その二 金銭感覚とは重要なもの

〈触手編〉

「創世の昔。

 我々アトラの民は、森の向こうに棲むイオネの民と手を取り合って暮らしていた。

 しかし、ある時、この地の中央にある聖地を巡り、両種族はいさかいを起こした。

 それはやがて争いへと発展し、両種族はついに戦争へと突入する。

 平和を愛する神々はこれに怒り、聖地に魔王をつかわした。

 魔王は神々の意思に従って聖地の上に魔王城を造りだし、

 結果、アトラとイオネは分断された。

 しかし、魔王は二つの種族を引き裂くだけでは満足しなかった。

 ガーディアンを率い、アトラとイオネへと進軍を始めたのだ。

 魔王の思惑か、神々の御業みわざか、それとも、民草の力か。

 共通の敵を前に、アトラとイオネはようやく手を取り合った

 そして、アトラとイオネそれぞれに勇者が生まれ、

 種族の壁を超えた二人の力を持って、ついに魔王は討ち取られた。

 が、勇者たちの傷も深く、二人とも命を落としてしまう。

 残された民草には、勇者の死よりも先に、魔王討伐の報が駆け巡った。

 アトラの民はこう主張した。

 アトラの勇者こそが魔王を倒した、だから聖地はアトラのものだ、と。

 イオネの民はこう反発した。

 イオネの勇者こそが魔王を倒した、だから聖地はイオネのものだ、と。

 ああ、理解という名の希望は、やはり魔王の思惑にすぎないのだろうか?

 再び聖地を奪い合い始めた二つの種族に、魔王城は聖地の魔力により再び起動。

 廃墟となってなお、二つの種族を分断すべく、その門を閉ざしているのである」

   ――アトラ王立クノス学校図書館蔵書『遺跡・魔王城の歴史』より


 図書室の椅子に座り、いや取り付きながら、図書委員(の触手)に渡された本をめくる。

 神だの聖地だの、俺がいた現代では伝説どころか一笑に付される内容だが、この化け物の国「アトラ」では立派な史実だ。

 そして、史実だけに、いい加減な推論は載っていない。

 石碑だの、文献だの、化石だの、魔王城の壁の材質だの、いちいち証拠を上げて、魔王城の歴史が「解説」されている。

 そしてもちろん、分からないことははっきりと分からないと書かれている。

 聖地の意味もイオネの民も、「歴史に埋もれてしまって」いるのである。

「イオネというのは異世界で、そこには人間が住んでいる」とか、

「魔王城の邪神像が別の世界から人間を呼び出すことがある」とか、

 期待した情報はどこにもない。

「異世界? 何をバカな」と言わんばかりである。

 おかげで、元の世界に戻る手掛かりをつかむはずが、結局は歴史の勉強で終わってしまった。

 仕方がない。別の本を当たるか。

 そう思って本を閉じ、顔を上げると、

 目の前には触手がいた。


「うおぁっ!?」

「あ、驚かせちゃった? ごめんね?」


 ウネウネと身をよじり、謝る触手。

 驚いたさ。

 生理的な嫌悪感のせいでな。

 などと本心を言うわけにもいかない俺は、平静を装って、しかし目はしっかりらしながら聞き返した。


「いや、それより、何か?」

「ん? もう図書室閉める時間だから、そろそろ、本、返してもらおうと思って」


 俺には外見から誰が何という触手だったかなど判別できない、というか判別するほど時間をかけて直視する精神力がないが、どうやらこの触手は、この『遺跡・魔王城の歴史』を持ってきてくれた、図書委員の触手のようだ。誇り高き化け物らしく、真面目に仕事をしているのだろう。そういえば、窓から差し込む陽が傾きかけている。


 時間切れか。

 俺は本を持って席から立ち上がった。


「分かった。すぐに出ていく。本は……どこの棚だったか?」

「あ、私が返しとくよ? 取って来たの、私だし」

「じゃあ、頼む」


 差し出された触手の腕に本を乗せ、さっさと出て行こうとする。

 わざわざ本を選んでくれた相手にこの対応はどうかと思うのだが、種族の絶対的な壁という事で見逃してほしい。が、そんな願いが通じるはずもなく、触手はしっかりと引き留めてきた。


「あ、もし、まだ読みたいのなら、貸出もできるけど?」

「いや、もう読み終わったから、大丈夫だ」

「そう? じゃあ、他に読みたい本、ない?」


 テンタクラー族の女性はアグレッシブだ。

 これが人間なら、いや、せめて人型をしていれば、押し切られていたかもしれない。


「い、いや、今のところはない。ありがとう」


 礼を言って、強引にその場を離れる。

 後ろで小さく「あ……行っちゃった」という少女のような声が聞こえたが、もちろん振り返る余裕はない。

 図書室を飛び出し、誰もいない廊下を抜け、外へ。

 そのままペースを緩めず、目の前に広がるアトラの街を進んでいく。

 住んでいるのは化け物のくせに、町並みはやけに綺麗だ。

 石畳で整備された道。

 白い壁をレンガが飾る住居。

 濁りひとつない清水が流れる水路。

 遠くには、街を護る巨大な壁。

 まったく、景観重視で整備された、どこかの外国都市のようだ。

 触手がその辺を這いずり回り、魚人が水路を泳いでいなければ。

 元人間の俺が、スピードを緩めたくなくなるのも、仕方ないというべきだろう。

 幸いなことに、地球のナントカいう国と違い、その辺の角から出て来た男とぶつかって喧嘩になったり、女とぶつかって痴漢に間違えられたり、警察官に呼び止められるなんてことはない。

 俺が憑りついた触手の記憶によれば、このアトラでは急いでいる人に道を譲るのは当然なのだ。広がってちんたら前を歩いている学生や、絶対に自分の道を譲らない老人、こちらの都合など関係なしにお構いなしに声をかけてくるキャッチセールスなど、どこにもいない。誇り高き化け物の皆様にとって、自分の利益だけを優先するのは恥ずべき行為なのだ。


「ん? お、アーちゃんじゃねぇか!」


 が、並走して話しかける分には何の問題もない。

 水路を泳いでいた魚人――やはり、個体を判別する気力はないが、声からして放課後の告白をのぞいていたあの魚人だろう――が突然飛び上がったかと思うと、隣に着地、足と手を必死にバタつかせながら、追いすがって来た。

 ちなみに、「アーちゃん」というのは俺が憑りついた触手の呼び名だ。アキュラムだからアーちゃん。魚人の方はポセイドラ・ポチグリフという。通称はポチだ。まったく、文化の違いには驚かされるばかりである。


「今、帰りか? っていうか、今までずっとお勉強か?」

「ああ」

「学校でも言ったけど、たまには狩りに出ないと鈍るぞ」


 走りながら、手に持ったカゴを見せてくるポチ。

 中には骨だの肉だの、ピカピカ光る鉱石だのが入っていた。どうやら「狩り」の帰りらしい。もちろん、ここでいう「狩り」とは「猪や兎といった獣を捕殺する行為」ではなく、モンスターが棲息する洞窟や森にある資源、または、モンスターの身体の一部ないし全部を収集する行為の事である。そして、一部の強力なモンスターがいない「狩り場」は学生にも解放され、「生活資金」の調達先となっている。

 小遣い稼ぎではなく、「生活資金」である。

 恐ろしい事に、アトラでは、狩りを覚えれば自分の力で稼ぐのが当然という発想が根付いている。親から仕送りをもらったり、奨学金で生活したりという軟弱な発想自体がない。いや、それ以前に、誰も「生活資金」のために狩りをやっているという認識がない。狩りの成果は確かに換金所で換金されるのだが、それよりも「戦績」が重要視される。「戦績」とは強いモンスターの討伐や危険な狩場の踏破などといった武功の事であり、誰もが採算度外視で「いかに強い敵を倒し、自分の強さを証明できるか」を重視している。誇り高き化け物の皆様は、金よりも名声の方が大切という訳だ。


「これから、換金所か?」

「おう! つっても、これだけじゃ大した戦績にならないけどな」


 このため、ポチからの返答も「大した額」ではなく「大した戦績」となる。

 人間には理解できない感性だが、俺が憑りつく前の触手も、ポチと組んでそれなりの功績を上げていたようで、


「ひとりじゃ限界があるんだよ! さっさとアーちゃんも復帰してくれよ」

「今、調べているのが終わったら考える」

「なんだぁ? 新しい狩り場でも見つかりそうなのか?」

「そうなるかもな」


 調べものと言えば新しい狩り場という、いかにもアトラの住民らしい発想をするポチに話を合わせながら走る。嘘を吐いたつもりはない。遺跡までの道のりも、危険な森や洞窟に囲まれた、立派な「狩り場」なのだから。


「まあ、終わったら声かけろよ。

 いい狩り場なら、二人で行った方が戦績あがるだろ」

「ああ。その時になったら頼む」


 換金所へと続く道へと走り去っていくポチ。

 その背中に、俺の事を不審に思った様子はない。

 俺が憑りついたアキュラムに、憑りつく前と同じ態度を取り続けるのは、元々アキュラムがあまり話すタイプでなかったから、というのもあるだろうが、誇り高きアトラの民にとって、友人を疑うのは恥とされているという理由の方が大きいだろう。

 騙しているような罪悪感がないでもないが、本当の事を言う訳にもいかない。

 せめて、遺跡に戻る時は連れて行くか。

 地球に戻った俺の生活資金や戦績は、ポチの戦績になるわけだし。

 が、そう考えたと同時、アキュラムの記憶が叫ぶ。

 資金などというものは不要だ、と。

 他人の戦績をもらって、喜ぶとでも思っているのか、と。

 化け物とは、気難しいものである。

 見た目のインパクトを抜きにしても、アトラに溶け込むのは無理だな。

 そんな感想を抱きながら、俺は今の自分の家へと走り続けた。


〈人間編〉

 諸君、私こと誇り高きテンタクラー族の戦士、アキュラムは今、この身体の持ち主の知識でいう「臭い飯」なるものを食う羽目に陥っている。

 いや、「臭い飯」自体は何も問題ではない。この俗称カツドンなる「臭い飯」は、米なる純白の穀物の上に、出汁と卵が染みついた衣に包まれた肉がのり、三つ葉が美しい彩を加えている。食せば肉汁が染み出し、それがまた出汁と絡みついて実に素晴らしい。箸とかいう2本の棒の扱いにはやや苦労するものの、なぜ「臭い飯」などという名前が付いたのか分からぬほどに美味である。

 そう、美味なのである!

 これは誇り高きテンタクラー族の戦士である私にとって、非情に憂鬱な事態だ!

 なぜなら、今の私は潔白を証明せねばならない身。これが名前通りの臭い飯ならともかく、美食などにうつつを抜かしていては、まるで罪状を受け入れられず、意地汚く娑婆に未練を抱く犯罪者ではないか!

 しかも、その事実に思い至ったのは、カツドンを食し終え、ここへ連れてきた衛兵――いや、ここでは警察官というのだったな? その警察官の女性が、厳しい顔つきで入って来てから。

 ええい! まさか、この誇り高きテンタクラー族の私が、空腹のあまり自らの置かれた状況を忘れるとは不覚の極み!

 やむを得ぬ。不服ではあるが、ここは素直に内臓のひとつでも切って詫びを入れようではないか!


「すみませんでした」


 が、先に謝ったのは、警察官の方であった。

 なんでも、先のぶつかった女性、路地裏で暴漢に襲われていたらしく、逃げ出した矢先、道を塞ぐように角から出てきた私を暴漢の仲間と勘違いしたとのことだった。

 財布の中に入っていた学生証で身元がはっきりしたこと、そして、連絡先にいたこの身体の持ち主の母上が、私はこの地にひとり立ちしたばかりで、誰かと徒弟を組んで犯罪を行うなど不可能であると証言してくれたことから、疑いが晴れたらしい。

 何と慈悲深い母であろうか!

 我がテンタクラー族では、犯罪の疑いがかかろうものなら、一族の恥として即、死罪である。

 このアキュラム、感動したっ!


「あ、カツドンその他もろもろの代金として、1,298円いただきます」


 んな!?

 なんと、この地では、差し入れにも金子を出すのが常識であったか!?

 しかし、私は誇り高きテンタクラー族の戦士!

 母上の名誉のためにも、ここはひとつ、言い値で支払おうではないか!

 さあ、この財布から好きなだけ持って行くがいい!


「すみません、94円足りないようですが……」


 んなぁあ!?


 ※ 本作品はフィクションです。

   警察署の取調室で、定食屋のごとくカツ丼が出てくることはありません。

   仮に強い希望を出して出前が許可されたとしても、

   庶民の血税で賄われることはありません。

   本作の様に、飲食費はしっかりと要求されることでしょう。

 ※ 触手戦士は憑依した人間の知識を適当に漁ったせいで勘違いしていますが、

  「臭い飯」とは「取調室」ではなく「刑務所」に入れられる比喩に使われます。

   突っ込んだあなたは正しい。

 ※(お金が足りなくても)続きます。

 ※ 次回更新は、2019年3月27日(水)を予定しています。

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