その六 一難去ればもう一難が待っているもの

〈触手編〉


「テンタクラー族がそんなもんで驚くなよ……」

「でも、ちょっと嬉しいかも?」


 残骸になったロボットの前で、呆れたような声を出すレムスと、くねくね動くヨハンナ。

 もはや言葉を発する気力も無くした俺は、黙って資料室の扉ヘ手をかけた。


「あ、ちょっと待って? 身体、焼かれちゃった分、補うから」


 転がっている蜂型モンスターに触手を伸ばし、音を立てて喰い始めるヨハンナ。

 宣言通り、熱戦で焼き切られた分の肉を再生しているのだろう。人間と違って、喰った肉はそのまますぐ血肉となる。しかも、喰うだけでなく、袋に詰めて保存するという文明的な行動も行っているから恐ろしい。あまりの光景に目をそらす。

 が、足元からレムスの声が聞こえた。


「お? 嬢ちゃんが蜂を保存用にしてるの、何も言わないんだな?」

「……そういえば、ここの史跡の熊、いや、練習用のモンスターはどうした?」


 余りに凄惨な光景のせいで忘れていたが、アキュラムの記憶では、この蜂は保存食としては不適切だったはずだ。


「あんなの、私じゃ倒せないよ。

 重い鎧も上手く動かせないし、弓も使えないし……」


 蜂を職種で解体しながら、ヨハンナが器用に答えた。

 意外な反応――と言いかけたが、自分だってアキュラムの戦闘技術のおかげで生きてこられた事を思い出し、言葉を飲み込む。現代に慣れた俺では、仮に力があったとしても、あのバカでかいボウガンを撃つことはおろか、構え方すら分からなかっただろう。

 失った言葉の代わりに、散発的にこちらへ飛んでくる蜂を捕まえ、ヨハンナに差し出す。

 ヨハンナは少し戸惑った後、「ありがとう」という言葉と共に、渡した死骸を袋の中に放り込んだ。

「ひゅ~」と楽しそうに声を上げるレムス。

 もちろん、こちらとしては好意からではない。

 せめて、怪人蜂女の姿ならまだましだったんだが。


「今度は、モンスターの中に潜らないんだな……」

「え? さっきの、似合ってた?」


 が、思わずこぼした声に、思わぬ食いつきが返って来た。


「それは、まあ……」

「ん、じゃあ、着てみようかな?」


 そして、比較的損傷の少ない死体を見つけると、中に入り込み始めた。

 耳を塞ぎたくなる音を我慢すること数秒。

 とりあえず、視覚的にはまともになった。


「どうかな?」

「あ、ああ、い、いいんじゃない、か?」


 少なくとも触手よりはよっぽどな、という言葉は、辛うじて飲み込んだ。

 虫の死骸やジャンクの塊が転がる殺伐とした光景の中で交わされる、セリフだけならばどこかのファッションセンターの中で恋人同士が交わすような会話に、レムスが割り込んできた。


「脳筋のテンタクラー族の戦士が女のガワを褒めるとは……

 よかったな、嬢ちゃん。脈ありみたいだぞ?」

「はぅ! ちょっとレムス!」


 身をくねらせながら、本を振り回すヨハンナ。

 何か常識外れの事をしてしまったのだろうか?

 だんだんと不安になってきた俺は、アキュラムの記憶に問いかけてみた。

 ……どうやら、テンタクラー族ではモンスターのガワを被るのはアクセサリーを身につけるようなもので、それを異性が褒めるのは恋愛関係を期待させる行為のようだ。

 現代でいえば、思わせぶりに手を握るようなものだろうか。

 アキュラムが脳筋だったせいで、無意識レベルまで刷り込まれた戦闘技術ならともかく、この手の知識は意識して探さないと出てこない。

 相手が触手という事を抜きにしても、元の世界に帰ることを目標としている以上、必要以上に親しくなるつもりはなかったんだが。

 頭の中で文句を言っていると、ヨハンナが少女のような声を上げた。


「と、とにかく、先に行こう! 資料室、すぐ先出だし!」


 照れ隠しなのか、先に立ってレベル3の資料室へと歩き始めるヨハンナ。

 俺も本ごと投げ捨てられていたレムスを拾い上げ、後に続く。

 重い金属製の扉は、その見た目に反して簡単に開いた。

 中は真っ暗だ。

 が、一歩踏み込むと、たいまつに青白い炎が灯り、室内を照らし出す。

 浮かび上がったのは、巨大な球状の空間。

 上から下までびっしりと本に埋め尽くされ、立体迷路のような階段が張り巡らされている。


「これは探すのが大変そうだな」

「大丈夫。魔王城関係の資料が見つかった場所なら、すぐたどり着けるから」


 曲がりくねった階段を上り、あっちこっちに伸びる別れ道を迷うことなく進む。


「よく覚えてるな」

「覚えてるわけじゃないよ。ほら、魔法使ってるの」


 手の平、というか蜂の肢の指を広げて見せるヨハンナ。そこには、たいまつと同じ色の、小さな炎が灯っていた。別れ道にかかると、風もないのに一方向になびく。ヨハンナは炎のなびいた方へと踏み出しながら、続けた。


「私たちの血族は、ずっとこの史跡を管理してきたから、こういう魔法も使えるんだよ。他の魔法が得意なのも、その延長……あ、ついた。ここだよ?」


 たどり着いたのは、入口から数十メートル上の本棚。

 蜂の関節の隙間からヨハンナの触手が伸び、一冊の本を取り出した。


「これ……『魔王討伐への道』っていう本。昔、魔王へ挑むアトラの軍勢が遺跡へ向かう時の記録が書かれてるの」

「作戦記録のようなものか……見せてもらっても?」


 どうぞ、と手渡される。

 何千年前と言うのに綺麗なままなのは、魔法でもかかっているからだろうか。

 ページをめくると、レムスが憑りついている本と同じように、地図が載っていた。

 アトラの街から森の中を縫うように赤い線が引かれており、注釈には「魔王討伐隊進軍ルート」とある。ただ、線はアトラからまっすぐ魔王城へ伸びているのではなく、大きく東に迂回し、広大な森を突っ切るルートを進んでいる。

 なぜ最短ルートを通らないんだ?

 その疑問を見透かしたように、隣からのぞき込んでいたヨハンナが話し始めた。


「もう少し後のページに書かれてるけど、当時から魔王城の門は魔法で封じられていたの。ただ、門を封じているのは魔王の魔力じゃなくて、森そのものの生命力を使ってたんだ。だから、討伐隊はまず森の中に入って、まずは森の生命力を抜き出す魔法陣を壊そうとしたの」


 なるほど、ようやく分かってきた。

 魔王城の門が開いたのは、俺が取り付く直前、アキュラムがワイバーンから逃げ回っていた時、炎のブレスがその封印の魔法陣とやらを偶然壊したせいなのだろう。

 だが、まだ疑問は残る。


「封印が壊れたのなら、今も開きっぱなしになっているハズでは?」

「魔法陣自体も森の魔力を利用して作られてるから、すぐ再生しちゃうんだって。だから、討伐隊も魔法陣を壊したらすぐ魔王城に向かうルートを通ったの。当時はその森も強力なモンスターもいたから、普通なら一旦アトラに戻って補給するところだけど、それができなくて、物資の移送が大変だったって……」


 なんという嫌がらせだ。当時の苦労が目に浮かぶようだ。

 そして、その苦労はもうすぐ自分でも直面する事になる。

 いや、ネガティブになっても仕方がない。

 苦労を乗り越えた先人の知恵を少しでも取り入れるべく、この本はよく読んでおこう。


「でも、この資料のおかげで魔法陣の事が分かったから、遺跡の事も解明されると思うよ? 今までずっと、封印は魔王の魔力のせいだって考えられていたから……」

「あー、重要そうな資料で悪いんだが、持ち出すことは出来るのか?」


 楽しそうに遺跡の話を続けるヨハンナを遮って、問いかける。

 が、返事は悲惨なものだった。


「ダメ。資料室から出た瞬間、保存魔法が切れて、ただの灰になっちゃう」

「そうそう、俺様みたいな妖精が取り憑いてないと、保存魔法ってのは維持できないんだぜ? というわけで、いくら払う?」


 本から飛び出して、手もみする商人がごとく、触手をくねらせるレムス。

 しかし、すぐにヨハンナが本の中に押し込めた。


「でも、写すならタダだよ? この資料室の真ん中にペンと紙もあるし、レムスはレベル1の資料室で私の仕事手伝って貰わないといけないし」

「……仕事?」

「私も司書官の血族だから、この史跡に眠る資料を写す仕事をしてるの。普段はレベル1までしか潜らないけど、写す作業はどのレベルでも同じだから……」

「分かった。頼もう」

「おい!

 テンタクラー族の戦士なら、未知の敵との戦いにロマンを感じないのかっ!

 本なんて不要、必要なのは戦場までの道案内だけ、くらい言ってみせろよ!」


 何やら喚いているレムスを無視し、他の魔王城関係の資料も集めて中央の机へと向かう。

 アキュラムの怪力を持ってしても、一度では運べない分量だ。

 これは時間がかかりそうだな。

 だが、やらなければならない。ようやく掴んだ、帰るための糸口なのだから。


〈人間編〉

 諸君、アキュラムである。

 小指をぶつけたり、風呂で滑ったり、散々な目にあったが、どうにか一夜を過ごし、翌朝を迎えることが出来た……のだが、朝から恐ろしい事態に直面している。

 筋肉痛である!

 身体を動かせば翌日(翌々日の者もいるようだが)、痛みに襲われるなどと、テンタクラー族の私には想像を絶する恐るべき症状だ。

 もちろん、この身体の持ち主には、筋肉痛の知識自体は確かにあった。だが、「脳に残された知識」というのは、探そうとしないと出てきてくれないらしい。それと気づいたのは、実際に筋肉痛になってからである。

 それにしても、何をするにも資本である身体を動かすと痛みが伴うなど、人間という種族は、いったいどういう進化をしてきたのだろうか?

 まったくもって、理解しかねる。

 しかし、痛いからといって朝から休んでいるわけにも行かない。この世界でも、学校は存在する。学生である以上、学校へ行くのは義務だ。それは世界を隔てても変わらない。

 獣人族の老人がごとく、プルプル震える身体を引きずって、クローゼットから衣類を取りだす。

 この衣類なるものも、私にはよく分からぬ。

 頑丈な皮服や鎧ならともかく、このような布きれでは大した防御効果は望めない。

 主な用途は温度変化に対応するためのようだが、それならなぜ体毛を発達させなかったのだろうか? アトラの獣人族の多くは、体毛を冬に伸ばし、夏には短く刈る事で対応していた。そんな貴重な体毛を進化の過程で失くした上、場合によっては邪魔だと言って剃るのは、一体どういう理由があるのだろうか?

 まあ、文句を言っても仕方がない。もともと、我がテンタクラー族の肉体が優秀過ぎたのだ。これはうぬぼれでも何でもない。妖精族のような金銭感覚や魚人族のような環境利用能力を持たなかった我々は、肉体の増強能力を発達させてきた。内臓が無事で、かつ食糧さえあればいくらでも増強でき、切断されても即座に接合できる肉体は、他の種族にはない強みだ。肉体の物量で押す作戦を取れば、大した戦闘経験のない子どもでさえ、たいていのモンスターに対抗できる。未だ学生に過ぎず、修行中の身である私でさえ、大量の肉さえあれば、強力な遺跡のガーディアンさえ容易に突破できる自信がある。もっとも、他の種族に比べて燃費が悪く、せっかく狩りで入手した肉も消化しなければならないという欠点もあるが……いや、話がそれた。

 とにかく、服だ!

 そして筋肉痛だ!

 ズボンをはこうと足を曲げると、筋肉痛!

 上着の袖に手を通そうとすると、筋肉痛!

 床の鞄を手にしようとすれば、筋肉痛!

 だが、私は誇り高きテンタクラー族!

 この程度の痛み、耐え切ってみせる!

 陸に上がった魚人族のごとく、ピクピク震える手足を動かし、いざ、外へ!

 勢いよく扉を開き、


「きゃっ……!」


 丁度扉の前を歩いていた、昨日の先輩とぶつかった!

 その手にはゴミ袋!

 はち切れんばかりに膨らんだ薄いビニール袋は、開いた扉に引きずられ……!


 ※(ゴミまみれになっても)続きます。

 ※ 次回更新は、2019年4月24日(水)を予定しています。


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