第十一話: インターバル(汚い)

※この話では排泄描写と、それに伴う若干の性的な描写があります。苦手な方は注意









 それから……紆余曲折が有りながらも馬車で数時間。街道の途中で下りて、森の中に突入してから、半日。森の中で一夜を過ごし、日が昇って明るくなった早朝。





 ビッグ・ポケットから取り出した携帯食糧で食事を済ませたマリーたちは、もうすぐだというバルドクたちの指示の元、『地下街』へと歩き続けていた。


 ……きい、きい。鳥のものらしき声が、頭上に響き渡る。久しぶりとも言える森の中の空気は、いっそ懐かしさを覚える程に心地よかった。


 青い空に白い雲、鬱蒼と茂る木々から伸びる、緑の枝先。むせ返る程の緑の臭いが満たされたその場所には、はるか昔から続く生命の営みが今もなお続いていた。



「……なんかこうしていると、狩猟をやっていたときのことを思い出すなあ」

「本当じゃな……オジサマは、今頃何をしておるのかのう」



 ぼんやりと、木々の隙間から見える青空を見上げていたマリーが、ポツリと呟くと、隣で終わるのを待っていたイシュタリアが、うむ、と頷いた。


 ぷん、と耳元を掠めた虫の羽音に軽く身じろぎをする。途端、立ちのぼっていた濃厚な緑の臭いがむわっと鼻についた。


 マリーの反対側には、サララがその場に屈んで真剣な眼差しをマリーに向けている。


 むわっと湿度が上がる中、はあ……と吐かれたため息の傍では、ナタリアがマリーと同じ体勢で放心していた。どうやらかなり溜めこんでいたようで、その勢いはマリーよりも強く、太かった。


 久々に味わう奇妙な開放感……何とも言えないスッキリとした心地よさに、マリーは軽く身体を震わせる。



「……ところで、そこで待っているのはやはりアレ待ちか?」

「分かっておるなら、早くしてほしいのじゃ。そろそろ限界なのじゃぞ、こっちは」



 念の為確認してみると、イシュタリアは軽く眉根をしかめながら、モジモジと太ももを擦り合わせている。うっすらと額に浮かぶ冷や汗を見る限り、誇張で無いのは確かなようだ。


 相も変わらず、黒一色のフリルたっぷりなドレスに身にまとったイシュタリアは、もどかしそうにワイヤー・サポーターを太ももの位置まで下ろす。マリーを急かすようにドレスの裾を捲り上げた。


 露わになった見た目相応の亀裂が、身じろぎに合わせてぷにっと皺を寄せている。恥じらいも何も無いその姿にマリーは魔力コントロールを行うと、背中から抱える様にイシュタリアの膝に手を回し……一息に持ち上げた。


 見たままを言葉にすれば、幼子に小便をさせる姿勢だろうか。膝裏を抱えられた形で股を広げられたイシュタリアは、慣れた様子でドレスの裾を胸の前にかき集めた。



「よし、いくのじゃ」



 そうイシュタリアが言うと同時に、フッと腕に掛かる重さが増したのをマリーは感じた……と、同時に。液体が、放物線を描いた。グッと、イシュタリアの肩から力が抜けたのがマリーには分かった。


 はああ……深い、それはもう深いため息がイシュタリアの唇から零れた。


 よほど我慢していたのか、放物線を描く液体はマリーよりも遠くまで飛んでいた。時間も長く、交代でやってきたドラコが放出を始めたというのに水流が衰える気配が見えなかった。



「……前から言っていることなんだが、いいかげんにドレスの裾を俺と同じぐらいに仕立て直せよ」

「嫌じゃ。この長さが一番私に似合うからのう。多少の不自由なら我慢するのじゃ」

「いちおう言っておくが、それでおもに我慢を強いられるのは俺だからな。そこのところ理解しておけよ」



 ほかほかと立ちのぼる熱気と、地面に広がる水溜りに視線を向けていたマリーは……イシュタリアとは別の理由でため息を吐いた。


 ……既にお気づきの方がいるかもしれないが、マリーたちが今しがたから何をしていたのかと言うと――。



「毎度毎度、お前の小便に付き合わされる俺の身にもなれって言ってんだよ。いくら前に失敗したからって言っても、そう何度も失敗はしねえだろ」



 つまるところ、お花摘みであった。


 ただし、ここは森の中。野生動物のみならず、何時モンスターと遭遇するか分からない。さっさと済ませてしまおうということで、マリーたちは仲良くスッキリしていたところであった。



「そうは言うが、美少女の排尿を間近で見られるなんぞ、一生に有るか無いかの話じゃぞ。果報者と言っても過言ではないと考えれば、気も変わるとは思わぬか?」

「あいにくと、俺にそっちの趣味はねえよ」



 頬を緩ませながらもアホな事を言うイシュタリアに、マリーは軽く抱えた女体を揺さぶる。波打つ放物線に空しさを覚えたマリーは、再びため息を吐いて手を止めた。


 ……チラリと、何気ない様子で視線を背後へ向ける。ここまでの道案内を務めているバルドクとかぐちは、相変わらずフードを被り続けていた。


 鬱陶しくは無いのかと昨日訪ねると、「万が一他のやつにバレた時を考えると、迂闊には外せない」という返事が帰って来たのは記憶に新しい。


 いちおう、監視員である源には『他言無用』という形で正体を明かしてはいる。


 当の源は、『分かった』と言うだけで何の反応も見せてはいない……果たして、黙っていてくれるのだろうか。



「ドラコ、あの二人の会話をこの距離から盗み聞きできるか?」



 駄目もとで尋ねてみる。だが、やはりドラコは首を横に振った。声が小さすぎるうえに、森の中は意外と雑音が多い。残念ながら、ドラコの耳でも聞き取ることは難しいようであった。


 ふう、とイシュタリアのため息を感じて、マリーはイシュタリアの身体を揺さぶる。「いやあ、一度やると癖になる開放感じゃのう」と不穏な発言を零しているイシュタリアに、マリーはドッと肩に疲れが圧し掛かったような気がした。



 ……とはいえ、マリーの疲れの原因はそれだけではない。



(あいつ、マジで最後までアレを続けるのか?)



 横目で、皆から少しばかり離れた場所にて佇んでいる源を見やる。『東京』を出発してから今まで、源は一言も言葉を発することなく、常に監視の目を光らせている。


 その仕事ぶりは実に徹底していた。俺のことはいないと思ってくれと口にした通り、源は食事も一人で済ませ、就寝の時も一人離れたところであり、何時休んでいるのか分からないぐらいだ。


 一度気になったナタリアが「私の寝床に来ない?」と誘ったりもしたらしいのだが、素気無く断ったらしい。


 源の傍には彼の『人形』であるテトラが張り付いていて、未だ彼の寝袋に潜り込めていない……というのはナタリアの弁だ。


 後でそれを知ったマリーがナタリアの腹にお仕置きの拳を放ったりもしたが、源に疲れた様子は見られない。


 何度か腕前を探る為にわざと源へ野生動物を誘導させたりもしたが、全て源自身が難なく仕留めていた……戦闘が苦手とはいえ、さすがは二つ名持ちというべきなのだろう。


 今の所、テトラが本領を発揮するところは確認できていない。『人形師』が操る『人形』の力……少し気になるところだが……まだお預けのようだ。



「……まあ、とりあえずは目の前の仕事をこなすしかないか……」



 軽く腕を叩かれたマリーは、イシュタリアを下ろしながら、ポツリと愚痴を零す。そっと、サララから優しく背中を摩られて、苦笑するしかなかった。










 ……そんな感じで、マリーたちが仲良くお花摘みをしている頃。



 主が居なくなったラビアン・ローズでは、館の運営を任されているマリアが、机に並べられた数々の用紙を前に唸り声をあげていた。


 その隣では、固唾を呑んで結果を待っているシャラと海松子の姿があった。


 元は真っ白であった用紙には、計算式と文字が所狭しに書かれている。今もなおマリアの手で隙間が埋められていくその紙には、赤色の×マークが何個か書かれていた。



「ど、どうだ、これならいけそうか?」



 縋るような思いでマリアに尋ねるシャラだが、そのマリアは返事を返すことなく、算盤と用紙に視線を行き来させている。それだけ、マリアは集中しているのだ。



「うーん、やっぱりかなり厳しいわね……」



 ポツリと零したマリアの言葉に、シャラと海松子の両名はぎくりと肩を跳ねさせた。


 そのことに気づいていないマリアは、算盤のコマをカチカチと弾きながら、さらさらとページに数字を書き連ねる……ペン先が、コツコツと紙を叩いた。


 ぶつぶつと、片手に持っている用紙に書かれた数字と、今しがた書き連ねた数字を見比べて……この日二十三個めとなる×マークを入れた。



「ああ! ついに最後のプランまで!」

「嘘だろ……これでも最低限なのに」



 途端、シャラと海松子の口から悲鳴が上がる。断末魔が如き悲鳴をあげて頭を抱える二人を他所に、マリアは凝り固まっていた肩を大きく回して背筋を伸ばした。


 ぱきぱき、と骨が不穏な音を立てたのを聞いて、ようやくマリアは息を吐いて肩の力を抜いた。


 さすがに数字の計算は仕事柄慣れているとはいえ、ずっと集中力を維持し続けるのはマリアとて疲れてしまう。


 乱雑に置かれた用紙の先、間違えて倒さないよう離れた所に置いてあったお茶を手に取った。頭の疲労には、甘い物に限る。



 ちらりと、マリアはテーブルの上に散らばった最新の一枚を手に取る。



 『修繕計画書』と書かれたそれは、言うなればシャラと海松子がかねてより温めていた、館の『リフォーム代』に関する独自の見積もり書である。



 どうしてマリアがそんなものをチェックしているのかと問われれば、館の運営を任されているマリアにとって、そういった計算は慣れたものであるからだ。


 ツーッと、マリアの視線が数字と文字の上を行き来する……左右に動いていたマリアの瞳が、ある地点でピタリと止まる。


 そこに記された文章は『新型炉の設置について』……それを三回程見返したマリアは、内心ため息を吐いた。



(いくら何でも、高すぎるわよ)



 海松子がラビアン・ローズを訪れた理由。それは、ラビアン・ローズの隣……長年人が入らずに廃墟となっているアパートを潰し、そこに鍛冶場を作るという、何とも壮大な計画をマリアに認めてもらうためであった。


 なので、今しがたの×マークは、却下の印。二人が一生懸命になって考えたプランを片っ端から却下し続けていた……というわけである。



(……我ながら、けっこう美味しく淹れられたわね)



 集中し続けてすっかり乾いた喉に沁み渡る、お茶の味。自然と、マリアの気が緩まる。


 そうしてふと、少し前にシャラと海松子が今回の話を切り出したときのことを思い出す。


 あのときは呆気に取られたなあ……とマリアは遠い眼差しで天井を眺めた。



(……まあ、ボロボロになった正門の鉄格子もそうだし、色々なところにボロが出てきているからいずれは必要になることでしょうけど……ねえ)



 最初に手渡された計画書を見た時、マリアは鼻で笑って二人に突っ返した。いくら何でも、その内容が荒唐無稽で絵空事過ぎたからだ。


 しかし――二人は全くめげなかった。


 何度付き返しても、そのたびに新たな計画書を持参してくる。そして、根負けしたマリアが計画書に目を通すようになってしばらく……我ながら、よくもまあ付き合っているものだと、マリアは内心にて苦笑した。


 とはいえ……マリアは改めて用紙に目を通す。彼女たちなりに色々と考えたのは、紙面の至る所から見て取れた。


 土地の値段から機材の搬入代、新型炉を設置した場合に掛かる費用、場合によっては見込まれる赤字に至るまで、包み隠さずきっちりと記している辺りは好感がもてる。


 そういう素直な書き方は、好きだ。嘘に塗り固められたモノよりも、よっぽど……そうマリアは思う。


 この館を先代から譲り受けた時に現れては姿を消した、『先代の友人たち』が見せた碌でもない儲け話と比べたら、微笑ましさすら覚えるぐらいだ。



(でも、それはそれ、これはこれなのよねえ)



 しかし、だからと言ってマリアの判断は甘くならない。いくら運営を任されている身とはいえ、館の主はマリーだ。


 そのマリーから全面的な信頼を受けて、この立場にいる以上は、だ。相手が身内だとしても、そう簡単に首を縦に振るわけにはいかない。



 ――いや、というか、それよりも……マリアは内心、ため息を吐いた。吐いてしまうのを、止められなかった。



 シャラを含めた皆も薄々分かってはいるだろうと思ってあえて口にはだしていないが、そもそもの話、ラビアン・ローズにはまだ、それだけの余裕が無いのである。



 というのも、まず、ラビアン・ローズの主な収入源は二つ。



 一つは、マリーたちが収めるダンジョン探究から得られる分。


 二つは、館の女たちが個々で収めてくれる分。



 この二つが、現在のラビアン・ローズの主な収入源となっている。しかし、この二つが同じぐらいのモノかといえば……そういうわけではない。


 前者はまだしも、後者はそれほどの高給職に就いている者はいない。将来的にはそうなるかもしれないが現時点での金額はそこまで多くはない。


 いちおう、植えた種は芽吹きつつある。先日、エイミーたちが行っていた薬草栽培によって、投資分の収益を確保できたのもそうだ。


 後は、どれだけの儲けが期待できるかというところだが……現段階ではまだまだ館の資金は潤沢とは言い難いのが実際のところなのである。



(最近、マリーくんたちがダンジョンに潜っていないからアレだけど、その館に入れてくれるお金を当てにするわけにもいかないし……)



 マリアはテーブル上に散らばった用紙を手早くまとめると、それをシャラに手渡す。


 目に見えて落ち込んでいる二人に思わず苦笑いを隠せなくなったマリアは、「あのさ……」と以前より考えていた疑問を尋ねてみた。



「素人だから分からないことなのでしょうけれども、なんでわざわざ新型炉なんて使おうとするの? 従来の炉の方が安上がりだし、海松子さんの親方さんは炉を貸してくれないの? 確か、親方さんの監視付なら炉の使用許可は出ているんでしょ?」



 マリアの脳裏に浮かんでいる疑問の数々を、素直に尋ねてみる。


 すると、海松子は困ったようにマリアから視線を逸らした。


 むむむ、とマリアが海松子を見やると、それを逸らすかのようにシャラが頭を掻いた。



「いや、貸してはくれるんだが……ちょっと、親方には秘密にしないといけなくてなあ……」



 顔をあげたシャラが、そう答える。秘密、とマリアが首を傾げると、シャラは「……マリアに見てもらいたいものがある」と言って、傍に置いてあった袋に手を伸ばした。あら、とマリアは目を瞬かせた。



(そういえば、海松子さんが持って来たアレって、何が入っているのかしら?)



 少しばかり興味を抱いたマリアの視線が、袋へと注がれる。


 しばし袋の中をまさぐっていたシャラの手が、掌に収まる程度の小さな何かを取り出すと……それをテーブルの上に置いた。



 ――それは、汚れ一つ付いていない綺麗な石であった。



 あんまり綺麗なものだから、見せられたマリアは一瞬それを宝石だと勘違いしたぐらいであった。



「なにこれ?」



 顔を近づけてマジマジと見つめていたマリアは、首を傾げた。「触ってもいいわよ」と許しが出たので、マリアはそれを実際に手に取って観察を続ける。


 ……一瞬見間違えたが、触ればよく分かる。どの角度から見ても、もう、マリアにはただの石ころにしか見えなかった。触れた感じも、まんまそれだ。



「何だと思う?」

「ただの石ころにしか見えないけど、やっぱり違うのよね?」



 重さもそうだし、固さもそう。どこから見ても石ころにしか見えないソレをシャラに手渡すと、シャラはキョロキョロと辺りの気配を探る。


 何をしているのかと首を傾げるマリアを他所に、「……よし、盗み聞きしているやつはいないな」シャラは改めて石をテーブルに置いた。



「それはな、『鉱石』なんだ」


 ……へ、鉱石って……え?



 聞き覚えのある単語に、マリアは一瞬思考を停止させる。それを思い出したのは、その直後であった。



「鉱石……って、確かダンジョンにあるっていう、エネルギーの入った石のことかしら?」



 シャラは力強く頷いた。隣で、「もうエネルギーは抜かれているけどね」と横目で見ていた海松子がその石を掠め取ると、光にかざす様に頭上へと掲げた。



「でもね、実はこの鉱石……ただの石じゃないの。一定の条件下で『結晶石』に姿を変える奇跡の石……ってこと、マリアさんは知っていたかい?」

「……いえ、知らないわ」



 ――その瞬間、場の時間が止まった……そう、マリアは錯覚した。それほどに、マリアの驚愕は深く大きかった。



「まあ、知らなくて当然だよね。僕だって、この事実を知ったときは興奮のあまり、二日間ほどまともに眠れなかったんだもの……多分、この事実に気づいている人は一人もいないんじゃないかな」

「へえ、そうなの……」



 ポツリポツリと呟く海松子に、マリアが辛うじて外面の平静を保てたのは、偶然に等しかった。


 内心の動揺も抑えようとするが、震える指先を誤魔化すことは出来なかった。それぐらい、二人が口にしたことは凄まじいことであったのだ。



 『結晶石』



 それは、結晶火石を含めた結晶シリーズの総称であり、ダンジョンの中でしか見つからないアイテムである。


 比較的市場に出回ることの多いアイテムの一種であり、極々稀ではあるが、地上階で見つかることもある高級品の一つである。



 そう……結晶石とは種類に限らず、まぎれも無い高級品なのだ。



 煙を出さず、火種が無くても使用でき、かつ自由自在に温度の調節を行える。加えて、エネルギーを使用しないとなれば、高級品となってしまうのは当然である。


 結晶石の中でも安価の部類に入る結晶火石ですら、この広い館内で設置されているのは主であるマリーの部屋のみ。それだけで結晶石というものが、一般的にはどのような価値なのかが分かるだろう。


 しかも、市場に出回ることが多いとはいっても、それはあくまでアイテムの中では……の話だ。


 市場全体から見れば、供給される結晶石の量は、微々以下の極少量と言っても過言ではない。


 そもそものアイテム自体が『見つかればいいな』と言われるぐらいなのだから、その供給量がどの程度なのか、だいたいの察しがつくだろう。



 ……その結晶石が、鉱石から作り出せる?



 言葉にすればそれだけのことだが、それは言うなれば……これまでの常識というやつを覆し、場合によっては市場に大変動を引き起こしかねない……いや、確実に引き起こすであろう劇薬も同然の話であった。



「僕がこの事実に気づいたのは、本当に偶然なんだよね」



 言葉を無くしているマリアを他所に、ポツリと、海松子は誰に言うでも無く呟いた。



「ちょっとした好奇心で持ち帰った鉱石を、特に理由も無く炉の中に放り込んだんだ。理由や理屈なんて何もない、ただ火に掛け続けたら燃えたりするのかな……っていう程度の、軽い気持ちだったのを覚えているよ」



 そんな簡単なことで……そう思ったマリアであったが、それも仕方がないことだ。


 なにせ、鉱石はエネルギーこそ入っているが、見た目はそこらの石ころと何も違いはない。


 そんな石ころを持ち帰ろうとするやつも以前はいただろうが、それを炉に入れようだなんてことを考えるやつは、まずいない。


 少なくとも、自分なら……素人の己ですら万が一にも炉に悪影響が出る可能性を考え、絶対にそんなことはしないだろう。


 そう、マリアは……はて、そういえば。あら、でもでも待って……ふと、あることを思い出したマリアは、海松子を見やった。



「……親方さん……お父さんに、このことは?」



 海松子のことは、シャラを通じてだいたいのことは聞いている。シャラの言う親方が、海松子の父親であることも知っているマリアは、当然の疑問を投げかける。


 しかし、海松子は、困ったように首を横に振った。父親に関しては聞かれたくなかったのか、少しばかり口ごもった。



「……駄目だよ。こう言っちゃあ何だけど、お父さんはそういった儲けは全然考えない人だから……そういう考え方は嫌いじゃないけど、たぶん、教えたら『皆の未来の為に、この事実は広めるべきだ』とか言い出すと思う」



 シャラも、その姿を想像したのだろう。「まあ、親方は良い人だよ。それは私が保証する」些か見当違いなフォローを入れるシャラに、海松子は苦笑い浮かべるしかなかった。



「とまあ、そういうわけで新しい炉の確保が欲しいんだけど、僕とシャラの溜めこんだ金では炉なんて到底用意なんて出来ない。かといって、どこそこに持って行ったところで碌な事にはならなさそうだし、そもそも炉を設置する場所も必要だし……ここなら人の目も無いし、口の堅い人ばかりだから、作るならここかなって思ったんだ」



 なるほど……マリアは納得に頷いた。しかし、すぐに首を傾げた。



「言いたいことは分かったし、それがあなたたちにとって私を説得する切り札なのは分かったけど、それがどうして新型炉になるのかしら? そこが少し気になるのだけれども……」



 その疑問に答えたのは、シャラであった。



「……この際だから包み隠さず言うけど、従来の炉の火力ではアレに……マリーたちが持ち帰った『神獣の鱗』には歯が立たなくてなあ。新型炉なら、おそらくは何かしらの変化を生み出せると思うんだ」

「え、まだ諦めていなかったの?」



 頑張るわねえ。そう言わんばかりに目を瞬かせるマリアに、二人は申し訳ないと頭を掻いた。『神獣の鱗』とは、文字通り『ラステーラ』にてマリーたちが処理を手伝った『神獣』の鱗のことだ。


 実はあの後、何かに使えるのではなかろうかというイシュタリアの提案の元、森の中へ適当に捨て去られるはずであったものを一部持ち帰っていたのである。


 とはいえ、今のところは使い道もなく、イシュタリアも使用する予定はない。なので、持ち帰った素材は町はずれの倉庫に保管している。


 ちなみに、持ち帰ったのは鱗だけではなく、『神獣の牙』などもある。こちらは鱗よりもさらに頑強なのだとか……当然、全て洗浄済みだ。



「あんなのさっさと処分しちゃえいいじゃないの。倉庫代だってタダじゃないのよ」

「いや、だって、熱、冷気、湿気、乾燥、衝撃、斬撃に耐えて、おまけに木材よりも軽い素材なんて、鍛冶師を目指す身としては夢が広がるじゃないのさ……ねえ、海松子?」

「うん、鍛冶師を目指す身としては、弄繰り回したいと思うのは必然と言うもので……ほら、この素材を上手く活用出来れば、マリー君たちの生存率をグッと引き上げるのは間違いなしだよ」



 ……ここでマリー君たちを引き合いに出すのはズルいわよ。



 そう言いかけたマリアであったが、それを口に出さなかったのは単にマリアのプライドであった。しかし、グラリと気持ちが動いてしまったのは事実で……。



「……シャラ、悪いんだけど、さっきの計画書――」



 そこまでマリアが言いかけた時であった。



「マリア、お客さんよ」



 畑作業をしていたエイミーが、広間に入って来たのは。誰かしら、と首を傾げるマリアたちに、エイミーはあっさりと告げた。



「イルスンっていう男の人。なんか、マリー君を出せって言って聞かないのよ」

「――うげっ、あいつここを嗅ぎつけちゃったのか」



 イルスン、という名前に、海松子は苦虫を噛んだかのように顔をしかめた。


 それを見たマリアは、しばし海松子の様子を伺った後……「シャラ、お願いするわね」ため息と共に席から腰をあげた。



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