その五 ナビゲーターとは重要なもの
〈触手編〉
落とし穴。
それは、人類が生み出した罠の中でも、原始的な部類に入るモノ。
そして原始的ゆえに、触手生物が作ったものでも、罠の効果はさして変わらない。
全身を襲う落下感と、鎧越しに吹きつける風。
恐怖が一瞬思考を止め、走馬灯のように記憶が……
「今日の授業は、空中に投げ出された場合の対処法です。
遺跡付近の落とし穴や、ワイバーンに捕まって投げ出された場合等、活用の場は意外に多いので、注意して聞くように」
これはアキュラムの記憶だ。どうやら体育、というか戦闘技術の授業のようだ。
グラウンドで、講師と思しき触手が、生徒らしき触手の一団を前に、講義を続けている。
「まずは何かに掴まって落下を止める方法。原始的ですが確実です。
まずは冷静になって、周りを見渡しましょう」
あふれ出る記憶に従って、周囲を見渡す。
が、掴まるようなモノはない。
見えるのは、遠い闇の奥、すさまじいスピードで流れていく、黒い金属の壁だけだ。その壁にしても、触手を伸ばすには遠すぎる。吸盤で張り付くなんてことは出来そうにない。
「次に、落下「してしまう」方法。
本末転倒のようですが、我々テンタクラー族は衝撃を吸収出来るよう進化してきました。よほど高所からの落下でない限り、空中で体勢を整えれば、内臓へのダメージを避け、問題なく着地できます」
見様見真似で、先生が実演して見せてくれた着地のポーズを取る。
鎧を脱ぎ捨て、身体をパラシュートのように開く。
落下速度を遅くするとともに、着地時の衝撃が分散する……のはいいのだが!
落下中も、身体への負担は尋常ではない。
吹き付けていた風は、膜の様に広げた身体にぶつかる空気の塊のようになり、体勢を保つので精いっぱいだ。
もちろん、キモいなどと言っている場合ではない。
他に、何か方法はないのだろうか?
「最後に、魔法を使う方法です。
テンタクラー族は残念ながら空を飛ぶ魔法に適正はありませんが、足場を作り出すくらいはできます」
魔法か。存在は知っていたが、自分ではあまり試してはいなかった。遺跡の調査や触手の身体に慣れるのに精一杯だった上に、肝心のアキュラムが魔法を苦手としていたからだ。
藁にも縋る思いで、改めてアキュラムの知識から魔法を探す。
当然、都合よくはいかないもので、魔法にはある程度生まれ持っての適性が必要なこと、そして、アキュラムはその適正が低い事くらいしか出てこなかった。
仕方がない。何とか、この空気の流れに耐えて……
「よし、もう少しすれば横穴があるはずだ! 足場作れ、嬢ちゃん!」
「分かった!」
歯を食いしばる思いで、耐えようとしたとき、レムスとヨハンナの声が響いた。
すぐ下に、巨大な赤い魔法陣が浮かび上がる。
それは、落下する俺を、優しく受け止めた。
足場といっても、実体があるのは本当に魔法陣が描かれた部分だけ、つまりは円や記号や文字の部分だけのようだ。身体を広げていなければ、文字と文字の隙間から落っこちていただろう。汗が噴き出るのを感じながら、蜘蛛が巣の上を動くように歩き、ヨハンナたちの待つ、円形にくり抜かれた横穴へと入る。
「ほら、俺のナビがあって良かっただろ? おとなしくゴールドをだな……」
「待って! この横穴っ!」
さっそく飛んできたレムスのセールストークを、ヨハンナ、そして、近づいてくる地響きがかき消す。
穴の奥に目を向けると、巨大な黒い金属球がこちらに迫っていた。
「なるほど、都合よく穴が空いていたのは、別のトラップに通じてるせいだったか」
「落ち着いてる場合かっ!? どうすんだ!」
叫ぶレムス。
今度はナビも出来ないようだ。まったく、役に立たないことおびただしい。
「どうもこうも、もう一度降りるしかないだろう。
ヨハンナ、さっきのあれ、もう一回使えるか?」
「ん、行けると思う」
「なら、頼む。アレが通り過ぎたら、すぐにこの横穴に退避だ」
ヨハンナがうなずいたのを見て、横穴の外へ。
作り出された赤い魔法陣の上で待つこと数秒。
轟音を立てて、巨大な黒い金属球が目の前を通り過ぎた。
すぐに横穴を駆け上がる。
幸いな事に、再び金属球が落ちて来る気配はない。
数分も走ると、はしごが見えた。
登ると、マンホールのような蓋。
その先には、横穴よりも遥かに大きい通路が広がっていた。
「なんとかかわせたみたいだな……。
まったく、テンタクラー族の始祖様は、何を考えてこんなトラップなんざ作ったんだか」
落ち着いたと見たのか、話しかけてくるレムス。
まったくだ。ファンタジーゲームよろしく、突破出来るトラップを作るくらいなら、はじめから絶対に突破出来ない扉を作って、鍵をしっかり管理しておけばいいものを。
「ま、まあ、本来ならちゃんと手順を踏めば罠は発動しないはずだったから……。
その手順は本に載ってないけど」
フォローになっていないフォローを入れるヨハンナ。
これ以上罠について考えると頭が痛くなりそうだ。
話題の転換も兼ねて先を急かす。
「で、次はどう行けばいいんだ?」
「えっと、この先がもうレベル三の資料室で……」
が、ヨハンナが本を開いた途端、マンホールの蓋が吹き飛んだ。
下から出てきたのは、先程の黒い金属球――いや、それにしてはサイズがおかしい。マンホールをくぐれる程小さくはなかったハズだ。なら、別のトラップか?
そう思った途端、金属球の表面に無数の渦巻き模様が浮かび上がり、巨大化。さっきの黒い金属球と同じ大きさになって、そのまま押し潰さんと迫ってきた。
「おいっ! さっきの魔法陣で、壁作れ」
逃げながら、叫ぶ。
「っ! やってみる!」
魔法陣を作り出すヨハンナ。赤い魔法陣がすぐ後ろで壁となり、ゴム膜のように大きくしなりながら金属球を受け止める。とっさの思いつきにしては、上手くいった
――かにみえた。
黒い金属球は魔法陣にめり込んだまま、表面に無数の穴を開けると、そこから虫型のモンスター、ここに来るまで散々戦った体長三十センチの蜂を吐き出した。
魔法陣の隙間を抜けて、飛んでくるモンスター。
叩き落とすための剣は、ない。
やむを得ず、触手を巻きつけ、締め上げる。
柔らかい殻を砕くような感覚と一緒に、モンスターが細く鋭い叫びを上げる。
それを消化液で溶かし……
我ながら酷い戦い方だ。とても文明を持った知的生命体の所業とは思えない。
だが有効だ。
大量に飛んでくる蜂を大量の触手で喰い殺しながら、徐々に後退していく。
このまま、数百メートルも後ろへ進めば、目的の資料室が……
「危ないっ!」
しかし、直前でヨハンナが声を上げた。
反射的に動きを止めたと同時、目の前が真っ白になる。
猛烈な熱が、伸ばしていた触手の一本を、襲った。
思わず引っ込める。
が、引っ込めようとした触手は無かった。
触手が掴んでいた虫もいない。
代わりに、焼け焦げたように炭化した触手の残骸。
「もう一発来るぞ! 後ろだ!」
レムスの声で、振り向く。
そこには、レベル三の資料室の扉と、扉を防ぐように立つロボットがいた。
いや、ロボットというより、ジャンクの塊といった方がいいかもしれない。
むき出しになった基盤に、職種のようにうごめく、無秩序に繋がったコード。
そして、コードの先には赤いレンズが。
レンズが光ると同時、熱線が走った。
もがいていた虫ごと、触手が焼き切られる。
痛みは、ない。
ただ、身体の中にメスを通されるような、肉がえぐられる感覚だけが残った。
ついで、こみ上げる恐怖。
「ソイツは動いてるモノに反応するんだ! モンスター離せ!」
が、レムスの叫びで現実に引き戻される。
反射的にモンスターを放り投げ、触手を引っ込める。
空中で体勢を立て直し、再びこちらに突っ込もうとする蜂は、次の瞬間、黒い炭に変わった。
「これでは動けんな……レムス、攻略法は?」
「はあ? お前、テンタクラー族の戦士だろ! 自分で考えろ!」
酷いナビゲーターだ。
俺は諦めてアキュラムの記憶を探る。
だが、狩り、つまりは生物を相手にした記憶はあっても、機械を相手にした記憶はない。
「未知の相手と戦うときは、まず冷静に観察すること」
代わりに、ごく当たり前の格言が返ってきた。
この状況でそれが簡単に出来れば世話はない。
心の中で毒づきながら、グロテスクな機械の塊に目を向ける。
現代の常識で言えば、剥き出しになった基盤が弱点のハズだ。よく見ると基盤の周りに金属の破片のようなものが見えるあたり、昔は装甲で守られていたのだろう。そこに消化液でもかければ止まりそうな気はする。
問題はあの熱線だ。大量の機械の触手のうち、ビームを撃ってくるのは六本。一本が熱線を一発放ったあと、次の一発までおよそ一秒。つまりは一秒間に六発の高熱の光が降り注ぐ訳で、近づくのすら難しいありさまだ。
幸いな事に、後ろから飛んでくる虫を撃ち落とすのに必死で、こちらにレンズを向けてくる様子はない。このままエネルギー切れにでもなってくれればいいのだが、魔法などという便利なものがある世界。永久機関があっても不思議ではない。そうでなくても、数千年前の遺跡が動いているくらいだ。待っていれば止まる、などということは期待しない方がいいだろう。
それにしても、触手が無数にあるのに六本しか攻撃してこないというのはどういうわけだ? 飛んでくる虫の数に合わせて計算してるのか? 試しに、虫が飛んでくるのに合わせて、その辺に転がっている虫の死骸を投げつけてみた。
あっという間に消し炭になる死骸。しかし熱線の数は増えない。代わりに、撃ち漏らした虫がヨハンナの方へと殺到した。
触手で捕まえ、手早く絞め殺すヨハンナ。
この間、数秒。
だが、やはり虫を狙うばかりで、ヨハンナへの攻撃はない。
どうやら、六本で十分と判断したではなく、六本しかないようだ。
よく見ると、他のケーブルの先のレンズは、ひび割れたり、油のようなもので汚れたりしている。
「ヨハンナ! その死体を投げろ!」
「えっ!?」
「おとり代わりに使う!」
飛び出す体勢を整える。
が、それをレムスが止めた。
「おい、さっきはたまたまモンスターを狙われたからいいけど、先にお前が攻撃されたらどうするんだ? 同じ動くヤツなら、近い方が狙われるんだぞ!」
なるほど、さっきは死体を機械の化け物に投げたせいで、ヨハンナに向かう虫は見逃されたか。投げた死体と同時に近づけばどうなるか分からない。
「それなら、私が囮をやる!」
ヨハンナが虫の死骸へと触手を伸ばす。
そのまま投げるのかと思いきや、引き寄せた虫の死骸に入り込んだ。
そして、蜂のモンスターのガワだけを残して、中身を喰い始めた。
もちろん、ヨハンナが入れるだけの大きさではない。
このため、モンスターのガワ自体も、音を立てて変形していく。
胸や腹、脚が膨らんで、関節が伸び――
あっという間に、特撮に出てきそうな、怪人蜂女とでもいうべき姿になった。
人型だ!
この緊張感の中、一瞬でもそちらに目が言った俺は、どこかこの世界に毒されているのかもしれない。
「私が引きつけます! だから……!」
羽根を広げて飛び上がるヨハンナ。
そして、残った虫の死骸を放り投げ、機械の化け物へと殺到。
慌てて、俺も後に続いた。
前を行く虫の死骸が焼かれた。
レンズがヨハンナの方へ向く。
光った。
寸前で身をひねったヨハンナが見えたのと同時、追い越す。
基盤に向かって、飛び上がり――
取り付いた!
そのまま、消化液をぶっかける!
ゴムが溶けるような音と黒い煙、火花が飛び散る。
足元でジャンクの塊が崩れていくのを感じながら、振り向く。
そこには、上半身がなくなったヨハンナが。
「ヨハンナァッ!?」
駆け寄る。
倒れる死体。
「はい?」
そして、断面からにゅるりと出てくる触手の塊。
ここで奇声を上げられるくらいには、俺はまだ現代人だったようだ。
〈人間編〉
し、諸君、アキュラムである。
今回はテンタクラー族を代表して申し入れを行いたい。
我がテンタクラー族と違い、肉体の末端にまで神経が及んでいると分かっているにもかかわらず!
そして、手足の末端を棚にぶつけただけで、凄まじいと表現する他ない痛みが走ると分かっているにもかかわらず!
このようなせせこましい四角い部屋に住み!
四角い棚やら机やらを並べるとは!
一体どういう了見であるか!?
せめて、家具は角のない、円形のデザインにすべきではないだろうか?
人間諸君は、ぜひとも、建築家並びに家具のデザイナーおよび製造者に厳重なる抗議を行うべきである。
我が故郷であるアトラと同じ球状の部屋を採用すれば、埃もたまらないし、出会い頭に見知らぬ女性とぶつかることもない。始祖の時代から伝統の金属球トラップだって仕込みやすい。私の今現状のように、小指の痛みを引きずりながら、風呂へ入るのも一苦労などと言う事態に陥ることもないではないか!
……しかし、このユニットバスなるものは便利であるな。必要な機能が一か所に集まっていてなかなかに使いやすい。はじめは狭い、またどこかに足をぶつけるんじゃないかなどと思っていたのだが、手を伸ばせば大抵のものに手が届くので、移動する必要もなく、どこかにぶつける心配もない。
む?
人間の洗剤は髪を洗うモノと身体を洗うモノで違うのか?
我がテンタクラー族にはない文化だ。だが、シャワーで頭を濡らしながら、似たような容器に入っている洗剤を探すのは難しいな。ナビゲーターの妖精でもいれば違うのだろうが……「りんす」なるものは、これか……?
今、諸君はここで、私が「りんす」と「ぼでぃそーぷ」を間違えると思ったのではないかな? 残念ながら、そのような事実はない。この身体の持ち主は、ほぼ無意識レベルでどこに何があるか記憶しているらしく、手を伸ばせば自然と求める品のある場所にたどり着くのだ。
ただ、ほんのちょっと、トレーニングの疲労に震える手のせいで、ポンプを押す力が強くなっただけである。
勢いよく飛び出す洗剤。
そのせいで滑りやすくなった床面。
私がどのような結末を迎えたのか、聡明なる諸君には言うまでもあるまい。
諸君、改めて訴えたい!
ちょっと洗剤をこぼしただけで滑るような床材をなんとかしろ! と!
※(風呂で転んでも)続きます。
※ 次回更新は、2019年4月17日(水)を予定しています。
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