、そんな変な宗教なんてやめなさいって言うんだよ?」
「経典のお金も馬鹿にならないからって……」
「でも、やっと、君みたいに分かってくれる人が出来たから……」
相変わらず、気を使って話しかけてくれる先輩。
だが、申し訳ないのだが、私の方はというと、先輩に応える余裕はない。
どうしても、「出口」である岩が気になってしまう。
そして、「出口」に目を向けるたびに、この世界から抜け出したいと思う理由――毛の抜けおちた獣人への嫌悪感がにじみ出てしまう。
いや、人間諸君には非常に申し訳ないのだが、どうしても、手を引かれたり、近くに身を寄せたり、目が合ったりする度に、感情が出てきてしまうのだ。
「うん。これで最後だね。じゃあ、せっかく出したんだし、このベンチにでも座っててよ? 私、飲み物取ってくるから」
だから、先輩が背を向けた時、しめた、と思ったくらいは、見逃していただきたい。ここぞとばかりに、素早く神像に近づき、用意していたカッターで指先を切り裂いたのも、仕方がなかったというべきではないだろうか。
「ああ、差し入れだ。飲み物、持って来たよ」
「あ、ちょうどよかった……って、何してるの!?」
信徒をひきつれた神主が、急にここに入ってきたのは、いくら何でも、あまりにも不運が過ぎたというべきではないだろうか。
駆け寄ってくる先輩。
足音に振り向く私。
私は神像に背を向け、先輩が神像に向かい合う形となった。
諸君は覚えているだろうか? 古文書の一節を。
「イオネーでは、小神像に向かい合い、血を注げば」という一文を。
そう、「向かい合って」と書かれていたのである。
まずい、と思った時にはもう遅い。
神像からあふれ出た魔力は、光となって、先輩を包みこんだ。
※(不運が続いても)続きます。
※ 次回更新は、2019年6月5日(水)を予定しています。
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