第十四話: 忍び寄る足音、目を背ける人々
マリーたちが『りゅらん亭』に戻ると、この時間帯は閑散としている食堂に、見慣れた背中があるのが見えた。
なんでこんな場所にいるのだろうかとマリーが代表して声を掛けるよりも前に、気配に気づいた背中がくるりと振り返った。
「いやあ、どうも、お休みの所に押しかけて申し訳ない」
見慣れた背中はマリーたちが思った通り、この時間であれば、役所の受付業務をしているはずの菊池であった。
彼は、御馴染みのメガネをクイッと指で押し上げると、にっこりとマリーたちへ笑顔を向けた。
「お買い物かい?」
チラリと、菊池の視線がマリーたちの全身をさ迷った。その視線を察したマリーは軽く頷くと、こきりと首を鳴らす。人波に酔ったのか、いくらか身体の奥に重しを埋め込まれたような疲れを知覚した。
……休みと思っていた日に仕事先の相手と出くわしたからなのか、寝床に着いたおかげで気が緩んだからなのか。
休日という言葉がもたらす魔性の力によって忘れていた疲労と、脳髄の奥からにじみ出てきた眠気がじわりと意識の末端を痺れさせた。
(こいつがココにいるってことは、また何かしらの面倒事かねえ……今日は休むつもりでいたから気持ちが切り替わらねなあ……)
現在、基礎的体力の面だけを考えれば、マリーはチームの中では最も貧弱に位置している。
もちろん、魔力切れを起こすようなヘマはしないが、単純な回復力の面でもマリーは貧弱である。
なので、今日みたいに装備や備品の購入に合わせて、身体を休めることに専念する日を定期的に設けているのである。
……まあ、それ以外の面も大きいのだが、実際そこまであくせく働かなくてもやっていけているし、イシュタリアたちも気分転換になるので異論は出ていない。
「装備の新調だよ。Cクラスぐらいなら適当なやつでどうにでもなるけど、Bクラス以上を狙うんだったら、有って困ることはねえからな」
なるほど、と菊池は頷いた。
「それは確かにそうだね……ところで、ついさっきイシュタリアちゃんが上に上がって行ったけど、喧嘩でもしたのかい? 声を掛けたけど、無視されちゃったんだ」
尋ねられて、マリーたちは不思議そうに首を横に振った。おや、と菊池は眼を瞬かせた。
「そうなのかい? なんだか酷く思い詰めた顔をしていたから、てっきり喧嘩でもしたのかと思ったんだけど……」
「……何か、他に変わった様子はなかったか?」
マリーが尋ねると、菊池は顎に手を当てて、記憶の奥を探り始める……しばらくして、申し訳なさそうに首を横に振った。
「僕が見た限りでは、特に変わった様子は無かったよ。あ、なんか背中に大きな木箱を担いでいたけど……」
「ああ、それはいいんだ。あれはアイツが買った武器だから」
――え、武器って、あの木箱イシュタリアちゃんの背丈並みのサイズだったけど……斬馬刀でも買ったのかい?
その言葉を、菊池は寸でのところで呑み込んだ。反射的に『またまたご冗談を』と言いかけた唇が、歪に引き攣る。マリーが冗談を言っているわけではないことは、これまでの付き合いでよく分かった
……フッと訪れる沈黙。「――それじゃあな」と菊池の横を通り過ぎようとするマリーに、菊池は意を決して顔を上げた。嫌な予感を、マリーは覚えた。
「話が変わるんだけど、急なことで申し訳ないんだが、依頼を一つ頼みたいんだ」
(……やっぱりな)
そう思ったマリーは、ニッコリと花開くような笑顔を浮かべた。
「またおいで」
恐る恐る、反応を伺うようにして切り出された菊池のお願いは、マリーの一言によって切り捨てられた。うっ、と息を詰める菊池を見て、マリーは深々とため息を吐いた。
疲労が込められた、重いため息である。
銀髪色の髪に、二目には見惚れる容姿のマリーが、それをする。大人が少女に無理難題をぶつけて少女を困らせている……というように、傍目からは映るだろうか。
幸いにもマリーたちの存在は知れ渡っているので、そう捉える人はいなかったが……少しばかり、危ない光景である。
マリーはガリガリと頭を掻いて、後ろのサララとナタリアとドラコの顔色を見やると、菊池へと振り返った。
「……ここ連日休みなしの討伐を繰り返したおかげで、俺たちもけっこう疲れが溜まっているところだ。明日ぐらいまではゆっくり休もうと思っているのさ」
実際の所、マリーが言うとおり、ここ数日はギルドから回ってくる割に合わない仕事をこなす為に動きっぱなしであった。
その分だけたんまりと報酬を頂いたおかげで今日の大盤振る舞いが出来たわけだが、元々が貧弱なマリーにはいくらか疲労が溜まってきているのは少なからず事実である。
とはいえ、その疲労の大本も、だ。
キラー・ビーの蜂蜜を手に入れたことによるギルドと役所からの絶対的な信頼があるからこその結果なのだが……まあ、言ってしまえば、今日のマリーはけっこう不調なのであった。
「……私は、疲れていないぞ?」
そのマリーの後ろで、一人不思議そうに首を傾げるドラコの腹にサララが、無言のままに裏拳を叩き込む。常人なら思わず蹲る威力であったが、強靭な竜人の肉体には無意味な一撃であった。
……けれども、マリー以外には辛辣な態度を示す竜人の怒りを誘うには十分であった。
ギロリ、と。目に見えて鋭くなった眼光でサララを見下ろすドラコだが、そのサララからは咎めるような眼差しを向けられて、逆に困惑して目を瞬かせた。
クイッと、サララから顎で指し示された竜人は、促されるがままそちらを見やれば……そこには、何とも言えない表情を浮かべたマリーがいた。
「ドラコ、俺は疲れているんだ。お前は、どうだ?」
そう言われて、さすがにドラコもマリーの言いたいことを察する。良い意味でも悪い意味でも少しばかり鈍い部分があるドラコだが、バカではないのだ。
「……言われてみれば、私も少しばかり身体が重いような気がする。お前の言うとおり、私も疲れが溜まっているのかもしれぬから、休むべきだな」
そう言うと、ドラコは実にワザとらしい仕草で肩を回した。
……当然のことながら、骨なんて鳴るようなこともなければ、表情には全く疲れの色はない。おまけに、声は完全な棒読み。もはや嫌味としか取られない態度だ。
「私もさすがに疲れが溜まってきている。いい仕事をする為にも、きっちり休養を取らないといけないから、今回は御免なさい」
それに追随したのは、やはりサララであった。ドラコ以上にワザとらしい仕草で『とっても疲れていますアピール』を見せると、マリーの手を取って颯爽と菊池の横を通り過ぎた。
「え、あ、あの……」
伸ばされた菊池の手が、むなしく空気を掴む。けんもほろろなマリーたちの態度に、どう切り返せばいいのか思いつかなかったのだろう。
思わず、マリーの後を追いかけようと駆けだしそうになった両足も、ドラコの鋭い眼光によって抑えられてしまった。
……こうなると、実力的には一般人よりも少しばかり強い程度(多少なり、護身術は習っている)の菊池では、どうにもならない。
無理やり引き留めようものなら、あの竜人が黙ってはいないだろう。いや、事はそれだけでは済まなくなるだろう。
ここ最近は他の人間に対しても敵意を見せなくなってきているとはいえ、彼女はいまだ人間に対して完全に心を許したわけではない。
こちらが不当な態度を示せば、あの竜人は一切の躊躇もなく菊池を肉塊へと変えてしまうだろう。いや、それ以前に、マリーたちの不評を買うのも確実だ。
……若輩者と言えど、荒くれ共の相手をしてきた菊池の直感が、そう告げていた。そして、ここが引き際であるということも、菊池には分かってしまった。
(や、やっぱりちょっと無理強いし過ぎたかな)
仕方がない事とはいえ……内心、菊池はため息を零した。
マリーたちに甘えていた部分があることは、否定できない。役所としてもギルドとしても、次から次へと『割に合わない仕事』をこなしてくれるマリーたちに、必然と負担が掛かっていることも重々承知していることである。
(……けれども、依頼達成までの時間とか、持ち帰った素材の品質を考えれば、どうしても君たちを頼らざるしか……というよりも、そもそも他の人達はこの手の依頼を受けてくれないからなあ)
とはいえ、菊池としても、『はい、そうですか』で済ませるわけにもいかない。悲しいかな、菊池も役所勤めとはいえ、その立場は平社員とそう変わらない。
上司から『――何が何でも依頼を頼んで来い!』と厳命されてしまった以上、手ぶらで帰れば何を言われるか分かったモノではない。いや、場合によっては、理不尽な処罰を受けさせられる可能性もあるだろう。
(マリーくんたちのおかげで臨時ボーナスも出たから、僕としてはこんなたくはないんだけどなあ……)
だが、それでも……菊池とて本当は、嫌がるマリーたちに無理強いをさせたくはない。それが、嘘偽りない菊池を含めた、役所の大多数の本音であった。
そもそも、マリーたちが『割に合わない仕事』を積極的にこなしてくれていることで最も恩恵を得ているのは、他でもない菊池たち職員たちだ。
比喩でも何でもなく、ゴマスリでも何でもなく、菊池たちはそれこそマリーたちに足を向けて寝られないぐらいである。
……しかし、だ。
悲しいことに、組織の中での菊池の発言力は、そこまで大きいわけではない。それに加えて、色々と味を占めた上司連中から命令されれば、嫌でもハイと言わざるを得ない立場でもある。
はてさて、どうしたものか……うーん、と菊池は内心頭を抱えた。
マリーは言わずもがなで、竜人はダメ。マリーの手を引っ張っているサララも駄目で、イシュタリアも話しかけられる雰囲気ではなかった……と、なれば……。
「――ん、私に何か?」
ぼんやりと成り行きを見ていたナタリアと、目があった。
……瞬間、菊池は湧き上がった罪悪感から無意識のうちに目を逸らしながら、自然とナタリアの警戒心を和らげるために、視線の位置を合わせて屈んでいた。
「……うん、ちょっと君にお願い事があるんだけど、いいかな?」
「私に?」
菊池が笑顔で頷くと、金髪碧眼の美少女であるナタリアが、へにゃりと頬を緩めて笑みを浮かべた。純真無垢を体現したかのような、その微笑みに……菊池は、思わず胸を掻き毟りたくなった。
(い、胃が痛い……!)
見た目だけを考えれば、マリーたちの中では最も幼い出で立ちのナタリアに頼む依頼ではない……が、背に腹は代えられない。今の時点で空いている『信頼できる狩猟者』は、マリーたちしかいないからだ。
……マージィの話を信じるのであれば、眼前にて微笑んでいるナタリアの実力は申し分ないらしい。
加えて、ナタリアは、マリーやイシュタリアのように含みのある要求をしてきたりはしない可愛い子だ……と、言っていたのを、菊池は思い出した。
――気は進まないが、やるしかない。そう覚悟を決めた菊池は、ゴクリと唾を呑み込んだ。
「君にしか頼めないことなんだ」
「マリーたちにじゃなくて、私に?」
「そうだよ……引き受けてくれるかい?」
「うふふ、ごめんなさい。お世辞まで使って貰って悪いけど、それは出来ない事なのよ」
期待を込めた申し出……しかし、ナタリアは瑞々しくも小さな唇に指を当てて、申し訳なさそうに首を横に振った。「そ、そこを何とか!」と縋るように菊池は懇願の眼差しを向けるが、ナタリアは御免なさいね、と菊池の手を優しく収めた。
「マリーの疲れが取れたら仕事を受けてあげるから……それまで、良い子にしていてね」
ちゅっ、と生暖かい感触が、菊池の頬に一瞬だけ触れる。思わず息を止める菊池が、ハッと反射的に振り返った時には……ナタリアは階段を駆け上がっていくところであった。
――ととと、と。二階まで駆け上がったナタリアが、振り返る。
碧眼の視線と目が合った瞬間……ちゅっ、とナタリアはキスを投げた。そうして、笑顔と共に踵をひるがえして消えて行った。
……後には、呆然と佇むしかない菊池の姿が残された。しばし、目を瞬かせていた菊池は……深々とため息を吐くと、ガリガリと頭を掻き毟った。
「良い子って、君ねえ……」
そっと、ナタリアの唇が触れた頬のあたりに指を当てた。
「これでも僕は、妻がいる三十路超えの男なんだけど……ねえ」
それを、良い子って。手酷く振り払われるよりも心に残る振られ方に、菊池は上司への言い訳を考えることにした。
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