フクロウの子
蒔田舞莉
フクロウの子
金色に輝く大きな眼がくるりと回った。
満月を映したような瞳は、美しくもどこか不気味な雰囲気を持っている。
忌み嫌われる夜の王。即ち、フクロウ。
彼の目線の先には大きな城。そこで諤々と騒ぐ、矮小な人間たち。
ホゥ。と呆れたように一声鳴いて、冷めた目をしてフクロウは何処かへと飛び立った。
鬱蒼と茂る木々は月の光でさえも朧げにしか通さない。誰も彼もが寝静まった夜闇の中、赤ん坊の鳴き声が響いていた。王城に生まれた姫。真っ白な髪に、金色の瞳。人とは違う特徴を持って生まれ、『忌子』として捨てられた哀れな子。
そこに見下ろす沢山の影。どこまでも無感動に、いや、感情を動かさぬように努めた様子でじいっと眺めている。
一際大きな影が、その子へと近付く。生まれたばかりの子だ。見えているはずもないのだが、それでも赤子は泣き止み、あまつさえふにゃりと笑って、影に腕を伸ばした。予想もつかないその行動に影は戸惑ったように震え、やがておずおずと近付いた。手が、影に触れた。小さな小さな、やわらかな手。壊れ物に触れるようにそうっと包み込む。宝物を守る、子供のように。
やがて時は流れる――
「まったく、あの時はどうなることかと思ったが」
「こうしてあの子の成人を無事に迎えることができて、嬉しいですわね。王様」
「ああ、お前はいい女だ。『フクロウの子』なぞを産みおったあやつとは天と地だな」
「まあ。そんなのと比べるだなんてひどいわ」
「ふむ、これは失礼した」
「もう……うふふ……」
「ははは……」
でっぷりと肥えた男と、それにしなだれかかる気味が悪いほどに細い女。
二人は仲睦まじげに、しかし陰気な笑みを浮かべて語り合う。
『フクロウの子』。
それは国に不幸をもたらすと言い伝えられている。白い髪と、金色の瞳。その特徴を持った子供がそうだ。その伝承を恐れた男――この国の王はその子供を生きては帰れないと嘯かれる森に捨てるよう命じた。さらには生んだ母親、彼の妻を忌子を生んだ魔女として処刑したのだ。そしてその後、妻の使用人であった現在の王妃を迎える運びとなった。この女がまた、性格の曲がった人間で、そのことにより、ただでさえ荒かった王の金遣いは悪化の一途をたどった。そのため国民に課される税は高くなる一方。その上それに少しでも反発しようものなら処刑という恐怖体制を布いている。
今日は現王妃が生んだこの国でたった一人の世継ぎである姫の成人の日。広間はこれ以上ないほどに飾り付けられ、珍しい食材で作られた料理がテーブルを彩っていた。
姫は周囲に取り巻きの女を侍らせながら見下すような顔で使用人たちに無理難題を押し付けていた。彼らが断ることができないのを知っているのだ。蛙の子は蛙。そう、下衆の両親から生まれた彼女もまた、当然のように同じような心を持って成長してしまったのである。
宴は王族のものだけを喜ばせ、他の者には苦痛を与えながらも進んでいく。
夜も半ば、といったところだ。突然、ホゥ。とフクロウの鳴き声がした。普段は森の奥に住み、けして鳴き声など聞こえることはないのだが、どういうわけだか今日は違った。
窓の外には一羽のフクロウ。くるり、首を真横に向けて、どこか挑発しているようにも見える。くるり、くるり。王は忌々しげにそれを見、舌打ちをする。姫は大した興味を持ったわけではないが、しかし、いいことを思いついた、とその顔を嗜虐的に歪ませた。
「ねえ、お父様。お願いがあるの」
「む。なんだい、可愛い姫」
「私フクロウの首が欲しいわ。たかが鳥の分際で夜の王なんて生意気じゃない。だけどその首が私の部屋にあるって考えたら……とても、素敵だわ」
その言葉に使用人たちは怯えた。動物の首が欲しいなど、常軌を逸している。三日月に広がった口が怖くて仕方がない。
だが、王はそう思わなかったらしい。それはいい、と心の底から賛同の声を上げさすが私の娘だと褒めすらした。
「おい、猟師はどこだ。早く来い。仕事をやる」
「……こ、こに。王様」
震える声でそう言って、一人の青年が前へ進み出た。その目は既に泣き出しそうに潤み、絶望を浮かべている。
「あのフクロウを撃ち落とせ。ほら、さっさとしろ。儂の気は長いがな、あまり待たされるとどうなるかわからんぞ」
どこが気長だ、お前ほど気の短い人間がほかにいるものか! 青年はそう叫んでやりたかったが、勿論実際に言えるわけなどない。血がにじむほど唇を噛み締めて、猟銃を手に窓へと近付いた。
フクロウはじっとして動かない。たまに首を動かす以外には何の反応も示さないそれに銃口を合わせ、狙う。慎重に、慎重に。いつもよりずっと神経を尖らせて。
そしていざ撃とう、という時になって、青年とフクロウの目があった。その瞬間、身体が呪われたかのように動かなくなってしまった。金色の目は青年の全てを見透かすかのようにどこまでも澄んでいて、それなのにどこを見ているのかわからないガラス玉のようだ。
怖いわけではない。敢えていうのならば、魅入られた。そうとしか表現できないだろう。撃つことなどできない。青年は無意識に後ずさった。一歩、二歩。そして猟銃を地面へと取り落とした。
訝しげにした王が口を開く前に、ぎいぃぃ、と重苦しい音が広間に響いた。
まるで、地獄の門が開いたかのように。
「ご機嫌麗しゅう、父様。あまりそう呼びたくはないけれど。それと初めましてね。母様と妹……そうね、父様と結婚していらっしゃるのだし、貴女は貴女で半分とはいえ血が繋がっているのだから間違ってはいないはずだわ。そうでしょう?」
だけどそんなことはどうだっていいわ。
扉を開けたのは、息を呑むほどに美しい少女だった。
あの捨て子、忌子の子供は息絶えることなく今まで立派に成長していた。そして従えたるは大きな鳥。少女の倍はあろうかという大きさのフクロウだ。唖然とする人間たちを冷めた目で眺め回し、静止している。だが王族の姿を認めると、射殺すような視線へと変わった。その目を向けられた三人は溜まったものではない。歯をカチカチ鳴らしながら今にも崩れ落ちそうだ。
「ねえ、私が何をしに来たか、わかる?」
可愛らしい声は、氷のように冷えていた。王たちは背骨が氷柱に替えられたかのように寒気を感じ、震えている。
「わからないわよね。考えることすらないもの。正解? ああいいのよ。もうそんな些細なことで怒ったり悲しんだりしないもの。大体貴方がたを家族だなんて思っていないから。結論から言ってあげる。殺しに来たのよ、貴方たちを」
捲し立てるように少女が言い募る言葉を王たちはなかなか理解することができない。時間をかけて噛み砕き、真っ青になった。
口を戦慄かせて何事かを言おうとしているようだが、その一つとして声になることはなく音として霧散する。
「家族だと思っていないからといって恨みがないかと言われたらそういうわけではないの。私ね。この方に育てられたのよ。夜の王。とっても優しいの。彼に会えたことに関してはありがとう、かしら。そういえばこの国の国民たち、随分と大変みたいだけれど。貴方たちが悪いのよね? お金をガバガバ使うから。あら、恨みも晴らせて人助けにもなるのね? それって素敵ね。とても素敵だわ。そう思うわよね?」
だんだんと早口になり、微笑み出す。姫が見せたものとは違う、美しい笑みだ。
「……いいのか」
低く理知的なテノール。それはこれまでだんまりを決め込んでいた大きなフクロウの声であった。問いかけ、というよりは最終確認のような色を孕んだその言葉に、少女は満面の笑みで頬をすり寄せ答えた。
「そうか。お前が良いのなら、それがいい」
そう言ったきり、また口を閉ざした。
たん、たん。手には不似合いに無骨な鉈。少女は軽やかに前進する。その姿はさながら踊っているかのようだ。
あともう少しで目の前、といったところで王がやっとのことで言葉を発することに成功する。
「ま、待て。謝る、これからは幸せな暮らしを保証しよう。だからそんな化物から離れて帰ってきなさい」
「お父様……」
少女は感動した、というような表情になる。それを見て王はほっと息を付いた。その瞬間。
「嫌にきまっているじゃない、さよなら」
血飛沫が辺りに散った。しばらくして、王の身体がどうっと倒れこんだ。ここに来てようやく我に返った妃と姫がけたたましい悲鳴を上げた。うるさそうに眉をひそめて、少女は妃に向かって再度鉈を振るった。残るは姫、一人だけ。
「ふう……」
あと少し。少女は気を抜いた時だ。
「う、あああぁぁぁぁ!」
恐慌に陥った姫が、テーブルナイフを持って飛びかかってきた。しかしそれは、少女に届くことはなかった。
夜の王が、姫の喉を噛みちぎったのだ。それだけで、姫はあっけなくその命を潰えた。
「気を抜いていいのは、全てが終わったあとだ」
「……ごめんなさい」
本当にすまなさそうに消沈する少女を、フクロウはその翼で包み込み、大窓へと向かった。少女がその窓を開け、最初から最後まで呆けていた使用人たちに向かって声をかける。
「お騒がせしてごめんなさい。そしてこのあとの処理を投げてしまうことも。できたら、どうぞ、幸せな国を」
それだけを告げて、少女を乗せたフクロウは飛び立った。
それからその国は、どこよりも平等な、幸せな国を作った。国章にはフクロウの姿がある。理由を知る者は世代を経るごとに減っていったが、少女とフクロウの話はおとぎ話として受け継がれていた。誰が言い始めたのか、切り札を切ることを『フクロウを呼ぶ』というようにまでなったのであった。
フクロウの子 蒔田舞莉 @mairi03
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