第八話: はぐれ者




 不穏な何かを孕んだままでも、日は落ちて、また昇る。



 普段と何ら変わりないマリーの姿が、いつもと同じように見ることが出来た。


 そんな何時もと変わりないマリーを、サララとイシュタリアの両名は、首を傾げながらも見守ることしか出来なかった。


 違和感……というには、あまりに些細な感覚。


 数日が経ってもそれが治るようなことはなく、マリーは何時もと変わらない素振りを振る舞い続けている。


 いや、むしろ今まで以上に優しい面を見せてくれる。全体的に見れば、むしろマリーのそれは良い方面に向いていたのかもしれない。



 ただ……一つだけ、変わったこと。



 それは、夜になってから、一人で外出するようになったということ。


 サララすらも同行させず、一人夜の闇に消えて行くマリーを……サララたちは、ただただ見送ることしか出来なかった。



 それから、しばらく……。



 マリーたちの元にまた警察の人がやってきたのは、ある晴れた日の午後であった。


 幸いにも今度の人は婦警であったため、マリーたちは直接今後の話を聞くことが出来た。


 婦警の説明は少しばかり回りくどかったが、要約すれば「主犯を探す為に新たな捜査を始める」ということであった。


 あの時のトーマスの証言を元に調査してみた結果、該当する人物が実在したことから、正式に決まったらしい。



 ――まあ、そうなるよな。



 というのが、マリーたちの正直な感想であった。


 どこまで捜査が進んでいるのかは捜査の関係上教えてもらえなかったが、「とりあえずは、順当に糸を手繰り寄せているところ」らしい。


 近いうちに真犯人が見つかるかもしれないことを考えれば、まずは一安心である。



 ……そして、見張りの件。



 コレに関していえば、大五郎たちは快く了承してくれた。しかも、無償で良いときたもので、追加報酬をいくらにしようかと考えていたマリーたちは驚きに目を瞬かせた。


 さすがに、無償で働かせるのは申し訳ない。


 そう思っていくらか報酬を上乗せすると提案したが、大五郎はなおも首を横に振り、その部下たちも大五郎と同じく決して受け取ろうとはしなかった。



「これは単純に報酬がどうとか、そういう問題じゃないんでさあ」

「と、言うと?」

「要は、俺たちの誇りの問題なんですよ」

「……と、言うと?」



 そう答えてくれた大五郎の話を、さらによくよく聞いてみる。最後まで聞き終えたマリーたちは、納得に手を引っ込めるしかなかった。


 ――つまり、だ。


 大五郎たち曰く、建造した建物は全て、彼らにとって誇りある作品であり、依頼者の期待に応えようと力を合わせた傑作であり……それを狙う輩は、誰であっても許せないということらしい。



「俺たちはそれこそ子供の頃から親の後ろで現場に出ていた筋金入りの大工ばかりだ。だから、分かるんだ……今はもう土台しか残っていなかったけど、この館を建てた先輩たちの気持ちってやつをな」



 そんな彼らにとって……自ら建造した建物を放火されるということは、すなわち自らの作品を、依頼者の願いを、燃やされるに等しい行為に他ならない。


 その怒りは自分たちだけに留まらず、お仲間が作り上げた傑作に対する敬意でもある。


 培った技術を駆使して、せっかく苦労して作った物なのだ。


 その苦労を知らないどこぞの馬鹿が狙っているのなら、寝ずの見張りぐらいなんてことはない。加えて、今回は恩人であるマリーたちの館なのだ。



 ――恩人の為なら、苦労の一つや二つ重なったってどうってことはない!



 大五郎たちの言い分を纏めてみれば、こんなところであった。しかも、話はそこで終わらなかった。


 ……日中、様子を見に来たマージィに、大五郎がどのような説明をしたのかは分からないが、そこから少し話がややこしくなったのだ。


 その日、ダンジョンから早めに帰って来たマリーたちは、マージィとの再会の挨拶もそこそこに、「意気の良いやつらを連れて来たぞ」マージィに案内されて待ち合わせの場所へ向かい……ぽかん、と大口を開けた。


 館から少し離れた場所にある広場。そこで待っていた人だかりを見て嫌な予感を覚えたマリーたちは、しばしの間、言葉を無くして『生きの良いやつら』を見つめることしか出来なかった。



「…………」



 無言のままに、マリーとイシュタリアはマージィを見やる。


 自信ありげに頷くマージィの横で、サララは開いた口が塞がらない。


 ドラコとナタリアだけが、よくぞ集めたものだとマージィを褒めたたえていた。



「……そりゃあ、意気の良いやつらを連れて来てくれって頼んだけどさあ……だからって、これか?」

「おうよ。どうだ、新入りの中でも光る物があるやつらを揃えたぜ。ちっとばかし経験が浅いが、体力と気力でそれを補えて、仕事も手伝えるやつらだぞ」



 ――いや、それは見ただけで分かる。



 その言葉を、マリーとイシュタリアは唾と一緒に飲み込んだ。



「……凄いのう。私もまさかこう来るとは思わなかったのじゃ」

「おう。ただ、こいつらは切った張ったはまだ経験したことがねえ。そこらへんは、数で補うのさ」



 ――だから、それも見たら分かる。



 そう言いたげに、マリーとイシュタリアは苦笑いを浮かべるしかなかった。サララに至っては、不安を隠しきれないと言わんばかりにため息を吐いていた。


 ……マージィの言うとおり、確かに……出迎えたのは生きの良い十数名の男女混合の狩猟者たちだ。



 ――ただし、そのほとんどが十代後半の歳若い少年少女であるというおまけつきであった。



 しかも、そのほとんどから外れたごく少数……これがまた恐ろしいことに、大人というわけではない。


 自然と、マリーたち三人の視線が、そのごく少数へと向けられた。



「……ところで、マージィのおっさん。俺の目が悪くなければ、あの中に三人程、頭一つ分小さいやつがいるんだが……あ、あれはただ背が低いだけだよな?」

「…………」

「おいこらてめえ、無言のままに目を逸らすの止めろ」



 背中を向けようとしたマージィを、マリーとイシュタリアが無理やり引っ張り出す。はた目からは、歳若い少女を相手に腰が引けている大人にしか見えない光景である。


 雲行きの怪しさを感じ取ったのか、不安な顔になっていた彼ら彼女らも、そのマージィの姿に目を瞬かせる。


 何せ、若者たちからすれば、マージィは頼りになるベテラン狩猟者だ。

 おそらく、彼らの前ではそのように振る舞っていたのだろう。そのマージィが見せる普段とは違う姿に、若者たちは困惑を隠せなかった。



「よーし、ちょっとお話しようか」



 とはいえ、そんなことマリーたちには関係ない。


 若者たちの視線を他所に、冷や汗を噴き出しているマージィの頭を軽く小突く。そして、改めてマリーたちは少年少女の群れに視線を向けると、そっとマージィへと声を潜めた。



“マージィ……こんなこと言うつもりはなかったが、さすがにアレはないだろ。若いだけならまだしも、若すぎるってどうよ……せめて下の毛が生え揃っているぐらいのやつを連れて来いよ”


“いや、これには深いワケが……“


“どうせ装備を買う金が用意出来ないから、その為の小遣い稼ぎじゃろう。皆まで言わなくとも、想像つくのじゃ……『ラステーラ』の不況具合がよく分かるのう”



 マージィは何とか弁明しようとしたが、即座に急所に刺さったイシュタリアの言葉に、うぐぐ、と唇を噛み締めた。どうやら、図星であったようだ。



 ……とはいえ、打算が全てでは無いのだろうなあ……とマリーたちは若者たちを見て、思った。



 マージィの言うとおり、彼ら彼女らは若いだけあって体力気力は申し分ないだろう。良く働いてはくれるだろうし、夜間の警備だって頑張ってくれるし、多少の無理も大丈夫だろう。


 よくよく見れば、数人ぐらいは大人並みに大きい者もいるし、中々立派な体つきの者もいる。複雑な作業は出来ないだろうが、雑用なら十二分に役立ってくれそうだ。


 加えて、本人たちが隠しているとはいえ、大五郎たちの顔に疲れが見え始めている。いくらか作業を分担させれば、負担も減りはするだろう。


 そう考えれば、ある程度大五郎たちを手伝えて、ある程度雑用をこなせる存在である。



 ……なるほど。マリーたちは、内心にて頷く。



 年齢的なネックはあるものの、寝苦しい夜が続いている今、最も心配しなければいけないのは作業員の体調だ。


 それを踏まえた上で、体力気力を最重視したマージィの人選……それほど間違いはないように思え……るかもしれない。



 “……住むところはどうするんだ? あの人数であのアパートはさすがに狭くねえか?”



 当然と言えば、当然なマリーの質問。まさか、テントとかアパートに済ませるとか言うのでは……。



 “え、いや、それはほら、アパートとか、テントに……”


 ――ああ、やっぱり。



 嫌な予感的中。そう思ったマリーたちであったが、口に出ることはなかった。代わりに飛び出したため息が、その内心をよく表していた。



 “オジサマの馬鹿者。これから夏を迎えるというのじゃぞ……いくら若いとはいえ、それはあまりに酷じゃろう”



 イシュタリアの言うことは最もであった。


 実際に夏季が目前……というか、もう腰の辺りまで来ている今、さすがに若さでどうにか出来る問題ではない。


 というか、アパートの広さを考えれば、かなり窮屈な暮らしになるのが目に見えていた。



 “え、そ、そうか? 俺が若い頃はそういうのは慣れたものだったけど……”

 “オジサマ……私も昔は同じ失敗をしたから分かるが、あえて言おう。自分が出来たからといって周りが出来るとは限らぬのじゃ……”



 イシュタリアの言葉に、マージィはしゅん、と肩を落とした。


 若々しいとはいえ、やっぱり頭はオッサンなんだなあ、と思わないわけではなかったのは、マージィには秘密である。



 “……しかしまあ、呼んでしまったものはしょうがない。ここまで来て手ぶらで帰らせるのも何だし、働く気があるなら雇ってやるか”



 そう言ってため息を吐いたマリーに、イシュタリアとサララは苦笑して同意する。


 とりあえず雇うことをマージィたちに説明し、喜ぶ若者たちに「問題だけは起こすなよ」最低限の忠告だけをしておく。



「マージィのおっさん。とりあえず、意気の良いやつらを連れて来てありがとう……あと、これはお礼だ」



 その後ろでホッと胸を撫で下ろしているマージィの頭を、もう一度だけ小突くことも忘れなかった。



 ――そんなこんなで追加された応援であったが、さすがに同郷というべきか。



 揉め事を起こすわけもなく、雇い主であるマリーたちに敬意を払い、大人顔負けの働きを見せることになろうとは、この時のマリーたちは知る由もなかった。


 ちなみに、この追加に合わせて生活費の支給云々で揉めることになろうとは、マリーたちもまだこの段階では想像すらしていなかった。





 ……。


 ……。


 …………で、だ。



 そうして追加された若者たちによって、館の輪郭が分かるようになったのは、降り注ぐ厄介なものが雨から日差しに変わってから、一ヵ月後のことであった。


 この頃になると、夏の大勢力も本領を発揮し始める。装備一式をルームや地上階で着替える者も現れ始め、平然と装備に着替える女も見られるようになった。


 見苦しい……という言い方も変だが、ある意味では風物詩と呼べなくもない。この時の様子で、ルーキーかベテランかが分かるという、何とも感想に困る光景が至る所で見受けられた。



 ……そんな頃であった。



 いつものようにダンジョンへと潜ろうとしていたマリーが、ルームに入った途端、何時ぞやを思い出させる生徒の群れを前に、足を止めたのは。


 最初にマリーが取った行動は、呆然、であった。


 普段とは全然違う光景に足を止めていたマリーは、とりあえずルーム内の端に移動する……その途中、あることに気づいた。



(……なんで、学園のやつらが集まってんだ?)



 幾人か見覚えのある顔ぶれを見て、マリーは目を瞬かせる。ルーム内を見回せば、集まっている者たちの年齢層がだいたい同じくらいなのが分かる。あんまり記憶には無いが、おそらく大半は学園の生徒たちだろう。



 ――もしかして、大規模採取なのだろうか?



 そう思って首を傾げるが、大規模採取はそう何度も行われることではない。『国』や大企業からの緊急依頼であればまだしも、もしそうならマリーにも話が来ているはずである。


 館が燃えてから今日まで、全く学園に行っていないマリーは、生徒たちが何の目的で集まっているのかを把握してはいない。


 ただ、妙に張りつめた空気だけは感じ取ることは出来た。



「なあ、この集まりっていった――」

「ね、ねえ、君はマリー・アレクサンドリアだよね!」

「あ、違います、人違いです」

「あ、マリーちゃん! 探してたのよ!」

「ワタシ、マリー、チガウ。ヒトチガイダヨ」



 とりあえず、話だけでも聞いてみようか。


 そう思ったが、向けられる幾重もの視線の意味まで分からないわけではないし、話しかけた途端にこれである。無視してダンジョンに潜ろうにも、たどり着くまでが大変だ。


 結果、マリーは隅にて大人しくしている他なかった。


 そうしていれば、生徒たち自身が互いを牽制してくれるので、とりあえずは静かに過ごすことは出来た。


 ……顔見知りに会えたらいいなあ……できれば、源がいいんだが。


 そう思いながらマリーが蠢く人垣を眺めていると……ひょっこりと、見覚えのある女が顔を見せた。



「あっ」



 思わず声をあげるマリーを他所に、目立つ金髪と派手な鎧に身を包んだ女……イアリスが、人波をすり抜けるようにしてマリーの前へ近づいてきた。



「……!」

「最近、お前のその妙に勝ち誇った顔見るのが楽しみになってきたぞ」



 誇らしげな顔で手渡された封筒を受け取ったマリーは、苦笑しながらそれをビッグ・ポケットの中に仕舞う。それを見ていたイアリスの視線が、ぐるりと動いた。



「ところで、何時もの人たちが見当たらないようだが、今日は一人できたのだな」





 ――瞬間、マリーは一瞬ばかり手を止めた。






「……今日は、別行動なんだ」





 けれども、すぐに何事もなかったかのように振る舞う。ビッグ・ポケットを首に掛け、とんがり帽子のつばを弄った。



「サララたちは館の修理の手伝いだ。あいつら四人なら、『東京』郊外の森から、必要となる材木を短時間で運んで来られるからな」

「ふむ、経費と時間の削減と言ったところか」

「……まあ、そんなところだ。最近同じことの繰り返しだったし、サララたちも……良い思い出にはなってくれるだろう」



 そう答えたマリーは、しばしイアリスの周りに目を向けた後……おや、と首を傾げた。



「そういうお前こそ、お仲間はどうしたんだい?」



 普段のイアリスは、大抵は傍にマーティかカズマのどちらか、あるいは両名がいる。なのに、今日はそのどちらも見当たらなかった。



「マーティたちは、図書館に行って勉強に励んでいる」



 特に隠す様子も無く、イアリスはさらりと答えてくれた。



「勉強?」

「もうすぐテストなのだ。テストの結果によってはランクの変動も起こり得るからな」

「ああ、なるほど。学生も大変なんだな」



 素直に納得した。


 そういえばそんな話を受けたなあ、とかなり前に教えられた等々力の話を思い出す。


 よっぽどな功績を残さない限りは増減なんて微々たるものらしいが、無いよりはマシという話だ。



 ……待てよ、そうなると



 マリーはイアリスを見上げた。



「お前は大丈夫なのか?」

「私を見くびっては困る。こう見えても成績は上から数えた方が早いのだ」

「いや、そんな冗談はいいから」



 思わず、マリーはそう口走った後に、やばい、と視線を逸らした。つい、館の皆にするような言い方をしてしまった。


 しかし、幸いなことにイアリスは特に気にしてはいないようで。「……冗談ではないぞ?」と首を傾げるその姿に、マリーはフッと気を取り直した。



「あ~……うん、お前ってそんなに頭良かったんだな」

「見ての通りだ」



 いや、見たまんまだと、お馬鹿にしか見えないんだけど……その言葉を、マリーは唾と一緒に飲み込む。


 誇らしげに胸を張るイアリスに、少しばかりイラッと来たのは秘密である。



「そんなに成績良いなら、勉強ぐらい見てやれよ。あいつらの成績は悪いんだろ?」

「いや、別に。マーティもカズマも成績は良い方だぞ」



 えっ?



「……それだったら、探究者の仕事した方が評価も上がるだろ? なんで回りくどい方を選ぶんだ?」



「私もそう言ったのだが、何でも座学を疎かにはしたくない、だそうだ。明日の朝まで泊まり込みで勉強すると言っていたから、もしかしたら成績を追い抜かれるかも分からんな」



 ……朝まで、泊まり込み?


 それも、もっとも盛んな年頃の男女が?



「……と、ところで、今日はやけに学園の生徒が多いよな。何かあったのかい?」



 あまり突っ込んではならない。こういうのも、青春というやつなのかもしれない。


 それを理解したマリーは、半ば強引に話を切り替える。これ以上話を聞くと、居た堪れない気分になりそうなのが分かったからであった。



「なんだ、知らなかったのか? 今日からまたしばらく、大規模採取が執り行われることになったのだ」



 幸いと言うか、思っていた通りというか。


 特に気にすることもなく話しを映してくれたイアリスに、マリーはホッと胸を撫で下ろし……んん、とまたも首を傾げた。



「またやるの? あれって確か一度やったら当分は実施されないはずだろ」

「本来なら、な。だが、今回に限り二回執り行われることが決まった」

「なんでまた? いつもは一回限りなんだろ?」



 マリーにとっては当然の疑問を投げかけ……た、途端、イアリスは困ったようにマリーから視線を逸らした。



「本来ならそうなるところなのだが、どこぞのチームが暴れに暴れ回って一気に『A』クラスまで上がったのが原因でなあ……一部、というかかなりの生徒から不満の声が上がったらしい」

「えっ」

「もちろん、学園の評価は厳正だ。しかし、あまりにも苦情というか、要望が多かったのと、そのチーム以外にランクの変動がほとんど無かったせいで、学園もさすがに無視できなくなった。そう、私は噂話程度には耳にしている」

「…………」



 どこぞのチーム……『A』ランク……あまりに身に覚えのある話に、マリーは言葉を無くす……のを見て、イアリスは「まあ、気にするな」とマリーの肩を叩いた。



「実際のところは、退学者が去年よりも多くなり過ぎたのが理由だろう。成績の悪い者は締め出すのが学園のやり方だが、あんまり締め出し過ぎると金が入らないからな。名門とはいえ、世知辛いということだ」

「お、おう、そうだよな」

「うむ、そうだぞ」



 引き攣った笑みで誤魔化すマリーに、イアリスは晴れ晴れとした笑みを浮かべる。


 何とも対照的なその姿に、様子を伺っていた周囲の人たちは困惑に首を傾げていた。



 ――片や、二か月ちょっとで『A』ランクに上り詰め、色々と物議やら何やらを生み出している少女、マリー・アレクサンドリア。


 ――片や、『妖精』の二つ名を持ち、学園内外に広くその名が知れ渡っている麗しき女、ロベルダ・イアリス。



 どちらも、探究者の道を志す者なら知らぬ者はいないであろう、ビッグ・ネームだ。そんな二人が談笑していれば、おのずと視線が集まるのは当然であった。



「よし、それじゃあ行こうか」

「――えっ?」



 ……思わず、マリーは帽子のつばをあげて、イアリスを見上げた。



「なに、心配するな。儲けは全部お前の方に渡すから」

「――えっ?」



 だから、なおさらであった。


 何の前触れもなくイアリスが、当然のように同行するのを前提に話を進めるのを見て、彼らが一斉に首を傾げたのは。


 あまりに自然な動作で手を繋がれ、ダンジョンへと引っ張られる。


 周囲から向けられる視線が気付けとなったのか。歩数にして15歩進んだ辺りで我に返ったマリーは、慌ててその場に踏ん張った。



「――あ、いや、待て、ちょっと待て。あまりに急過ぎて頭が追い付かんぞ」



 当たり前の話だが、マリーにとっては寝耳に水である。マリーがイアリスと行動を共にしたのは最初だけで、後は顔を合わせるぐらいだ。


 ……もしかしたら、そんな約束しただろうか?


 そう思って慌てて記憶を探ってみるが、何一つそれらしきものが思い浮かばない。やはり、何度考えてもイアリスの発言は寝耳に水である。



「それじゃあ、ゆっくり歩こうか」

「ああ、それは有り難い……いや、だから違う。俺が言いたいのはそうじゃないんだよ!」

「……?」

「待て、なんでそんな不思議そうな顔をするんだ……俺か、俺が悪いのか?」



 怒声とまではいかなくとも、少しばかり声が荒んでしまうのは仕方がない。



「……ふむ、別に私たちは大規模採取に参加するわけではなく、あくまで個人で潜るだけだ。別段、学園から処罰されることはないぞ」

「違う、違うんだってば……俺が言いたいのはそこでもなくて……なんで、お前と一緒に行動することになっているかってことだよ」



 ビシッと、マリーはイアリスを指差した。それはもう、力強く。


 周囲の人達も、そりゃあそうだ、と納得に頷く者が多数。


 そして、マリー含めた周囲の視線がイアリスへと向けられて。



「……? なんでって、マリー、お前は今一人で行動しているのだろう?」



 一つ、マリーは頷く。ソレを見て、イアリスはにっこりと笑みを浮かべ――。



「だったら二人の方が、効率が良いではないか。なに、お前ほどではないが、私もそれなりに腕は立つ。足手まといにはならんよ」



 ――そう、言い切った。



 それはもう、気持ちの良いぐらいにまっすぐで、向けられる視線など、まるで気づいていない様子である。


 ドラコとは別の意味の……ある意味真正の天然を前に、マリーは頬を引き攣らせることしか出来なかった。



(い、いかん……こいつの思考が全く読めねえぞ……あいつら、普段どうやってお前をコントロールしているんだ……!)



 イアリスの恐ろしいところは、これが一切の悪気が無い善意であるということと、実際にやっているのが相手の利益になるというところだ。


 加えて、マーティたちからも『頑固だ』と言われる頭の固さと、決断したが最後、周りの制止を振り切って目的を達成しようとする猛進さ、である。



「うむ、他にも、お前の戦いぶりを見ておきたいという理由もあるぞ。私もまだまだ未熟ゆえ、精進の為にもお前に同行したいのだ」

「……俺が強い理由を、忘れたわけじゃねえよな?」

「うむ! しかし、お前は私よりもずっと強い。そして、強さにあるのは優劣のみ。納得するには今しばらく時間は掛かるが、それを見極める為にお前と一緒に行きたいのだ」

「……いや、でも、罪滅ぼしとかそういう気持ちなら、迷惑だぞ」

「コレはコレ、ソレはソレ。同行したい気持ちは、純粋にお前から学びたい物があるからだ」

「――う、くぅ……! や、止めろ……さすがにそこまで言われると、照れる……!」



 しかも素直なうえ、けっこう明け透けに褒めてくる。これがまた、厄介である。


 子供のようにというべきか、その他一般の人から感じられる下心というものを、隠す素振りすらない。



「き、気持ちは嬉しいが、あいにくと俺は一人で行き――っ!?」



 ぶわっ、とイアリスの目が涙で潤んだのを見て、マリーは反射的に己の口を手で押さえた。


 先ほどまであった笑顔は瞬時に成りを潜め、しゅん、と肩を落としているその姿は、マリーの気持ちを切り替えるには十分な威力があった。



「――い、いや、分かった。お前がそこまで言うなら、もう俺からは何も言わん。お前の活躍に期待しておくよ」



 そう口にはしつつも、マリーがイアリスに望むのは、ただ一つ。


 暴走するな、ただそれだけである。



「う、うむ、期待しておくのだぞ!」



 間に合わずにジワリと零れた涙を、イアリスは些か乱暴に拭う。


 そして、再びイアリスに手を引かれたマリーは……どうしてこうなった、と言わんばかりにため息を吐く。


 ……まあ、ある意味付きっきりになるんだ。ある意味、前よりも楽なのかもしれんなあ。


 そう考えながら、次々に勧誘という名の寄生行為を振り払っているイアリスを見上げて、マリーは諦めることにした。



 ……だが、しかし。



 その余裕が数時間後には無くなることを、マリーはまだ知らなかった。ダンジョンに潜るという何時もの行為が、長い闘いの幕開けになろうとは、考えてすらいなかった。


 いや、マリーだけではない。この日ダンジョンに潜った者たち全員が、今日という日がいつものように進んで、いつものように終わるものだと盲信していた。




 ……この時、マリーはまだ事態を深く考えてはいなかった。




 どこか心の中で、事態を甘く……楽観視していた。

 決断は、もっと先になるものだと思い込んでいた。



 夢の中で『オドム』と名乗る女が語った、始まりの時。

 マリーが無意識に避けようと、考えないようにしていた決断の瞬間。



 それが、すぐ傍まで迫っていることに。



 先延ばしにした報いが、己以外に降りかかってしまう、その罰に。



 マリーはまだ、何も分かってはいなかった。




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