自分だけの部屋

@E-hara

自分だけの部屋

 ふいに暇ができたので実家に帰ると、おれの部屋がフクロウの飼育部屋になっていた。

 「浩司の部屋、ハヤちゃんの部屋にしたから」

 母親が簡潔にそう説明してくれた。

 「はあ?」

 「温度管理が大事だし、狭いところで飼うわけにもいかないのよ」

 「ハヤちゃんってこいつ?」

 止まり木をしっかりと爪で掴んだまま、その大きな二つの瞳はいつまでもおれを見つめている。硬直した姿勢からは外敵に対する警戒心がにじみ出ていた。

 「かわいいでしょう。種類はメンフクロウっていうの」

 「鳥の名前はいいけどさ、おれはどこで寝ればいいんだよ」

 「そりゃあ、居間しかないじゃない」

 

 居間でスナック菓子をぼりぼりと貪りながらおれは腹を立てていた。

 無断で自室を鳥小屋に改造されたことに対してだ。

 子どもが巣立ったあとの老夫婦の慰めとしてペットを飼うのはいいことだと思う。寂しかったのだろうし、息子の代わりでもいた方が生活にハリが出るから。

 けれども人間の息子の部屋を犠牲にするのはやり過ぎだ。

 あそこにはおれの青春時代の思い出が詰まっているのだ。でもいまでは鳥の臭いしかしない。

 「なんでフクロウなんだよ」

 同じコタツに入って、バラエティ番組を観るのに夢中の母親にそう訊ねた。

 別に犬とか猫でもよかったはずだ。フクロウなんてお金も手間もかかるだろうし。

 「お父さんがあの子がいいって言ったのよ」

 父親のせいになった。当の本人は町内会の会合に出ていて弁明ができない。

 「いくらした?」

 「たしか十八万円くらい」

 「高っ」

 おれの手取りよりも高い。社会人になってからお金のことばかり気にするようになった。生活がぎりぎりでいまも軽く金に困っていたから。

 しばらくすると父親が帰ってきた。手には白いビニール袋が携えらている。

 「――おお、浩司。帰ってたのか」

 「うん、ただいま」

 「フクロウ見たか?」

 「うん、部屋取られてた」

 「悪かったよ。ほかに場所がなくてな」

 「……いいけど、なんでフクロウなんか飼うことにしたんだ?」

 「ペットショップを通りかかったときあの子がそう言ったんだ」

 「飼ってほしいって?」

 「そうだ」

 「ふうん」

 おれは鼻白んだ。馬鹿な飼い主というのはどこにでもいるものだが、実の親がそうなってしまうと少し悲しいものがある。

 「で、それなに?」

 おれは白いビニール袋を指さした。結構膨らみがあるからなにか食べものでも入っているかと思ったのだ。コタツから出て袋の中を覗き込んだ。

 中には死んだ鼠が入っていた。

 「――うわっ、なんだよこれ」

 「あの子のご飯だ」

 父親は笑った。

 「猛禽類だからな。びっくりしたか」

 「う、うん」

 釈然としないものを感じながらおれは頷いた。

 フクロウの飼い方なんて知らないからこれが普通なのかもしれないが、それでも心のどこかで引っかかりを感じた。なにかがおかしいと。

 

 おかしいのはそれだけではなかった。

 晩御飯はカレーだった。

 大好物なので、スナック菓子で少し腹が膨れていたが食べることにした。

 「いただきます」

 三人顔を揃えて食事をするのは久しぶりなのに両親ともあまりうれしそうではなかった。

 「あれ?」

 カレーを一口食べておれは気がついた。

 「どうしたの?」

 「牛肉なんだ、具材」

 うちのカレーはおれが小さいころからずっとチキンカレーだった。

 「そうよ、ハヤちゃん飼いだしてから鶏肉食べられなくなっちゃって」

 「一回も食べてないよな」

 父親も同調した。

 「いつから飼いだしたの?」

 「一ヶ月くらい前かな」

 それを聞いておれは顔をしかめた。

 「ちょっと入れ込みすぎじゃない?」

 「飼えばわかるよ、あんなにかわいい子はいないから」

 父親は嬉しそうに語る。

 「この子嫉妬してるのよ」

 母親が言った。

 「違うよ、急にお袋たちが変わったから――」

 「あとでハヤちゃんと遊んでくるといい」

 「いいわね。懐いてはくれないと思うけど、きっと癒されるわよ」

 「いいよ。鳥はあんまり好きじゃないんだ」

 「そんなこと言っちゃって」

 聞く耳を持たない。

 胃の奥がずうんと重くなってきた。

 まずいことになっている気がした。

 

 食後、何度も拒否したが、父親があまりにもしつこく誘うものだから、連れられて「おれの部屋」のドアの前におれはいた。

 「ドアを開けたらすぐ閉めるんだぞ。ハヤちゃんが外に出てしまうからな」

 「出せばいいじゃんか。廊下で飼えば」

 「フクロウは温度管理が大切なんだ」

 「だれに聞いたの」

 「ペットショップの店員さんだよ。それに調べたんだ」

 「あっそ」

 おれは父親の後ろについて部屋の中へ入った。

 フクロウは相変わらずじっとしていて、その視線をおれの方へと投げかけている。父親には一瞥もくれずに。

 「ハヤちゃんも浩司が気になっているようだ。よかったな」

 おれとフクロウのにらみ合いは続く。

 そうしているとふと気がついた。フクロウの止まり木のそばにおれのPS4が転がっていることに。

 「なんで置きっぱなしにしてんだよ!」

 おれがPS4を回収しようよ歩み寄ったそのとき、

 「ギャアアアア!」

 フクロウが叫んでおれの顔面目がけて飛んできた。

 間一髪のところでしゃがんでかわしたが、フクロウはおれの頭をクチバシでつつく。

 「おいおい、なにやってるんだ」

 父親は呑気に笑いながら、おれとフクロウの間に入る。

 「だめじゃないか。いきなり近寄ったら」

 「ふざけんな!」

 おれは怒鳴って部屋を出た。

 居間にもどってコタツの中に入った。

 横になって目をつむっていると怒りの感情が冷えて、あとに恐怖が残った。

 あのフクロウはさっきおれの目を狙っていた。おれの目を抉ろうとしていた!

 

 夜中、もの音がして目が覚めた。いつの間にか眠っていたらしい。

 電気を点ける。すると母親がなにか袋を持って居間を通って行こうとした。

 いぶかしく思っておれは声をかけた。

 「なにしてんの?」

 「あら起きてたの? ハヤちゃんの部屋の掃除よ」

 「こんな時間に?」

 時計を見ると夜中の二時だった。

 「トイレのついでにね。あの子夜行性だから」

 おれはなにも言えなかった。

 フクロウは両親の生活の中心となってしまっている。過剰なほどに、まるでなにかに憑りつかれたかのように。

 眠る前にちょっと調べたところ、フクロウは森の哲学者とも言われているらしい。

 死んだ嬰児の魂がフクロウに宿るという言い伝えが青森県の方にはあるとも書いてあった。

 自分でも突飛な考えだとは思うが、直感的に感じたことが一つある。

 あのフクロウは人を操れるのではないか、ということだ。

 あの大きな目を見ていると、おれでさえなにか心の奥を見抜かれているような気になってくる。

 両親の豹変ぶりを見て、そう思わずはいられなかった。

 「なあお袋」

 思い切っておれは母親に言った。

 「どうしたのよ」

 「もしおれが家に帰るって言ったらどうなる?」

 「なに言ってるの」

 母親は笑った。

 「そんなのだめに決まってるじゃない。部屋がないんだから」

 なんてことだ。この女は実の息子よりも鳥を優先すると言ってのけた。

 「あっそ」

 「そうよ、少なくともハヤちゃんが寿命をまっとうするまではだめよ」

 その言葉を聞いて、おれは泣きそうになっていた。

 ――実家に帰れないなんて!

 

 ――――――

 

 旦那の知人から、旦那に連絡があったそうだ。

 「浩司くんが仕事を辞めたがっている」――と。

 そう聞かされた旦那は血相を変えた。

 なぜならその仕事はいつまでもぶらぶらと定職につかない息子を見かねて、旦那が知人に頼み込んでようやくもらえた仕事だったからだ。

 そんなにすぐに辞めてしまっては先方に顔が立たない。

 そう考えた旦那は腹を決めてこう言った。

 「いつまでも甘やかしていたわしらが悪い。心を鬼にしてあいつが家に帰ってこられないようにしよう」

 そうして思いついたのがフクロウを飼うことだ。帰ってこられる環境があるから親を頼った行動計画を立ててしまうのだ。だから退路を断つ。それでだめなら改めて手助けをしてやればいい。

 はっきりした態度を取れなかったわたしたちの、最後の切り札こそフクロウだったのである。

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