第二十四話: それぞれの思惑




 ――ずっと前に調査はしましたが、通路の途中に有る脇道の数は多く、しかもその中はどれもが迷路のように入り組んでおり、行方不明者が出たことも有って、調査を断念せざるを得なかった。




 そう、斑たちが語ったのは、『女』から与えられた情報通りに、線路の途中に有ったぽかりと開かれた脇道の一つ。目的地へと続く、その入口に立った時であった。


 ……こつ、こつ、こつ、こつ、こつ。


 斑たち3人を追加し、総勢9名と1体なった一行の足音が、石と土で構成された通路の中を反響する。ようやく目を覚ましたマリーの指示に従って、一行はひたすらに先を急いでいた。


 迷路と呼ばれるだけあって、右に左に上に下に通路が続いている。


 明かりとなるウィッチ・ローザがほとんど自生していないうえに、その道はずいぶんと足場が悪い。イシュタリアの明かりが有っても砂利や泥で足を滑らすことが何度かあるぐらいだ。


 マリーの夢の中に現れた『女』から与えられた道しるべがなかったら、まずたどり着けないだろうことを理解するには、それほど時間は掛からなかった。



「――というのが、マリーが寝ている間に起こったこと」

「……何か騒がしいなあと思っていたら、そんなことがあったのか。大変だったんだなあ、色々と世話をかけてごめんな」



 眠っていた間の出来事を一通り聞き終えたマリーは、ドラコに抱っこされたまま軽く頭を下げた。



「謝らなくていい。私、マリーに掛けられる迷惑なら嬉しいから」

「いや、そういう問題じゃないんだけどなあ……」



 相変わらずな答えに苦笑して、マリーはサララの頭を撫でる。


 微笑むサララを見やりながら、己の胸を押し返す二つの御山弾力に、その身を擦りつける。


 くるぅ、と抗議の声をあげられたので、「はいはい、抱っこしてくれてありがとうよ」ぐりぐりと顎でドラコの肩を摩るのを忘れない。



「……マリーさん、ところで、身体の調子は大丈夫なのですか?」



 マリーから少し離れた後方。無憎に背負われた斑が、調子が出てきたマリーに声を掛ける。なぜ無憎に背負われているかと言えば、老体の斑にはこの道を進むには辛すぎたからであった。



「えっ、ああ、だいぶマシにはなったぞ」



 ほら、この通り。にっこりとマリーは笑みを浮かべた。



「マシにはなったけど、動ける程ではないでしょ。顔だって赤みが完全に取れていないし、不調を隠しきれていないわよ」



 しかし、女たちには通用しなかった。ふわふわと、マリーの傍を並走するように空中を浮遊していたナタリアが、きっぱりとマリーの空元気を切り捨てた。



「……あえて否定するつもりはないけどさ、歩くことぐらいは――」

「駄目。今は少しでも身体に負担を掛けない方がいい」



 即座にサララからも却下されたマリーの姿に、斑たちは思わず笑みを浮かべた……が、そんな中。


 裾をテトラに掴まれた源に背負われている焔が、「ところで、無憎」と前を行く男の名を呼んだ。ちなみに、焔の方は途中で足を挫いたからである。



「何だ?」



 ふらふらと、焔の血の滲んだ足が揺れる。質問すること事態に迷いがあるのだろう。


 白髪の下に遮られた白眼を、源の背中に埋めるようにして隠しながら、焔は小さな唇を開いた。



「あなたが言っていた、『アレ』とは何ですか? 『恩』とは、いったいなんなのですか?」



 ……焔のその言葉に、自然と場は静まり返る。誰も口にしなかったことだが、それはこの場に居る全員が気になっていた事であった。



「たいしたことではない。それに、二人が気にすることでは――」

「この期に及んで、誤魔化すのは止めなさい」



 無憎の言い分を、無憎の背中にいる斑が遮った。



「嘘や企みを嫌い、時には汚れることも望んで引き受けた貴方が、どうして九丈などという男と行動を共にしているのか……その理由、ワシにも話すことは出来ぬのか?」

「…………」

「無憎、三貴人であるワシにも言えぬことなのか?」

「…………」

「無憎、私にも言えないことなのですか?」

「……今はまだ、言えない」

「無憎……!」

「だが、俺の誇りに掛けて誓う。俺は決してこの身を外道に染めてはいない……だが、あいつには借りがある。俺の願いを叶えてくれた恩がある……それを返し終えるまで、俺はあいつの力になるだろう」



 それ以上、無憎は何も言わなかった。「無憎……」斑と焔の声が聞こえていないわけがないのは確かだが……答えを知っているであろう無憎は、ずっと黙したままであった。


 ……何とも、気まずい沈黙が場を包み込む。


 こういう時こそ唯我独尊で話を切り上げるイシュタリアも、この時ばかりは空気を読んだのだろう。つまらなさそうに、前方を見つめるだけで、あえて話題を出そうとはしなかった。


 歯車が噛み合っていないかのような不協和音……言葉にはし難い静まり返った空気の中、一行は黙って目的地へと進むだけであった。


 そして……進むこと暫く。


 変化の無い景色にナタリアが欠伸を零し始めた頃……見えてきた鋼鉄の壁を前に、マリーたちは足を止められることとなった。


 行き止まりとなっている鋼鉄の壁の高さは、おおよそ3メートル近く。横の広さにして、2メートル前後。


 そんな鋼鉄版を二枚並べて、そのまま壁代わりにしたかのような印象を覚える……何とも不思議な光景であり、行き止まりでもあった。



「これは……扉、なの?」



 近寄ったサララの初見の感想は、それであった。そして、それは扉であった。軽く槍の刃先で突いてみれば、特有の固さが伝わってくる。


 意を決し、恐る恐る扉に触れてみれば……ひやりと伝わってくる鉄の冷たさに、サララは首を傾げるしかなかった。



「……マリー、確かにこの先なのだな?」



 ドラコから尋ねられたマリーも、首を傾げるしかなかった。



「ああ、断片的だが、確かにこの先だが……おかしいぞ。『女』から教えられた映像では、こんなモノなんて無かったんだがなあ……」

「内部に関しては何かあるかのう?」

「いや、それもない。俺が教えられたのは、ここへの道順ぐらいだ」



 そうやって内部について話し合うマリーたちを後ろで。



「半信半疑ではあったが……この『地下街』に、まだワシらの知らないモノがあったとは」

「ええ……これは事が済んだ後に、再調査する必要がありそうですね」



 感嘆のため息を零している、斑と焔の会話があった。


 ただ、扉を見上げている無憎だけが何の感想を言うでもなく、ただ黙って見つめているだけであった。



「――これ、むちゃくちゃ固いわね。多分、そこらの鉄なんて目じゃないぐらいに固いんじゃないかしら?」



 ごっ、ごっ、ごっ。ナタリアの拳が、はげしく鉄壁を打ち付ける。人間を物理的に血袋へと変えてしまう、可愛らしくも凶悪な二本の凶器。


 それが連続で叩き込まれているというのに、扉はびくともしない。「あいたた、やっぱ力づくでは無理だわ」鉄壁の至る所に赤い痕がへばり付くまで頑張ったが、結果は同じであった。



「さすがに槍では無理かも……」



 己の槍を見上げたサララは、ため息を吐いた。



「まあ、無理に使って刃が欠けてもなんだ……よし、ここは私の火炎で溶かしてやろうぞ」

「……いや、お主らは、なんでいつもそうやって力任せなのじゃ?」



 マリーを下ろし、さあ、竜人の炎をお見舞いするぞ……とドラコが意気込んだ瞬間、イシュタリアから待ったの声があがる。


 全員が声のした方向を見やれば、色々と不服そうに唇を尖らしているイシュタリアが、コンコンと鉄壁を叩いている姿があった。


 ちょっと、機嫌が悪くなっていそうな感じであった。



「こういう時にこそ役立つのが婆ちゃんの知恵袋! その知恵袋を持つ私に、どうして誰も相談しようとせぬのじゃ! 何時でも話せるように身構えておったというのに、お主らときたら――」

「知っているならさっさと話せ」

「――あ、はい」



 音もなく眼前に静止した槍の刃先に、イシュタリアは背筋を伸ばすと、とてとてと鉄壁の端に歩み寄って……土で出来た壁の部分を、手で摩り始めた。



「……何をしているんだ、お前?」

「何って、この扉の開閉スイッチを探しておるのじゃ。電源が生きていればそれで開けることが出来るのじゃ」



 ポロポロと土壁の表面を崩しながら、イシュタリアは振り返ることなくマリーに返事をした。



「スイッチ……電源……あの『モノレール』を動かしていた土箱のことか?」

「まあ、似たようなものと思ってくれて構わんのじゃ」

「ということは、また血を入れんの?」

「それは調べて見ないと分からぬ……ただ、この手の扉には必ず『開閉クランク』と呼ばれる非常用の手動開閉装置が設置されておるはずじゃ。最悪、それとクランク差し込み口さえ見つかれば、力づくで開けることは可能じゃな」

「なんだ、やっぱり最後は力が物を言うじゃねえか」

「うるさいのじゃ……最悪、と言うたじゃろ。この扉は幾百年も前の……あの『モノレール』と同じ時代に作られた遺物。どうせ両方とも錆び付いて使えなくなっているじゃろうし、大人しく開閉スイッチを――」



 そこで、イシュタリアの言葉は止まった。


 見れば、何時もなら源に引っ付いて一瞬たりとも離れないテトラが、イシュタリアの袖を引っ張っている。


 『人形』特有の、無機質な瞳がジッとイシュタリアを見上げていた。



「……?」



 何も語ろうとしないテトラに、思わずイシュタリアは源に助けを求める。


 察した源が「……何か言いたいことがテトラにはあるようだ」通訳してくれたので、「何用かのう?」と尋ねると……そっと、テトラは土壁の一部を指差した。



「ミス・イシュタリア。あそこに、金属片の反応と、あそこに差込口と思われる反応を探知しました。調査の必要があると提案します」


(……反応を探知、じゃと?)



 テトラの言い回しが、イシュタリアの中で何かが引っかかった。



「……ああっと、回りくどい言い方だが、調べてほしいと言っているだけだ」



 少しばかり表情を変えたイシュタリアを見て、何を思ったのか。


 慌てたように訂正と説明を入れた源の言葉に、手が空いているナタリアとサララが示した辺りの壁を軽く掘り始める……と。



「イシュタリア~、なんか折れ曲がった棒みたいなのが出て来たけど、これってクランクってやつかしら~?」

「……なんか変な穴が開いているけど、もしかしてここに差し込むの?」



 掘り出された土まみれのソレと、サララが掘り出した部分を見て、イシュタリアは目を見開いた。


 ナタリアが掲げたモノが紛れも無い『開閉クランク』であり、サララが掘り出したのは紛れもなくクランク差し込み口であったからだ。


 しかも、差込口もクランクも見た限りでは共に錆びの一つも見受けられない、新品同然の状態だ。これなら、今すぐにでも使うことが出来るだろう。



 ……これは、どういうことだ?



 自然と、イシュタリアの視線が源へと向けられる。



「これ、差し込んで回すのかしら?」

「見た感じ、回せばいいんじゃねえの?」

「よし竜人の怪力をみせてやろう」



 早速クランクを差し込んでいるドラコたちをしり目に、イシュタリアは小走りに源へと駆け寄ると……声を潜めた。



 “お主……あれは本当にただの『人形』なのじゃろうな?”

 “アレが血と肉が通った人間ではないのは確かだ……頼む、何も見なかった、聞かなかったことにしてくれ”



 そう懇願する源に、やはり……とイシュタリアは納得した。元々、あの『人形』には不可思議な点が多かった。


 鉄を探知するという明らかなオーバーテクノロジーもそうだが、あの『人形』はこの時代にしてはあまりに高度過ぎた。


 言語機能が付いているのもそうだし、動作の機微もそうだ。常人以上の動きで縦横無尽に駆け回ることに加えて、あの人形は誰かに命令される前に行動した。


 つまり、あのテトラと呼ばれる『人形』は、自発的行動……すなわち、思考を行うことが可能であり、自立して行動できるということに他ならない。


 そんなことが出来る『人形』が開発されたという話は聞いたことがないし、そんなことが出来たのは、イシュタリアが生きてきた時代の中では……文明が最も栄えた時代に製造された、幾多のアンドロイドのみ。



(ということは……あのテトラの正体はアンドロイド?)



 おそらく、そうだろうとイシュタリアは推測する。


 しかし、なぜ失われた英知の一つであるその内の一体を源が所持しているのか。


 疑問が次々と湧いてきたが……イシュタリアは、あえて尋ねようとは思わなかった。



 “……学園に帰ったら、ちゃんと色よい報告をするのじゃぞ”

 “……分かった”



 交渉はあっさりと終わった。何事も無かったかのように離れて行くイシュタリア。当然ではあるが、源に背負われている焔の耳にはしっかりと会話が届いていた。



「すまないが――」

「分かっております、他言無用ですね」



 とはいえ、見た目が幼女であっても焔は『地下街』を統括する三貴人の一人。空気を読むぐらいは当たり前に出来ることであった。



「……恩に着る」

「いえいえ、これもあなた達に掛けた迷惑を思えばこそ、です」



 かちん、とクランクが差しこまれた音と共に、「よっこいしょ! どっこらしょ!」マリーたちの掛け声が響く。


 ずずず、と開かれた扉に土埃が巻き込まれて、砕け散っていく。1センチ、2センチ、少しずつ広がっていく扉が、徐々にその全貌を明らかにし始め――。



「――おうっ?」



 開かれた扉が、がくん、と動きを止めた。それに合わせて、つんのめったドラコがたたらを踏んで体勢を立て直す。「大丈夫か?」マリーの声にドラコは軽く手を振ると、再びクランクを回そうと力を込める。



「……んん、んん? 何だ……急に動かなくなったぞ?」



 だが、動かなかった。内部のどこかが故障したのか、前にも後ろにもクランクは動いてくれない。


 ふんぬ、と顔を真っ赤にして力を込めるドラコの両腕が、二回り以上も盛り上がる。筋肉の隆起から、如何にドラコが力を込めているのかがよく分かるが……クランクも、扉も、共に全く動く気配が無かった。


 ……どうやら、本格的に駄目なようだ。おそらく、連動している歯車の何処かが破損したか、何かを噛んでしまったのだろう。


 見かねたイシュタリアと無憎もドラコと一緒になってクランクを掴むが……それでもビクともしない。「……これは、ダメじゃな」仕方なくマリーたちは、それ以上開くのを諦めざるを得なかった。



「こうなっては仕方がない。この狭い隙間を通るしかなさそうじゃな」



 開かれた扉の向こうは真っ暗で、開かれた扉の幅は、かなり狭い。


 横向きになってようやく通れるかどうかの余裕しかなく、入れそうなのは女子供ぐらいだろうか。



「源と無憎……あと、斑は、ここで留守番じゃな」



 とてもではないが体格的な理由で通れそうにない三人を見て、イシュタリアはあっさり言い放った。


 とはいえ、一目で無理だと判断した源と斑は、「まあ、仕方がない」と素直に残ることを決めた。


 しかし、無憎はマリーたちを見極めるという名目で同行しているので、何とか中に入ろうと扉に手を掛けた。


 だが……一分程頑張った辺りで、「さすがにこの狭さでは無理か……口惜しいが、致し方がない」諦めることを受け入れた。



「お嬢ちゃんも胸のプレートを外せば入れそうじゃな。槍は……まあ、ドラコに預けておけばいいじゃなかろうかな」

「……私は、やはり無理か?」



 やっぱり、と言いたげに唇を尖らせるドラコに、イシュタリアは「無理じゃな」やっぱり言い切ると、ドラコの身体を指差した。



「角もそうじゃし、翼も尻尾もこの狭さには無理じゃろ……というか、それが無くともお主は胸がたっぷんたっぷんじゃからな。どうあがいても引っかかるのが目に見えておるのじゃ」



 そう、ドラコの問題はそこであった。


 平均を大きく上回るドラコの膨らみは、片手では到底収まらないビッグサイズ。おまけに、ドラコのソレはつんと前に飛び出した、重力に負けない希少型なのが致命的であった。



「やはりか……押し込めば何とか……」

「阿呆か……押し込めてどうにかなるサイズじゃなかろう」



 ぺちん、とイシュタリアは、下着同然の薄い胸布に包まれた豊満な膨らみを弾く。


 途端、たぷぽよん、と弾むそれを見た男連中は、マリーを除いて黙って視線を逸らした。


 ……みんな、気に留めていないフリをしているが、見てしまうのは男の性である。



「叩かれて弾むおっぱい……有りだな。今度あの乳でビンタしてもらおう」

「よかった……マリーがちょっと元気になってくれて……うん、良かった……」



 そんなことを呟いているマリーから少し離れた所。プレートを外した己の胸を揉みながら、「……まだまだ頂には程遠い」静かに落ち込んでいるサララの姿が有ったりした。


 さて、無駄話もこの辺にして、着々と準備を進めるマリーたち。


 開かれた扉の間に石を置いて、万が一の為の噛ましを入れておく。クランクの手応えから察するに、まず自然に動いたりはしないだろうが……念には念だ。挟まれて即死とか、死んでも死にきれないだろう。


 そんなこんなで、中に入るメンバーは、源、無憎、斑、ドラコの4人を除く全員となった。


 テトラも最初は源の傍を離れようとはしなかったが、源から「マリーたちを手助けしてやれ」と命令され、同行が決まった。



「よし、それでは私が先行するのじゃ。明かりは残しておくからのう」



 こういう時、イシュタリアは言われずとも真っ先に行動する。隙間にスルリと身体を滑らせ、するり、するりと中へと姿を消す。


 直後、ほわっと室内を照らす魔法術の明かりが隙間から零れたと思ったら、「罠とかは無さそうじゃぞー」にゅっとイシュタリアが隙間から顔を出した。



「けっこう広いうえに、空気もしっかりある……窒息の心配は無さそうじゃな」

「それは良かった……それじゃあ、次は私がいくわね」

「よし来い……あ、でも扉の断面に少しざらつきがあるから、不用意に身体を擦り付けないようにするのじゃぞ」


 そう言い残して中へと引っ込んだイシュタリアの後を、ナタリアが追う。イシュタリアよりも小柄な彼女は、イシュタリアよりも楽そうに中へ「あらあらあら?」と入っていく。それを見たサララがドラコに装備を預け、続けて入ろうと身体を滑らせ――。



「――うっ、ふっ」



 ピクリと、表情を強張らせた。



「どうした?」



 それに目を止めたマリーが尋ねる……と、サララの頬がほう、と紅潮した。首を傾げるマリーを見て、サララはしばしの間視線を彷徨わせた後「な、何でもない……」言い難そうに扉の向こうへと行ってしまった。



 ……何だったんだろうか。



 マリーは首を傾げながらも、サララの後を追って身体を隙間へ滑らせる。


 改めて実感する扉の分厚さに慄きながらも、ざらつきに身体を擦らないように気を付けながら、スルリと中に入ったマリーは……眼前に広がった光景に……言葉を無くした。



 ……。


 ……。


 …………その光景を、マリーはどう言い表せれば良いのかが分からなかった。



 そこに広がっていたのは、言うなれば四方を銀色で覆い尽くされた鉄と機械の『群れ』。『群れ』としか表現できないぐらいに、その部屋は鉄と機械が所狭しに空間を占領している異質な空間であった。


 管と思われる鉄のチューブが部屋の至る所に設置され、天井や地面、壁の奥へと消えてはまた中に戻ってきている。


 僅かな曲線を描く長方形のガラスが機械の中に組み込まれ、その傍にはスイッチらしき装置と、良く分からない計器がズラリと並んでいる。


 機械に伸ばされた幾つかのパイプは、半透明のガラスケースに繋がれており、そこには不可思議な色合いの液体が満たされている。


 山吹色、否、黄土色……土埃のこびり付いた表面を拭い取れば、その液体が黄金に近い色合いであることが見て取れた。


 全てが、目に移る全ての物が、何の用途で使われるのかが分からない。予想すら立てられない。マリーが見てきた『機械』とは決定的な何かが違う。


 何もかもが、マリーの理解の範疇を大きく逸脱していた。


 ふよふよと空中を漂う光球が、室内のあらゆる物を照らしている。その中で目を輝かせるナタリアが、まるで玩具を前にした子供のように室内のあらゆる機械に顔を近づけ、イシュタリアからたしなめられていた。



 ……無理もない。そう、マリーはナタリアを見て思った。



 過去の英知である失われた文明の一端を前に、あのサララですら呆然と佇んでいる。


 この異質な空間に圧倒されているのか、それとも興味が無いのか……それはマリーには分からなかったが、少なくとも己に意識を向けられない程度には心を奪われているのが、マリーには分かった。



「……なんていうか、言葉が出て来ねえ……目に移る全部が何の機械なのかさっぱりだぜ」

「まあ、分かったら大したもんじゃな。というか、分かったらお主天才じゃと思うぞ。もちろん、良い意味の方じゃ」

「こんなので天才と言われても嬉しくねえなあ」

「そうかのう……さて、それじゃあちょっと私は色々と機械を見てみるとするのじゃ。今の所さっぱり使い方が分からぬのじゃが、いくつか記憶に引っかかる物が見当たるから……多分、おそらく、なんとかなるのじゃ」

「分かるのか?」

「まあ、電源を入れるぐらいのことはな」



 そう言うと、イシュタリアは難しい顔をしながらひと際大きい機械を観察し始める。「おう、頑張ってくれ。今の俺はお前のその記憶が頼りだからな」その姿にマリーは軽く頭を下げ……ふと、並び置かれたガラスケースに視線を向け……目を瞬かせた。



「……すげえ、ここまで透明でなめらかなガラスを見るのは始めてだぜ」



 物入れと思われるガラスケースの数々が、鉄の机に置かれている。


 様々な色合いの薬液が満たされた瓶が収められており、うっすらとケースの表面には表面に霜が降りていた。興味を引かれて、その一つに触れてみれば……氷のようにガラスは冷え切っていた。



「開け口どころか繋ぎ目すら見当たらない……なんだこれ、どういう物なんだ、これって?」



 軽くケースを持ち上げようとしてみるが、床と机とケースとが一体になっているようで、扉と同じくビクともしない。


 軽くノックしてみれば、思いのほか頑丈な手応えが伝わって来る。どうやら、地上で使われているガラスとは何かが違うようだ。



「……これは、いったい何なのでしょうか?」



 遅れて室内に入って来ていた焔が、マリーの横に並び立ってケースを覗き込む。


 マリーと同様にケースに触れて、その冷たさに目を白黒させている……焔も全く見当がつかないようだ。


 コン、コン、叩いた反響音と光の加減から見て取れる感じでは、そこまで分厚いモノではない……と。


 ようやく復帰を果たしたサララが「マリー、何をしているの?」そそくさとマリーの傍にやってくる……そして、二人と同じように首を傾げた。



「何これ? 冷蔵庫か何か?」

「分からん。とりあえずガラスのケースだということと、中に何かが収められているのは分かるんだが……それ以上はさっぱりだ」

「――なになに、何を見ているのよ?」



 両手を上げて降参するマリーの後ろから、ナタリアが顔を出す。その額がほんのりと赤くなっているのは、つい今しがたイシュタリアから『いいかげん、喧しい』とお叱りの拳骨を食らったからであった。


 ……こいつ、こうしてみると見た目相応なんだけどなあ。


 そんな視線を向けるマリーを他所に、焔が簡潔にケースについて説明をする。それをいちいち大げさに頷いていたナタリアが、しばしの間何かを考える様に顔を伏せ……顔を上げた時には、見事なほどに輝いていた。



「だったら、割っちゃえばいいのよ。それで中身が分かるでしょ」

「――はっ? いや、ちょっと待――」



 マリーが静止の声を上げた時には遅かった。殺人的な威力を持つ腕力から放たれた小さな拳が、ガラスケースの真上から振り下ろされ――。


 ぺきん、と意外なほどに軽い音を立てて砕けた。



「――あれ?」



 ……ナタリアの拳が、だ。



 衝撃に耐えきれず砕けた骨が、皮膚を突き破ってさらに砕けてガラスケースを真っ赤に濡らす。飛び散った鮮血に、「ちょ、おま、きたねえなあ!」思わずマリーたちはのけ反った。



「いきなり破壊しようとするやつがあるか!」

「え、そこなんですか!? ナタリアさん、右手が物凄いことになっておりますよ!?」



 目の前で起こった突然事態に狼狽する焔に、マリーは気にしなくていいと語気を荒げた。



「いいんだよ、どうせすぐに治るから……それよりも、だ。これ以上騒ぐんなら外に叩き出すぞ! 分かったか、ナタリア!」



 マリーから本気で怒鳴られたナタリアは、ようやく己のやったことを理解したのだろう。目に見えて肩を落とし、落ち込んだ。



「ごめんなさい、ちょっとはしゃぎ過ぎたわ」

「……ほ、本当に傷が治っていくのですね……」



 見る間に右手の傷が塞がっていく様子を見て、焔は一歩退き……ふと、焔は思い出す。


 そういえば、ナタリアが扉を殴りつけて拳を血だらけにしてもなお、気に留めた様子も……ていうか、その時も傷が?


 マリーの隣で平然としているサララに、焔は思わず「あ、あの、いつもこんな感じなのですか?」尋ねてみれば……。



「うん、だいたいこんな感じ」



 答えはとてもあっさりしたものであった。



「帰ったらエイミーたちの手伝いをうんとするんなら許してやろう」

「うん、分かった」

「寝る前の菓子とジュースは少し減らせ」

「うん」

「後、ちゃんと歯磨きも忘れずにしろよ、朝晩の二回はするんだぞ」

「うん」

「よし、なら許そう」

「うん、ごめんなさい」



 大人しくなったナタリアの頭を撫でるマリー。その姿はまるで将来が楽しみな美人姉妹……妹を叱りつけた姉という言葉がしっくり合う光景であった。



「……あ、あの、本当に――」

「だいたいが、こんな感じ。何もおかしいところは無い」



 はっきりと言い切るサララに、焔は「そ、そうですか……」何も言えなかった。というか、怖くて言いたくなかった……色々と。



「イシュタリア、これは何だ?」



 専門の人に聞けば一発だろ。そう結論付けたマリーが、イシュタリアを呼ぶ。しばらくして、機械の『群れ』の中から、ひょっこりとイシュタリアが身体を起こした。



「呼んだかのう?」

「このガラス、何か分かるか?」



 マリーの、何とも分かりにくい質問の仕方。イシュタリアも2、3度程首を傾げた後……ああ、と手を叩いた。



「その手のケースは確かFRP……繊維強化プラスチックの一種が使われているケースだと思うのじゃ」



 ……えふ、あーる、ぴー?


 聞き覚えの無い単語に、マリーはもちろん、その後ろで聞いていたサララたちも一様に首を傾げる。


 それを見たイシュタリアは、ああ、と苦笑した。



「お主らにも分かりやすいように言い換えれば、鉄より固くて木材よりも軽く、様々な耐性が付いた特殊なガラス……と言ったところかのう」



 ……何ともまあ凄いモノではないかと、マリーは目を瞬かせた。


 そういった方面に関してはド素人のマリーですら、その凄さが理解出来るぐらいに凄い。


 シャラや海松子が聞けば、跳び上がって驚くだろう。


 次いで、加工だ、実験だ、と騒ぎ出しそうな代物だろうか……そう思ってケースを見やるマリーの様子に、イシュタリアは苦笑を零した。



「驚いているところ悪いのじゃが、その血で汚れたケースに霜が降りているのが私の方から確認出来るのじゃが……もしかして、中はかなり冷やされているのかな?」

「まあ、冷えているな。触ってみたが、まるで氷みたいに冷たかったぞ」

「そうか、それは良い事を聞いた……つまり、まだ電源は生きておるのかもしれぬか……不思議な話じゃのう」



 その言葉と共に、イシュタリアは再び機械の『群れ』へとその身を滑り込ませる。


 かちん、かちん、と何かをしているかと思ったら……バチン、と飛び散った火花の直後、「うひゃあ!?」ネズミのように隙間から飛び出てきた。



「び、吃驚したのじゃ……久しぶりに心臓が止まるかと思ったのじゃ……」

「お、おい、大丈夫か?」

「だ、大丈夫なのじゃ。感電は洒落にならん激痛なのを思い出して、少し冷や汗が出ただけなのじゃ。主に雷的な意味で……」



 額に浮かんだ大粒の汗を拭うイシュタリアの背中を、駆け寄ったマリーが優しく摩る。その男とは思えない手触りに、イシュタリアはふう、と体の力を抜いた。


 不思議なところで嫉妬心を覗かせるサララも、さすがに心底驚いている姿を見て機嫌を悪くすることもなっく、今回ばかりは何も言うつもりはないようであった。


 しばらく背中を摩ると、イシュタリアはもういいと手を振ってマリーから離れる。そして、機械の中でも最も大きな機械に視線を下ろし……ふむ、と頷くと、その内の大きなレバーに手を掛けた。



「とりあえず、これでメインコンピュータの電源が入ると思うのじゃが……万が一のことを考えて、少し機械から離れていてくれぬか?」



 当たり前のようによく分からない単語を使うイシュタリアの指示に、マリーたちは大人しく従う。


 説明されたところで理解出来そうにないし、理解したいとは思わない。加えて、今はいちいち説明を聞いている時でもない。


 なので、マリーたちが取った行動は、不用意に機械にお尻がぶつからないよう、身を寄せ合ったぐらいであった。



「それじゃあ、いくのじゃー」



 気の抜けた掛け声と共にイシュタリアの白い手が……ゆっくりと、レバーを下ろした。




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