第三話: 口調が怪しい謎の女()





「――とにかく、目に映るモノは片端から血祭りにしてしまえ」



 突然のマリーの発言に、サララはぱちぱちと瞬きをした。今、マリーとサララはダンジョン内部へと繋がる入口である、ルームへとやって来ていた。


 当然のことながら、周囲にはマリーとサララ以外の、大勢の探究者がいる。ダンジョンから帰還した探究者の救護に当たっている医者の姿もいる。やってくる探究者の受付を行っている職員もいる。


 その中で、麗しくも儚さを感じさせる、見た目は美少女(実際は男)の口から放たれた言葉に、たまたま傍を通りかかった探究者たちは例外なくギョッと目を見開いた。驚きのあまり、立ち止まる者すらいた。


 しかし、幾人もの視線が集まっていることに気づいていないマリーは、今しがた口にした己の発言に決意を込めるかのように「いいか、サララ。目の前に現れるモンスターは、少ない金か、多い金かの違いしかない」と付け足した。



 ……視点を変えれば、それは事実である。



 しかしそれは、恐ろしい程に物騒であると同時に、命知らずな発言でもある。普通であったならば、そんな発言をしたやつはよほどの例外を除いて、失笑を買うことになってしまう。


 当然、それはマリーとて例外では無い。ところどころで嘲笑の囁きが聞こえてきたが……マリーの銀髪色の髪と血のように赤い瞳を見て、あることを思い出した人は、例外なくその笑みを止めた。



『おい……あの小娘、まさかブラッディ・マリーじゃねえのか?』



 人々の雑踏から、染み出るようにして聞こえてきたその言葉に、ぴくん、とサララの耳が動いた。



『ああ、間違いない。銀髪色の髪、美しい少女、赤い瞳……全部、噂の通りだ』

『と、いうことは、まさかあいつが、あのベルセルクってやつなのか?』



 聞こえて来る声に、サララの目じりがピクリと震えた。



(違う、ベルセルクじゃない。マリーの渾名は、ブラッディ・マリー。私が付けた、マリーの格好いい渾名)



 そう、サララは聞こえてきた声に向かって、心の中で訂正する。しかし、話している人たちは心が読めるわけでは無いので、当たり前だがサララの念は届くことは無かった。



『あいつ、また来ていやがる……あんな小さい身体しているくせに、素手でモーヴァの体当たりを受け止めるって、本当なのか?』

『本当だよ。私、この前見たんだ。私よりも頭一つ分は小さいのに、モーヴァの尻尾を掴んで、こん棒代わりに振り回していたのを……』

『ま、マジかよ……モーヴァって、あれ確か体重は大の大人並みだろ? 重いやつになると100キロを超えるって聞いたことあるが……も、もちろん、小さなやつだよな? な?』

『……少なくとも、私が探究者となって、始めて見るサイズだったわよ……大きな方の……ね』

『……俺、声かけようと思っていたけど、止めることにした』



 ぽつぽつと、マリーの姿を見止めた幾人もの探究者たちが、仲間同士で囁き合っている。チラリと、サララはマリーから視線を外さずに、周囲から聞こえてくる声に耳を澄ませる。


 新たな姿になってから、すっかり注目されることに慣れていたマリーは、周囲から聞こえてくる雑言を、『どうでもよいこと』として、右の耳から左の耳へと受け流している。


 だからだろうか……周囲からの視線に畏怖が混ざり始めていることに、マリーは全く気付く様子が無かった。


 サララですら、とっくに気づいているというのに……慣れとは、本当に恐ろしいものだ。ダンジョン内という限定的な空間であれば、その注意力はサララなんぞ、足元にも及ばないというのに……。



(……あ、いけない、マリーの話を聞かねば)



 少しばかりご満悦な気分を味わっていたサララは、マリーに気づかれないように意識を切り替えると、先ほどの発言に対して、質問した。



「……作戦とか、そういうのは無いの?」



 当然と言えば、当然なサララの質問に、マリーは不敵な笑みを浮かべた。



「絶対に無理をせず、深追いをせず、臨機応変でぶっ殺せ。それが、今回の作戦だ」



 なるほど、シンプルな作戦だ。要は、余計な欲を出さずに慎重にやれ、ということだ。



「分かった……ところで、この槍にも慣れてきた。そろそろ私が直接戦闘に参加しても、いい?」



 そう言うと、サララは肩に縦に持っていた鉄槍を、マリーへと見せた。


 ピン、と天を突くように立てられた強化鉄槍(きょうかてつそう)の柄は、しっかりとサララの手によって固定されており、微動すらしない。


 サララの胸部を覆っているプレートと、首に掛けられたビッグ・ポケットの重量はそれなりのものになっているはずなのだが、サララは意に介した様子はなかった。


 ジロリと、マリーはサララを見つめる。脳天から、靴の爪先まで、舐め回すように視線を這わせる。「ど、どうかな?」と不安げな眼差しを向けるサララを他所に、マリーは槍を掴んでない方の手を取ると、そっと掌を広げた。


 そこは、少女の小さな掌とは思えない有様であった。


 擦れて傷となった摩擦傷に、潰れた血豆に滲む血痕。指先をそっとサララの掌に這わせられれば、何とも言えない凸凹感が伝わってくる。そこに、サララの努力が形となって表れていると、マリーは理解する。



(こいつ、隙あらば槍を振り回していたからなあ……いくら若いっていったって、こうなるよなあ……)



 いくら気功術で回復力を高めているとはいえ、回復量にも限度がある。筋肉痛になれば他の人と同じように痛いし、他の人と同じように疲労をする。普通なら、ここまで豆を潰す前に、適度に休憩をはさむものだろう。


 しかし、サララは違う。己の力が足りないのであれば、言い訳を言うよりも前に行動する。努力を重ねる強さと根性を持っている稀有な少女だ。


 危険だと分かっているダンジョンに、単身乗り込もうとしていたぐらいだ……そのバイタリティというか、無鉄砲なまでの行動力は称賛されるべきものなのかもしれない。


 けれども、だ。無茶をし過ぎる傾向にあるということは、否定できない。


 というか、現在進行形で無茶をしている部分がある。なので、これまでマリーは一度としてサララを直接戦闘に参加させるようなことはせず、常に防御だけを考えて置けと指示してきた。


 ただ……そろそろいいかもしれない。サララの掌を見て、そう、マリーは思う。



(昨日は言い聞かせたからしっかり身体を休めていたようだし、さすがに頃合いか……いいかげん、サララも我慢の限界みたいだし。こいつ、変なところで頑固な部分があるからなあ……後で爆発されたら堪らん)



 サララが持っている鉄槍へと、視線を向ける。普通の鉄槍とは少し違い、それはモンスターを相手にするために、強度と切れ味が強化されている強化鉄槍だ。


 モンスターの一撃を食らっても早々折れることはない、使用されている鉄自体が特殊な加工が施されている対モンスター用の武器である。使いこなせれば、安全圏から一方的に攻撃することが可能である。


 しかし、探究大都市『東京』において、槍の使い手はそう多くはない。何故かといえば、振り回すという単純ながら有用性の幅広さそのものが武器になる『剣』とは違い、ただ振り回すだけでも鍛錬が必要だからだ。


 そんな、ただでさえ武器の中でも扱い辛い『槍』の中でも、さらに、強化鉄槍はその仕様上、通常の鉄槍よりもさらに重量が増しているという欠点を持つ。だから、サララほどの年齢で『槍』を武器にする者は、おそらく数えるぐらいしかいないだろう。


 そこまで扱いづらい武器を、なぜサララは使っているのだろうか。


 それは、サララ自身が己のフィジカル(身体能力)の低さを改めて自覚したからである。具体的に言い直すのであれば、己が非力かつ軽すぎることを思い知ったのだ。


 というのも、だ。業物である遅毒槍は、強化鉄槍並みの強度と切れ味を持ちながら、その重量は一般的な槍とほぼ同じという、強いアドバンテージを持った武器だ。


 ただ、それは同時に欠点にもなり得る。軽い分だけ身体への負荷は少ないのだが、その分だけ、武器そのものの重さを一撃に乗せても、そこまでの威力を出せないのだ。


 元々、サララはシャラのような恵まれた体系ではない。骨格などの基礎的な部分が男性並みのシャラとは違い、むしろ小柄な体型であるサララにとって、身軽さは常人以上に決定力へと直結する。


 槍使いであるシャラから手解きを受けたからサララも槍を使ってはいるが、それとは別に武器そのものの重量も己にとっては重要であることに、サララはあの体験を通して気づいたのだ。


 その為に、サララは槍の中でも重い部類に入る強化鉄槍を選んだ。非力であっても、武器そのものの重さでカバー出来ればという判断から……けれども、そう容易くサララの思うように事は運ばなかった。


 遅毒槍よりもかなり重量のあるこの槍は、サララが思っている以上に重く扱いきれなかったのである。


 最初の頃は特に酷い物で、振り回すことはおろか、持ち上げることすら難しかった。何とか構えられても重心が上手く取れず、少しの事でバランスを崩すことが多かったぐらいだ。


 しかし、サララは諦めることも、不貞腐れることもなかった。


 あれから一日も休むことなく使い続けた鉄槍は、今ではすっかりサララの手に馴染んでいる。愚直なまでの努力が、それを可能にしたのだ……サララの掌を見て、マリーはそう確信した。



「……まあ、いいだろ。それじゃあ、後衛は任せるぞ」

「――っ、うん!」


 そうマリーが告げた直後、サララの表情が目に見えて明るくなる。普段、他人の前では滅多に表情を変えないサララであるが、今回ばかりは微笑みを浮かべた。








 金を稼ぐという点は前のアイテム探しの時と同じではあるが、ここ数十日ぐらいに渡って行っている何時ものやり方とは少し違う。


 今までのように2~3日潜って帰還する……という探究者にとっては一般的な行程では無く、今回は長くても2日までと、エイミーから一度の探究日数を限定されていた。


 なぜ、日数を限定するのだろうか。


 サララはもちろんのこと、マリーですら、そんなことをするエイミーの意図が掴めなかった。移動時間や手間を考えれば、いつものやり方の方がずっと効率が良いのだ。


 なぜ、いつものやり方をしないのだろうか……そう、困惑に首を傾げる二人を前に、エイミーは『それはね』と指を立てた。



『今回はまとまった金額をドカンと持ち帰るよりも、多少は少なくてもいいから、常に一定の資金を用意してほしいの。おそらく、資金のほとんどは右から左に流しちゃうだろうから……とにかく、供給が途切れないようにしてほしいの』



 というのが、理由であった。


 すぐに使ってしまう、という辺りに少し疑問を抱かないわけでも無かったが、考えるのが面倒になったマリーは、あっさり提案を了解した。もちろん、マリーが頷いたことを、サララが異を唱えるわけがない。


 エイミーがそう言っているのなら、そうすればいい。


 結局、そういうことで納得した二人の装備は、以前潜った時よりいくらか軽装となっている。極力日帰りすることを求められている以上、そうなるのは必然であった。


 とはいえ、さすがに軽くなっているのはビッグ・ポケットの中身だけで、装備品は以前と同じかそれに近い物にはしているが……気持ちの面では、いくらか気楽になっているのは否定出来なかった。



「……お主がブラッディ・マリーとかいう小娘じゃな?」



 だからだろうか。不敵な笑みを浮かべながら、二人の進行方向に立ちふさがった少女を、マリーは自然な動作で無視して、あまつさえ少女の横を通り過ぎた。



「……んん?」



 何が起きたのか、理解出来ない。不敵な笑みはあっという間にくずれ、ぽかんと目がまん丸を描く。意外と幼い顔つきの少女は、はて、と首を傾げた。








 ―――――地上階―――――






 ――少女は、己のことを『私の名は、イシュタリアじゃ』と呼んだ。


 腰まで伸ばした黒髪に、黒い瞳。黒をイメージした特徴的なドレスの間から覗く白い肌が、絶妙なコントラストを生み出している。どこかアンニュイな雰囲気を醸し出している彼女は、マリーとは別ベクトルの美しさがあった。


 ともすれば、まるでそこだけが別世界になってしまったかのような華やかさだ。


 イシュタリアの首に掛けられたビッグ・ポケットが、唯一彼女が他の人と同じ探究者であることを表していた。


 少しばかり目つきが鋭い顔立ちをしているからか、それともイシュタリアの身体から放たれる威圧感とも言うべき何かが、そうさせるのか。


 ただ微笑んでいるというだけで、通り過ぎる人たちを色々な意味で軒並み震え上がらせていた。それはけして、誇張でも何でもなかった。


 実際、ダンジョン入口のルームでは、イシュタリアの姿を見止めたほとんどの人間が足を止めている。「ちょいと私が凄んでやれば、ほら、この通りじゃ」と無い胸を張るイシュタリアの言葉を聞きながら、マリーとサララはのんびりと地下一階へと足を動かしていた。



「お主の噂は聞いておる。なんでも、超密度のエネルギーを持ち帰ったらしいではないか。おかげで私の研究に必要となるエネルギーを大量に購入出来た。それについて、お礼を言いたいのじゃ」

「………………」



 ……なんか、物凄く変わった話し方をするやつだなあ。



 それが、マリーのイシュタリアに対する第一印象であった。


 顔立ちは、ハッと息を呑むほどに整っている。出るところに出れば、ひと財産稼げるだろうと思える程の美貌だ。けれども、イシュタリアの口調がそれら全てを台無しにしている。そう、マリーは思った。



(……サララよりも、いくらか小さいな。いや、むしろサララが大きい……いや、サララも大きい方じゃないな)



 チラリと、横目でイシュタリアの胸元を見やりつつ、マリーはかりかりと頭を掻いた。この面倒な少女をどうしようかと頭を悩ませているマリーを他所に、イシュタリアは「――ただし!」と一人鼻息が荒かった。



「かといって、自惚れるではないぞ。 私が本気になれば、あれぐらいのアイテムの一つや二つ、何時でも手に入れることが出来るのじゃ! 浮かれているばかりでは、その内足元を掬われるから、気を付けるのじゃぞ」

「………………」

「ああ、いちいち言葉にせんでもよい。なぜ、私がお主らを見つけられたのか、ということじゃろ? それは私がわざわざお主が来るのを、ルームで待ち伏せしていたからじゃ。光栄に思うがよい。私が直々にそんなことをしたと、とある筋にバレたら、お主は明日からもっと有名人になってしまうからな……今回の逢瀬は、私とお主らだけの秘密にしておくのじゃぞ」

「………………」

「……のう、勝手に付いて来ている私が聞くのも何じゃが、いくら私でも無視されっぱなしは傷つくのじゃ……」



 しかし、他者を人睨みで圧倒させてしまうイシュタリアであるが、さすがに一向に反応が返ってこないことに我慢できなくなったのだろう。


 ため息と共に振り返ったマリーが見たのは、己とそう背丈が変わらないイシュタリアが、しゅん、と落ち込んだ様子で俯いている姿であった。



「……名前は、イシュタリア、でいいんだよな?」

「ふははは、そうじゃ! 正確に言うのならば、イシュタリア・フェペランクス・ホーマン。それが、私の名前なのじゃ!」



 先ほどまでの様子は演技だったのだろうか。


 そう思う程に、イシュタリアの機嫌が一瞬で変わった。姿かたちが同じの別人を、そのまま取り替えたかのような態度の変わりように、マリーの視線が心もち厳しくなる。


 二人のやり取りを黙って見つめていたサララは、とりあえずイシュタリアを追い払うべきなのかどうか、頭を悩ませていた。



「……それで、その光栄なイシュタリア様が、俺たちに何の用だ? あいにくと、俺たちはこれから潜らねばならんからな……要件があるなら、さっさと話せ」



 高笑いを続けるイシュタリアに、マリーはそう尋ねた。少しばかり視線に鈍感になっていたマリーも、さすがに自分たちへと視線が集まってきていることぐらいは分かる。地上階にて鉱石を探している探究者たちのものであろうそれは、楽観的に考えても好意的なものでは無さそうだ。



「……おっと、そうじゃった」



 ぽかん、とした様子で虚空を眺めていたイシュタリアは、ぽん、と手を叩いた。それを見て、マリーの頬が引き攣った。独特の話し方もそうだが、ところどころの仕草に、どこかちぐはぐな印象を覚える。



「……まさか、ただ話しかけてきただけ?」

「いやいや、ちゃんと理由はあるのじゃ」



 白い眼差しを向けられたイシュタリアは、違う、と手を顔の横で振った。


 次いで、「それは、じゃなぁ……」にやにやと気色の悪い笑みを浮かべると、音も無く……マリーですら反応出来ない速度で、イシュタリアの唇がマリーの耳に触れた。



“あなた、ワームについてはご存じ?”



 ぽそぽそ、と放たれたその言葉。ふっ、と感じたイシュタリアの温かい吐息を感じた瞬間、マリーの目は大きく見開かれた。


 くふふ、と笑い声がマリーの耳をくすぐった。先ほどまでの、どこか演技臭い話し方とは違う……もっと幼い印象を覚える、声であった。



“ああ、やっぱり”



 ぎょろり、と紅色の瞳がイシュタリアへと向けられる。ぬるりと伸ばされた手が、イシュタリアを捕まえようと指を広げる――けれども、遅かった。


 近づいた時と同じように、イシュタリアは音も無く距離を取っていた。放たれたマリーの手は、イシュタリアの服の裾はおろか端すら掴むことが出来ず、空を切った。


 ――ふわり、と空気が舞い踊る。


 常人ならば、何が起こったのか反応すら出来ない速度で放たれた一瞬の動作。ビュォウ、と押し出した空気が突風となって、砂埃を舞い上げる。


 近くで鉱石を採掘していた、少し年老いた男性から「ぎゃあっ!」と悲鳴があがった……そんな中で、イシュタリアは……静かに、笑みを浮かべていた。



「――っ、マリー!?」



 反応に遅れたサララが、ぶおん、と重量感のある鉄槍を振るう。ウィッチ・ローザの光にきらめいた必殺の一撃は、イシュタリアの眼前……鼻先数センチ前を空ぶって、地面に激突した。



(――っ、避けられた!?)



 ずどん、と突き刺さった刃先が、地面を陥没させる。と、同時に、サララはすぐさま槍の柄を背中から両腕の間へと通して、槍を支える。気合と共に「ふん!」重心移動と体全部を使って、槍を一気に振り上げ――。



「まあ、落ち着くのじゃ」



 ようとしたが、それはイシュタリアの蹴りで止められた。特別速いわけでも、重そうにも見えないそれは、サララから見れば、何気なく足を出したようにしか見えなかった。


 けれども、サララの槍は現に止められた。その現実に、サララの表情が凍りつく。

 まるで、巨大な鋼鉄にブチ当てたかのような感触であった。サララから見ても可愛らしいと思える小さな靴を履いた足は、移動に掛かっていたエネルギーをいきなり0にした。



「――いっ、つぅ!?」



 刃先に近い部分の柄を蹴られて、がくん、と動きを止めたサララは姿勢を崩す。その反動は、槍を押さえていたサララの肉体へと跳ね返り、サララの顔を、苦痛に歪めた。


 けれども、その程度でサララの闘志は緩まない。(まだだ!)両脇と両腕から走る鈍痛を堪えつつ、サララは全身の力を緩め、引き締め、槍を掴んだまま後方へと――。


「ほほう、反応は中々。しかし、それでは遅いのう」

「――ぁ!?」



 跳ぼうとした瞬間、ぐん、とサララの視界が動いた。凄まじい衝撃が全身を駆け巡り、ふわりと、身体の自由が効かなくなる。足先に……地面の感触が、無かった。



「……え?」



 眼前に迫る土壁を見て、サララは呆気に取られる。何が起きたのか、サララには全く分からない……思考が現実に追いつく前に、サララは全身を天井へと強かに叩きつけられていた。



(――っ!?)



 視界が光に包まれる。けれども、痛みは、ほとんど感じなかった。


 ただ、衝撃が全身を走り、今度はフッと視界が真っ暗になる。パチパチと、目の奥で火花が散ったかと思ったら、今度はググッと背中が引っ張られる感覚を覚えた。


 瞬間、サララは己の状態を理解した。


 けれども、理解した時にはあまりに遅すぎた。空中という、非常に姿勢制御が難しい状態の中、一瞬とはいえ、己の状態を見失っていたサララに、着地体勢が取れるはずも無く……。


 声にならない悲鳴をあげながら、サララはジタバタと空中で手足をばたつかせることも出来ず、来たるであろう瞬間を想像すると同時にサララは気を失った。







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