第十二話: マリーの清らかな心に、傷一つ








 ……さすがに、モンスターであることをそのまま館の皆に伝えるわけにもいかない。



 それを理解していたイシュタリアは、ナタリアを『私の従妹の知り合いの母親の双子の妹』という、隠す気が有るのか無いのかよくわからない立場で押し通すことにした。


 有り体に言えば、赤の他人である。


 幸いにも女性陣の反応は悪くなく、(これは、マリーが別に何も言わなかったからというのが大きい)ナタリアは館の末女として、受け入れられることとなった。


 サララもナタリアの正体を言うことも無く、あくまで「マリーが決めたことだから」ということで何も言わなかったことも、理由の一つであったかもしれない。


 それになによりも、だ。ナタリアのあんまりな『世間知らず』ぷりが可愛らしく、女たちはまるでお人形を可愛がるかのようにナタリアに接するようになっていた。


 なにせ、ありふれた食事であっても目を輝かせて満面の笑みを浮かべ、お風呂に入れてやれば幼子のようにニコニコと大人しいままなのだ。


 元々マリアに見込まれた女性たちだけあってか、彼女たちは分別が出来ていた。故に、ナタリアはものの見事に女性陣の母性をガッチリと掴んだのであった。


 そうなれば、両性具有であるとか、見た目とは裏腹の力とか、あまりに不自然な世間知らずっぷりとかも、あまり関係はなかった。何時の世も、可愛いはあらゆる不利を覆い隠すのだ。



 ……そして、幾月かの月日が流れた。



 女たちは血豆を幾度となく潰し、毎日へとへとになりながらもひたすら農作業を続けた。途中、何度か弱音が零れることもあったが、彼女たちは毎日を一生懸命に働いた。


 その頃になると、龍成、トミー、クリストの三人も、いつの間にか作業員として数えられるようになっていた。


 マリーと対面した時にトミーとクリストが驚きのあまりに躓いて穴に落ちたのは、笑い話である。


 ……ちなみに、トミーとクリストが変なイチャモンをつけようとしたが、素手で地面を抉っていくマリーを見て、すぐに考えを改めたらしい。


 庭中の土を掘り返して土を入れ替え、そこにモンスター(ナタリア)の血を撒いて、種を植える。そこからまた、毎日どころか毎時間ごとに土を入れ替えるという大変な日々が始まった。



 ――枯れてしまえば、全てはそれまで。



 それを防ぐために、皆で力を合わせた。交代で夜通し土壌肥沃装置を動かした。傷は治ったものの、失血のせいで館での安静を余儀なくされたサララも根性を見せたおかげか、カチュの木は見る間に背を伸ばしていった。


 そして……一つ、また一つ。確実に、カチュの木に『実』らしき物体が生り始めた頃……いよいよ集大成の結果が、目前へと迫っていた。









 ――明日には、最初の一個を伐採する。


 イシュタリアのその一言に、館の住人全員が期待と不安で夜を過ごしていた頃……自室の扉をノックする音に、マリーはむくりとベッドから身体を起こした。



「――ついに分かったのじゃ!」

「お前、せめて返事を聞いてからにしろよ」



 いったい誰だろうか、こんな時間に。


 ランプの明かりに照らされた天井を見つめていたマリーは、そう思って扉を開けようと思った。


 しかし、それをするよりも早く扉を蹴破る様にしてイシュタリアが部屋に入ってきた。分かってはいるが、傍若無人にも程がある。



「ついに分かったのじゃ!」



 スタスタとベッド脇に立つと、えへん、とイシュタリアは胸を張った。


 ともすれば透けそうな程に薄いネグリジェを着ているせいだろうか。明かりに照らされたイシュタリアの身体のラインが、マリーの目にははっきりと映った。



「……分かった。分かったからその無い胸を張るのは止めろ。張ったところで胸なんてねえんだから、張るだけ無駄だ」



 辛辣と言っていい対応である。


 けれども、それを言うだけの原因を作った……というより、そうなった一端はイシュタリアの方である。それが分かっているからこそ、イシュタリアはそれには何も言わずに話を切り出した。



「ほれ、ちょっと前にお主がナタリアに掘られたことがあったじゃろ?」

「おい馬鹿やめろ」



 温かみのある淡い光の中でも、はっきりと分かる程に青ざめたマリーは、慌てて布団を被って隠れた。一拍置いた後、にゅう、とマリーは顔だけを毛布の間から出した。



「その話は止めろというか、止めてくれ。やっと夢に出なくなってきたところなんだぞ……」



 キョロキョロと、マリーは気配を探ると共に、視線を辺りへ彷徨わせる。こういう話をしていると、決まってナタリアが熱い眼差しを向けてくるからである。


 見た目相応の、少女のように怖がっているマリーを見て、イシュタリアはけらけらと笑い声をあげた。



「なんじゃ、まだ気にしておったのか。お主も存外ケツの穴の小さいやつじゃな……あ、肉体的な意味ではないぞ?」

「お前、それで俺に気遣っているつもりなのか……や、止めろよ……ここ最近のアイツの視線が、本気で怖いんだぞ……」

「何をそこまで怯えておる。肝っ玉の小さいやつじゃな……あ、アッチは小指サイズじゃったな」

「ケンカ売っているなら、買うぞ……おい」

「冗談なのじゃ」



 プルプルと、毛布を小刻みに震わせるマリーを見て、イシュタリアは「まあ、そう言うてやるな」ポンポン、と布団越しにマリーを叩いた。



「幸いにも、あやつの精神は女で、性的嗜好も男相手に限定じゃぞ……女共が襲われなくて良かったと、ポジティブに考えてみるのはどうじゃ?」



 いや、そういう問題ではない。そう、マリーは思った……というか、口にした。



「お前、一人で風呂に入っていたら、顔を赤らめたあいつが獣の目で風呂に入って来た時の絶望感を想像できるか? 反射的にぶん殴って気絶させたんだぞ」

「安心せい。そういう時は、私が魔法術で防音してやるから、思う存分溜まっておるのを発散するのじゃ」

「ヤメテ! それだけは本当に止めて! あんなの何度もやられたら俺の心が死んじゃうから! 今だって、サララの眼差しが胸に苦しいっていうのに、これ以上俺に余計な心労を与えるのは止めてくれ!」



 マリーの怯えようも、まあ、当然である。


 常人であれば間違いなくトラウマもの、そういった性癖の人でも心を痛めるであろう経験をしたのである。


 そのせいで、ナタリアが館に来てからの日々、マリーは一日たりとも満足な睡眠を取れていないのである。


 正直なところ、暗闇に紛れてぶっ殺してやろうと思ったのは一度や二度ではない。


 しかし、ナタリアを殺せば体液を手に入れる術が無くなるし、第一、ナタリアは既に館の住人達から受け入れられて、可愛がられている。現状、手が出せないのが実際の所である。


 スムーズに受け入れて貰えたのも、ナタリアが両性具有という異常性があったのも理由の一つなのかもしれない。親戚なのじゃ、としか言わないイシュタリアの説明に、何か色々と想像を働かせたのだろう。


 さぞ辛い人生を歩いて来たのね……と同情に涙を流す女性まで居る始末で、ますますマリーはナタリアに手を出せない状態だ。


 ……というよりも実際の所は、出来るならもう手を出したくないというのがマリーの本音である。


 二人きりになった途端、潤んだ眼差しを向けられて色々困ってしまう。しかも、世間知らずではあるものの文句ひとつ言わずに率先して雑用等をするし、何よりこの事態を招いたのは、マリーが選んだからに他ならない分、余計に、だ。


 万が一マリーが凶行に走ろうものなら、館の住人達はさぞ悲しむだろう。いや、それだけでは収まらないのは確実だ。


 最悪、その日から住人達はマリーを恐れるようになってしまうかもしれない……もしかしたら、サララもマリーを恐れるかもしれない。それは、マリーにとっても避けたいことである。


 ちなみに、イシュタリアを除けば、サララだけはマリーがナタリアによって……まあ、色々されちゃったことを知っている。別に隠していたわけでは無かったが、さすがにサララも慰めの言葉が出てこないのだろう。「名器ってことなんだよね?」というよく分からない慰めが、ある意味一番辛かったのはマリーだけの秘密である。



「そ、それで、本題は何だ? これ以上この話を引きずるとアイツが来るかも分からん」



 強引に話を戻す。元々イシュタリアもそれ以上マリーを茶化すつもりはないのか、イシュタリアは素直に受け入れた。



「以前、お主の血液を採取したことがあったのを覚えておるか?」

「……ああ、館に帰ってきてすぐにやったやつか?」



 言われて、マリーはあの後の事を思い出した。予想していたとおりに熱を出したサララを背負って館に帰った時、一時館の中は騒然となった。


 探究者であるからと思って最悪を覚悟していても、目の前で青ざめたサララを見て、平静を保てないのは当然であったのかもしれない。


 住人全員が心配そうにサララを見舞いする傍ら、ナタリアのことを紹介したり、成果を見せたりと色々している最中に、こっそりとそれは行われたのであった。



「何か病気でも見つかったのか?」



 そういえば目的を聞いていなかったなあ、と思い出しつつ尋ねると、イシュタリアは首を横に振った。



「いやいや、私は医者ではないからのう。そういうことは分からぬのじゃ」

「じゃあ、何を調べたんだ?」

「一言でいえば、魔力じゃな」

「……魔力?」



 興味を引かれたマリーは、のそりと毛布から体を出した。



「詳しい説明は言っても理解出来ぬと思うので省くが、一言でいえば、お主の魔力とナタリアの魔力が混ざり合っていることが分かったのじゃ」

「……ほう、それで?」

「それだけなのじゃ」



 ずるりと、マリーの肩から力が抜けた。拍子抜けもいい所である。冷たい眼差しを向けられることは分かっていたのか、イシュタリアは「いや、これだけでも凄いことなのじゃぞ」落ち着いた様子で弁明した。



「私も長年生きておるが、魔力が混ざり合うというのは今まで、ありえないこととされてきたことなのじゃ。そのありえないことが、今目の前にある……研究者が見れば、跳び上がらんばかりに興奮する話なのじゃぞ」

「ふーん、あっそ。それで、何か俺の身体に異常でも起こるのか?」

「それは分からぬ。なにせ、初めての事じゃからな。魔力は、問題なくコントロール出来ておるのか?」



 マリーは頷いた。



「それじゃったら、別に何かあるということは無いと思うのじゃ」

「……そうかい。それが分かれば十分だよ……俺はもう寝る。今日は朝までぐっすり眠れそうだからな」



 あっという間に興味を削がれたマリーは、話は終わりだと言わんばかりにイシュタリアへ背を向けると、横になった。


 いくら凄いことだと言われても、何かが変わるわけでもないと分かれば、もうマリーにとってそれはどうでもいいことであった。



「……お主の事だから、なんとなくこういう流れになることは分かっていたのじゃ……しかし、もう少し反応するべきじゃと思うのじゃが……」

「どういう反応を期待しているんだよ。まさか、俺がお前に飛び付いてそのまま致すことでも想像していたのか?」

「望むのであれば、やぶさかではないのう。何だかんだ言いつつ、お前は肝が座った良い男じゃからな」

「阿呆、そういうのは間に合っているんだよ」



 そう言うと、「お休み……」マリーは後ろ手で明かりの強さを弱めると、静かに目を瞑った。静寂と共に訪れた暗闇の中、イシュタリアは……深々とため息を吐いた。


 ……しかし、それでもマリーが反応してくれないので、イシュタリアは諦めて部屋を出ると、後ろ手で扉を閉める。こつん、と扉に背中を預けた。


 エネルギー節約の為に照明が落とされた廊下は、もはや暗闇と言っていい。時刻も深夜と相まってか、どの部屋も静まり返っており、物音一つ聞こえてこない。


 無言のまま、イシュタリアは指を立てる。途端、イシュタリアの指の先に小さな光が灯った。周囲を照らすにはあまりにか弱い明かりであったが、今はこれでも十分であった。



(ツレナイ反応ねえ……まあ、無理も無いか。ダンジョンの情報について何か知っているのかと思っていたナタリアも、蓋を開けてみれば、私達とそう変わらないと分かれば、そうもなるわね……)



 魔法術の光に映し出された天井を見上げながら、イシュタリアはぼんやりと思考を巡らせる。


 単純に一言で言い表すのであれば、ナタリアの知識はたいして役に立たなかった。


 なにせ、自分が居た隠し部屋が、元々何層にあったかも把握していなかったのだ。


 嫌な予感を覚えたが、何もしないよりはマシだと思って質問を重ねたのだが……結果は案の定だ。



 なぜ、モンスターがダンジョンで繁栄しているのかも知らない。

 なぜ、アイテムがダンジョンの中にあるのかも知らない。

 なぜ、ダンジョンの中からエネルギーが手に入るのかも知らない。



 知らない、知らない、知らない……思いつく限りの疑問を尋ねたが、ナタリアの知っていたことは、マリーたち人間が知っていることとほとんど一緒であった。


 戦闘面においては、地下六階のモンスターを片手間にぶち殺す申し分ないモノではあった。だが、マリーとイシュタリアが求めていたのはそれではない。


 欲しかったのは、戦力よりも情報だ。マリーは肩を落としていたが、イシュタリアは、おそらくマリー以上に落胆したのかも……いや、その時は落胆していた。



(分かったことと言えば、モンスターは誰に教えられたわけでもなく、階を移動出来ないことを知っていることと、階段に近づくと非常に嫌な気分になるということだけ……か。全てのモンスターがそうである保証は無いけど、やはり何かしらの理由があって地上には出てこられないのは確かなようね)



 なぜ、ナタリアが地上に出てこられたのか……いくつかの仮説を思いついているが、確信となる情報が無いので、全て保留にしている。


 とはいえ、全てが同じレベルの信頼性というわけではなく、数ある仮説の中でも、一番有力だとイシュタリアが思っているのは……ナタリアがマリーに行った性行為だ。


 ナタリア自身も、アレをやれば出られるようになると口にしていた。ということは、モンスターは地上の生物と繁殖行為を行えば、自由に地上とダンジョンを行き来できるようになるのだろうか?



 ……いや、違う。それはあくまで、結果論に過ぎない。イシュタリアは内心、首を横に振った。



 おそらく、ソレだけではない……性行為というはあくまで結果を生み出す手段であって、それが一番手っ取り早いから……そう、永久少女としてのイシュタリアが、否定する。



(……その後のマリーの状況から考えて、ナタリアが性行為に及んだ目的は、お互いの魔力を混ぜ合わせること。多分、それが目的だったのでしょうね)



 そこまで考えて、イシュタリアははっきりと苦笑した。と、同時に、イシュタリアの思考がカチリと切り替わった。



 だが、それならそれで不可解な点が一つある。それは先ほどイシュタリア自身が口にした、『お互いの魔力が混ぜあわされた』という点だ。



 実際、イシュタリアもその事に気づいた時、驚きのあまり言葉を失った。


 何故なら、魔力というものは、本来混ざり合うなんてことはない。人によってそれぞれ異なる指紋を持つように、それぞれが持つ魔力が変化することはないからだ。


 魔法術によって治療を行う等をした際でも、あくまで影響を受けるのは肉体の部分であって、魔力ではない。それを誰よりも知っているからこそ、イシュタリアはマリーの身に起こっていることが信じられなかった。



(考えてみれば、彼にも不可解な点はある……)



 イシュタリアの脳裏に浮かぶのは、数か月も前の事。


 あの時、イシュタリアは何時ものようにダンジョンに潜り、探究がてらダンジョンそのものの調査を行っていたのだが……その時、イシュタリアが見付けたのは不可解なマリーの状況であった。


 最初、イシュタリアがダンジョン内に閉じ込められたマリーの存在に気づいたのは偶然出会った。


 たまたま、壁の向こうに『魔力』の気配を探知したから。


 地下……何階かはイシュタリアも覚えていない。ただ、何者かがそこに居るということに気づいたイシュタリアはまず、魔法術を用いて覗き見することにした。


 そうして分かった事が、完全な密室空間にて、閉じ込められた美少女(その時は、そいつがマリーであるとは知らなかった)が居るという事。


 次に分かったのが、その子の傍にあるモンスターの死骸から、『ドッキリ・ワーム』による不運によって閉じ込められてしまっているという事。


 そして、最後に分かったのが……その子から感じ取れる『魔力』が、だ。イシュタリアの知るどの『魔力』とも異なる、不可思議なモノであるという事であった。



 それを何と説明すればいいのか……イシュタリア自身、未だによく分かっていない。



 ただ、強いて己が抱いた不可思議を何かに例えるならば、だ。空気のような……そう、『無色透明』だ。何色にも染まっていない、文字通りの原色。『生まれたての赤ん坊よりも無垢な色』というのが……近しいのかもしれない。



 故に、魔法術を通してマリーの姿を目にした時。イシュタリアは最初、マリーを人間であるとは認識出来なかった。



 だから、イシュタリアはマリーに対して強い興味を抱いた。だが、ダンジョンの壁が崩れ、外へと続く通路が出来て。


 急いでその通路の先(何十年ぶりかの全力全速であった)へと回り、外へと出たマリーが獣に襲われないよう、秘密裏に守りながら住居を突き止め……そうして、彼の人となりをつぶさに観察し続けた。


 マリーが外出している間に家の中に侵入して調べてみたし、周辺住民からの聞き込みも行った。役所に問い合わせ、何時頃にマリーが住んでいた建物が建築されたのかまで、徹底的に調べた。


 そうして分かったのは……そう、多くはなかった。というよりも、はっきり言えば、不自然な点は何一つ見つけられなかった。


 まず、マリーが『東京』へ来るまでの経緯は分からなかった。まあ、それは仕方ないことだ。毎日毎日、『東京』には様々な人々が訪れ、そして去ってゆく。ある者は夢を手にし、ある者は夢に破れ、様々な事情を抱えたまま。


 その中には、過去を語らない者は多い。当然、そこに老若男女の区別はない。過去を背負って来た者もいれば、一切合財を置いて来た者もいる。マリーの場合は……おそらく、後者だろう。


 何故なら、あの部屋には過去の手掛かりとなる物は何もなく、あるのは『東京』で手に入る物ばかりであったからだ。


 だからなのか、かつての彼は慣れ合うのが嫌いだったようで、かつての彼を覚えている者はおらず、居ても『そういえば、そんなやつを見かけたな』という程度の事しか分からなかった。


 建物だって、この『東京』では有り触れた建築物の一つに過ぎなかった。古臭い部分はあるが、それだけだ。まあ、他の住人の姿が見られなかったのは……まあいい。



(……良い人、であるのは確かなのよね)



 イシュタリアの脳裏に浮かぶのは、マリーとのこれまでの日々であった。


 マリー自身に話すつもりはないが、正直なところ、マリーは凄い人だとイシュタリアは思っている。短い期間ではあるし、些か強引に同行した身だ。もっと邪険に扱われると思っていたが……違った。



(同じご飯を食べ、言葉を聞いて、性根を知った。彼は、本当に良い人だ。口調は荒いし過激な部分もあるけど、むやみに誰かを傷つけたりはしないし、情に絆されやすく、同時に、情が移りやすい部分もある)



 気付けば、受け入れられているのだ。


 それは、館の女性たちにではない。マリー自身に、受け入れられている。短い付き合いではあるが、それを言動の片隅から、所作の片隅から感じ取れるのを実感する。



 ……何と、強い人なのだろう。今にして、イシュタリアはマリーをそう評価している。



 ダンジョン内にて、イシュタリアがマリーの状況に気付く前。


 いったい、どれだけの期間をあの場所で過ごしたのか。それはイシュタリアには分からない事だが……相当なトラウマを抱えることになったのは、想像するまでもない。


 なのに、彼は立ち直っている。


 未だその胸中には傷が残っている(新たに出来た傷も含めて)はずなのに、表面上は平静を装えるにまで回復している。魔力操作による強化など、その強さに比べたら……いや、止めよう。


 ここで考えたところで、答えなど出るはずもない。そこまで考えて、イシュタリアははっきりと苦笑した。と、同時に、イシュタリアの思考がカチリと切り替わった。


 途端、イシュタリアの脳裏に浮かんだのは……今回マリーが負うはめになった、諸々の事であった。



「――とはいえ、さすがにアレは気の毒過ぎて笑えんのじゃ……」



 ナタリア自身は、おそらくそれの意味もアレの危険性も理解していないのだろう。もし理解しているのであれば、射精の快感に心奪われて抜かずの七連発なんて暴挙に出るはずが無い。


 途中まで美少年(?)同士の絡み合いに目の保養と言わんばかりに鼻の下を伸ばしていたイシュタリアも、さすがにマリーの目から生気が消えかけたのを見て、慌てて止めに入ったぐらいだ。


 無理やり引きはがしたことで露わになったマリーのそこを見て、女を数百年やっているイシュタリアですら思わず背筋を震わせたのは……まあ、彼女だけの秘密である。


 ……どれだけ酷い状態であったかと言えば、イシュタリアとしても、あれは流石に不味かったなあ……と思ってしまうぐらいの状態……と考えていただければ、だいたいの察しはつくだろうか。



「あれは成人した女であっても裂けるサイズじゃったからなあ……私がやっていたら、辺り一面が血の海になっていたじゃろうなあ」



 カリカリと頬を掻いて、ため息を吐いた。だが、不幸中の幸い(マリーにとっては地獄だろうが)というべきか、ナタリアのそっちの興味は男にしか向いていない。


 ナタリア曰く『こんなの付いているけど、いちおう私は自分のことを女だと思っているのよ』ということらしいので、本質的には女なのだろう。マリーには気の毒としか言えないが、我慢してもらうより他あるまい。



(とはいえ、どうするかのう……ナタリアのやつも、かなり欲求不満になってきているようじゃしなあ……モンスターであるからなのかは分からぬが、欲求を別の方向に発散出来ていないようじゃし、何とかマリーを説得してみるか?)



 ……無理だな、というか酷すぎる。イシュタリアはすぐにその考えを捨てた。


 マリーが受けた心の傷は未だ治っていないし、無意識に防御反応を示している。このタイミングで再び行為に及ぼうものなら、今度こそ限界を超えたマリーによって物理的にミンチにされるだろう。というか、それよりも前にサララが本気で二人を殺しに来るだろう。



(……今度、適当な男娼でも見つけてきて宛がってみようかのう……いや、駄目じゃな。あの小娘、覚えたての猿が如く自制が効かぬから、誰を宛がっても一晩で駄目にしてしまうじゃろうし……ううむ、参ったのじゃ)



 ガリガリと、イシュタリアは頭を掻く。


 そもそも、誰彼を宛がったところで、ナタリアが満足するのかは微妙なところだ。考えてみれば、極上を通り越して至高とも言っていいレベルの美しさを持つマリーが最初の相手なのだ。


 ナタリアからすれば、いくらそういう方面に手慣れた男娼と言えど、所詮はマリーよりも格下でしかないのだろうと思う。とりあえずの満足を得たとしても、二人目、三人目と数を重ねて行くにつれて、不満を抱くようになるだろう。



(むう……私が相手をしてやれれば色々と収まるのじゃが、女相手ではピクリとも食指が動かぬようじゃしなあ)



 イシュタリアとて、ただマリーに任せるばかりで傍観していたわけではない。連れてきた責任の片方を担っている以上は、やれることはやった。


 多少なり錆びついてはいたが、かつて培った性技を駆使し、持てる技は全て披露した。しかし、ナタリアのアレはぴくりともせず、何の成果も得られなかった。


 入浴の時だって、そうだ。近頃は館の女性たちと一緒に入っているようだが、あの時以来、イシュタリアはいまだに女性を相手に起立したところを見ていない。


 上玉と言っていい館の女たちを前にしても、反応するどころか全く興味を示さないのだ。イシュタリアですら無理なのだから、そこらの娼婦を連れてきたところで、何も出来なくて終わるのは目に見えていた。


 女性陣もそこらへんに関しては普通の人以上に分別があるので、気紛れでも手を出そうと考える人もいない。というか、あんな化け物サイズを味見しようとする命知らずという名の馬鹿は、この館にはいない。



(かといって薬で無理やり立たせるのも本末転倒というやつじゃし……いかんぞ、これではますますマリーが相手する他なくなってしまうのじゃ)



 イシュタリアとしても、せっかく地上へ連れてきたのだ。無知ではあるものの素直だし、文句ひとつ言わずに言うことを聞くこともあって、なかなかに気に入っていると言っても過言ではない相手だ。


 今はなんとか自力で発散しているようではあるが、禁忌の味を知った身だ。いずれ、我慢の限界に達するだろう。その時までに、何かしらの対策を考えておかねばならない。



(……兎にも角にも、アレを受け入れられることが可能な男娼を見つけてくるのが先決じゃな……まあ、顔は諦めてもらうとするかのう……というか、これで顔まで注文してきたらちんこ捻じ曲げてやるのじゃ)



 そこまで考えて、ふと、イシュタリアは廊下の向こうにある気配に目を向けた。常人であれば姿を確認することはおろか、気配すら感じ取れないぐらいに溶け込んだ暗闇の向こうへ……イシュタリアは、深々とため息を吐いた。



「やれやれ……」



 疲れたようにもう一度ため息を吐いたイシュタリアは、少しばかり気配のある方へと歩み寄った。とん、とん、と地面を叩く軽やかな足音が暗闇の廊下に響く……その足音が、ピタリと止まった。



「……ナタリア。そこで何をしておる?」



 じろりと、イシュタリアの眼差しが暗闇へと向けられる。しばしの後、ぬるりと音も無くナタリアが暗闇から顔を覗かせた。けれども、その視線は決してナタリアの方を向いておらず、明後日の方向へ向けられていた。



「…………」



 黙って見つめていても、ナタリアは何も答えない。こんな夜更けに、こんな場所をうろついている……トイレにしては、妙にバツが悪そうな顔だ。それを見て、イシュタリアは何となく理由を察した。


 スーッと、明かりがともされた指先を下げる。光に照らされたナタリアの姿……シャツとトランクスを内側から押し上げている膨らみを見て、イシュタリアは頭を押さえた。



「……我慢、出来なくなったのじゃな?」

「…………」



 ナタリアは何も言わなかった。けれども、ほんの僅かではあるが、頷いたのを、イシュタリアは見逃さなかった。



(何度見てもビッグサイズじゃのう)



 というか、膨らみの頂点に出来ているシミがいっそう濃くなったので、見逃すも見逃さないもない。ビクビクと脈動している凶器を見る限り、本当に我慢の限界なのかもしれない。



「……ふむ」



 ごそごそと、イシュタリアはマリーの部屋に行く前に脱衣所にてくすねたソレを、ナタリアへ放った。ほとんど反射的にソレを受け取ったナタリアは、ソレを見た途端……興奮に、頬を赤らめた。



「今度、男娼館へ連れて行ってやろう。それまで我慢するのじゃ」

「……だん、しょうかん?」



 ふがふがとソレに鼻先を埋めていたナタリアが、顔をあげた。



「説明はその時にしてやるのじゃ。今は、外で好きなだけ発散してくるのじゃ」



 ……静かに、ナタリアは頷いた。


『夜は静かに!』とマリアから厳命されているナタリアは、そのまま足音を殺して暗闇の彼方へと姿を消した。気配が、遠ざかっていくのを知覚したイシュタリアは……困ったように微笑んだ。



(やれやれ、当面は臭いで誤魔化しながら私が頑張る他あるまい……か)



 ふわあ、とイシュタリアは大きな欠伸を零した。





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