第十三話: 動き出す、あるいは蠢く思惑



 ――そうして、ふと



 顔をあげたイシュタリアは、思い出したようにキョロキョロと周囲を見回した。その様子に首を傾げるマリーとサララを他所に、イシュタリアは「ところで……」と口を開いた。



「ナタリアは今どこにいるのじゃ? マリーたちの様子を見に行くと言っておったから、こっちに来ているはずじゃろ?」

「え、お前と一緒にいたんじゃねえの?」

「いや、ナタリアとは少し前に離れ……んん、ちょっと待つのじゃ。お主たちがそう思っておったということは……」



 ギョッと目を見開いたイシュタリアは、慌てて立ち上がった。同じく、驚きに目を見開いているマリーとサララを見て……イシュタリアは、疲れたように肩を落とした。


 ……迷子になっている。


 その言葉が、3人の脳裏を過った。すっかり忘れかけていたが、ナタリアはれっきとした『モンスター』である。そう起こらないだろうが、面倒な事態になったことを、マリーたちは同時に理解した。


 しかし、そこで慌てるような3人ではない。何だかんだ言っても、突発的な事態には耐性が付いている3人だ。気を静める為に3人は深々とため息を吐くと……ジロリと、互いの顔を見合わせた。



「お前がナタリアと離れたのは、どれぐらい前だ?」

「15分程前といったところじゃな。最後にナタリアを見たのは、この露店の方面へと出て行くナタリアの後ろ姿なのじゃ」



 つまり、15分前のナタリアの位置は掴めているということになる。


 どこを通っているかは分からないが、おそらくはこの露店からほど近い場所……にいる可能性は高い。


 その事を確認したマリーは、周囲に視線を飛ばし……露店から出てすぐの所に佇んでいるドラコに目を止めた。



「おい、ドラコ!」

「――っ、なんだ、私を呼んだか?」



 振り返ったドラコが、のそのそと店内に入ってきた。



「なあ、ナタリアの姿を見なかったか?」



 その言葉に、ドラコはふむ、と顎に手をあてた……が、「いや、見ていない」すぐに首を横に振った。



「いなくなったのか?」

「どうやら、そうらしいみたいだ」



 隠す必要もないのではっきりと伝える。すると、なぜかドラコは急に落ち着きを無くし、恐る恐るというふうにマリーを見つめた。



「……脱皮でもしているのではないか? 私もあれぐらいの頃は、よく隠れてやったりしていたものだぞ」



 ……何ともまあ、斜め上のアドバイスである。


 冗談で言っているのかとも思ったが、思いのほかドラコの目が本気であることに気づき、マリーは口を閉じた。



「だから、その、そっとしておいてやるのが一番だと思うぞ。私の時もそうだが、あれぐらいの年頃は、脱皮を見られることに気恥ずかしさを感じる頃だからな」

「……助言ありがとう。けれども、あいつは脱皮しねえからな」



 そうマリーが言うと、ドラコは驚いたように目を見開いていた。「……人間だったのか、私の勘違いだな」という、中々に聞き捨てならない言葉をドラコは呟いた……ふと、その視線がマリーの後ろへと向けられた。



「噂をすれば、帰ってきたようだな」

「えっ!?」



 これにはマリーだけに限らず、サララとイシュタリアも振り返る。視線の先……そこには、のほほんとした様子で店内に入ってきたナタリアの姿があった。


 慌てて、イシュタリアとサララが駆け寄る。己がどういう状況にあったのか気づいていないのか、ナタリアは「ただいま」と二人に笑顔を向けた。



「ナタリア……お主、今までどこに行っておったのじゃ?」



 イシュタリアから、いくらか怖い顔で凄まれたナタリアは、えっと驚いたように目を瞬かせた。



「んー、と……そこらへんをぶらぶらしてたわね。まあ、あんまりおもしろい物が見つからなかったから、すぐ帰ってきたけれど……それがどうかしたの?」



 どうやら、迷子になっていたというわけではないようで、マリーたちの心配は取り越し苦労であったようだ。



「……いや、何でもないのじゃ。ただ、物見見物をするのであれば、一言声を掛けてからにするのじゃぞ」

「ああ、それは御免なさい。うっかりしていたわ」



 あっけらかんとした様子でそう答えるナタリアに、イシュタリアは深々とため息を吐いて苦笑した。理由は何であれ、落ち度はイシュタリアにもある。それを理解していたイシュタリアは、それ以上何も言おうとは思わなかった。


 ……しかし、ふと。


 イシュタリアの目が、ナタリアの右手に止まった。気づかなかったが、リンゴ大の黒い何かを持っているのが見える。マリーもサララも、少し遅れて気づいた。



 ……何じゃ、アレは?



 そう思ったのは、マリーとサララも同様だったのだろう。少し遅れて駆け寄って来たマリーが「おい、その右手に持っているのは何だ?」と尋ねると、「そういえば、何か持っているね」とサララも同調した。



「え、右手って?」



 けれども、何故かナタリアは首を傾げた。



「寝ぼけてんのか? お前の右手にあるソレだよ」



 ソレ、と言われて、ナタリアは右手に持っているソレを眼前へと持ってくる。ソレは凸凹とした黒い球体の何かであった。表面はツルリとしており、まるで鏡のように滑らかな印象を覚えた。



「え……あ、あれ、なに、これ?」

「なにこれって、お前が持って来たのを、俺たちが知っているわけねえだろ。どっかで買ってきたのか?」



 ――言われるまで気付かなかった。



 そんなふうに驚くナタリアに、マリーはため息を吐く。しかし、ナタリアはぶんぶんと首を横に振った。冗談を言っていると思われていることを察しだのだろう。



「私、何も買っていないわよ。こんなモノ、知らないわ」


 ――気味が悪い。



 そう言いたげに顔をしかめるナタリアの様子に、演技などでは無く、本当に驚いているようだ。


 それを見てマリーたちにも、薄々とナタリアが嘘を付いていないのではないかという気持ちが芽生えてくる。


 そうなると……先ほどとは別の理由で、マリーたちは訝しげに首を傾げた。



「知らないって、じゃあ、なんで持っているんだよ」

「そんなの知らないわよ。というか、なんでこんなものを持っているのか、それが一番分からないわ」



 そう言うと、ナタリアは気持ち悪そうにソレを放った。ぽーん、と弧を描いて飛んだそれを、竜人が器用にくねらせた尻尾でぽん、と弾き返す。再び弧を描いて飛ぶソレを……サララが片手でキャッチした。


 ――途端、ギョッとサララは目を見開くと、慌てて両手で持ち直した。


 ぐらりと体勢を崩してたたらを踏むサララに、今度はマリーたちの目が驚きに見開かれた。



「どうした?」

「こ、これ、見た目よりも重い……!」



 そう言うと、サララはその球体を両手で抱え込むように持ち直した。むにゅりと胸の膨らみが潰れているのが見える……かなりの重量なのだろう。僅かに背筋を反って重心を合わせているようであった。



「え、ちょっと貸してみろよ」

「貸すのはいいけど、ちゃんと魔力コントロールをしてからじゃないと渡せない。それぐらい、これは重いから。それをしないでマリーに渡したら、場合によっては腕が脱臼するかもしれない」

「マジかよ。鉄……のようには見えねえぞ」

「見えないけど、マジだよ。こうしている今も気功を使っているんだから……多分、気功を使わないと私でも長く持てない」



 マリーに対しては一切の冗談を言わない(というか、基本的に言わない)サララがそう言うのだから、本当にそれだけ重いのだろう。大人しく引き下がったマリーの後ろから……イシュタリアが、にゅっと顔を球体に近づけた。



「むう……鉄製……なのかのう。それにしては、こんな色の金属を見るのは初めてなのじゃ……オブジェにしては、些か尖ったセンスじゃのう」



 ジィッと、イシュタリアは目を細める。少し離れた所から成り行きを見守っていた店主たちも遠目からその球体を見つめている。しかし、それが何なのか分からないのだろう。不思議そうに首を傾げていた。



「ドラコ、お前はこれが何か知っているか?」

「いや、知らん。私もそんなものを見るのは初めてだ」



 もしや亜人のモノかと思ってマリーが尋ねるが、竜人も興味深そうに首を横に振るばかりだ。これでナタリアがどこから持って来たのかが分かれば話が早いのだが、それも出来ない。


 そして、この中では一番の博識と言っていいイシュタリアですら、ソレが何なのかよく分かっていないのだ。


 これでは、返すこともままならない。持ち主が来てくれればいいのだが、今になっても現れていない以上、気づいていないのかもしれない。



「……おい、どうするんだ、それ?」

「んー、どうすると言ってものう。そこらへんに捨て置くわけにもいかぬじゃろうて……んん?」



 そこまで言った瞬間、イシュタリアの脳裏に何かが過る。思わずピクリと眉が跳ねるイシュタリアに、「……何か思い出したか?」とマリーが尋ねた。


 けれども、イシュタリアは首を傾げるばかりであった。


 アレとは少し形が違う、アレは重くない、アレはそもそもこんな色ではない……そんなふうに呟いていたイシュタリアは、ふう、と息をついて顔をあげる。


 そして、お手上げと言わんばかりに両手をあげた。



「さっぱり思い出せぬのじゃ」

「お前で分からねえなら、誰も分からんわな」



 そうなると、これをどうするべきかという問題が出てくる。下手に売れば後々問題になりそうだし、持っていくにしても、正直なところ邪魔でしかない。


 ……いっそのこと、そこらの路地に捨てておこうか。


 次に拾った者が、何かしらの形で有効活用するだろう。そんな考えがマリーの脳裏を過ったとき、「――あれ?」サララの呟きが耳に届いた。



「ここに何か書いてある……ほら、ここ」



 落とさないように気を付けながら、クルクルと球体を回すと、確かに有る。何か、文字らしきものが彫られている。マリーたちの視線が、再び球体へと集まった。



「……なんだこりゃ?」



 そうして、マリーたちは首を傾げた。何故かといえば、そこに記されている文字らしきそれらが、何一つ読み取れなかったからだ。



「魔術文字式……でもなさそうだな。何かの暗号か?」



 それ故に、文字を見たマリーの感想は、奇しくもその場に居る人たちの気持ちを代弁したものであった。



「……仕方あるまい、私が預かろう」



 ただ、一人。訝しむマリーたちの中で、真顔になっているイシュタリアを除いては。



「そのうち、これが何なのか思い出すかもしれぬしのう」



 誰に宣言するでもなくイシュタリアはそう呟くと、ヒョイッと黒い球体を手に取った。置いていた木箱を背負い直すと、マリーたちに背を向けた。



「ほれ、ナタリアも帰ってきたことじゃし、今日は宿に帰るとしよう。人ごみの中は少しばかり疲れたのじゃ」



 そう言うと、イシュタリアはさっさと露店の外へと出て行ってしまった……離れて行く木箱を見やったマリーは、頭の上に疑問符を浮かべながら首を傾げた。


 ……イシュタリアの纏っている空気が、一瞬ばかり変わったような気がする。


 怒っているわけではない。それは、分かる。だが、どうも言葉では上手く説明が出来ない……不思議と、マリーはなんとなくそう思った。



「気のせい……かねえ」



 尋ねてみようか……とも考えたが、止めた。どうせあの手この手ではぐらかされるのは目に見えている。何かしてくるようなことがあったら、物理的な話し合いをすればいいだけの話だ。


 そう結論付けたマリーはサララたちを呼ぶ。ちょいと騒動が起き掛けたが、買う物は買えたのだ。店主たちに挨拶をしてから、マリーたちも宿へと帰ることにした。


 ……その後ろ姿を、心底惜しむ商人たちの姿が有った。どんな人たちかといえば、上手く売りつけられなかった人たちで……この日からしばらくの間、住人達の間で話のタネにされることとなった。









 ……歩く。


 ……歩く、歩く。


 …………歩く、歩く、歩く。


 背中に担いだ木箱など、気にも留めない。ただただ、イシュタリアは無意識に足を動かす。自分が何処へ向かっているのか、何故歩いているのか……それすら分からないまま、彼女は進む。


 イシュタリアの前方から来た通行人が、その姿を目にした瞬間、ギョッと目を見開いて飛び退く。そして、通り過ぎて行くイシュタリアの後ろ姿をマジマジと見送る。


 それが、幾度となく起こっている。男も、女も、子供も、老人も、関係ない。紐に繋がれた番犬たちですら、その姿を目にした瞬間、吼えることを忘れて……尻尾を丸めて地に伏せている。


 ……はっきりいって、異様な光景が繰り広げられていた。


 けれども、そうさせてしまう程の気配を放っているイシュタリアには、自覚がなかった。外へと向けられる意識の全てが今、内側へと向けられているから。


 何故なら、イシュタリアはただただ両手に持った黒い球体に視線を落としているばかりで、周囲からは表情をうかがい知ることすら出来ない状態であったからだ。



(YGF―301型……通称『打ち上げ花火』……)



 ……もし、マリーがイシュタリアの顔を見ていたら、確実に問い詰めていただろう。それほどまでに、今のイシュタリアは……張り詰めた顔をしていた。



(こんな遺物が、なぜ今になって……これの製造は、はるか昔に失われたはず……そもそも、今の技術では作れないはずなのに……!)



「――っ」



 ポツリと呟かれたその言葉は、ビュウ、と吹いたこの日二度目となる突風と通行人たちの悲鳴にかき消され……誰の耳にも届くことはなかった。









 ……。


 ……。


 …………時を遡ること、少し前。


 町からかなり距離が離れた南の森の、奥のまたその奥。普通に歩いて行けば、片道だけで三日は掛かる程に遠い森の奥。そこは、まさしく弱肉強食の、あるがままの世界が広がっていた。


 人の手が一切入っていない、Bランクモンスターが我が物顔で歩き回っているそこは、熟練の探究者ですら中々近寄ろうとはしない厳しい自然の世界。


 人間が入れば5分と経たずに血だるまにされるだろうそこは、ある種の秘境と言えるだろう。


 普段であれば、多数の野生動物やら虫の鳴き声やらモンスターの鳴き声やらで、賑やかを通り越して騒がしいと言える……そこは、そんな世界であった。



(……?)



 その騒々しい世界で、『彼』はゆっくりと瞼を開いた。瞼を開いたことで、『彼』は自分が今しがた寝ていたことを思い出して、ゆっくりと頭を上げる。


 途端、視界いっぱいに広がっていた木々が小さく映る。頭上を繁茂していた木々の枝が、『彼』のそれ以上の動きをがっちりと押さえてしまった。



(……?)



 そのときになって初めて、『彼』は自らの身体が巨大であることを理解する。しかし、それだけだ。


 理解することは出来たが、じゃあ、どうするか……ということを考えることが出来ない。考えるだけの知性が、『彼』にはなかったからだ。


 ……頭がつっかえる。しかし、力を込めてやれば、壊せそうだ。


 それは考えたのではなく、本能的な行動で……『彼』は力任せに頭を上げていた。

 ベキベキと、人間の胴よりも太い枝が、あっけなく折れて砕けた。湿気を多分に含んだ木片と葉っぱがバラバラと宙を舞った。


 ぎゃあ、と悲鳴を上げて飛び立つ野鳥たち……そのさえずりを聞きながら、『彼』は落ち着いた様子で身体を起こした。


 たったそれだけの動作で、傍に生えていた木々が押し倒され、なぎ倒される。樹齢数百年にはなるだろう木々が『彼』の巨体に耐え切れず、次々と根元からへし折れる。


 チクチクと肌を差す鬱陶しさに苛立ちを覚えつつも、ようやく完全に身体を起こした『彼』の目に飛び込んできたのは、どこまでも広がる緑と青の世界。地平線の彼方まで広がる森の緑と、頭上を埋め尽くす青空であった。



(…………)



 照りつける日差しの眩しさが、気怠さと眠気で埋め尽くされていた『彼』の意識を起こしていく。鈍っていた末端の感覚が、少しずつ鮮明になっていくのがよく分かった。


 ……ここは、どこだろうか。


 その言葉を、『彼』は最初に考える。


 湧水のように浸み出してくる記憶には、眼前のような景色はない。脳に植え付けられた、『気を付けるべき存在』に関するモノが、何一つ見当たらない。


 見当たらないのであれば、気にする必要はない。そう結論付けた『彼』は、ぼう、と灼熱の吐息を吐いて……ふと、敵がいないということに思い至った。



 ……敵がいない。


 ――そうだ、敵がいないのだ。



 右を見る。敵がいない。

 左を見る。敵がいない。

 前を見る。敵がいない。



 ……どこを見ても敵がいない。脳に、遺伝子に植え付けられた、『彼』が何よりも欲する『餌』である敵が……いない。


 そのことに思い至った瞬間……『彼』は、かつて敵を苦しめた得意の咆哮を青空へ放った。


 その咆哮はすぐさま衝撃へと変わり、雲を蹴散らし、木々を震わせ、大気を駆け巡る。放射状に広がる風の震えを真っ先に受けた動物たちは……一体の例外も無く、その場を駆けだした。


 少しでも『彼』から離れる為に。

 少しでも『彼』の目から逃れる為に。


 ほとんど吹き飛ばされるようにして地面を転がりながらも、動物たちは逃げ出した。ただの一匹ですら、立ち向かおうとする動物はいなかった。


 その中で、逃げ出す途中で振り返った一部の動物たちが見たものは……自分たちよりもはるかに強大で、自分たちとは違う存在であるモンスターたちが……次々に食われていく光景であった。


 強靭な顎でモンスターを噛み砕きながら、のそり、と、『彼』は動き出す。木々を蹴散らして道を作りながら、向かってくるモンスター共を一撃で仕留めながら、『彼』は当ても無く歩き出した。




 『彼』の遺伝子に刻まれた『餌』を手に入れる為に。



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