その七 隠し事とはバレるもの
〈触手編〉
「やっと写し終わったな」
「ん。終わっちゃうと、名残惜しいね」
史跡の資料室に通い続けて数日。
ようやく必要な情報を写し終えた俺は、ヨハンナとともに資料室の机を離れた。
遺跡までの道のりだけでなく、生息するモンスターやトラップ、封印の魔法陣の壊し方等々、書き写したのはダンジョンを攻略するのに必要なものだけなのだが、それでも分量は多く、ついでに攻略には直接関係しない魔王城の伝説や勇者の武伝も読まなければならなかったため、結構な時間がかかってしまった。
もちろん、その間も学校生活という学生の義務はなくならない。外に出て、学校へ行って、この遺跡に潜る、というマラソンを繰り返す毎日だった。もちろん、トラップは毎日のように復活する。ヨハンナは名残惜しいなどと言っているが、こっちとしてはもう鉄球に追いかけられる日々はうんざりだ。
救いといえば、この資料室から史跡の外へ直通する扉、というか魔法陣がある事くらいだろうか。一方通行のため、一度外に出ると次に入るときはまた入り口からやり直しになるが、少なくとも帰り道はショートカット出来る。
「じゃあ、開くよ?」
球状の資料室の一番上、丸い天井に描かれたいびつな魔法陣へ、蜂の外殻の隙間から、ヨハンナの触手が伸びる。
触れた途端、魔法陣が赤く輝き、目の前へと降りてきた。
乗ると、エレベーターのように上昇。
視界が暗転した数秒後には、アトラが浮かぶ黒い空の下へと押し出された。
「で、これからお前さんは魔王城に向かうわけか?」
ヨハンナの腕の中の本に取り付いたレムスが声をかけてくる。
その声は、低い。
「そのつもりだが?」
「そうか……嬢ちゃんはどうすんだ? まさか、連れていくとか言わないよな?」
「え? ダメなの?」
抗議の声を上げたのは、ヨハンナ。レムスはため息と一緒に続けた。
「ダメに決まってんだろ! ガーディアンがウヨウヨいる遺跡だぞ? 鍛錬用のモンスターも殺せない嬢ちゃんが行っても、遺跡に入るどころか、たどり着く前に森で野垂れ死ぬのがオチだな!」
「私もテンタクラー族だし、死は恐れないよ?」
「はっ! そういうセリフは死なないといけない時に言うもんだね!」
「でも、アキュラムもいるし……」
「で、同胞の足引っ張るのか?
誇り高きテンタクラー族が聞いて呆れるな!」
黙り込むヨハンナ。
俺としては、魔法が使えるので弱くはない、つまり戦力として考えていただけに、この流れは意外だった。レムスにそのあたりを問いかける。
「実際にあの金属球も止めてたんだから、足を引っ張るという事はないと思うが?」
「トラップとモンスターは違うんだよ! 剣振り回す遺跡の鎧の化け物に、紐みたいな魔法陣がなんの役に立つんだ?」
「足を止めるのには十分有効だろう?」
「延々と呪文唱えてか? その辺の店で売ってるネットを投げた方がマシだな」
「空中に足場を作れれば、それだけで退避場所になるぞ?」
「森やら洞窟やらだぞ? テンタクラー族なら、どこだって張り付けるだろうが!
というか、いやに肩を持つな。そんなに嬢ちゃんを連れていきたいのか?」
「そういうわけじゃないが、俺はヨハンナが役に立たないとは思えないんだ」
「俺も役立たずとは思ってねぇがな、無理やり死地に放り込もうとした嬢ちゃんの親を見てるとな……」
「レムスッ!」
ヨハンナの鋭い声が、遮る。
が、レムスは相変わらずの低い声で続けた。
「いいや、命を預ける相手なら、ちゃんと言うべきだね!
嬢ちゃんはテンタクラー族と狐族のハーフ、おかげで普通のテンタクラー族より力が弱くて、魔力が強いと……!」
強引に本を閉じるヨハンナ。
「……そのっ! ごめんなさい!」
そして、止める間もなく走り去っていった。
残された俺は、混乱のまま突っ立ていた。
アキュラムの記憶をたぐっても、アトラでは種族を超えた恋愛はごく一般的なものだとしか返って来ないし、もちろんハーフだからと両親が娘を死地に追いやる理由も思い当たらない。つまりは個人的な、そしてあまり聞かれたくない事情があるのだろう。となると、本人が話してくれるまで待つしかない。
いや、テンタクラー族の場合は、強引にでも聞きに行った方がいいのか?
このあたりの微妙な心の問題にも、やはりアキュラムの記憶は役に立たない。
何せ、ずっと戦闘訓練や狩りにいそしんでいた誇り高き戦士なのだ。
そして、取り憑いた俺の方も、役に立つような経験はない。
といって、完全に放置と言うのも気が咎める。機会が出来れば、話しを聞いてみようと思うくらいだ。
現状でヨハンナを戦力として数えるのは無理だな。
少なくとも、悩みを抱えている相手を、遺跡攻略という自分の目標に無理に付き合わせる事はできない。
おとなしく、当初の予定通りポチでも誘うか。アキュラムと一緒に狩りをこなしてきたのなら、ガーディアンが大量にいる魔王城はともかく、狩り場にもなっている森くらいならついてきてくれるだろう。
俺はヨハンナと書き写した資料を手に、アキュラムの部屋につながる魔法陣へと戻り始めた。
〈人間編〉
諸君、私ことアキュラムは今、マンション共用部の床材に悩まされている。
先日、ユニットバスのなめらかな床に悩まされたばかりではあるが、今度はざらついたマンションの廊下である。無論、滑ったわけではない。滑りにくすぎたのだ。表面がザラザラしているのだ。それはもう、ゴミ袋を破くくらいに。
「あっ! ご、ごめんなさい!」
悪いのはこちらの気がするが、ゴミ袋の持ち主である先輩に謝られてしまった。
先輩に謝罪されるとは、誇り高きテンタクラー族の戦士にあるまじき汚点である。
このまま放置はできない!
「いえ、悪いのは私ですから、お手伝います」
いったん部屋に戻ってゴミ袋を持ち出すと、片づけを始める。
が、筋肉痛のせいでうまくいかない。
かがもうとすると、筋肉痛!
ゴミを拾おうとしても、筋肉痛!
前回と同じ言い回しになってしまったのは大変申し訳ないのだが、この細かく震える身体はいかんともしがたい。
だが、私は誇り高きテンタクラー族!
痛みのあまり、昨日に引き続き、礼を失するなど、あっていいはずがない!
さあ、まずは大きいゴミ……さしあたっては、目の前に転がった、薄い布のようなものから拾い上げよう。
「あ……」
小さな声に顔を上げると、何やら直立不動で固まっている先輩。
これはきっと、筋肉痛程度でゴミ拾いが出来なくなる私に呆れているに違いない。
何という屈辱!
ここは、私が誇り高きテンタクラー族の戦士であることを示さなければ!
「いや、申し訳ない。昨日のトレーニングで筋肉痛が残っていて、少しつまずいてしまったのですよ」
真実を正直に告げながら、痛みを無視して身体を動かす。
先ほどの布をはじめ、かっぷめんなる保存食の残骸やら、かっぷヤキソバなる保存食の残骸やら、ちょこれーとなるレーションのような保存食のパッケージやらをゴミ袋に放り込んでいく。
それにしても、妙に保存食が多いな?
狩り場が遠いとこうなるのだろうか?
人間の食性については、後で私が憑りついた人物の記憶を手繰らねばなるまい。
そんな事を考えつつ、次のゴミ――チラシのようなものに手を伸ばす。
いや、チラシではなかった。学生課からの案内という表題の以下、「最近、学内でサークル勧誘を装った、宗教勧誘が」という文章が並んでいる。
千切れていて、先は読めないのだが、これはゴミなのだろうか?
が、疑問を口にする前に、先輩が私の手から案内とゴミ袋を抜き取ってしまった。
「あの! もういいからっ! その、見られたくないモノもあるしっ!」
そして、すさまじい勢いで残りのゴミを片付け始めた。
何かまずいことがあったのだろうか?
私は憑りついた人物の記憶を探ってみた。
……なんと、人間、特に女性の場合、他人にゴミを見られるのは嫌なものだったか。なんでも消化し、ゴミそのものがほとんど発生しない我々では、考えられない習性だ。
「これは大変な失礼をしました。もし何か埋め合わせが……」
「いや、とにかく、片付けはやっとくから、先に学校へ行っててもらえると……」
素直に謝ろうとすると、何やら遮られてしまった。
こういう時、一体どうすればいいのだろうか?
素直に従っていいものなのだろうか?
戦士として生まれ、育ってきた私は、どうにもこの手の問題が苦手だ。
憑りついた人物の知識を、とも思ったのだが、人間関係については、こちらも明確な回答を持ち合わせているわけではないようだ。せいぜいが、相手に応じて態度を変えるくらいのものだ。
成程、人間族は、相手に応じて態度を変えるのだな。姿勢一貫を第一とする我々とは、また違った……いや、関心している場合ではない。
この気まずい空気を何とかしなくては……!
が、その前に、掃除を終えた先輩から声がかかった。
「あのっ!」
「は、はい!?」
怒っている気配は……ない。直立不動で続く言葉を待つ。
「……とりあえず、一緒に学校、行こっか?」
うなずいてしまったが、私はどうなるのだろうか?
どうやら、床材なぞよりも、よほど大変な問題にぶつかってしまったようだ。
※(先輩に目をつけられても)続きます。
※ 次回更新は、2019年5月1日(水)を予定しています。
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