第二話: 女の意地

 



「やるからには、絶対成功させるわよ」



 鼻息荒く言い放ったエイミーのその言葉と共に、ラビアン・ローズの住人達は話し合った結果、二つのグループに分かれることとなった。


 一つは、ダンジョンに入って資金を調達し、エネルギー・ボトルを用意する出稼ぎチーム。これにはマリーを含む数名が担当し、少しでも資金を稼ぐのを目的としたチームである。


 その内容とは、マリーとサララが主となって資金を集め、他の女性陣は現在就いている仕事の時間を調節しながら、もう一つの方と共同する。それが、出稼ぎチームの当面の行動方針として決まった。


 そして、残ったもう一つ。こちらは館に残ってカチュの実を栽培するに当たって必要となる、あらゆる大事から細事までを受け持つ、言うなれば農作部隊だ。


 こちらにはマリアを含む表の仕事に就いていない数名の女性陣と、仕事には就いていたが、ほとんど日雇いに近い状態で働いていた残りの女性陣全員。そして、収穫までの全面的な指揮を執ることとなった、エイミーが所属することとなった。



「とにかく、何をするにしても先立つものが無ければどうにもならないわ。それに、少しでも時間が惜しい今、出来る限り早く行動した方がいいわ」



 そう告げたエイミーの一言に、ラビアン・ローズの住人達は一斉に行動を開始した。








 玄関の扉を開けた瞬間、むせ返るような草木の臭いが、もわっとエイミーの顔に纏わりついた。これから行うことに合わせて、手首足首まで袖がある衣服に手足を通したわけだが、さすがに少し暑い。


 館の正面の庭が酷い状態なので、館の中に居る時でも時々風に乗って何とも言えない青臭さを感じていた。しかし、改めてこうやって眼前に広がるそれと対面すると、もはや異臭と感じられる程度に酷かった。



「……久しぶりに体のラインがはっきり出るやつを着ているのを見たけど、本当に凄いわね」

「放っておいてちょうだい」



 パンパンに張りつめたシャツの膨らみを横から眺めていたマリアが、思わずといった様子で呟く。マリア自身、平均レベルを大幅に上回る膨らみを所持してはいるが、それでもエイミーと並ぶと小さく見える。


 その、エイミーと言えば、だ。同性とはいえ、マジマジと眺められることに少なからず抵抗を覚えたようで、そっと胸元を隠した。


 ……エイミー自身、ラビアン・ローズに来るまでは数多の娼婦たち同様に、身体を売ることで生計を立てていた身だ。


 自分の裸身……特に、胸が男のみならず同性からの視線までもを集めてしまうことは、よく理解している。というか、嫌でも理解させられる。


 一時はこれを武器にしていただけあって、自らの膨らみのさわり心地の良さは把握している。男たちが触りたくなる気持ちも、なんとなくではあるが共感する部分はある。


 けれども、だ。


 不躾に見られて恥じ入らないわけじゃないし、嫌悪感を覚えないわけでもない。さすがにコレとの付き合いは長いので、今更視線一つでどうこう言うつもりはないが……煩わしく思ったことは、一度や二度ではない。


 ふう、とエイミーはため息を吐いた。深く息を吸い込むだけで、ぴちぴちに伸びきったシャツに圧迫された胸部が、締め付けられる。この感覚がどうも慣れなくて、日ごろからゆったりとしたセーターばかり着ていたのだが、これから土いじりをするというのに、いつもの恰好をするわけにはいかない。



(……見られるのはしょうがないことだとしても、やっぱりこういった格好はあまりしたくはないわね)



 大恩を感じているマリア相手でも、館の仲間たち相手でも、少し抵抗を覚えることは変わらない。例外があるとすれば、見た目が完全に少女の外見をしたマリーや、そういった興味が全く感じられないサララぐらいのものだろうか。



 ――いけない、気持ちを切り替えなくては。



 知らず知らずのうちに落ち込みかけた気持ちを、奮い立たせる。一つ、気合を入れ直していたエイミーの背中に「よし、やるか!」という威勢の良い掛け声が届いた。


 エイミーが振り返ると、そこには右足を微かに地面と擦らせながら歩く、シャラの姿が見えた。ぴたり、と二人の視線が交差する……と、シャラは朗らかな笑みを浮かべて手を振った。



「ねえ、エイミー。この恰好で大丈夫かい?」

「ええ、それで十分。袖の隙間をしっかり覆い隠せれば、それでいいのよ」



 がばっと両腕を広げてアピールするシャラに、エイミーは笑顔と共に頷いた。


 帽子に長袖長ズボン。物置に残されていた、汚れた手袋を両手に装着した、ラフではあるものの、農作業に適した格好だ。街中であったら二度は振り返りそうな美貌と、服の上からでも分かる見事なプロポーションが無ければ、なかなか違和感のない姿である。



「畑仕事なんて、子供の時以来だわ」

「私は花ぐらいしか育てたことないわよ」



 シャラの後ろから、続々と他の女性たちも姿を見せる。スタイルもそうだが、全員が顔の良さが素晴らしいだけあって、野暮ったい恰好でも何となく華やいで映る。


 その中でも、ひと際華やいでいたマリアが、ちらりと庭へと視線を向ける。ぐるりと全体を見回した後、早くも疲れたようにため息を吐いた。



「……改めて思うけど、これはなかなか酷い有様だわ」

「なまじ元々広いだけあって、見ているだけでウンザリしてくるよ」



 生暖かい風に自慢の赤髪をなびかせながら、シャラも思わず冗談を吐く。やる気は十分だが、如何せん、ここにいるのは素人と、それに毛が生えた程度の素人が十数名。知識があるのは、エイミーただ一人だけだ。


 はてさて、まずはどこから手を付けるのだろうか。全員の視線が、無言のままエイミーへと集まっていき……エイミーは、静かに首を縦に振ると、全員の顔を見回した。



「今からやることは、目に映る全ての草を引き抜くこと。でも、全員が闇雲にやったら、何時まで経っても終わらないから役割分担を決めるわよ。それじゃあ、まず――っ」

「あ、ちょっと待ってください」



 絶妙なタイミングで、シャラに匹敵する程に背の高いビルギットが待ったを掛けた。思いがけないタイミングで話の腰を折られたエイミーは、軽く目を瞬かせると、「なあに?」と首を傾げた。



「カチュの実の説明を受けた時に思ったのですが、その『周辺の木々を枯らしてしまう』という特性利用して、庭の雑草を根こそぎ枯らしてしまうのはどうでしょうか?」



 どうせ全部引き抜いてしまうのですし、せっかくだから雑草を利用してみては?


 そう提案したビルギットの言葉に、エイミーは少し考えた後……「私も最初にそれを考えたわ」と頷いた。けれども、すぐに首を横に振った。



「でも、それは初めからカチュの種を持っていることが前提でしょ?」



 エイミーの言葉に、女性陣は、えっ、と目を見開いた。特に、質問したビルギットは困惑に視線を彷徨わせた。乱雑に切られたビルギットのショートカットが、内心の動揺を表すようにふわりと風に揺れた。



「……え、か、カチュの種って、すぐに手に入るものじゃないんですか?」



 焦ったように尋ねるビルギットに、エイミーは不思議そうに眼を瞬かせ……「ああ、そういえば話していなかったわね」と納得した。



「あまり知られていないけど、カチュの種はそうすぐに手に入るものじゃないの。実が高く売れるといっても、カチュの木自体は、元々は害木樹の一種だし、栽培する人なんてほとんどいないから……下手に発芽したら危ない種なんて、普通はどこも扱ったりしないでしょ」

「え、ええ……そ、それって大丈夫なんですか? 草むしりだって何だって頑張りますけど、種が無いのでは、どうしようもないのではないでしょうか……」



 ビルギットの言葉に、女性陣は同意するように頷いた。全員の瞳には程度の差こそあるが、例外なく焦りの色が滲んでいた。それは、元々この話を提案したマリアも含まれていた。


 女性陣はもちろんのこと、マリアも知らなかったのである。種が、手に入らないということを。


 多少なりとも手に入りにくいものなのだろう。その程度には考えていたが、まさか全く手に入らないとは……マリアにとっては、完全に予想外であった。



「あら、大丈夫よ。種が無いなら、作ればいいんだから」



 しかし、エイミーは全く気にする様子も無く、それどころかあっけらかんとした様子で女性陣を呆気に取らせると、うふふ、と笑みを浮かべた。



「実はね、カチュの種は『新種配合機しんしゅはいごうき』と呼ばれる機械を使って精製するのよ」

「新種……配合機……ですか?」



 聞き慣れない単語だ。なにそれ、と言わんばかりに首を傾げるビルギットに、エイミーは「そうよ」と、ひらひらと手を振った。



「簡単に言えば、種と種を配合させて、新しい種を生み出す機械のことよ。自然に出来た種でも、うんと探せば見つかるかもしれないけれど、それから出来た実は、機械を使って精製したものよりもいくらか劣るのよ」



 ほー、と全員から納得のため息があがった。多少なりとも土を弄ったことはある一部の女性陣も、そんな機械があることは知らなかった。



(まあ、無理も無いわね……あんなデカ物、農業を営んでいない人にとっては知る機会なんて全くないでしょうから、知らないのが当然なのかしらね)



 見知らぬ新種配合機がどういうものなのかを、頭の中で想像させている仲間たちを前に、エイミーは苦笑と共に頬を掻いた。



 ――『新種配合機』



 それはエイミーが今しがた話した通り、種と種を配合して、新たな種を生み出す機械のことだ。内部に複雑な魔術文字式が彫られた鉄板が数十枚ほど内装されており、機械自体がとても大きいこともあって、特定の施設にしか置かれていない。


 仮に購入しようと思ったら、それこそ家三軒建つぐらいの金が掛かる。しかも、機械自体が大きいので、置き場所にも困る。なので、普通は国が用意した機械を利用させてもらうのが一般的である。


 また、新種配合機については、レンタル等は一切認められていない。機械そのものが大きくて大重量になる為、個人の持ち運びが不可能に近いからだ。


 なにせ、新種配合機は一つの種を配合するだけでもそれなりに金が掛かる代物だし、配合する種も実費だ。わざわざ移動させる手間に金を掛けるよりも、少しでも質の良い種を作る方に金を掛けた方が、よっぽど建設的なのである。


 その為、この新種配合機を利用する為には、機械が置かれている施設に直接出向かなければならない。また、必要となるエネルギー・ボトルと、種は本人が持参する必要があるので、ますます機械が観衆に晒されることは無い。


 農家にとっては知っていて当たり前、利用して当たり前の機械ではあるが、一般人にとって馴染の薄い物であることは否めないのだ。機会が無ければ、一生見ることも無いし、知ることもないぐらいのマイナーな必需品なのである。


 実際、花屋で働いているエイミーですら、興味がてらその手の本を読んでいなければ、知る由も無かった物なのだ……むしろ、一般人が知らないのは当然の話なのかもしれない。



「ちなみに、カチュの種を精製すること自体は、お金とエネルギー・ボトルがあれば比較的容易よ。まあ、どちらも当面はマリー君たちが持ち帰った即金で用意するから、遅くなっても五日後までには用意出来るでしょうね」



 エイミーのその言葉に、女性陣はようやく安堵のため息を吐いた。金とエネルギー・ボトルが居るという点がどうも耳に残ったが、とりあえずは用意することが出来ると分かっただけ十分だ。



「それを聞いて、安心したよ……それにしても、便利な物があるんだねえ。それじゃあ、それさえあればどんな種でも作ることだってわけなのかい?」

「まあ、理論上はどんな種でも作り出せる……って話らしいわね。とはいえ、ぽんぽん配合出来るってわけでもないわよ」



 腕を組んで目を輝かせるシャラに、エイミーは苦笑した。



「種を配合するのも、その種を用意するのも、全部こっち持ちなの。だから、好きなだけ配合する……ってわけにもいかないのよ、これが……」

「……つまるところ、結局は金ってことですか」

「まあ、そういうこと。世知辛いことに、何をするにしても、まずはお金なのよねえ……」



 身もふたも無いビルギットの一言に、エイミーはますます苦笑を深める。そして、ふう、と息をついて気持ちを切り替えると、手を叩いて全員の注目を集めた。



「それじゃあ話はこれくらいにして、さっさと作業に入るわよ。シャラやビルギットみたいに、力のある人は率先して根の深いやつを抜いていってちょうだい。とにかく、目の前にあるやつを手当り次第よ」



 名前を呼ばれた二人は、はいよ、と手をあげた。同時に、それなりに体格がある人も、はあい、と返事をした。



「マリアや沙耶みたいに、ちょっと非力な人は無理に根の深いやつは相手にせず、小さな雑草を中心に抜いていってちょうだい。後、散らばった雑草をかき集めて、一か所に纏めて置いてね」



 はーい、呼ばれた二人と、非力であることを自覚している女性陣が手をあげる。特に、その中でも背の低い部類に入る数名は、むん、と気合を入れていた。



「休憩は、個人の判断に任せるわ。各人、張り切り過ぎて怪我しないようにね……特に沙耶、あなたは快方に向かっているといっても、まだ病み上がりなんだから、無茶しないでよ」

「分かっているわよ、それぐらい。これ以上、みんなに迷惑掛けるつもりはないわよ、私は」



 名指しで注意された沙耶は、ぷう、と頬を膨らませる。とりあえず、体調を意識していることは分かったエイミーは、改めて全員の顔を見回した。



「それじゃあ、お昼まではいま言った通りに行ってちょうだい……あ、後、今日の当番の人は、適度な時間を見計らって昼食の用意を忘れないでね」



 はい、と数名が手をあげる。それを見たエイミーは、一つ、頷いた。



「まずは、最初の工程よ。言い換えれば、ここを疎かにすると、後々に影響が残るから、各人頑張ってちょうだい!」



 その直後、ラビアン・ローズの玄関にて、全員の掛け声が一つとなった。







 ……。


 ……。


 …………お昼を過ぎて、時計の針は午後を回った。本日の昼食は、蒸かした大量のジャガイモと、塩とミルクで味付けしたスープのように薄いシチューであった。


 量と時間短縮を優先したメニューの為、味は少しばかり悪い……というか、雑だ。けれども、用意した物は全て女性陣の腹の中に収まることとなった。


 休みなく身体を動かしていたシャラとビルギットはそうだが、普段から小食気味であった一部の女性も、この時ばかりは先を争うようにイモへと手を伸ばし、絶えずスプーンを動かしてシチューを啜った。



「――食べた後ぐらいはしっかり身体を休めないと、後半持たないわよ」



 エイミーの指示の元、食後しばらくは休憩時間が用意された。普段なら気が合う人と談笑ぐらいはしているところだが、疲れていた女性陣は一人の例外も無く、自室のベッドへと潜り込んだ。


 そして、太陽も南の空から、ある程度西へと傾いた頃。多少は楽にはなったが、いまだ疲労の残る身体に鞭打って、草むしりが再開された。


 やり方は、昼前と同じく、シャラ達体格の良いものが根の深い雑草を中心に引き抜き、非力なものがそれを回収し、残された小さな雑草を引き抜く。


 最初は何度かスムーズにいかずに戸惑う場面もあったが、さすがに数時間も同じ作業を繰り返せば、身体が慣れる。時折談笑を交えながらも、全員が真剣な眼差しで黙々と作業に当たり続けていた。


 ……はた目から見れば、それは異様な光景として捉えられていただろう。


 どう見ても、農作業に従事するには違和感が残る美女が……それも、なかなかお目に掛かるのが難しいレベルの美女ばかりが、黙々と草むしりに励んでいる。異様と捉えられても、仕方がない話だ。


 けれども、ラビアン・ローズの住人は誰一人それを止めようとはしなかった。


 時々、水を飲むついでに休憩する者もいたが、シャラやビルギットなどは一時も手を休めることなく、手当り次第に雑草を引き抜き、非力な者がそれを回収していった。


 ちょうど、作業を再開して小一時間ぐらい経った頃だろうか。驚異的なスピードで、全体の3分の1程度の雑草をむしり終えたとき……ひと際固い雑草と格闘していたシャラが、それに気づいて声を張り上げた。



「おーい、マリア! ちょっと来てくれ!」



 突然響いたシャラの声に、全員が草むらから顔をあげた。その中で、名前を呼ばれたマリアは、汗でびっしょりと濡れた胸元が裏映りしているのをそのままに、小走りでシャラへと駆け寄る。後ろに紐で纏めた金髪が、ぱたぱたと揺れた。



「どうしたの?」



 首に掛けたタオルで噴き出る汗を拭いながら、マリアはシャラに尋ねた。同じく、噴き出る汗を拭っていたシャラは、裏映りしている胸元を気にすることなく、クイッと草むらを指差した。


 促されるがまま、マリアはそちらへ目を向ける……と、そこにあった意外な物に、マリアは「まあ……」と呆気に取られた。


 そこには、繁茂する雑草の下に隠れるようにして大量の石ころが転がっていた。それも、一個や二個の話では無い。小さい物はマリアの掌に収まるぐらいから、とてもではないがマリアの細腕では抱えることすら出来ないサイズの大石まで、大小様々な石ころが大量に点在していた。


 思わず、マリアはその場にしゃがみ込んで、ジッと草陰に目を凝らす。正確な数は分からないものの、草陰の至る所に似たような石や、破片らしき何かがいくつも転がっているのが見えた。



 ……アレは、なんだろうか。



 マリアは、頬が地面触れるぎりぎりまで身体を下げて、腕を伸ばす。辛うじて届いた指先で、どうにかそれを掴んだマリアは、落とさないように慎重に引っ張り出した。



「……鉄片、かしら?」



 太陽の光に照らされたそれは、微妙に黒ずみながらも鈍く光を反射していた。ガラス細工……と考えるには、いくらか重い。錆びと思われる赤茶色の部分を鼻先に近づけてみると、ぷん、と鉄臭さが眼底を痺れさせた。


 先ほど見えた破片は、全てこれと同じか、あるいは似たような物なのだろうか。だとしたら、この辺り一帯がこのような状態になっているかもしれない。



「……悪戯、にしちゃあ、ずいぶんと悪質なやり方だな。しかも、これだけの量をここに放り込んだのか?」



 ちらりと、シャラは地面を見下ろす。よくよく観察してみれば、シャラのいる辺りは不自然な量の石ころが、無造作に転がっている。これでは地面というより、もはや石砂利といっていい状態だ。



「もしかして、ローマンの部下がやった嫌がらせの跡か何かかい?」

「……いいえ、違う」



 静かに、マリアはシャラの意見を否定した。



「たぶん、前にここにいた娼婦たちの仕業だわ」



 ゆっくりと立ち上がったマリアが、神妙な面持ちで呟いた。比較的近くにいた女性陣が、様子を見に近づいてきて……「な、なにこれ……」その惨状を見て、息を呑んだ。



「シャラ、マリア、何かあったの!?」

「――っ、エイミー……ごめんなさい。私の不手際だわ」



 遅れて駆け寄ってきたエイミーが、悲しみに目を伏せるマリアの姿に、驚く。事情の説明を求めてシャラを見つめると、シャラは黙ってそこを指差す。そこに視線を下ろしたエイミーは……うっすらと、状況を察した。



「……いちおう聞くけど、これはどっちの仕業かしら?」



 エイミーの問いかけに、マリアは静かに首を横に振った。



「……確証は無いけど、おそらく、前にここにいた娼婦たちだと思う」

「と、いうと、確かマリアが辞めさせたって言っていた、マリアの先代当主が囲っていた娼婦たちのこと?」



 マリアは、首を縦に振った。なるほどねえ、と女性陣は、納得に頷いた。


 先代の頃に居た娼婦で、今もラビアン・ローズに残っている娼婦はマリアしかいない。先代当主から当主の座を受け継いだ当時、ラビアン・ローズに所属していた娼婦全員を、先代当主の指示という名目でマリアが解雇したからだ。


 なので、当時のラビアン・ローズを知っているのは、マリアだけである。しかし、マリアは当時の事をほとんど語らない。


 時々酒に酔って愚痴を零すことはあるが、それでも口にする単語は『いけ好かないやつ』『どうしようもない屑女』の二つぐらいだ……まあ、それだけで何があったのか、だいたい想像は付く。



「おそらく、昔の嫌がらせだと思うわ。それぐらいしか、思いつかない」



 ポツリと、マリアは口を開いた。



「当主権限があるとはいえ、当時の私はまだまだ若輩者。退去命令を無視するわ、勝手に客を取るわ、館の中に置かれていた物を勝手に売ったりするわ……あの時は、ここまで性根が腐った人間が居ることに驚いたわ。先代の口添えが無かったら、今でも彼女たちはこの館で我が物顔を続けていたでしょうけど……」

「先代って、マリアの前にラビアン・ローズを務めていた……言ってしまったら、初代の人?」



 マリアは「ええ、そうよ」首を縦に振る……どこか、マリアの視線がぼんやりと霞がかる。目は鉄くずを見つめているが、マリアの意識は遠い過去へと帰っていた。



「……真面目な人だったわ。融通が利かなくて、頑固者だったけど……良い人だった」

「良い人が、娼婦館なんて作らないと思うのですが……」



 ポツリと囁かれたビルギットの言葉に、女性陣は、うんうん、と頷いた。マリアが処分したのか、それとも先代がそういったことを嫌ったからなのかは、マリアしか知らないが、女性陣は一度たりとも、館のどこにも先代の面影を感じたことはない。


 館一つ購入して、娼婦たちをタダで住まわせてハーレムを作るぐらいなのだ。肖像画の一つぐらい……せめて、身に付けていた服ぐらいは保管されていてもいいと思うのだが、それすら無い。


 男性に対して『良い人』とマリアが呼ぶぐらいなのだから、それなりに懇意にされていたのは想像がつくが、それならばなぜ話してくれないのかが分からない。


 マリアの先代に関しての黙秘は、借金騒動が出る前から徹底されている。


 その為、マリア以外の女性陣にとって、マリアの先代……初代当主の実像を本当の意味で知っているのはマリアだけなのである。



「ううん、凄く良い人よ。それでいて、凄く真面目な方……本当に、バカがつくくらいに真面目な方だったわ」



 マリアは、女性人たちの意見を、首を横に振って否定した。



「誰だって、老い先短くなったら『最後ぐらい好き勝手に生きたい』と願うでしょ? 先代は財力があったから、それが出来た。だから、男なら一度は夢見るハーレムを作ったのよ」

「……それと、良い人がどう繋がるのですか?」



 遠慮も何も無いズバッとした切り込みに、「ビルギットは本当に遠慮が無いわね」と、マリアを苦笑させる。



「まあ、先代がどういう人柄かっていうのは『自分は女に縁が無い人生を送ってきた』という、先代の口癖から想像出来るかしら」

「……ああ、うん、なんとなく想像出来そうだ」



 あちゃー、と額に手を当てたシャラの言葉に、全員が思い思いに気まずく微笑む。昔を思い出しているのか、マリアは懐かしそうに、それでいて、困ったように微笑んだ。



「みてくれだけの碌でもない女ばかりハーレムに入れちゃったのは、彼の人生で最大の失態ね。変に気が弱い部分があったから、押しの強いやつに次第に口が出せなくなってきちゃって……私が来たときは、もう女王様かっていうぐらいに傍若無人な人もいたから……んん、もう!」



 過去を思い出して腹が立って来たのか、マリアは「この話は止め止め!」と言って一方的に話を切り上げると、傍に来ていたエイミーへと鉄くずを差し出した。



「エイミー……だいたい答えは予想出来ているけど、この鉄くずはこのままにしてはおけないわよね?」

「……お察しの通り、そのままにしてはおけないわ……けれども、マリアが責任を感じることでもないの。心中お察しするけど、今は行動あるのみ、よ」



 申し訳なさそうに俯くマリアの肩を、エイミーはそっと叩いた。



「ある程度小さな石は放っておくとして、問題は大きな石や鉄くずなんかのゴミね……シャラ、ビルギット、そこにある石を持ち上げることは出来るかしら?」



 尋ねられた二人の内、ビルギットはすぐに首を横に振った。少しの間考えていたシャラは、ため息と共に「いや、難しいな」と首を横に振った。



「持ち上げるだけなら出来ますが、移動させることはとても……一個や二個ぐらいでしたら、頑張ったのですが……」

「私も、ちょっと移動させることは難しいねえ」



 申し訳なさそうにそう零すビルギットの言葉に、シャラも同意した。



「この右足じゃあ踏ん張りも支えも利かないから……抱えた途端、おそらくはその場から動けなくなると思うよ。ただ、砕くだけなら私でも十分にイケると思うから、砕くだけなら……」

「いえ、それは止めて頂戴。無理をされて手首でも痛められたら、今後の作業に響いてくるから」



 シャラの申し出を、エイミーは遮るように断った。提案を一蹴されたことに、少しだけシャラの目つきが鋭くなる……が、「ここにあるやつ全部砕く自信はある?」という問いかけに、力無く首を横に振る。


 目に見えて落ち込んでいるシャラの様子に、エイミーは思わず苦笑する。マリアにやったように、そっとシャラの肩を叩いた。



「シャラにはシャラの、役割があるわ。今、シャラがやることはこの邪魔者を砕くことじゃなくて、そこら中を繁茂している雑草を根こそぎ抜いていくことよ」

「……分かっているよ、それぐらい」



 理解はしているが、納得はしていない。そう顔に書いているシャラを見て、エイミーは喉元まで出かかった言葉を呑み込む。同じようにマリアが、そっとシャラの肩を叩いているのを、シャラを除く全員が優しい眼差しを向けた。



「……仕方がないわ。それじゃあ、シャラ達はそのまま背の高い雑草を抜いて行って、それ以外の人達は一緒に鉄くずやらゴミやらを回収……手におえないようなやつは、マリー君には悪いけど彼に任せましょう」



 ぱんぱん、とエイミーは再び手を叩いた。作業再開の合図だ。とりあえずの決定に、女性陣はのそのそと元の場所へ戻って行った。


 ちなみに、作業途中にて「この前見つけた斧で砕けないか?」という意見が上がったが、すぐに却下された。この前、館の中を掃除した際に見つかった道具で、おそらく薪を割る為に使用していたのだろう。


 しかし、薪を割る為の用途しか想定されていないので、斧自体はあまり分厚くない。石は一つではないし、錆び付いた斧では途中で刃が欠けるだろうと判断された為、この件はお蔵入りとなった。





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