その三 部屋とは住人を表すもの
〈触手編〉
腹の立つことに、触手生物の家は、化け物とは思えないほど豪華だった。
それはもう、俺が使っていた学生用の安アパートなどとは比べものにならない。
周囲の清潔な街並みと完全に同化した高級デザイナーズマンションのような外観に、屋内もエアコンと空気清浄機を足したような機能を持つマジックアイテムが常時作動。おまけに風呂、それもユニットバスなどでなくヒノキ(らしき木製の)風呂までついている。
ただし、キッチンはない。
テンタクラー族はどんな物でも体外消化できるので、調理する必要など必要ないからだ。
味覚はあるようだが、アキュラムの記憶によると、「誇り高き戦士たるもの、例えどのようなものでも栄養とできる精神」が大切なのだそうだ。まったく、文化にまで進化した地球の料理でも食べさせてやりたい。
頭の中で文句を言いながら、キッチンの代わりに設置されている巨大な冷蔵庫から数十キロはあろうかという肉塊を取り出し、触手を巻きつかせながら部屋へ。
言うまでもないが、部屋もウサギ小屋がごときアパートとはわけが違う。
天井のシャンデリアに、床の凝った刺繍のカーペット、壁には剣やクロスボウ、鎧に巨大なモンスターのはく製と、どこぞの中世の城のようだ。違う点と言えば、部屋の形が球状をしている点だろうか。垂直な壁に囲まれて育った人間としては不安になることおびただしいが、洞窟にでも棲んでいそうな化け物はこちらのほうが落ち着くのだろう。
ちなみに、鎧はきちんと人型をしている。
アキュラムの記憶によると、元は獣人用のものらしいのだが、テンタクラー族は自由に身体を変形させることが出来るので問題ないとのことだ。しかも、鎧の高い防御力を得られるうえに、獣人が使う事を前提にした武器を使う事もできるようになるため一石二鳥。なるほど、粘液まみれのウネウネ動く触手ではつかみにくい剣や斧も、鎧と一体になったグローブ越しならしっかりとつかめる。俺の知るファンタジーゲームの世界では、獣人用の装備は獣人しか使えないが、誇り高きテンタクラー族の戦士は、勝利のためにそんな常識など捨ててしまったのだろう。
もっとも、人間の適応力とは恐ろしいもので、こんな非常識な化け物の生活にも、数日もすれば慣れてしまった。今も、現実に打ちひしがれているうちに、あれだけあった肉塊を消費し終えるほどだ。だんだん化け物が板について来たな、と思いながら、残った骨をゴミ箱に放りこむ。
そして、鎧の中に入り込んだ。
食後は装備を整え、剣や斧を振り回すのがアキュラムの日課だ。そのためのトレーニングルームも備え付けられている。どうやらアトラの学生の一般的な下宿先は、1K(一部屋キッチン付き)ならぬ1T(一部屋トレーニングルーム付き)が一般的のようだ。もちろん、まともにスポーツすらしたことのない俺も、生きて元の世界に戻るため、トレーニングルームに入らなければならない。
が、しかしというべきか、予想通りというべきか、トレーニングルームも常識の斜め上を行く。扉の先は、洞穴の中。「修練場」と呼ばれる、テンタクラー族の「練習用の狩り場」だ。
つまりは、魔法により「狩り場」まで飛ばされたのである。
ルームって何だっけとか、これはもう実践なのではとか、いろいろ言いたいことはあるのだが、常識の違いにこれ以上打ちひしがれている暇はない。少し先にある洞穴の出口からは、モンスターの叫び声が響いてくるのだ。ぼうっとしていると喰い殺されかねない。
もうちょっと安全なトレーニングはないものかとも思うのだが、人間と違い、触手生物は運動したからといって筋肉がつくわけでもない。単純に肉を喰った分だけ身体ができ、消費したカロリーの分だけ身体が縮む。筋トレをはじめとした基礎トレーニングの類がまったく意味をなさない。代わりに肉を喰いまくることになるのだが、残念な事に食欲は無限でも食事の量は有限。冷蔵庫の備蓄も厳しくなってきた。本来なら狩りに出るところだが、いきなり本格的な狩り場に行くのは戸惑われる。故に、この「修練場」で食い扶持を稼がなければならない。
開きっぱなしだったトレーニングルームの扉を閉める。
灰色の石壁に吸い込まれる様に消える扉。
代わりに禍々しい形の魔法陣が残る。
俺はそれを確かめると、洞穴の外に出た。
目の前には、灰色の砂漠にクレーター、真っ黒な空に浮かぶ青い星。
似たような光景を、俺は元の世界で見たことがある。月から見た地球だ。事実、初めて見た時は、元の世界に戻れたのかと喜んだものだ。が、アキュラムの記憶によると、アレは地球ではなくアトラらしい。なるほど、よく見れば渦巻雲の先にある大陸の形が違う。それもそのはず、ここは地球でいう月に相当する、アルミスと呼ばれるアトラの衛星らしい。その昔、テンタクラー族の祖先が住んでいた星だそうだ。異様な生物だとは思っていたが、元が他天体の生命体だったとは、なかなかのインパクトだ。どうせならもう一歩踏み込んで、別の世界からやって来たとかにして欲しかった。それなら、地球につながる希望も持てるというのに……!
八つ当たり気味に、寄って来たモンスターを剣で叩き落とす。
体長三十センチほどの蜂のような外見のそれは、あっけなく真っ二つになり、地に落ちた。
が、休んでいる暇はない。弱い分、群れで行動するのがこのモンスターだ。
次から次へと飛んでくる。剣を振り回し、鎧の隙間から出した触手で死骸を捕食しながら、銀色の大地を進む。
目指すのは砂漠の先にある、テンタクラー族の始祖の史跡。
そこまで行けば、こんな虫型のモンスターではなく、熊型のモンスターの狩り場がある。
殺虫剤でまとめて殲滅したくなる虫の群れを突破し、砂漠を走り、またモンスターに襲われ、今度は上り下りの激しいクレーターを突っ切る。
アキュラムの記憶と戦闘技術、無尽蔵の体力がなければ、途中でのたれ死んでいたところだろう。
ようやく始祖の史跡にたどり着いたのは、1時間後。
史跡、とはいっても、魔王城のように巨大な構造物があるわけではなく、ただ三角錐状の柱が並んでいるだけだ。材質が何かは知らないが、黒い金属らしきもので出来ている。表面には、トレーニングルームの扉が消えた後に出来た魔法陣と似た、薄気味悪い魔法陣。そのうちのひとつに触れると、魔法陣が輝き、しかしすぐに消滅。代わりに、真っ暗な穴が開いた。奥には、ギラギラと輝く獣の目。
飛び退く。
数秒遅れて、鋭い熊の爪が虚空を切り裂いた。
そう、これは月の裏側にある、モンスターの巣へつながっている「扉」だ。
どうもテンタクラー族は遠い始祖の時代から、狩り場へは「扉」を用意し、自らはモンスターの巣から離れた安全な場所に住居を構えていたらしい。
穴に、クロスボウを打ち込む。
低いうなり声の後、巨大な熊が倒れるように出てきた。
頭に斧を振り下ろし、完全に脳を砕く。
手際よくなったものだ。当初はアキュラムの記憶があっても、現代の倫理観が邪魔をして、捕殺などできなかった。現代でも他の誰かが殺したものを食べているわけで、最終的に食べるという行為自体は何一つ変わらないのだが、直接自分の手で殺すとなると戸惑われる。まったく、嫌なことは金で他人を雇って解決できた現代が懐かしい。
そんな雑念で死体を直視する不快感を誤魔化しながら、動かなくなった熊モドキに鎧の中から取り出した袋を被せる。もちろん、ただの袋ではない。中にはやはり魔法陣が描かれていて、その先は冷蔵庫につながっている。魔法とは便利なものである。
ちなみに、先ほどの蜂型モンスターの死骸も持って帰ることもできるが、栄養価の少なさから保存食としては採用されていない。その場で失ったカロリーを回復するならともかく、必要なカロリーを補おうとすると量が必要で、冷蔵庫の中を圧迫するだけだ。
さて、もう数匹ほど狩っておくか。
別の扉を開こうと、柱へと向き直る。
が、そこには先客がいた。
「あれ? どうして……」
そして、目が合った。触手生物である。声からしてメスだろう。寄って来た。
「えっと、アキュラム、だよね? 獣人族の鎧してるけど」
「ああ、よく分かったな」
「間接の間から見える触手とか、鎧の使い方とかで、普通は分かると思うよ?」
全身鎧を着ていても、テンタクラー族は誰が誰か分かるらしい。分からなければ、寄って来られることもなかっただろうに。まったく、厄介な種族だ。
「それより、珍しいね? アキュラムくらいの戦士だと、もうこんな練習用の場所に来ることはないと思ってたけど?」
が、続いて飛んできた質問はもっと厄介だった。
命よりも戦績が重いテンタクラー族にとって、レベルの低い狩り場に入り込むなど恥ずべき行為なのだ。
さて、どう誤魔化したものか。
しかし、こちらが身構えるより先に、相手の触手はひとりで結論を出し始めた。
「もしかして、この史跡を調べに来たの?
図書室でも、魔王城の事、調べてたし」
どうやら、この触手は、あの図書委員の触手だったらしい。
ありがたく、うなずく。
このまま誤魔化せれば、と思いかけて、どうも話が妙な方向に進んでいる事に気づいた。
魔王城を調べるのが、なぜこの史跡につながるんだ、と。
「この史跡と魔王城の関係、知らない触手も多いんだけど、よく調べたね?」
どうやら、誤魔化して終わり、とはいかないようだ。
気は進まないが、聞き返す。
「いや、詳しい関係までは……知ってるんなら、教えてくれないか?」
「ええ!? い、いいの?」
体をくねらせて喜ぶ女(の触手)。
地雷を踏んだかな?
いや、これも帰るためだ。
自分にそう言い聞かせて何とか正気を保つと、俺は図書委員の触手の話に、ない耳を傾け始めた。
〈人間編〉
諸君。私ことアキュラムは今、金銭に困惑するという、誇り高きテンタクラー族にあるまじき場面に直面している。
いや、決して支払不履行を理由に処刑されそうになったとか、恥をそそぐ為に自害する事になったとか、そういう話ではない。
「このたびは、ご迷惑をおかけしました」
原因は、目の前の女性である。
この女性、私に濡れ衣を着せた張本人なのだが、九十四円を立て替えてくれた、心優しい人物だ。が、立て替えてくれるまでは良かったのだが、その後、示談がどうこうと懇願を始め、終いには涙を浮かべ始めた。
なぜこんなに焦燥しきっているのだろうか?
この肉体の持ち主の記憶を手繰って、私は驚愕した。
なんと、この日本という国、というかこの地球と呼ばれるこの世界の大部分の国では、罪過は命ではなく、金銭で償うものらしい。場合によっては、その金額、一生かけても返しきれないものになるのだとか。
死による名誉回復の機会を剥奪した上に、恥を抱えて生かそうとするとは、なんとも恐ろしい話である。あの金にうるさい妖精族ですら、このような仕打ちは考えもしなかったであろう。
このアキュラム、そこまで鬼ではない。
慰謝料などというものは不要だ。
そう伝えると、女性は安心した様子を見せた。
ようやく和やかな雰囲気になり、簡単に名前を交換して別れる
――はずだったのだが、何故か一緒に歩いてくる。
「私も、家がこっちなんです」
なんという偶然。
聞けば、住んでいるマンションも、通っている学校も同じでというではないか。
しかも、相手の方がひとつ先輩であった!
「こ、これは大変失礼しました!」
「ああ、いいよいいよ。どっちかっていうと、迷惑かけたの私の方だし……」
後輩の無礼を笑顔で流すとは、なんと度量の大きい先輩であるろうか。
我がテンタクラー族では、死罪になるところだ。
このアキュラム、感激した!
しかし、これからはこの人間なる種族に混じって過ごす事になるわけか……
いや! 私は誇り高きテンタクラー族!
見た目や文化の違いだけで、決して苦痛を訴えたりするまい!
「あ、そうだ! 新入生なら、サークルとか、決めてないよね?」
「私、オカルト研究会っていうのやってるんだ」
「オカルトって言っても、この地域の伝承とか歴史とか調べたりするだけだから。
その辺のカルト宗教とは違うからね?」
「ま、まあ、たまに近くの神社でバイトやったりとかするけど……」
……すまぬ。やはり苦痛だ。
だが、なんという幸運。会話に発展する前に、マンションにたどり着いた。
「ああ、隣の部屋だったんだね? これから、よろしく」
何とか乗り切った……とは言えないか。
なにせ先輩に気を使って話させ、こちらは何も言えなかったのである。
初対面という事で、今回は許されたのだろうが、次はないであろう。
そして、これが今後も続くという訳だ。
……いや、私も誇り高きテンタクラー族!
たとえ困難でも、適応してみせる!
とりあえず、部屋に入ろう。
そして、戦士たる義務であるトレーニングをこなそう。
そういえば、獣人のトレーニングルームを見るのは初めてだな。
どのようなものだろうか?
私は戦士としての好奇心に胸を膨らませながら、扉を開いた。
※(トレーニングルームなんてなくても)続きます。
※ 次回更新は、2019年4月3日(水)を予定しています。
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