第二十八話: 積もり積もった疑念と漏れ出た嘘




 ……。


 ……。


 …………イシュタリアが生み出した光球の明かりが、さらに薄暗くなった通路を明るく照らしている。



 『地下街』と地上へと続く線路にまで戻ってきたマリーたちを出迎えたのは……地上への道を完全に塞いでいる、土砂の壁であった。


 パラパラと、ただでさえ隙間なく積もっている土砂の壁に、新たな土と石が降り積もっている。


 一目で通れないと諦めさせる威圧感を放つその壁を前に、マリーたちは呆然とそれを見上げるしかなかった。



「……帰り道……塞がっちゃったね」



 ポツリと呟かれたナタリアの一言が、重苦しい沈黙をさらに重苦しくさせた。


 イシュタリアが、試しに降り積もった土砂からゴーレムを一体作り出してみるが……それを退かした直後、それ以上の量が降り積もって意味が無かった。



 ……。


 ……。


 …………沈黙を破ったのは、源であった。



「テトラ、この壁の分厚さがどれぐらいになるのか、それが分かるか?」

「……センサーにて確認。土煙によって正確な数値は出せませんが、土砂の分厚さは、最低でも80メートルに達すると思われます」



 80メートル……単純な距離だけを考えても、絶望的な数字であった。



「……それって、掘り進むことって出来るの?」

「質問を承認。答えは、『限りなく不可能に近い』、です」



 ポツリと呟かれたサララの質問。それを、テトラはこんな状況にも関わらず、平然とした様子で首を横に振った。



「掘り進めることは可能ですが、その都度土砂が降り積もる可能性が非常に高く、二次災害によって作業者の命が危険に陥る恐れがあります。また、周囲一帯の壁の強度が落ちているのも確認……下手に手を加えようとしない方が良い、とお答えしておきます」

「……私のゴーレムなら、だいたい何体分で通れるようになるかのう?」



 イシュタリアの言葉に、テトラはチラリとゴーレムを見やった。笑うわけでもなく、バカにするわけでもない。


 これまた淡々とした口調で、「止めておいた方が賢明ですね」提案を却下した。



「分かりやすく申し上げれば、『自殺願望があるのでしたら、頑張ってみるのもいいかもしれません』、というのが私の答えになります」



 つまり、ココから地上へ戻れる可能性は絶望的ということだ。


 目の前の現実を受け入れられずに呆然としているサララたちの顔を順々に見やったマリーは、改めて土砂の壁を見上げた。



 ……どこを見ても、隙間らしき部分は何一つない。みっちりと土砂が降り積もっている。



 これでは……たとえ、マリーが大男たちを瞬殺した『あの姿』になったとしても、どうしようも出来ないだろう……と。


 背後の先にある『地下街』から、ざわめきのようなものが聞こえてきたのを誰もが聞き取った。


 『強硬派』か、『急進派』か、あるいは『穏健派』か……どちらにしても、この落盤に驚いてやってきたのだろう。一定距離より近づいてくる気配はないものの、遠くから様子を伺っているのは何となく分かった。



「斑様! 焔様! ご無事でしたか!?」



 だが、しかし。その気配の内の二つが、駆け寄って来た。


 聞き覚えのある声にマリーたちが振り返れば、こちらに向かってきているバルドクとかぐちの姿が有った。


 颯爽と斑と焔の前に膝をついた二人は、忙しなく視線を彷徨わせる。


 失礼な所作だが、怪我の有無を確認しているのだろう。それが分かっている斑と焔は、頷くだけで咎めようとはしなかった。



「幸いにもワシらの所は崩れることなく無事でしたから、どこも怪我などしておりませんよ……崩れたのはココだけですか? 『地下街』にも被害は出ておりませんか?」



 マリーたちの前に出た斑と焔が、安否を尋ねる。


 バルドクとかぐちは、はっきりと頷いた。確かに、特にその恰好には汚れらしきものは見当たらない……本当に何事も無く無事だったようだ。



「……この有様では、もうここは使えませんね」



 チラリと、かぐちの視線がマリーたちの背後へと向けられる。


 言わんとしていることを察したマリーたちは、「一旦、屋敷に戻りましょう。どうするかを決めるのは、それからでも遅くありません」という焔の提案に従って、マリーたちは歩きだした。



「どう、無憎? 私たちが言った通り、マリーさんたちは別に罪人でも何でもなかったでしょ?」



 ……立ち上がったかぐちの、悪気のない質問。その言葉に、無憎の表情が歪に強張った。


 無憎からすれば、それは己の不甲斐なさの証に突き刺さる言葉であったからだ。



「……そうだな」

「道中、ちゃんと大人しくしていたわよね? ちゃんと、斑様と焔様を御守りして、マリーさんたちに余計なちょっかいなんて掛けなかったでしょうね?」

「……しておらん」



 口数が異様に少なくなっている無憎に気づいているのか、いないのか。かぐちは笑顔で話しかけ続ける……その横で。



「マリーさんも、斑様と焔様を御守りいただき、ありがとうございました」



 歩きながら、そう、バルドクから声を掛けられたマリーは――。



「……ん、まあ――」



 当たり障りなく返事をしようとした直前、脳裏を走った閃光の如き何かに……マリーの足は、ピタリと動きを止めていた。



「――マリー?」



 マリーの傍を歩いていたサララが振り返り、それに気づいたイシュタリアたちも立ち止まる。


 先頭を歩いていた斑と焔も止まり、気付けばその場にいる全員がマリーを注視して立ち止まっていた。


 ……しかし、マリーは気にしていない……いや、気にする余裕が無かった方が正しい。


 微妙に噛み合っていなかったパズルのピースが、綺麗にはまった瞬間。知覚できる程に思考回路が激しく稼働しているのが、良く分かる。



「あ、やべえ、うっかりしてたぜ」



 瞬く間に晴れていく脳裏の靄の中に現れた、当たって欲しくない予感を前に……気づいたら、マリーは口走っていた。気づいたら、自然と笑みを浮かべていた。



「おい、無憎、お前の口からはっきりと、『俺たちは無実だ』って聞いていなかったよな」



 その言葉に、サララたちが首を傾げた。


 いきなり何を言い出すんだ、という視線が向けられているのが分かったが、マリーはそのまま笑顔を保った。



「ん、ああ、いや、確かに言っていなかったが……わざわざ今言う事なのか?」



 当然、無憎も困惑を隠せなかった。しかし、マリーは構わなかった。



「駄目だね。お前らは知らんことだろうけど、地上ではこういう事が有った時、ちゃんと手順に乗っ取って皆に発表しないといけないのさ」



 グルリと、マリーは全員の顔を見まわした。



「疑いを掛けた当事者と、その場を管理する人と、疑いを掛けられた人。言い換えれば、無憎に、斑に、焔の3人。すぐに済むから、発表だけでも済ませようぜ……なあ?」



 チラリと向けられたマリーからの笑み。意図は分からなくとも、何かが有ると察することぐらいは……彼女たちなら、朝飯前であった。



「――そういえば、そうだった。ドタバタし過ぎてうっかりしていた」



 ハッと我に返ったサララは、手を叩いて、らしくない笑みを浮かべ。



「――ああ、そうじゃった、そうじゃった。いやあ、私としたことが、うっかりしておったのう!」



 イシュタリアはわざとらしいぐらいに声を出し、頭を掻いて不作法を認め。



「――まあ、仕方がないんじゃないの。ここに来てから落ち着く暇も無かったし」



 ナタリアが、さも気づかなかったイシュタリアを慰め。



「――ああ、あれか。前に教えてくれたやつだな」



 ドラコが、たった今思い出したかのように大げさに頷いた。


 乱れの無い、合いの手。源ですら口を挟む隙を考えさせないスムーズな流れ……後は、速かった。



「ほれ、お偉方はこっちへ来るのじゃ。あ、バルドクとかぐちはそこで待っておれ。すぐに終わるのじゃ」

「え、あ、あの?」

「いいから、いいから、すぐに済んじゃうことだから」

「え、あ、あの、こんな場所で、ですか? やるのであれば、休める場所でも……」



 突然の話に困惑するしかない斑と焔の手を取ったイシュタリアとナタリアが、マリーの前へと引っ張る。


 付いて行こうとするバルドクたちを、サララが「いちおう、これが地上のしきたりですので」と、武器と爪を構えて通せんぼをする。



「お、おい、いきなり何を――」

「すぐに済むから、ぎゃあぎゃあわめくな。それと、二人はこっちに来い」



 一人取り残された無憎と、呆然と佇む源を、ドラコが連れて行く……無憎の得物も一緒だ。


 とてとて、と源の後ろを付いていくテトラが立ち止まった時には、薬を取りに行った時のメンバーと、バルドクたちのメンバーとできっぱり別れていた。


 マリーたちが土砂側に、バルドクたちが『地下街』側である。突然の事態に、バルドクたちの後方から様子を伺っていた住人たちが、ゾロゾロと近づいてくる……それを見やったイシュタリアは、クイッと腕を掲げた。



「――こ、これは!?」



 驚きの声が、バルドクたちからあがる。『内』と『外』に分断するかのように、バルドクたちの前に多数のゴーレムが出現したのだ。


 ゴーレムの数は通路全てを塞ぐほどに数が多く、また大きい。隙間から少しだけ身体を入れたり、マリーたちを覗いたりは出来ても、『内』に入ることは不可能な状態となった。



「――これはいったい何の真似ですか!?」

「しきたりじゃからのう。下手に邪魔をされて中断されるのも鬱陶しい……すぐに終わるから、そこで黙って見ておれ」



 驚いたかぐちが声を荒げるが、イシュタリアはどこ吹く風と言わんばかり。そして、振り返ったマリーにウインクをした。サララも、ナタリアも、ドラコも、マリーへと力強く頷いた。


 ……気が利くじゃないか。


 周りを見やり、『全員』が『内』に集まっているのを確認したマリーは……改めて、困惑しっぱなしの無憎と、斑と、焔の三人へ向き直った。



 欲しいのは……絶対的な、確信なのだ。



「なあ、無憎、斑、焔。始める前に幾つか聞いておきたいことがある」



 少しばかり、声色が固くなっている。それを聞いて分からないなりにも、無憎もマリーに合わせて背筋を伸ばした。



「まず、お前らが地上に出る際は、『乗り物』を使わずに出るようなことはあるか? また、『乗り物』の無断使用は許されているかい?」



 ……その質問をされた瞬間、無憎たち3人は、一様に目を丸くした。マリーの意図が、全く分からなかったのだ。



「……は? それと、発表といったい何の関係が――」

「いいから、重要なことだ」



 聞き返そうとしたが、マリーの真剣な眼差しを見て……無憎たちは互いに顔を見合わせながらも、質問に答えることにした。



「……いや、原則として地上へは『乗り物』を使用してのみ行われる。昔に徒歩で戻ってきた者と、『乗り物』が衝突した事故があってな……徒歩で出る際は、必ず斑か焔に話を通しておかねばならない決まりとなっている」

「『乗り物』を使用する場合も、ワシか焔に連絡が必須となっております。なにせ、あれはご存じのとおり『血』を燃料にして走りますので……」



 無憎と斑が、矢継ぎ早に答えてくれた。



「では、俺たちの前に『乗り物』を動かしたのは何時だ? その時は何の目的で地上に出て、誰がどれぐらいの期間ここを離れた?」



 ふむ、と斑が顎に手を当てた。



「……アレは確か……30日ぐらい前でしょうか。人間たちの目がこちらに伸びていないかの調査の為に、4日程バルドクとかぐちを含めた十名が地上に出ました」

「4日? たった4日なのか?」

「はい。『入口』の周辺を調査するぐらいですので……あんまり外に長居しますと、見つかる恐れもありますし……その時は『化け物』の件もありましたから、あまり日数を掛ける余裕がございませんでした」

「……その前は?」

「その前は、確か地上がとても冷えていた時期ですね。その時もバルドクとかぐちを含めた十名で、目的は近隣の町の調査でした……あ、そうでした。確かその時でしたかねえ……マリーさんの話を聞いたと報告を受けたのは」



 ポツリと呟いたその言葉に、焔がハッと顔をあげた。



「ああ、思い出しました。確か、その時に『亜人と共に戦う戦士がいる』とバルドクたちから報告を受けたんでしたね……確かあの時は『ラステーラ』という町で耳にして、マリーさんたちを知ったと……」

「……その前にも、近隣の町の調査は行っているのか?」

「はい、不定期ではありますが、行ってはいます。ただ、町まで出向いたのはかなり前になりますね」

「行き先は『東京』と『ラステーラ』か?」



 まあ、そちらもありますけど……そう言って、焔は首を横に振った



「どちらも大きな町と聞いておりますし、万が一人間に後を付けられたら大変ですから、滅多な事では行きませんし、行かせておりません。『ラステーラ』に赴いたのも、酷い災害が起きたという話をバルドクたちがたまたま耳にして、こちらに被害が伸びないかの確認の為に仕方が無くと聞いております」

「……話を戻すが、バルドクたちは何日間で俺たちをここに連れて来たんだい?」

「だいたい、4日になりますが……あの、この質問には一体何の意味が?」



 そう尋ねられても、マリーは何も答えなかった。ゴーレムの向こうから、「マリーさん、ここも危ないから早く終わらせてくれ!」と叫ぶバルドクとかぐちの声が聞こえているが……マリーは、そちらを横目で確認すると、改めて三人の顔を見まわした。



「それじゃあ、これは最後の質問……というよりは、確認なんだが、その掛かった日数……というか時間は、正確なものなのか?」

「ええ、確かなものですよ」



 はっきりと、焔は頷いた



「あなたたちにはお見せしていなかったと思いますが、この『地下街』には一つだけ、地上の時間を知らせてくれる『時計』があります。それは昔にここを作り上げた『女神』と『三賢者』が用意したもので、私たちはそれを見てだいたいの時間を知ることができているのです……なので、日数は合っているはずです」



 ……そこまで聞いたマリーは、ちょいちょいとドラコを手招きした。「あ、あの、マリーさん?」首を傾げる焔たちを他所に、マリーは手渡された己のビッグ・ポケットから、おもむろにナックル・サックを取り出すと、それを装着した。



「――ひっ」



 思わず、焔は悲鳴をあげる。その焔を庇うように斑は身構え、無憎が前にでた。


 その無憎が、せめて斑と焔だけは許して貰おうと頭を下げ――る前に、無憎の眼前に武器が突き刺さった。


 それは、無憎が装備していた巨大な片手剣であった。


 顔をあげた無憎が見たのは、「――受け取れ。すぐに使うことになる」厳しい眼差しで剣を指差す、マリーの横顔であった。



「……なに?」



 呆気にとられた無憎をしり目に、サララは無言のままに『粛清の槍』を構え、イシュタリアも手斧を作り出して構える。ナタリアはメキメキと両腕を攻撃用に作り変え、ドラコも同様に意識を戦闘態勢に持っていく。



「――おい! 何をするつもりだ! お二方に何かあったら、いくらあなたたちとて許さんぞ!」



 ゴーレムの隙間から、不穏の空気を感じ取ったバルドクたちの声が響く。ざわめきが、大きくなっていく。


 けれども、マリーたちは何ら気にすることはなく、淡々とした態度を欠片も変えなかった。



「――テトラ、万が一の事態を想定しろ」



 それを見た源の判断は、速かった。



「質問の意味が不明瞭です、ディグ・源……ですが、あなたの心拍が激しく高鳴っているのを感知しました。只今より、迎撃プログラムを起動します」



 そして、テトラも早かった。キリキリキリ、とテトラは身体を軋ませると同時に、速やかに源の前に立つ。その視線の先に有るのは……!。



「――さて、バルドク。お前にも聞いておきたいことがあるんだ」



 先頭はイシュタリアとナタリア。その後ろをドラコとサララ。さらに後ろにマリー、少し離れた所に源とテトラ。そして、一番後方に無憎、斑、焔の順で、マリーたちはバルドクたちと向かい合う形となった。



「マリーさん……冗談のつもりなら、今すぐ止めてください!」

「そうよ、私からもお願いします……どうか、まずは安全な場所へ!」

「少しばかり質問に答えてくれたら、な。それで、まずは最初の質問だ」



 ゴーレムの『外側』にて懇願するバルドクと、かぐち。しかし、マリーは軽く手を振ってお願いを振り払い――。



「お前らって、なんで俺を選んだんだい?」



 その質問を、ぶつけた。



「……は?」

「お前らがどういう選定で俺に決めたのかは知らないが、まずはどこかで俺のことを耳にしたんだろ? なんで俺を……『ブラッディ・マリー』を選んだのか、それをちょっと聞きたいんだ」



 ……呆気にとられた。


 その言葉通りの表情となったバルドクとかぐちを前に、マリーは笑顔と共に話を続けた。



「だってそうだろ? はっきり言って俺は、傍目からは探究者なんて荒事をしているようには見えないし、戦えそうな外見なんてしちゃいない。でも、お前らは俺を選んだ……何故だ?」

「そ、それは、あなたが『亜人と共に戦った戦士』だと噂を聞いて――」



 ぱんぱん、と叩かれた手拍子に、バルドクは言葉を止めた。


 にんまりと、わざとらしく小首を傾げるマリーは、「そう、そうだよ。その噂だよ」これまた嫌味なほどに可愛らしくバルドクを指差した。



「『亜人と共に戦った戦士』……うん、確かに、それは事実だ。でも、俺が聞きたいのは、その噂をどこで聞いたかってことだ」



 ――ホッ、と。一瞬だけではあるが、バルドクとかぐちの表情が和らいだのを、マリーは見逃さない。



「それは、マリーさんが一番分かっているはずでしょう……ラス――」

「いや、それだとちょっとおかしくなるんだ。お前、嘘ついているだろ」



 だから、マリーはバルドクの返答を遮った。「う、嘘って何のことですか」と声を詰まらせる二人に……マリーの赤い瞳が爛々と輝いた。



「本当に『ラステーラ』へ行ったのなら、間違っても俺が『亜人と共に戦った』……なんて噂が出るはずがないんだ。何かしらの噂が出るとしても、『共に戦った』、なんて部分は間違っても出るわけがないんだ。絶対に、ラステーラからそんな噂が立つわけがないんだ」



 だって、あそこは……。



「共に戦った亜人の、その仲間の手で壊滅的被害を受けた町なんだぜ。恨み言ならまだしも、共に戦ってくれた……みたいな話が住人の口から出るわけがねえんだ」



 そう、マリーが言った瞬間、耳を澄ませていたドラコは静かに顔を伏せ――。



「――っ!」



 ――バルドクたちの顔色が、はっきりと悪くなった。表情が、凍りついた。



 驚いたように互いの顔を見合わせるサララたち……けれども、不思議なことに。


 バルドクの後ろに控えている大勢の『地下街』の住人たちからは、どよめき一つ上がらなかった。



「仮に、仮にだ。その噂が『ラステーラ』ではなく、『東京』で聞いたとしても、やっぱりおかしくなるのさ」



 それを見たマリーは、半ば確信めいた気持ちであった。



「俺は見た目が特徴的だし、自分で言うのも何だが色々と目立つ外見をしている自覚はある。だが、『東京』の広さと人の多さは『ラステーラ』の比じゃねえから、そう易々と俺を見つけるのは無理だ。なにより『マリー』という名前はごくありふれたもの……土地勘も伝手も無いお前らが、どうやって俺を……『ラビアン・ローズ』を見つけ出せたんだ?」

「…………」

「言っては何だが、ラビアン・ローズは場所を知っていなければそうそう見つけられないところにある。長年『東京』で暮らしていた俺ですら、最初はサララに案内されるまで気づかなかったぐらいだ……お前ら、どうやって館の存在まで把握出来たんだい?」

「…………」

「4日……お前らが俺をここに連れてくるまでにかかった時間だ。ここから『東京』までは、運が良くても3日間。残った一日も、俺のところに着た後の時間がそうだから……お前らはほとんど迷うことなく俺の所に直行したことになる。それはちょっと、変だと思わねえかい?」

「……それと、今の状況、何が関係あるというのですか。何も、関係ないでしょう……変なことでからかわないでください」

「いや、からかってなんかいないさ。この質問の結果によっては、俺の今後の行動が大きく変わるぐらいに重要なことなのさ」

「……そうですか」



 そう答えたバルドクは、かぐちは、いつの間にか無表情になっていた。


 怒りに顔を赤くするわけでもんsく、不安に青ざめるわけでもなく……能面のように表情を凍りつかせて、ゴーレムの隙間からマリーたちを見つめている。



 ――これは、まさか。



 脳裏を走った予感に、誰が最初に冷や汗を流したのかは分からない。


 マリーの質問を聞いて、徐々に緊張感を増していく中……状況が分からずに様子を伺う事しか出来ない斑と焔だけが、困惑にバルドクたちを見つめるだけであった。



「まあ、ぶっちゃけて言うとだな」



 まだるっこしい、そう思ったマリーは、単刀直入に切り込んだ。



「お前ら、実は九丈と繋がっているだろ?」



 ……その瞬間、音が、止まった。


 息を呑む斑と焔、そして目を見開く無憎の気配を背中に感じながら……マリーは「……でないとさあ」深々とため息を吐くと、後ろ手で斑たちを指差した。



「『地下街』を統括する二人が、あまりに事実を把握していないことに説明が付かないんだ……こんな狭い場所なのにさ」

「……なるほど、言われてみればそうじゃな。よくよく考えてみれば、ここまで閉鎖的な空間で完璧な隠し事など出来るわけがない。多かれ少なかれ、『何かしらを隠している』という噂が立って当然の筈じゃが……それが、全く無い次点で変じゃな」

「そうだよな、イシュタリア。おかしいんだよ……トップである斑と焔に対して、何一つ話が通っていない時点で、変なんだよなあ」



 ようやくマリーの言わんとしていることを把握したイシュタリアは、ジロリ、と目つきを鋭くさせる。



「言われてみれば、『強硬派』である無憎たちが私たちを『ツェドラ』に閉じ込めてすぐにバルドクが来た。まるで事前に話を合わせていたかのようじゃな」

「……そんなの、全て憶測の話だろ!」



 無表情を保っていたバルドクが、突如吠えた。怒りとは違う、苛立ちを隠そうともしないその顔は、マリーたちが初めて拝見する表情であった。



「いい加減なことで、俺らの忠誠を馬鹿にするな! それ以上妄言を繰り返すのであれば、例えあなたであろうと叩き切るぞ!」



 もし、マリーの中身が見た目相応であったならば、震えて怯えるしかないぐらいの迫力ある怒声であった。



「……だったらさあ、一つ答えてくれ」



 しかし……マリーには通用しなかった。



「さっきお前は俺にこういった『斑様と焔様を御守りいただき、ありがとう』ってな」

「~~それがどうした! そんなのただの挨拶だろ!」

「なんでその挨拶を、サララやイシュタリアに言うならともかく、病人だった俺に言うんだい? 自分で歩くことも出来なくなっていた俺に、守って頂きありがとうなんて言ったんだ?」



 ――その瞬間、バルドクの顔が目に見えて引き攣った。



「斑と焔はお前にこういったんだぜ。『ワシらのところは崩れることもなく無事だった』ってな。何事も無かったって言っているのに、なんでそんなことを……それも、俺にだけに言うんだ?」



 ……事態を呑み込み始めたサララたちの瞳が、剣呑さを帯び始める。


 信じられないと言わんばかりに青ざめた顔で口元を手で覆う焔を、斑が力いっぱい抱きしめている。


 その前に立ちはだかった無憎の顔には……大粒の汗が流れていた。



「……た、たまたまだ! そんなの、もはや言い掛かりに等しい! たったそれだけで、何の根拠にもなりはしない!」

「そう言うと思って、こういうのを用意した」



 バルドクの怒声をするりと受け流したマリーは、小瓶を高く掲げた。


 しかし、マリーの背丈では到底高さが足りず、隙間からは見えにくい。それに気づいたイシュタリアが指を鳴らした直後、マリーの足元が盛り上がった。


 思わず目を瞬かせるバルドクたちを他所に、マリーは掲げた小瓶を、キラリと光球の明かりで反射させると……ジロリと、バルドクたちを見下ろした。



「これは、とある連中が使っている薬を中和する薬だ。しかも、ただ中和するだけじゃない……もし薬を使っている者がこれを使えば、苦しみのあまりにのた打ちまわった挙句、血反吐を吐いて死んでしまう副作用がある」



 ざわっ、とバルドクたちの後ろからどよめきがあがった。もう、それだけで事実を語っているようなものだが……あえて、マリーは突っ込まなかった。



「ただし、これはその薬を使っていなければ、何の影響も無い薬だ。信じて欲しければ、これを使って見ろ。それで俺からの疑いははっきりするんだ……簡単なもんだろう? 『穏健派』と『急進派』のやつは前に出て、ゴーレムの隙間から腕を差し出せ。それで、全てははっきりするんだ」



 そう告げたマリーが、グイッとバルドクたちに小瓶を突き出す。『内』に居る全員が、バルドクを、かぐちを……その背後にいる全ての住人たちに、審議の眼差しを向けた。




 ……その、直後。





 ……。


 ……。


 …………全てが、静かになった。





  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る