第三十話: 決死逃亡戦
※遅くなりました、グロテスク&暴力描写あり、注意要
肉の壁が、迫り来る。涎を撒き散らし、歪に歪んだ歯を剥き出しにして、化け物たちがマリーへと肉薄する。
一体だけでも厄介だというのに、マリーたちの眼前に映るその数は、両手足の指よりも多い。全ての命を呑み込もうとする死の濁流を前に、マリーは固く拳を握りしめ、軋むほどに奥歯を噛み締めて。
「――だらぁ!!」
気合一閃。物量で押し切ろうと迫り来る化け物へ放たれた、渾身の力を込めた拳。空を打ったその一撃は虚空を貫き、不可視の弾丸へと姿を変えて――化け物たちを貫く!
ぼん、と飛び散った鮮血と肉片。直撃を受けた化け物は衝撃と共に宙を舞い、胴体の8割近くが粉々に粉砕される。続けて放たれた空気の弾丸が、その身体を瞬く間にミンチへと変えて行く。
何が起きたのか、分からない。
眼前へと迫っていたマリーが遠く小さくなっていき、眼下を埋め尽くす大群を見て、化け物は目を瞬かせ……たのを最後に、全身を破壊されて、その命を終えた。
(――よし、これならいける!)
この身体の手応えを改めて感じ取り、マリーは確信する。今の化け物を倒すのに掛かった時間は、コンマ何秒。変身したマリーの全力は、化け物と成り果てた彼らでは壁にすらなり得なかった。
「ふん!」
飛び出した推進力をそのまま横方向へシフト。流れる様に放たれた跳び回し蹴りから続けて後ろ蹴り。ふわりと舞う白銀色の長髪が、光球の明かりにキラリと輝いた。
回し蹴りは空気の刃となって前面の化け物たちを横一線に切り裂く。直後に来た後ろ蹴りによる突き上げられる刃の弾丸が、化け物たちの侵攻を一瞬だけ食い止める。
――それだけで、十分であった。
滑り込むように着地したマリーはそのままの勢いで駆け出す。大きく息を吸い、身体中から溢れそうになっている魔力をさらに練り上げる。
凄まじい活力が、全身より噴き上がる。メキメキと、全身の骨と筋肉が軋むのを感覚で捉えながら……その力を、解き放つ!
「せい!」
全力を込めた、ダッシュ正拳突き。それは{破壊の息吹}が如き暴力の五月雨となって化け物たちを呑み込み、『地下街』へと突き進む。
その威力は、化け物へと成り果てた彼らの肉体を持ってしても、食い止めることはおろか、減退すらさせることが出来なかった。
正しく、必殺の一撃。真正面から直撃を受けた者は、例外なく体の前半分を抉り潰されて行動不能に陥った。
辛うじて、幸運にも掠っただけの者は、体の一部分から半分を失い、地面を数回転程してから動きを止めた。
そして、不運にも直撃を避けられた者は……開かれた通路を突き進むマリーによって動きを止められ、マリーの後ろを付いて行くサララたちによって、確実に対処されていった。
いくら一人一人が手に余る存在とはいえ、マリーの攻撃によって負傷した彼らを仕留めるのは簡単である。
サララの槍が、イシュタリアの手斧が、ナタリアの腕が、通り掛けの駄賃と言わんばかりに彼らの機動力を切り裂き、破壊していった。
だが――地の利が悪すぎた。
「――あぅ!?」
マリーたちの攻撃を掻い潜ってきた一本の腕が、サララへと迫る。
間一髪、サララは槍の柄をしならせてそれを受け流すも、あまりの威力に体勢を崩す。
「――この、鬱陶しいのじゃ!」
気づいたイシュタリアが、素早くその腕を切りつけて、サララの腕を力づくで引っ張る。「――ありがとう!」たたらを踏みながらも、半ば強引に体勢を立て直したサララは、再び槍を構えた。
……先制攻撃で活路を作り出したマリーたちであったが、押し寄せる物量は如何ともしがたい。
加えて、彼らには仲間と言う思考が無いのだろう。おそらくは自我もまともに残っていない。そして、躊躇という人間らしい考えも無いのだろう。
仲間であった化け物を迷うことなく肉壁にして、仲間の命を盾に彼らは迫る。盾にされた彼らは盾にした彼らは抵抗することなく……否、むしろ笑みを浮かべて、自ら盾になった者すらいた。
「こいつら、死ぬことが怖くないのかしら!?」
「死の激痛すら、こやつらにとっては快感なのじゃろう!」
ナタリアの愚痴交じりの悲鳴を、イシュタリアは一言で切って捨てた。事実、彼らの顔には一切の苦痛の色が見られない。
むしろ、角度によっては快感に恍惚としているのかとすら思える形相の者すら、いた。
「『地下街』まであとどれぐらいよ!?」
「後、ちょっと!」
マリーたちが行動を開始してから、まだ5分と経っていない。しかし、その短い時間の間で、いくつもの命と鮮血と肉片が飛び散る、地獄絵図が繰り広げられた。
「――せやぁ!」
奇声をあげて飛び掛って来た化け物たちを、マリーはあらゆる暴力で迎え撃つ。拳、蹴り、投げ……全てにおいてが、絶命の一手。
繰り出すそれらの風圧すら、化け物たちは耐えることが出来ない。いや、耐えるという考えすら、もう彼らには無いのかもしれない。
……異常なまでの回復力がために、もたらす悦楽を享受したいがために、全てが仇となっているのだ。
理性を失くし、本能すら失くし、ありとあらゆる全てが快楽へと転ずる存在となった彼らにとって、もはや外部より向けられる攻撃は、攻撃にあらず。
その拳が深く突き刺されば刺さる程、その蹴りが深く食い込めが九以降程、その投げが重く圧し掛かれば圧し掛かる程、生み出される快楽は激しく強くなる。
だからこそ、彼らは逃げない。より強い快楽を得る為に、より強いダメージを快楽に変える為に、より深手を負う為に……むしろ、当たりにゆく。
その命すら、もはや快楽を得る為の通貨なのだ。
故に、生物が持つ根本的な防衛本能すら失った彼らは、放たれる空気の弾丸を前に防御はおろか、迫る刃をかわそうとすらせず、自ら前に立つ。
結果、彼らはマリーたちを食い止めることも足止めすることも出来ず、『地下街』へと駆け抜けて行くその背中を睨み、焦がれて追いかけることしか出来なかった。
フッと、通路の暗がりから飛び出したマリーたちは、思わず軽く目を瞬かせる。すっかり見慣れた『地下街』の光景に安堵する間もなく、マリーは走りながら振り返った。
――泥と血潮で汚れた身体を気にする余裕は、無い。
振り落とされないように、全身の力を込めて抱き着いている斑と焔の顔を見やる。無憎とドラコから、大丈夫だ、と力強く頷かれたのを見て、さらに後方へと視線を向ける。
武器から滴り落ちた鮮血が点々と後方へと続いている。その後を追うように何体かの化け物が這いずるようにして出てくるのが見えたが、アレでは追いつくのにしばらく掛かりそうだ。
「誰も負傷していないな!?」
「今のところは!」
半ば怒鳴る勢いで返された返事に、マリーはひとまず安堵する。しかし、前方へと向き直った途端、その安堵が脆くも崩れ去る。
その安堵を砕いたのは他でもない……屋敷へと続く道の至る所から姿を見せた化け物たちの存在であった。
「――くそ! やっぱりアレだけじゃねえよな!」
遅れて状況を確認したサララたちの顔が、緊張に引き攣る。だが、止まるわけにはいかない彼女たちは、それでも走ることを止めなかった。
何せ、今この状況で、まともに正面から迎え撃てるのはマリーだけなのだ。加えて、その猛進もサララたちのアシストあってこそ。
万が一にも足を取られて勢いを止められたら、その時点で化け物たちの勢いに飲み込まれてしまうだろう。
――次から次へと!
異常なまでに発達した巨大な身体を揺らしながら、それでいて快楽に顔を歪めながら近づいてくる化け物たちの視線が、マリーを捕らえる。
途端、さらに禍々しく、ニヤリ、と。
歓喜に涎を垂らしながらも、化け物と成り果てた『地下街』の住人たちはマリーへと向かい始める……その動きは、これまで現れたやつよりもいくらか遅い。
……元は、どんな亜人だったのだろう。もう、その面影すら分からない。
各派に属さない人物だったのか、それとも全く無関係の者だったのか、あるいは九条の手下だったのか……それを知る術は無く、探る手段も無く、ただ、想像するしか出来ない。
「来るぞ! 全員気を引き締めろ!」
やることはただ一つ。この勢いを崩すことなく、屋敷へと突入することのみ。ただそれだけを考えて、マリーたちは一目散に走り続け――!?
「――がぁあああ!!!」
「――っ!?」
――油断はしていなかった。けれども、突然であった。完全に、不意を突かれた。
路地から飛び出して来た一人の化け物。マリーよりも頭三つ分以上は巨体のそいつは、雄叫びを上げながらマリーに体当たりをした。
どぱん、と。反射的に放った拳が化け物の胴体に風穴を開けるが、その身体を完全に押し止めることは出来ない。
「マリー!」
絡まるようにして地面を転がるマリーを見て、サララたちが足を止め「――走れ! 止まるな!」る前に、マリーが指示を飛ばす。
僅かに歩調を緩めたサララたちは、一瞬だけ迷いをみせた。だが、振り返るようなことはしなかった。
すぐに戻らなくては!
マリーは、すぐに己に抱き着いている化け物を仕留める。ふやけたクッキーのように引き千切れた化け物の手足を振り払う。
だが、しかし。直後にたどり着いた数人の化け物が、身体全部を使って一斉にマリーへ圧し掛かった。
もしかしたら、総重量が四ケタに達しているかもしれない、その重量。
常人ならまともに動くことも出来ず、直後に圧死するであろう重圧に、マリーは思わず息を詰め……そして、怒りに目じりをつり上げた。
「――邪魔だ!」
今のマリーは、その程度では止められない。反動をまともに受けて肉片へと変わり果てた化け物が、宙を舞う。
立ち上がりながら周囲数体の化け物を葬り去り、視界の先に映るサララたちの状況を捉えると同時に、マリーは地を蹴った。
新たに迫る化け物の拳が土埃の中へ突き刺さり、幾重もの化け物たちを置き去りにして、疾風と成ったマリーの跳び蹴りが、サララたちへと迫り来る化け物の上半身を血塵へと変えた。
「マリー!」
「走れ!」
己の名を呼ぶ声を後ろに、そのままの勢いで民家の壁をぶち抜いたマリーは、家具やら何やらをぶち壊しながら着地する。
そこからさらに床を蹴りぬいて、民家の壁を体当たりでぶち破り、サララたちの前に躍り出て、接近していた一体を蹴散らす。
そして、新たに飛び掛って来た化け物たちを再び空拳で迎撃する。
放たれた空気の弾丸の7割が化け物たちを粉砕し、2割が肉を抉り、1割が逸れて住宅を破壊する。弾かれて飛んできた住宅の破片を、マリーは裏拳で粉砕する。何度も、何度も、何度も。
構ってなど、いられない。考えてなど、いられない。立ち塞がろうとする化け物を突き破った空拳が、住宅の壁に新たな風穴を開ける。
建物が崩れ落ちる音をいくつも置き去りにしながら、マリーはひたすら、立ち塞がろうとする化け物たちを次々に迎撃し続ける。
砕け散って飛び散った五臓六腑が、雨のように辺りへ降り注いで血の臭いを撒き散らす。打ち上げられた鮮血の花火によって、周囲一帯が瞬く間に真っ赤に染まった。
――酷い光景である。
――まさに、地獄絵図である。
大きな片手剣を傘に出来る無憎や、翼で鮮血の雨を弾けるドラコは、まだ良い。武器や拳でどうにかするしかないマリーたちは、我慢してそれを頭から浴びるしかなかった。
「ぺっぺっ、うえぇ、口に入ったのじゃ……」
「我慢しろ! 俺だって我慢してるんだぞ!」
血生臭くなったマリーたち、屋敷まで残り300メートル。
全速力で駆け抜けて疲労した身体でも、後少し走れば屋敷の中に突入出来る、そんな時……マリーの口から「おいおい、すげえ集まっているぞ……!」その悲鳴が零れた。
玄関の様子が確認出来る距離まで迫ったマリーたちの眼前には、マリーの到着を今か今かと待ち構えている化け物の大群がいた。とんでもない数であった。
その数は、見える限りでも『地下街』の入口を塞いでいたあの時よりも多い。(まさか、ここの住人全員が!?)ともすれば、そう思ってしまうぐらいの光景であった。
「がぁあああ!!!」
咆哮と共に、大群が動き出す。おそらくは、屋敷を囲むようにして陣形を張っているのだろう。
実際、路地からも続々と化け物たちが出て来ている。その重圧を前に、さすがのマリーたちも足を止める。
「後ろは私たち四人が守るから!」
「マリーとイシュタリアは前をお願い!」
「まかせた!」
素早く動いたサララたちが無憎とドラコと源の背後に回って、襲撃に備える。
どんどん迫ってくる大群を前に、マリーは大きく息を吸って、固く拳を握りしめる。
「アレを使う時かのう!」
魔法術{コキュートス・ボム}の発動準備に取り掛かろうとするイシュタリアに、マリーは声を張り上げていた。
「いや、まだだ、まだ使うな! 少し待て!」
その言葉と共に、マリーは渾身のラッシュを繰り出した。
暴風が如く放たれた空拳のラッシュが、大群の前面を瞬く間に血祭にあげていく。瞬く間に、十数体の化け物が血飛沫をあげて地面を転がった。
(――やはり、押し切られるか!)
だが、数があまりに多過ぎた。あまりに、手数が足りない。変身したマリーの力は確かに強大で、怪物の十や二十など容易く蹴散らせる。
しかし、眼前にて迫っている化け物の数は、優に百を超え、二百にも三百にも達しているやもしれない物量だ。
それだけじゃない……マリーは、チラリと背後に視線を向ける。
襲い掛かって来た数体の化け物を前に、懸命に押し留めているサララたちの勇姿が目に映る。
一撃離脱を念頭に極力正面衝突を避け、真っ先に機動力を奪って時間を稼いでいるが……時期に、突破されるだろう。
そうなれば、この拮抗はあっという間に崩壊する。攻撃力に欠ける源も精一杯戦っているが……それでも、だ。
加えて、焔と斑を抱えている無憎とドラコは戦闘を行えない。
無憎やドラコには何でもない攻撃でも、ただでさえ体力の無い二人にとって、それがそのまま命取りになりかねないからだ。
(……しかし、イシュタリアのアレは一度きりの大技。もしこの後こいつの魔法術が必要になった時、どうすることも出来なくなる)
そんな状況にあっても、マリーがイシュタリアを止める理由はそこにある。
(九丈のやつが未だに姿を見せていない……隠れている……にしては、嫌な予感を覚えるぜ……)
加えて、マリーの頭から離れてくれない不可解な点が、大技の許可を良しとしなかった。それは、予感と捉えていいのかも分からない直感であった。
「――さすがにこれ以上待つと間に合わなくなるのじゃ!」
けれども、現実は待ってはくれない。時は、止まってくれない。限界を訴えたイシュタリアが、魔法術の発動に取り掛かろうとする。
それを「――待て、後少しだけ待て!」無理やり押し留める。「――後少しか待てぬのじゃ!」と最後の警告を受け、マリーは化け物たちを睨みつける。
――少しでもいい。
ほんの少しでも、突破口を…突破口の一端を掴めたら……そこから切り崩し、押し通ることが出来る。
――どこだ、どこにある。
いったい、どこを見ればいい、どこに注目すればいい。どこを探して、どこに力を注げば……!?
(――っ!)
マリーの視線が、一人飛び出して返り討ちとなった、化け物の死骸に止まる。
頭部以外の損傷が見当たらないそれからは煙が立ちのぼり始めており、つい今しがた力尽きたのだということが分かる……が、マリーが注目したのは、そこではなかった。
――もしや。
脳裏を走った、直感。
それが本当なのかを考える前に、マリーは一番接近していた化け物の頭部だけを空拳で粉砕する。鮮血を噴き上げながら地面を転がる化け物を、マリーは注視した。
びくん、びくん、痙攣する化け物。その手足が、何かを探る様に地面を掻き毟り……少しして、動きを止める。途端、その身体から噴き出し始めた煙を見て――。
「――頭だ! 全員頭を狙え!」
その一体が、たまたまそうだっただけなのかもしれない。しかし、気付いた時にはそう叫んでいた。
「頭を完全に破壊したやつから煙が出ている! 理由は分からんが、とにかく頭を狙え! 上手くやれば、それでやつらを仕留められる!」
それを聞いた彼女たちの反応は速かった。
特に、それまで時間稼ぎに徹していたサララが最も早く頭部破壊へと攻撃を切り替え、化け物たちへと躍り掛かっていた。
「地走り(じばしり)!」
刃先に送り込んだ気の力を、掬い上げるようにして放つシャラ直伝の奥義。地面を削りながら進む不可視の一線が、化け物の足を切り裂いて体勢を崩させる。
「一文字突き(ひともじづき)!」
そこへ放つ、二つ目の奥義。全身のバネを使って無駄なく力を増大させた、鉄板をも貫く突き技。
『粛清の槍』によってその威力を飛躍的に増大させた一撃は、化け物の頭部を一発で粉微塵に変え……その身体から噴き出した煙が、化け物が絶命したことを明確に物語った。
「――よっしゃあ! 殺す手段さえ見つかれば、あんたらなんて怖くないのよ!」
確信を得たナタリアとテトラが、遅れて化け物たちに躍り掛かる。それを見やっていたイシュタリアが、「ふははは! お嬢ちゃんめ、やるではないか!」歓喜に頬を歪めると、大きく腕を振りかぶって……投げた。
ひゅん、と空気を切り裂いて投てきされた手斧が、先頭を進む化け物の頭部に突き刺さる。一瞬だけ、体勢を崩した化け物の身体に……夥しい数の手斧が突き刺さった。
「ふはははは!!! これなら百発や二百発ぐらい放ったところで、物の数ではないのじゃ!!! 斧の雨を浴びるがよい!!」
魔法術を用いて生成した手斧が、雨あられのように化け物たちの間に降り注いでいく。
成り立てだからなのかは分からないが、化け物はそれまで遭遇していた化け物よりもずっと脆かった。
頭部を破壊されただけで、そのまま動かなくなって煙をあげる者が大半であった。
とはいえ、中には傷を再生して立ち上がろうとする化け物もいる。頭を破壊とはいっても、人間のように大脳を傷つけたからお終い……というわけではない。
だが、そんなやつはマリーの空拳という名の不可視の弾丸によって、頭部どころか肉体をも粉砕されて、肉塊へと姿を変えさせられていった。
そうなれば、もはや大群は肉の壁であり、肉の的であった。
物量に任せた化け物たちの侵攻によって、徐々にマリーたちとの間が詰められてはいるものの、先ほどよりも明らかに進攻速度が遅くなっている。
「手を止めるな! 足を止めるな! とにかく攻撃し続けろ!」
全く気を緩められない均衡状態ではありながらも、マリーたちはなんとか化け物たちの侵攻を一定のラインで押し留めることが出来ていた。
「サララ! そっちは後何人だ!」
「見える範囲では13体! 接近するのが6体! 近づいてくる気配は多数!」
「まだ誰も死んでないな!?」
「死んでない!」
押し込まれて殺されるか、押し返して生き残るか。ギリギリの戦いであった。
「こん、の! 離しなさいよ!!」
「――させるかよ!」
両足を失った化け物の一体が、ナタリアの足を掴んで引きずり倒す。それにいち早く気づいた源が、血濡れと刃こぼれだらけの短剣をそいつの脳天に突き落した。
「ぐがぁぁぁ!!!」
悲鳴を……いや、嬌声だ。首を落とされた死の苦痛すら快感に変えるやつらだ。ぼひゅう、と、化け物の股からおびただしい量の白濁液が吹き出した。
おぞましい雄叫びと共に、化け物が堪らず頭と腰を振る。「――剣が!?」遂に限界を超えた短剣は根元から折れ、その勢いでたたらを踏んだ源に……化け物の拳が直撃する。
「――ごほっ!?」
動きが前よりも遅いとはいえ、その力は常人をはるかに上回る。
胃液を吐いて地面を転がった源は、その場に蹲って吐血した。「ディグ・源!」主の元に駆け付けたテトラが、素早く状態を確認する。
「お、俺のことは気にするな……!」
「命令を受諾――状況的自己判断機能に基づき、命令を拒否します」
有無を言わさない。強引に無憎たちの元へと主を引きずり込むテトラの後ろから迫る、這いずる化け物が一体。
それを、「斑、耐えろ!」大上段から振り下ろす一閃でもって無憎がその首をはね、「助かったわ! 死ぬんじゃないわよ!」復帰したナタリアがその肉体を蹴り飛ばした。
ひゅん、と空気の弾丸と手斧が飛ぶ。テトラと源がいなくなった分をカバーする攻撃が飛び交う中、唇の端に血の泡を噴かせた源は、己を見下ろすテトラを睨んだ。
「な、何をやっている、テトラ……あの子たちの援護に回るんだ……!」
「命令を受諾――状況的自己判断機能に基づき、命令を拒否……メディカルチェックを行います」
命令を拒否し、テトラは主の状態を検査し始める。「源! やられたか!?」気づいたマリーから声を掛けられ、「だ、大丈夫だ……!」源が何とか力を振り絞って身体を起こそうとするが……「ディグ・源、動いてはなりません」その身体を、テトラが押し留めた。
「中度の内出血と各内臓へのダメージ、3か所の骨折と転倒の際に受けた4か所の打撲を確認。戦闘の続行は困難と判断します」
「だ、だが……!」
「いいから寝ていろ。お前たち人間は、無理をするとすぐに死ぬことを忘れるな」
ドラコの尻尾が、それでも無理やり起き上がろうとしていた源の頭を叩く。「……今回に限り、不問に致します」再び地面へと倒れた源を、そっと押し留めた。
「ディグ・源。あなたが復帰したところで邪魔にしかなりません。あなたが行うべき最善の行動は、ここで大人しくすることです」
「く、くそ……!」
「無力を噛み締められるのは、あなたが生きている証です」
悔しさを滲ませた涙を、腕で覆い隠す。その彼の頭を2、3回ほど撫で終えたテトラは、おもむろに立ち上がると、傍に立っている無憎を見上げた。
無言のままに、無憎が頷く。「――テトラ! 早く復帰するのじゃ! そろそろ手が回らなくなそうじゃぞ!」イシュタリアから御呼ばれが掛かったテトラは……再び、化け物たちへと躍り掛かった。
……。
……。
…………時間というものがマリーたちの頭から抜け落ちてからしばらく。ようやくそれを拾い直せた時には、辺りは饒舌にし難い光景が広がっていた。
煙も収まり、ミイラと成った化け物の亡骸を前に立ち尽くすマリーたち……どれぐらいの間、マリーたちは戦い続けていたのか。
零れ出た鮮血を吸い取りきれずに血だまりとなっている辺り一帯……どれぐらいの間、マリーたちは粘り続けていたのか。
住宅の壁に、地面に、これでもかと張り付いた臓物の欠片……まだ煙すら上がっていないものがあるそれら……どれぐらいの間、マリーたちは耐え続けていたのか。
襲い掛かってくる化け物たちの猛攻に間隔が生まれる様になり、少しずつ、少しずつ状況が好転し始める。
イシュタリアが源の治療に回ることが出来るようになり、見える範囲では最後の一体となった化け物を仕留めた後……周囲一帯に動く者がいなくなったのを見やったマリーたちは、やっと、その場に腰を下ろした。
途端、ぽふん、とマリーの身体が霧に包まれる。
元の小さな身体に戻ったマリーは、その場に座り込んだまま肩を震わせると……首に掛けたビッグ・ポケットに引っぱられるように身体を横たわらせた。
「マリー!」
「ぬ、ぬお! こ、こら、もう少し焔を丁重に――」
ロープを解いて、無憎に焔を預けたドラコが、慌ててマリーの元へと駆け寄る。息を乱しながらも、ぐったりと力無く脱力しているマリーの胸に耳を当てる……鼓動は激しく動いている。
「マリー、大丈夫か?」
マリーの額に浮かんだ汗を拭いながら、鼻先がくっつかんばかりに顔を近づける。
ぽそぽそと、声にならない声で何かを言っていることに気づいたドラコは、そっとマリーの口元に耳を近づけるが……マリーは、声を出すことすら出来ないようであった。
「マリー、痛むのか!? 苦しいのか!?」
顔色が青ざめたドラコが、さらに顔を近づける。
(だ、大丈夫だ……)
声にならない声で返事をする……苦しいのは苦しいが、特別痛みを感じてはいない。
身じろぎする程度の動きであったが、何とか首を横に振ったマリーは、心底安堵するドラコを見上げ……内心、舌打ちしたくなった。
(魔力切れよりも前に、身体の方が限界に達したか……な、情けねえ……)
極度の疲労。それが今、マリーの身に起こっている全てであった。全身の筋肉全てを酷使した直後といえば、分かりやすいだろうか。
つまり、疲れ切っている。辛うじて組織の断裂等は起こっていないが、ほとんど動けないことには変わりなかった。
(つ、疲れた……あ、やべえ、意識が……途切れ……て……)
溜息を零すことすら億劫だ。そう考えた直後、マリーの意識はフッと遠ざかり……かくん、と身体から力が抜けた。
それを見て青ざめたドラコがもう一度顔を近づけ……聞こえてきた寝息に、深々と安堵のため息を吐いた。
そのマリーの姿を、全身の至る所に擦り傷やら打撲痕を作ったサララが見つめる。少し離れた所からマリーへ視線を向けてはいるが……駆け寄ることはしなかった。
(う、動けない……!)
いや、駆け寄る体力が残っていなかったと言う方が正しい。
サララもまた疲労困憊のあまりその場に座り込み、乱れに乱れきった呼吸を整えているからだ。
顔どころか体中から噴き出した汗が雨のように滴り落ちて、むせ返るような熱気を立ちのぼらせていた。
同じくその場に尻餅をついたナタリアも、血と泥の中へ仰向けになって倒れていた。ぜえ、ぜえ、と全力で息を乱している彼女も、しばらく立ち上がることすら出来なさそうであった。
イシュタリアですら、その場に四つん這いになって呼吸を整えているぐらいだ。「し、新記録なのじゃ……」他の3人に比べて多少の余裕があるようには見えるが……それが強がりなのは、明白であった。
治療を終えた源も、無憎たち3人も、疲れ切っている。そんな中、油断なく視線を辺りに彷徨わせ、一人涼しい顔をしているテトラも例外ではない。
『人形』であるがゆえに息一つ乱していないテトラも、「出力26%にまで低下。エネルギー充填のための休息が必要です」彼女なりの言い方で己の状態をマリーたちに伝えた。
「センサーの出力が安定せず、周囲一帯の反応をサーチ出来ません。警戒態勢を解かない方が良いと思われます」
「……む、無茶を言うでない。私ですらコレなのじゃぞ……人間の身体はお主のような、ある意味無尽蔵の体力なんぞ持ち合わせてはおらぬのじゃ……」
そう言いながら、少しばかりふらつきながらではあるが、自力で立ち上がれるイシュタリアも大概である。
そうして、深呼吸をしたイシュタリアは、残された魔力量を確認すると同時に、今の状況も確認する。
座り込んでいるサララ、大の字になっているナタリア、源の周りに固まっている無憎たち……それらを順々に見やったイシュタリアは、「ほれ、ドラコ。マリーをこっちに連れてくるのじゃ」ドラコの背中へと声を掛けた。
「とりあえずは治療をせねばならんのじゃ」
治癒術の光が、ほわっ、と手に灯らせたイシュタリアは、ちょいちょいとドラコを手招きした。
「む……分かった。マリー、抱き抱えるが、いいな?」
無言のままに、マリーは軽く頷く。それを見やったドラコは、マリーの首に掛かっているビッグ・ポケットを胸の前に持っていき、その身体ごと己の胸に抱き抱えるようにして横抱きにする。
そして、負担を掛けないようにゆっくり立ち上がり、イシュタリアへ――。
「――んむ?」
――歩き出した途端、どっ、と衝撃がドラコの脳天に響いた。
……腹が、熱い。
そう思うと同時に、ぐらり、と視界が揺れる。マリーを守らなくては……ほとんど無意識に腕に抱いたマリーを庇い、たたらを踏みながらも体勢を立て直したドラコの眼下に映ったのは……血濡れの触手であった。
「……何――だこれ――は?」
びくん、と痙攣した触手から伝わる衝撃に、「ち、力が、抜ける……」思わずドラコは顔をしかめる。「――ドラコ!」飛び出したイシュタリアがその手を伸ばすよりも前に、もう一本の触手がドラコを貫く。
「――ぐうぉっ!?」
ドラコの腕から瞬時にマリーを奪い取った触手は、伸ばされたイシュタリアの腕へドラコを投げ飛ばし、「くっ!」ぐったりと脱力するマリーを引きずる。
首から外れたビッグ・ポケットが重しになっても、その身体が血と泥と臓物で汚れても、触手はお構いなしであった。
「ま、マリー……!」
引きずられていくマリーを見て、気力と体力を振り絞ってサララが立ち上がる。
しかし……それが、サララの限界であった。
震える両足は、槍の支え無くしては歩くことも叶わない。辛うじてでしかない、その歩調も酷く頼りない。
異変に気付いた無憎が、「むう、待て!」慌ててその後を追いかける。体勢を立て直したイシュタリアも、ひとまずドラコをその場に置いて、駈け出す。今もなお意識を取り戻さないマリーに、イシュタリアは舌打ちした。
「この――」
素早く、血みどろの地面から手斧を作り出す。真っ赤な色合いのそれを、思いっきり振り被り。
「寝坊助が!」
そして、放った。
放射線を描いて虚空を切り裂くそれは、精密なコントロールによってマリーの足を掴む触手を――切断する前に、突如地面から飛び出した新たな触手の束が邪魔をした。
――くそったれ!
イシュタリアは舌打ちをし、無憎は表情を硬くする。二人の前に現れたのは、連なる触手の壁であった。
他にも新たに地面から飛び出した触手を打ち払いながら追いかけるが、マリーの身体はその壁の向こう側へとあっという間に連れて行かれた。
「ええい、こうなったら!」
埒が明かないと判断したイシュタリアは、「それならば、魔法術で蹴散らすのみ!」素早く魔力を練り上げて、魔法術を発動させようとその手を触手の壁に向け――。
『おほほほ、そんなことをすれば、この子の命はありませんよ』
触手の向こうから聞こえてきた笑い声に、イシュタリアは魔法術の発動を制止した。
聞き覚えのある、その声。それによってイシュタリアから色が消え、無憎の顔に憤怒の色が浮かぶ。
『ほとんどの戦力がやられましたが……この時を待っていたのですよ』
独特の笑い声。その声が、徐々に近づいてくるのを感じ取ってイシュタリアと無憎が身構えて……ぐにゅりと、道を開けた触手の奥から姿を見せた人物に、無憎の奥歯がギリギリと軋んだ。
「九丈……貴様……!!」
無憎がその人物の名を呼んだ。
「おほほほほ、怒っちゃ嫌ですよ、無憎さん」
ニヤリと、姿を見せたキツネ顔の亜人……九丈は、ぷかりとキセルの煙をくゆらせながら、おほほほほ、と笑みを浮かべた。
「実は言うと私、あなたのその顔を見ているとですね……」
しゅるりと、着物の裾から伸びている触手が蠢く。しゅるしゅるしゅると粘液の痕を残しながら伸ばされた触手に掴まれた先端には――。
「可笑しくて可笑しくて、笑っちゃうのを我慢するのに大変なんですよ」
両手を掴まれて拘束された、マリーの姿があった。ぐったりと力無く俯くその身体から、ドサッ、とビッグ・ポケットがずり落ちた。
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