第十話: 面倒事にならなければ、それでいい
バルドクが口にした化け物退治。化け物、と言う言葉に身構えたマリーたちであったが、『諸々の話』を聞きに行くにつれて肩の力が抜けてしまうのを抑えられなかった。
……何のことは無い。
言ってしまえば害獣駆除というわけで、その害獣が亜人たちの手に負えなくなったから、『噂に聞くブラッディ・マリー』の力を借りようというだけの話であった。
ちなみに……そのような決断を下した決め手は、亜人であるドラコがマリーに付き従っているから……とのことだった。
マリアが淹れてくれた紅茶を啜りながら、ふむ、とマリーは頭の中で二人の説明をまとめる。
最初は驚いたマリーではあったが、良く考えたらドラコの村だって隠れ里のようなものだ。別の隠れ里が有ったとしても、何ら不思議なことではない。
とはいえ……音を立てて紅茶を啜りながら、マリーは眼前の二人を見やる。
客人である二人は、目の前に置かれた茶菓子に手を伸ばす素振りはなく、固唾を呑んでマリーの挙動を見つめている。まあ、喉を通らない気持ちは察せられる。
(どうしたものか……)
些か、判断に迷う。今朝方焼いたという、女たち御手製のクッキーを食べ散らかしているナタリアの手を抓りつつ、マリーは横目でドラコに視線を送った。
それだけで、内心を察してくれたのだろう。ナタリアよりはマシな程度にクッキーを頬張っていたドラコは、マリーの視線を気手ゴクリと喉を鳴らした。
――私のことは気にするな。
そう言いたげに首を振るドラコを見て、マリーは改めてバルドクたちを見やる。視線の合ったかぐちが、不安げに見つめてくる。何を考えているのか、嫌でも理解出来てしまった。
「言っておくが、私はお主と一緒でなければ行かぬからのう」
「……まだ何も言ってねえだろ」
横目でイシュタリアに視線を送った瞬間、先手を打たれた。クッキーに手を伸ばしているイシュタリアは、気だるそうにため息を吐く。「言うつもりではあったのじゃろ?」と半目で言われたマリーは……そっと、視線をイシュタリアから外した。
「それじゃあ、私が行こうか?」
代わりに手を挙げたのは、サララであった。しかし、マリーは笑ってサララの申し出を流した。
「いや、サララは俺の世話をするという大事な仕事があるだろ」
個人的に、お前ひとりを行かせるのは嫌なんだ。
その言葉を口に出すことはせず、マリーは黙ってサララの頭を撫でる。わずかではあるが、悪くなっていたサララの機嫌が良くなったのを確認したマリーは、内心ため息を吐いた。
――やれやれ、これも主の務めか。
少しばかり面倒な気分になったが、既に決断は終えている。強く唇を噛み締めている二人に目をやったマリーは……おもむろに首を横に振った。
「わざわざ来てもらって悪いが、他の奴らを当たってくれ」
……顔を歪ませた二人が、無言のままに唇を噛み締める二人を前に、マリーは思わず二人から視線を逸らしそうになった。
そりゃあ、わざわざ来たのに素気無く断れればそうもなるわな……そう思って二人を見ていると、かぐちが顔をあげた。その目尻には、大粒の涙が浮かんでいた。
「理由を……」
「んん?」
「せめて、理由だけでも教えて貰えませんか? 私たちの依頼を受けて貰えない、その理由だけでも……!」
驚いて顔をあげたバルドクが、戸惑いを露わにしてかぐちを静止する。しかし、かぐちは「黙っていて!」と声を張り上げると……ジッと、マリーを見つめた。
……これは、誤魔化して納得する相手じゃない。
正直に話すとそれはそれで騒がしくなりそうだが、下手な嘘をついてバレたときを考えれば、嘘を付くわけにもいかない。今度は隠さずにため息を吐いたマリーは、かぐちの視線を見返した。
「この際だからはっきり言うが、既に先客……言い換えれば、もう俺は依頼を受けている立場なんだよ」
自らが纏っているローブを握り締める、かぐちの細い指先。そこに皺がくっきりと刻まれるのがマリーには見えた。
けれども、マリーはあえて見ないフリをした。
「お前たちが迷いに迷って俺を訪ねてきたのは、これ以上ないぐらいに分かっている。だが、俺としてはその依頼を済ませてからでないと、動こうにも動けないんだ」
これは嘘でも何でもなく、全てが本当のことであった。
学園に入学する前であれば良かったのだが、今は学園側の許可なく長期の仕事を受けるのは無理だ。まず間違いなく、学園側から待ったの声があがるだろう。
加えて、この二人が語った『地下街』と呼ばれる場所。そこは、ここから馬で数時間、そこからさらに徒歩で一日以上の距離らしい。
つまり、行って戻ってくるだけでも三日は掛かるということだ。
意外に離れていないのだなと思うかもしれないが、今はタイミングが悪い。一日ぐらいならまだしも、学園側も三日も休むに足る、納得のいく説明を求めてくるのは想像するまでもない。
これがまだ、エネルギー採取の依頼であったなら話は違ってくるのだが……目的が目的だし、場所が場所なので、誤魔化すことも難しい。
マリーとしても、断る方が無難なのが正直なところであって。一つ一つ、それらのことをマリーは順々に説明していった。
それでもなお諦めようとはしなかったが、根気強く説明を続ける。次第に言葉を無くしていくかぐちに思うところは有ったが、マリーは最後まで事情の説明を続ける。
最後にマリーが「――だから、できない」と宣告したときには……かぐちのみならず、話に耳を傾けていたバルドクも俯いてしまっていた。
「こっちも色々と今は立て込んでいてな。受けてやりたいのは山々だが、事情が事情だ……他を当たってくれ」
そう言い切ると、マリーは残っていたお茶を一息に飲み干した。
……これで話はおしまい。そう言わんばかりに席から立ち上がる――と。
それに気づいたかぐちが、身を乗り出すようにしてマリーの手を掴んだ。
偶然にも、マリーとバルドクの静止の声は、ほとんど同じであった。
「――サララ! やめろ!」
「――かぐち! やめろ!」
肌の色と同じ、真っ白な手だ。そう実感するよりも前に、マリーはサララを制止し、バルドクはかぐちを制止する。
マリーがジロリとサララを睨むと、かぐちの手首を掴んでいたサララの指から、するりと力が抜けた。
……無言のままに、マリーはうっすらと赤くなっているかぐちの手首に触れる。
痛むのか、途端にぴくんと肩を震わせたかぐちだが……マリーの手を掴む指先から、力が抜ける気配はまるでない。
たった今、手首を折られそうになったというのに、かぐちの瞳には微塵の恐怖も浮かんではいなかった。
横目でイシュタリアに視線を送る。気づいたイシュタリアが、「やれやれ……」クッキーを咥えたまま身を乗り出す。赤くなっている手首に掌を向けると、ほわりと、淡い光がかぐちの手首を照らした。
(……さっきコキッて音がしたんだが……痛くないのか?)
すぐに治療を始めたおかげか、内出血の兆候は見られない。しかし、額に滲む大粒の汗を見る限り、相当の痛みを今も感じているはずだ。
本当なら、そんな手で縋りつこうものなら激痛に悲鳴の一つでもあげるところだが――相当に我慢強いのだろうか?
掴まれていない方の手が、引っ張られる……と、同時に、ゴキッと耳に障る異音をマリーは拾った……拾ってしまった。
嫌な予感を覚えてマリーがそちらを見やれば、バルドクが残ったマリーの手を握りしめていた。
そして、そのバルドクの腕を掴むサララの指を見て……マリーはため息を吐いた。
「――っん?」
その時であった。室内に、ノックの音が響いたのは。
おやっ、とマリーがそちらに目を向けると、先ほど追加の御茶菓子を取りに行っていたマリアが、顔を覗かせていた。
「……あら、ちょっと席を外した間にお取込み中?」
「まあ、そんなところだ」
見たままを絵にすれば、それは奇妙な光景になるだろうマリーたちを前に、マリアは目を瞬かせながら室内に身体を滑り込ませる。
その両手が支えているトレーには、山盛りのクッキーが皿に盛られていた。
「ところで、そのお取込み中に悪いんだけど……」
よこせ、よこせ、と喜色満面で両手を伸ばしているナタリアとドラコにトレーごと手渡しながら、マリアは言った。
「ついさっき、学園の方から等々力さんが尋ねてきているのよ……どうしたらいいかしら?」
「いっ……ああ、いいよ。ここに通してくれ」
――いや、今は止めてほしい。
そう言いかけたマリーであったが、寸でのところでその言葉を呑み込む。なぜ止めたのかと言えば、別に深い理由は無いし、秘策を思いついたわけでもない。
(もう面倒だから、等々力のやつに丸投げしてやろう)
ただ、それだけのことであった。
マリーの手を放し、慌ててフードを被って部屋の隅へと離れて行く二人を横目で見やりながら……マリーは、クッキーに手を伸ばした。
……しかし。
……だが、しかし。
事態はマリーの思っていた通りには進まなかった。
案内されてきた等々力が、二つ返事でまさかの許可を出したからである。
これにはバルドクとかぐちもフードの奥で喜色満面であった。
「……はい?」
心底不思議そうに首を傾げるマリーを見て、「そうなるのは分かります」と、等々力は申し訳なさそうに頭を下げた。
「実は、ここしばらくのイルスン講師の講義内容が、あまりに不適切で恣意的だという声が、生徒のみならず一部の講師からも上がって来ておりまして……学園側もさすがに無視できなくなり、本格的に調査をすることになりまして。一時的にではありますが、イルスン講師はその任を解かれることになりました」
「やったぜ」
「やった」
思わずガッツポーズを取るマリーとサララ。
「やったのじゃ」
「やったわね」
そしてノリで参加するイシュタリアとナタリア。ドラコは気恥ずかしい気持ちが大きいのか、等々力の視界に入らない位置で、「や、やったな」顔を赤らめてガッツポーズをしていた。
……家の中だろうが外だろうがこの場の誰よりもエロい恰好で過ごしているというのに、こういうことに関しては恥じらいを覚えるようだ。
「……そういうのは、せめて私が見ていないところでしてくれませんか」
あまりに素直すぎる反応に、等々力も苦笑ではない笑みを零してしまった。
しかし、「まあ、気持ちはわかりますけど……」と言って怒らない辺り、どうやら、等々力含めた学園側も多少なりとも二人の確執を把握していたようだ。
「とはいえ、ユーヴァルダン学園は名門であり、イルスン講師はそれに見合う人なのは事実。代わりを補充するといっても、お偉方の兼ね合いもありまして、そう簡単には進みません」
「つまり、どういうことだ?」
「マリーさんが下手に学園に来られると噂が噂を呼んで面倒なので、しばらくお休みしてください、ということです」
「やったぜ」
「あくまでお休みというわけで、何かしらの実績を残して貰わないと困りますよ」
いちおうの忠告を挟むが、思わぬ副産物にマリーたちは二度目のガッツポーズ。都合よく物事を聞き分けるのもまた、探究者にとっては必須項目である。
フードを目深く被っているので顔は分からないが、何度も何度も頭を下げる二人に等々力は手を振ると、「……ところで」等々力は話を続けた。
「聞けば、マリーさんはここしばらくダンジョンに潜っていないそうですね」
ピタリ、とマリーの笑みが凍りついた。恐る恐る、笑みを浮かべたまま振り返ると……そこには、等々力の晴れ晴れとした笑顔があった。
「というわけで、こちらとしてもただ休まれるわけにはいきませんので、監視を付けさせてもらいます……おそらくは源講師になると思いますが、ご理解いただけますよね?」
等々力が口にした名前に、マリーは覚えがあった。ぼさぼさの髪をそのままに、試験の時にいた冷たい眼差しの男だ。
興味は薄く気に留めていなかったマリーだが、彼についてマリーが把握していることが一つあった。
(ディグ・源……確か、『人形師』の二つ名を持つ男。『人形』と呼ばれる人型の武器を操るやつがいるという話は耳にした覚えはあるが、さて……)
学園では歴史に関する講義を行っているとかで、あれ以来ほとんど顔を見た覚えがないが……その情報だけは、マリーの頭には彼のことがこびりついていた。
……うわあ、嫌だなあ。
何だか、変な所でやいのやいの言ってきそう……そう思ったマリーだが、口には出さなかった。
「……仕方がないさ」
学園に雇われているマリーは、力無く頷くしかない。
と、同時に、何やら部屋の隅で囁き合っている二人組の姿が有ったが……背に腹を変えられない二人にとって、答えはもう決まっているようなものであった。
……。
……。
…………そして、翌朝。
「ディグ・源。年齢は三十一歳、二つ名は『人形師』。俺はあくまで監視員であり、自分のことは自分でする。道中は、俺のことをいないと考えてくれていい」
準備を済ませて待っていたマリーたちの元にやってきた監視員は、マリーたちと顔を合わせるなり、そう言った。
その腰には、サララとそう変わりのない背丈の子供がしがみ付いていた。どこか威圧感を与える男と比べて、違和感しか覚えない姿であった。
なにせ、青み掛かった髪色の、可愛らしい洋服に身を包んだ、可愛らしい顔立ちの少女だ。
自然と、全員の視線がその子に向けられる。
相変わらずの冷たい眼差しをその子供に向けた源は、しばしの間不思議そうに首を傾げると……「ああ」と納得したように頷いた。
「この子は俺が作った『人形』の一つで、名は『テトラ』だ。見た目は人とそう変わらないが、中身は鉄と歯車と油で構成され、魔術文字式と魔法術で動いている。まあ、仲良くしてやってくれ」
源がテトラと呼んだ人形の背中を押すと、テトラはまるで生きているかのように自力でマリーたちの前に立った。
――おお……凄い、まるで本当に生きているかのようだ。
『人形師』が見せる『人形』の形をした武器に、思わず声をあげるマリーたち。血走った眼でテトラを見つめているイシュタリアに至っては、「な、なんと……!」何かの琴線に触れてしまったのか、驚愕に声を震わせてすらいた。
……イシュタリアが感動するのも、無理もない。
魔術文字式を施された『人形』は巷でも購入することは出来るが……それらは総じて動作が鈍く、行動そのものがぎこちないうえに、単調な行動しか出来ない。
玩具として考えれば大したものなのだが、お世辞にも、『生きているような』みたいな賛辞は付かない。それが、現時点で作られている『人形』の限界なのだ。
故に、テトラ程度のサイズで自立歩行を行わせるなんて……少しでも魔術文字式をかじった人が見れば、驚きに目を見開くのが当然の成り行きであった。
「俺自身は戦うことが苦手でな……戦闘はもっぱらこの子が行うことになる。まあ、特殊な武具の一種だと思ってくれ」
その言葉に、『テトラ』と呼ばれた人形は、人形が如き無表情をそのままに、人形らしい綺麗な動作でお辞儀をした。本当に血が通っているかのような、自然な動作であった。
「テトラです」
しかも、声は無表情からは想像できないぐらいに可愛らしかった。
「うお、喋った!?」
巷で売られている人形は声など出せない。と、なれば、更なる驚きの声があがるのも当然であった。
「……何を驚いているのか、テトラには理解が出来ません」
驚愕に目を見開くマリーを見て、テトラは無表情のままに首を傾げる。何気ないその仕草ですら、人間と変わらない。
むしろ、人形という渾名の少女と考える方が自然に思えるぐらいである。
あまりに『人間らしい』せいだろう。珍妙な者を見るかのように、奇異の視線がテトラへと注がれる。
それはモンスターであるナタリア、亜人であるドラコも同様で、成り行きを離れた所で見ているバルドクたちも、互いに顔を見合わせていた。
パチパチと、テトラは目を瞬かせる。瞬きをする「そんな機能まで付いておるのか……!」行為に背筋を震わせているイシュタリアを他所に、テトラは源を見上げた。
「ディグ・源、テトラの言語機能は違和感なく動作していますか?」
「ああ、大丈夫だ」
人形のテトラよりも無表情な源がそう答えると、テトラは「ああ、良かった」と手を合わせた。
「では、この人たちが機能不全を起こしているだけということになりますね」
「そういうことになるな」
「おいこら」
……とまあ、最初の出だしで不穏な空気を醸し出したりもしたが、何はともあれ出発となる。
マリーたちは、監視員である源とテトラの視線を背中に受けながら、化け物退治へと乗り出すこととなった。
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