ラビアン・ローズの行方

第二章:第一話 何事も、先立つものが……




 ――遠くの方から聞こえてくる女性たちのお喋りに、マリーはがりがりと寝癖だらけの頭を掻いた。



 白銀色の艶やかな髪が見る影も無いそれは、まるで綿毛のように乱れている。しかし、思わず息を呑んでしまう程に整った顔立ちに添えられた、真紅の瞳のおかげだろうか。おおよそ女を感じさせないであろう姿にも関わらず、純真無垢な雰囲気を、マリーは醸し出していた。


 己の容姿にはとんと無頓着なマリーは、手櫛で軽く髪を梳くだけで、特別寝癖を直そうとはしない。見た目は超が数個ほど上に着く程の美少女で、どんな美辞麗句を持ってしても表現出来ない美しさを持つマリーだが、性別は男なのだ。しっかりと、シンボルは付いているのである。


 好き好んでこんな姿になった覚えはない、というのがマリーの正直な気持ちであったが、そんなマリーの気持ちは今の所、女性陣には伝わっていない。


 それどころか、女性陣からは『宝の持ち腐れだ』と揶揄される美しい髪をそのままに、マリーはのんびりと食堂へ足を動かしていた。



(……腹減った)



 ぐう、とマリーの胃袋が音を立てた。


 寝ぼけた眼を涙で潤ませながら、マリーはとぼとぼと廊下を進む。女性陣から半強制的に譲り受けることになった白いネグリジェが、足の動きに合わせてふわりとなびく。


 正直、最初は何でこんなものをと吐き捨てたい気持ちであったが、慣れたら意外と寝心地が良い。悔しいことに、今ではパジャマとして愛用してしまっていたりする。


 角を曲がってすぐの、ラビアン・ローズ唯一の食堂(昼間は広間として活用している)に足を踏み入れる。途端、鼻腔をくすぐる焼けたベーコンの匂いに、マリーの眠気は少しばかり上塗りされた。



 ……開かれたカーテンから降り注ぐ日差しが、食堂の中を照らしている。



 その中で、数人の女性が慌ただしく行き交いしていた。端に寄せられていた机が、食堂の中央に、横一列で並べられている。


 おそらく、女性陣が用意したのだろう。


 机の上に並べられた6つの大皿には、こん棒のように太くて細長いパンが置かれていた。ここしばらく、マリーを含むラビアン・ローズ住人の主食となっているものだ。


 食べ方を工夫する必要があるけど、慣れれば意外と美味い。


 そう庶民の間で称されているそれは、遠目からでも堅そうなのがうっすらと想像できる見た目のソレだが、大きさの割には安い。芋よりも少し値が張るが、それでも安い、金が無い時の心強い味方だ。



『食事は極力全員で取るべし』



 マリアのそんな方針の元、住人全員分の食器を用意しているサララとマリアの後ろ姿が、食堂の奥にあるのが見えた。シャラの姿が見られない。別の仕事をしているのだろうか?



「あ、おはよう、マリー君。今日は早いのね」



 掛けられた挨拶に、マリーはそちらへ振り返った。


 そこには、少し薄汚れたエプロンを身に纏ったエイミー・クリストンの姿があった。見ているだけでほんわかと和んでしまう、温和な顔立ちの彼女は、穏やかに笑みを浮かべて、マリーへとそっと屈んだ。



「朝食までもうすぐだから、席に座って待っていて貰えないかしら?」



 ねっ、と小首を傾けるエイミーのポニーテールと、エプロン越しでも分かる大きな膨らみが、ふわりと揺れた。ちらり、ちらりと視線を上下させたマリーは、一つ頷くと、手を振りながらエイミーの横を通り過ぎた。



(相変わらず、エイミーは胸でけぇな……あの谷間に一度でもいいから顔を突っ込んでみたいぜ……)



 朝っぱらから卑猥なことを考えるマリーであるが、これが平常運転なので、顔に出るようなことは無い。


 以前住んでいた家を引き払い、女の園であるラビアン・ローズに居を移してから、数十日。


 最初は女性陣の明け透けな姿にドギマギすることもあったが、さすがに数十日も共に生活すれば、慣れる。慣れてしまっている己に、人間とは適応できる動物なんだな、とマリーは時々考える。



「――っ、おはよう、マリー!」

「おはよう、マリー君」



 よっこらせ、と椅子に腰を下ろしたマリーに、サララとマリアが声を掛けた。



「はいよ、おはようさん」



 軽く返事をしたマリーは、テーブルに頬杖をつけると、大きく欠伸を零した。ちらちらとサララから送られてくる視線の合図に手を振って答えながら、マリーは食堂入口へと視線を向ける。フッと、と通り過ぎて行く、上半身裸の住人や、下着姿の住人を前に、マリーは深々とため息を吐いた。


 マリーが嫌でも慣れてしまう原因は、今しがた視線の先を通った女性陣の、羞恥心など欠片も無い姿であった。いくら何でも、あんな色気も糞も無い所作で毎日堂々とされては、立つものも立たなくなっても仕方がないだろう。


 館の構造上、一階の正面玄関向かって一番左奥……そこが、この館のトイレと洗面所スペースとなっている。


 いちおう、トイレと洗面台は大浴場内に隣接して設置されている脱衣所にも用意されているが、現在では掃除の手間を減らすために、よほどの理由が無い限り使用を禁止されている。


 なので、必然的にトイレや洗面所を利用する人は、食堂の前を通らなければならないのだが……問題は、そこを通る時の恰好である。


 身体を拭く為なのか、それとも終わってから着替えるつもりなのか、マリーは知らない。女所帯だからというべきかなのか……ここの住人は、マリーを前にしても全く隠そうとしないのである。


 胸元を開けているとか、無防備な姿を晒しているとか、そんなチャチな話では無い。上半身下着姿は序の口、上下とも下着姿で挨拶されたことは数知れない。


 4回ぐらい、首にタオルを掛けただけの裸身をマリーに晒したまま、のんきに横を通り過ぎて行ったときは、さすがにマリーも開いた口が塞がらなかった。


 手を出すつもりなどマリーは全く考えていないし、色々言いたいことはあっても、結局は眼福であることに変わりはないのだが……正直、男としては色々な意味で複雑な気分になる。



(……マリアの審査を通っただけあって、全員美人なんだが……ここのやつら、相も変わらず全く俺を男扱いしていねえなあ……まあ、見た目完全に女の子なんだから、男扱いしないのも当然か)



 ぼんやりと考えているマリーの視線の先で、上にシャツ一枚、下はパンツ一枚という、なかなか目のやりどころに困る恰好をした女性が、食堂入口の前をフッと通り過ぎて行った。










 朝食を終え、いつもなら仕事に向かう為に慌ただしく席から立ち上がるであろう幾人かの女性たちが、今日は一向に食堂を出ようとしない。それどころか、どこか落ち着かない様子すら伺える。



(……今日は休みだったか?)



 まあ、休みが有るのは良いことだ。休めるときに休んでおかないと、いざという時動けないからな。


 そう納得して、今日の予定をぼんやりと頭の中で組み立てていたマリーの眼前に、一枚の紙きれが置かれた。マリーが視線をあげると、マリアの真剣な眼差しと視線が交差した。



「今後の事について話し合いたいと思うから、ちょっとそれに目を通してくれないかしら」



 言われるがまま、マリーは視線を紙切れに下ろす。マリアの綺麗な字で書かれたそれには、十数行に及ぶ文字と、ひと際大きい文字が書かれていた。


 無言のまま、マリーは書かれている文字へと視線を這わし……内容に、げんなりと肩を落とすと、そっと紙切れをマリアへ返す。


 そして、改めて周囲を見回し……全員の視線が己に集まっていることを確認し、マリーはため息を吐いた。



「まあ、言いたいことは分かった。兎にも角にも、まだまだ金が必要ってことだな。それも、早急に、かつ、安定的に」



 マリーの言葉に、マリアは深々と頷いた。



「早急、の部分は、今の所マリー君とサララのおかげで何とかなっているわ。問題なのは、それをいかにして安定的にするか……マリー君もそれを見て分かったと思うけど、今は収入がそのまま支出になっているのが現状。少しは余裕があるけど、なかなか危うい経済事情になっているわ」


 厳しい現実を知らせるマリアの言葉に、食後の和やかの空気が引き締まった。朝食を取った時と同じ席…ちょうど、向かい合う形となった住人達は、互いの顔色を見回す。


 けれども、誰も彼もが悲観的な表情を浮かべておらず、それどころか中には笑みすら浮かべている人すらいた……まあ、それもそうだろう。


 彼女たちにとっての危機とは、莫大な借金を抱えていたときのことだ。


 今も経済的には危うい状態だが、三食しっかり食べられるし、昼夜を問わずな嫌がらせ等も、今はない。


 スタートラインがマイナスラインの彼方と、真ん中よりも少し下ぐらいの位置とでは、精神に掛かる重圧は雲泥の差なのである。



「そこで、みんなの知恵を借りたいと思うの。今日、仕事だった人や、休みだった人はごめんなさい。私が不甲斐ないばかりに……」

「何を言っているの、マリア。こんな時こそ、皆で力を合わせなくてどうするのよ」



 瞳を伏せるマリアの肩を、藤堂沙耶ふじどう・さやは優しく叩いた。小さめな顔に合わせた控えめな体格と、腰のあたりにまで伸ばした黒い長髪が特徴の、物静かな美人である。


 彼女は、マリアと同じく客を取っていた娼婦の内の一人であり、単純な売り上げではマリア以上の、娼婦館ラビアン・ローズの、実質No.2の人気を誇っていた女性である。


 ……と、いっても、それはあくまで客からの人気が二番目であるというわけで、序列があるというわけではない。


 彼女は先天性の体質が原因で娼婦となったが、元来身体が強い方ではない。そのうえ、限界以上に客を取っていたこともあって、借金の返済を終えたというマリアの朗報を聞いた直後に昏倒し、つい先日まで寝込んでいた。


 一時は最悪を危ぶまれる程に消耗していた彼女であったが、今ではすっかり快方へと向かっており、顔色も良くなってきている。



「私もだいぶ調子が戻って来たし、これからはまた力になれる。また、皆で頑張ればいいじゃない」

「沙耶……」



 マリアの瞳に、こんもりと涙が滲む。最近涙もろくなったと口にしていたマリアであるが、どうやら今日も涙腺が脆いようだ。


 同じく目じりに涙を浮かべた沙耶に続き、つられて涙を滲ませていた幾人かの住人たちも、声を張り上げた。



「そうよ、これからは、マリア一人に押し付けたりしないわ!」

「みんな……」



 ポロリと、マリアの目じりから、ひとすじの涙が零れる。「ありがとう、私、頑張るわ!」と腕を振り上げて決意を固めているマリアと、それに追随する仲間たちという、住人達の手による寸劇を前に(数字の先端に、棒を一個足したら物事が解決しないかなあ)とか考えていたマリーは、胡乱げにため息を吐いた。



「こらっ」



 途端、マリーの背後……寝癖の付いた銀白色の長髪を櫛で梳いていたエイミーは、「めっ」と櫛の柄で、マリーの頭を軽く小突いた。少し、痛かった。



「マリー君、動いちゃ駄目。もう少しで終わるから、大人しくしていてね」



 そう言うと、エイミーは身に纏ったエプロンのポケットから、枝の細かい櫛を新たに取り出して、慣れた手つきで髪を整えていく。何が楽しいのか、ふんふん、と鼻歌を奏でているのを聞いたマリーは、エイミーの邪魔をしないよう、ゆっくりとテーブルに頬杖をついた。



「……別に、そこまで頑張らなくてもいいぞ」

「だーめ」



 髪型を整える面倒くささは、自身のマリーが一番身に沁みて理解している。なので、せめて少しぐらいは楽をしてもらおうと提案を持ちかけたのだが、それはエイミーの朗らかな笑みと共に一蹴された。



「せっかく綺麗な髪質なのに、雑に手入れするなんて勿体無いわ。磨けば磨いた分だけ輝くのですから、磨ける内に磨いた方が絶対いいわよ」



 ……そういうものなんだろうか。


 そう思って意識を背後から、隣の席にて腰を下ろしているサララへと移す。ぼんやりとマリーを見つめていたサララは、マリーの視線に軽く首を傾げた後、一つ、頷いた。



「汚いよりも、綺麗な方がいい。綺麗になれるなら、綺麗になっておくに越したことは無い。残酷だけど、これ、真理」

「……なるほど、それは確かだ」



 チラリと、サララはエイミーへと視線を向けた。テーブルに隠れて見難いが、サララの膝の上に、いやに可愛らしい服が畳んで置かれているのが見える。


 サララが着るのだろうか。それだったら見てみたいなあと思って眺めていると、視線に気づいたサララがポツリと呟いた。



「マリーに、良く似合うと思う」



 ……なんとも、反応に困る一言だ。


 思わず顔をあげた直後に「こら、急に頭を動かさない!」と叱責が飛んだので、渋々大人しくする。サララの力強い眼差しが、己の全身を舐め回すように行き来しているのが、マリーには分かった。



「……まあ、サララの方が似合うと俺は思うぞ」



 とりあえず、それだけをサララに伝えると、マリーは改めてマリアへと視線を向ける。さすがにもう寸劇は終わっているようで、マリアも落ち着いて目元を拭っているようであった。



「それで、もう何か案は出ているのか? 先に言っておくが、俺にそういった名案を期待するのは止めた方がいいぞ。自分で言うのも何だが、そういう難しいことを考えるのは柄じゃないからな」

「ああ、それはいいわよ。マリー君はそういう細かいこと考えるの、好きじゃないことは知っているもの」

「……それじゃあ、結論出るまで俺は部屋に戻って寝ていていいかな?」



 にっこりと、万人を虜にしてしまいそうな、可愛らしい笑みを浮かべて提案する。それを聞いたマリアは、一つ頷いた後、静かに笑みを浮かべた。


 マリーと同じく、万人を虜にしてしまいそうな美しい笑顔だ。見つめられるだけで、思わず背筋が震えあがりそうで、マリーもマリアに倣ってにっこりと笑みを深めると、背筋を正す。


 ……マリアは、ふう、と息をつくと、両手を打ち鳴らした。ぱんぱん、と響いた拍手に、全員の注目が集まったのを確認したマリアは、はい、と片手をあげた。



「それじゃあ、これから『第一回、ラビアン・ローズ運営対策会議』を行いたいと思います。議長は私、マリア・トルバーナが努めたいと思います」



 そう言ったマリアが頭を下げると、マリーを除く全員が、一斉にマリアへ拍手を送った。(どうも、こういうノリは駄目だな)たった今まで髪を梳いていたエイミーまで、手を止めて拍手をしているのを見て、マリーは苦笑する。


 さて、拍手するべきか、否か。


 どちらを選ぶべきかマリーが悩んでいると、拍手が止んだ。どうやら、タイミングを逃したようだ。再開された櫛の感触に意識を向けながら、マリーは何食わぬ顔でマリアを見つめることにした。



「今回の議題は、『館を維持する為に必要な資金を、如何に安定的、かつ長期的に手に入れる』、です。ビシバシ意見を出してください。質問もビシバシ出してください。遠慮は一切無用です!」



 マリアの力強い宣言に、ざわっと、にわかに女性陣の間が騒がしくなる。ポツポツと囁く声が聞こえてくるのは、おそらく何を質問するべきか、隣の女性と意見を交換しているからなのだろう。


 ――いや、それを話せよ。


 ……という言葉が喉元まで出かかっていたマリーであったが、とりあえずは成り行きを見守ることにした。(どうせ、その内誰か手をあげるだろう)そうマリーが1人思っていると、案の定、女性陣の中で、ひと際背の高い女性が、スッと手をあげた。



「議長、質問です」

「あら、最初はアナタなの、ビルギット?」



 ビルギットと呼ばれた女性は、無言のままに頷いた。本名、ビルギット・リンドマン。彼女もマリアや沙耶と同じく、最後まで娼婦で居続けた内の一人である。


 シャラと並ぶぐらいの長身で、色々と要所が恵まれている女性である。


 些か乱雑に切り揃えられたショートカットの下は、無表情で固定されていて、いまいち感情が読み取れない。この館に来てから数十日になるマリーだが、まだ一度も笑った顔はおろか、微笑んだ顔すら見たことが無いという筋金入りの鉄面皮である。


 そんな彼女が、真っ先に手を上げたことに、少しだけざわめきが大きくなった……が、マリアの咳払いによって、瞬く間に静まる。それを確認したのか、ビルギットはポツポツと口を開いた。



「館の維持費とは、つまり、私たちが使う諸々の光熱費とか、税金とかですか?」



 ビルギットの質問に、マリアはう~ん、と首を傾げた。



「……そうね、だいたいそんなところかしら。光熱費は皆で我慢すればどうにかなるけど、税金関係はもうかなり延滞してもらっているから、そろそろ払わないと問題になるわね」



 なるほど、と言わんばかりに、ビルギットは頷く。しかし、すぐに首を傾げた。



「それならば、事情を説明して分割で払えば済む話じゃないのでしょうか? わざわざそんな危ない橋を渡らなくとも、ここにいる全員が協力すれば、時間は掛かりますが、かならず支払い終えると思うのですが……」



 ビルギットの言葉に、マリアはう~ん、と唸った。今度は先ほど以上に眉根をしかめ、思い悩むように顎に手を当てる。自然と全員の視線がマリアへと向けられた。



「……実はね、私を含めて沙耶やビルギットたちが娼婦を辞めたことで、一つ問題が生じているの」

「もったいぶらずに教えてください」



 遠慮も糞も無いズバッとした切り込みに、マリアは呻き声と共に胸を押さえた。ぷよん、と歪に形を変える衣服越しの膨らみに、マリーの視線が吸い寄せられる。


 けれども、この場に居るのはマリーを除いたら全員女性だ。しかも、年月の差こそあれ、基本的に付き合いは長い。今更、マリアの可愛らしい仕草に絆されるわけもない。



「……男相手になら、まだ通用するでしょうけど、女である私たちにそれをやっても意味が無いのではないでしょうか?」



 演技であることをあっという間に見抜かれたマリアは、「もう、ちょっとしたお茶目じゃない……」と軽く唇を尖らせると、言いづらそうに住人達から視線を逸らした。



「その、ね。さっき私が口にした税金関係なんだけども……」

「……それが?」



 言いよどむマリアの姿に、ビルギットは首を傾げる。マリアは、もじもじと指遊びをしながら、口を開いた。



「今までは借金があったから待っていてもらえたけど、返し終わったでしょ? 実は、溜まっていた税金を払えって催促状が届いちゃっているのよ」

「……はあ?」



 それと、これと、何の関係があるのだろうか。そう言いたげに困惑するビルギットと、住人達の視線を前に、マリアはおそるおそる顔をあげた。



「まとまった額を払わないと、この館が差し押さえられちゃうのよ。しかも、滞納者は私っていうことになっているから、払えなかった場合、下手したらまた娼婦として働かなくちゃならない……っていう可能性が出てきちゃったってわけ」



 ごめんね、今まで黙っていて。そう最後に言ったマリアは、視線を逸らして縮こまってしまった。そして、女性人たちは……またか、と言わんばかりに顔を手で覆った。








 しかし、金を稼ぐといったって、どうやって稼ぐのだろうか。


 しばしの沈黙の後、女性陣の誰かがポツリと呟いた一言に、ようやく止まっていた事態が動くこととなる。さて、どうしよう……女性陣は、頭を悩ませた。



「金を稼ぐうえで一番手っ取り早いと言ったら、やっぱり……」



 ポツリと呟かれた誰かの言葉に、女たちは一様に押し黙った。その手段だけは、もう二度とやらない。それは、皆で決めたことだ。例えどんな理由があろうとも、絶対にそれだけは駄目なのだ。


 娼婦館という不名誉な名称だって、今はただの『ラビアン・ローズ』に変えている。今のラビアン・ローズには、娼婦は一人もいない……ついに全員が娼婦の世界から足を洗うことが出来たのだ。絶対、戻るわけにはいかないのだ。


 けれども……だからといって、何をどうすればいいのだろうか。頭を悩ませる住人達は、必死になって起死回生の一手を探るが……大金をすぐに稼ぐ方法など、そう簡単に思いつくわけがなかった。


 しかし、住人達の中で唯一……自信ありげにほくそ笑んでいたマリアが、再び手を鳴らした。全員の視線が、マリアへと向けられた。



「それに関しては、私に秘策があるの」



 そう、マリアは言うと、全員の顔を順々に見回した後、はっきりと言った。



「庭を開拓して、作物を作れないかしら?」

「……庭を、開拓して?」



 ざわり、と空気が騒がしくなる。住人達の思考が、一つになった瞬間であった。そして、マリアの提案した意見は……当然のことながら、賛成よりも前に真っ先に反対の意見があがった。特に最初に反対意見を出したのは意外にも、シャラであった。



「作物を作るっていったって、何を作るつもりだい? こんなこと言いたかないけど、マリアを含め、私たちの中でそういった方面に知識があるのは、花屋で働いているエイミーだけだよ」



 シャラの言葉に、続々と賛同意見があがる。話題に出されたエイミーは、困ったようにシャラとマリアの間で視線を彷徨わせる。それでも手元の櫛には一切の淀みは感じられない辺り、さすがである。



「エイミー、あなたの意見を聞きたいわ」



 マリアの一言に、エイミーは手を止める。自然と、エイミーの視線がマリーの隣に居るサララへと移った。



「……任せていいかしら?」



 その言葉と同時に、エイミーは椅子から立ち上がる。サララは、笑顔と共に頷いた。



「任せて」



 エイミーから手渡された櫛を手に、サララがするりとたった今までエイミーが座っていた椅子へと腰を下ろす。「それじゃあ、可愛くしましょう」と鼻息荒く櫛を高々と掲げるサララに不安を覚えつつも、エイミーはサララが座っていた椅子へと腰を下ろし……頭を悩ませた。



(……さあ、どうマリアに伝えるべきかしら……)



 本音を言えば、マリアの味方をしてやりたがったが、シャラの意見が最もだとエイミーは思っていた。


 エイミー自身、元々そういった方面に興味があって書物を読み漁ったし、その知識を生かして、表通りの花屋で働くことが出来ている。あまり公言してはいないが、並よりもずっと知識があると自負している。


 ……だが、知識があるからこそ、マリアがやろうとしていることが如何に夢物語であるかが、エイミーには理解出来てしまった。



「マリア……私を頼ってくれたのは嬉しいけれど、マリアがやろうとしていることは、絶対成功しないと断言するわ」

「あら、なぜ?」



 自信満々な面持ちを崩さず、心底不思議そうに首を傾げるマリアの姿に、エイミーは苦笑する。一つ、覚悟を決めると、静かにエイミーは首を横に振った。



「まず先に言っておくけど、基本的に農業っていうのは出来高で、作れる量は個々の力に比例するの。沢山作れば沢山売れるし、少なく作ったら、ちょっとしか売れない。けれども、沢山作る為には沢山肥料がいるし、人手もいる……ここまでは分かるわね?」

「ええ、分かるわ」

「現在の食糧生産事情は、原則的には『質より量』という方向性を取っているわ。そして今の農業は、わざわざ良いものを作らなくても、ある程度の質で十分に元が取れるようになっている。それも、理解しているわね?」

「もちろん」



 本当かしら。その言葉を、エイミーは寸でのところで呑み込む。さすがにそれは、マリアに対する侮辱以外の何ものでも無かったからだ。



「……それで、エイミーは何が言いたいのかしら?」



 ……その質問に、エイミーは俯いた。少しの間、唇を噤んだ。けれども、そのまま黙っているわけにもいかない。しばし目を伏せていたエイミーは、はっきりとマリアを見つめた。



「この庭で作れる程度の量では、大したお金になりはしないと、言っているの」



 それが、どうしようもない現実であった。すぐにエイミーが気づいた、マリアが提案した意見の問題点であった。



「どうして? この庭ぐらいの広さじゃあ、足りないの?」

「ええ、全く足りないわ。よしんばこの庭で高品質の作物が作れたとしても、肥料代や種代を引いたら、そこまで大した金額は残らない」



 ふむ、それじゃあ。マリアは、ぴん、と指を一つ立てた。



「それだったら、高く売れるやつを作ればいいじゃない。ほら、エイミーが前に話してくれた、『カチュの実』とか、あれなら凄く高く取引してくれるのでしょ?」

「マリア……そういう問題じゃないのよ」



 マリアの言葉に、エイミーは堪えきれず、ため息を吐いた。それは相手に対してとても失礼な行為であったが、知識があるからこそ、エイミーはそれを抑えることが出来なかった。



「……農作っていうのは、そんなに容易いことではないの。比較的作りやすい芋類だって、素人がやると失敗することだってあるのに、ましてや熟練の農家でも栽培に失敗することが多い、カチュの実をいきなり作ろうだなんて……無茶もいいところだわ」



 はっきりと、エイミーはマリアの妄想を切り捨てた。


 マリアのことを強く想っているからこそ、例えマリアの怒りを買うことになったとしても、止めなければならない。そう、エイミーは思ったからだ。


 エイミーにとって、マリアの提案は希望でも何でもない……荒唐無稽な妄想だと、エイミーが内心で断言してしまう程に、マリアの言っていることは無茶な話であった。



「なぜ、無茶だと思うのかしら?」



 だからだろうか……それでも崩れようとしないマリアの笑みを見て、フッと、苛立ちが湧いたのは。人がせっかく言葉を選んで諦めさせようとしているというのに、肝心の相手は全く察してくれない。


 それどころか、マリアは逆にエイミーの気持ちを逆なでする始末だ。


 自然と、「あのね、マリア……っ!」言葉尻がきつくなるのを、エイミーは抑えられなかった……が、すぐに思いとどまった。湧き上がった怒りを呑み込んで、固く目を瞑って大きく息を吐いた。


 胸中にあった怒りが、少しではあるが抜け出て行く。怒ったところで、どうしようもないことは、エイミーとて分かっているのだ。


 当然、それは座って成り行きを見守っている女性陣も理解している。だから、彼女たちは寸でのところで怒りを抑えたエイミーに安堵すると、静かに浮き上がったお尻を下ろしていた。


 しばし、沈黙が食堂内を流れる……けれども、すぐにその沈黙は「……それじゃあ、なんで無茶だということなのかを教えるわ。まず、カチュの実というのはね……」というエイミーの説明によって破られた。




 『カチュの実』



 それは、『カチュ』と呼ばれる特有の木々から実る果物のことだ。通常の木々とは違い、くねくねとヘビのように幹をらせん状にくねらせながら成長し、見た目がまるでネジのように螺旋を描いている固有の特徴を持つ。全長が2メートル前後と小さいが、卵大の実を30~70個近く実らせる。


 普通であれば重さに耐えきれずに枝が折れるのだが、丈夫な構造を持つカチュの幹は、それを支えることが出来るのだ。


 自然界では滅多な事では実を付けることは無く、また、味も凄く悪い。しかし、味の悪さを差し引いても、カチュの実がもたらす効用は素晴らしく、一つの実で一年のんびり暮らせるぐらいの金額で売れるとされている。


 富裕層に限らず、今でも根強い需要があり、古くから高級食材として扱われている逸品だ。


 しかし、カチュの実は素晴らしい部分がある反面、『害木樹』の一種として扱われている。


 害木樹とは、それが生えている周辺の木々や土壌の状態を悪化させるという欠点を持つ木々のことだ。害木樹がもたらす影響は木々によって様々だが、カチュがもたらす悪影響は、一つしかない。


 それは『周辺の土壌や植物の栄養を根こそぎ奪い取る』ということだ。


 その影響は凄まじく、一本のカチュの木が畑に生えようものなら、その地点を中心に数十メートルの作物は瞬く間に枯れ果て、土壌内にある栄養分も根こそぎ奪い取られる。対応が遅れれば、その場所は数か月から数年はまともに作物が育たなくなるぐらいに土が痩せ細るのである。


 しかも、カチュの木は非常に生育が遅い植物であり、幹が成長を終えるまで、最低でも10年。そこから実をつけるまでには、最低でも2年。どれだけ順調に生育出来たとしても、収穫まで12年も掛かってしまうのである。


 その為、一般の農家では見つけ次第切り倒すのが普通である。


 欲に駆られてカチュの木を残そうものなら、周辺の作物が全て駄目になるだけでなく、翌年の栽培も不可能になりかねない。そういった様々な理由から、カチュの実は、年に一個か二個ぐらい市場に出てくれれば御の字といったぐらいなのである。




 それらのことを、静かに、それでいて簡単にして話し終えたエイミーは、ふう、と息を吐いた。



「これで分かったかしら、マリア」



 ジロリと、エイミーはマリアをねめつけた。



「熟練の人でも失敗するって、嘘でも誇張でもないの。カチュの木は、本当に生育が難しい植物なのよ。土壌の栄養不足が原因で、生育途中で枯れることだって珍しくないし、稀にだけど、途中で病気になって枯れることもある。そもそも、収穫まで10年以上もかかるものを作ること自体、非現実的なのよ」



 エイミーの言葉に、食堂内が静まり返る。唯一聞こえるのは、サララの場違いな鼻歌だけ。元々二人の話を聞くために静かだったのに、今は息を潜むように皆が押し黙っている。誰も彼も、マリアに掛ける言葉が思いつかないのだ。


 最初に反対意見を出したシャラですら、どう声を掛けたらいいか分からず、半目になって虚空を眺めている。その場にいる全員が、話を聞き終えて、静かに目を瞑って思考の世界に入り込んでいるマリアと……無言のままテーブルに頬杖を付いているマリーへと、交互に注がれた。








 ……こういうとき、男はつらいよなあ。



 背後から聞こえてくる鼻歌に耳を澄ませながら、マリーはサララのある意味図太い思考回路を称賛した。



(なぜかは知らないが、俺が何か言わないといけない空気になっている……マジで、なぜだ?)



 注がれる視線に冷や汗を覚えつつも、マリーはチラリと視線を向ける。そこには、相も変わらず腕を組むようにして黙り込んでいるマリアの姿があった。ただ黙っているだけなのに、妙に絵になる。美人は本当に何をしても綺麗だと、マリーは心の隅で思った。


 何を考えているのか、それとも何も考えられないのか。そこのところは本人でないマリーには想像するしかなかったが、なんとなく、マリーは『マリアが何かを企んでいる』ように思えた。



(……とりあえず、何かを言わないと駄目なんだろうなあ)



 次第に強まっていく視線の圧力に慄きながら、マリーはふう、とため息を吐いた。その直後、瞑っていた眼を開いたマリアは、ため息を吐いたマリーへと視線を向けた。


 マリーにとっては大したことではない動作であったが、知らず知らずのうちに高まっていた、緊張感とも言うべき張りつめた何か……それを解すには、十分な動作であったのだろう。引き攣りそうになる頬をどうにか誤魔化しながら、マリーはもごもごと唇を動かして、気持ちを落ち着かせる。



(館を売る……っていう選択肢は、本末転倒だな。なんだかんだいって、ココの奴らはこの館に愛着を抱いているし、売れたところで二束三文だろう……ていうか、マリアが絶対反対するだろうな)



 マリーがこの館に正式に引っ越してきてからの日々を、思い出す。マリーが見かけた限りでの範囲だが、娼婦として身体を売る仕事を止めてから、マリアはいつも笑顔を浮かべていたような気がする。


 薄汚れたカーペットを剥がして掃除している最中、誤って埃だらけになったときも、シャラと一緒に館中の窓を拭いていたときも、調理場に置かれた皿を一つ一つ磨いていたときも、いつも朗らかな笑顔を浮かべていた覚えがある。


 何が楽しいのか、何が嬉しいのか、いまいちマリーには分からない。ただ、マリアがこの館の為に何かをしたいと思うのは、なんとなく理解出来る。



(まあ、そもそも他の奴らが館を売ろうという発言を一切しない辺り、ここのやつらにとって、今ではこの場所も特別な何かになっているんだろう)



 笑顔なのは、シャラやサララ、他の住人達も同様だ。何が喜ばしいのか、ふとした拍子に笑顔を浮かべているのをちょくちょく見かけることが多い。


 あっさり家を引き払ったマリーにとって、なんとなく……マリアたちを、羨ましいと思った。



「とりあえず、情報の整理をしよう」



 その一言に、マリアはハッと目を見開く。そして、申し訳なさそうに苦笑を浮かべると、「それもそうね」と、頷いた。



「金は、いったいいつまで必要なんだ?」

「……今すぐってわけじゃないけど、なるべく早急に必要よ。借金を返し終えた直後ということで、向こうも待っていてくれてはいるけど、そう猶予は長くはないわ」

「つまり、どちらにしても時間が限られている……ってわけだな?」



 スッと、マリアは静かに頷いた。それを見たマリーは、エイミーへと視線を向けた。



「エイミー、仮に庭先でカチュの実を作るとして、いくつ問題点が浮上する? というより、何をしなければならないと思う?」



 マリーの言葉に、一瞬エイミーは何かを言いたげに表情を険しくするが……すぐに首を振って表情を引き締めると、「そうね」と己の顎に手を当てた。



「……何をするにしても、まずは我が物顔で振る舞っている雑草を軒並み引き抜かないと駄目ね。その場合、根っこを残しておくとまた生えてくるから、必要ではないやつは、根こそぎ抜く必要があるわ……かなり手間が掛かるわ」



 これは手作業でやっていくしかないわね。そう、エイミーは続けた。



「次に必要となるのは、土壌の活性化。私がここに来た頃からけっこう酷い有様だったから、おそらく、土壌の状態はかなり悪いと思われるわ。カチュの実の栽培には、豊富な栄養で満ちた土が必要不可欠……という以前に、何かを育てようと思うなら、まずは土壌の状態を良くしないと話にならないわね」

「土壌の状態を良くするには、時間が掛かるのか?」



 マリーからの質問に、エイミーは「特別なことをしなければ、半年以上は時間が必要よ……けれども、速めることは可能よ」と首を縦に振った。



「『土壌肥沃装置どじょうひよくそうち』と呼ばれる装置があれば、ここの庭ぐらいなら半日程度で耕すことは可能……だと思うわ」

「……ちなみに、お値段は?」

「食欲無くすぐらいには値が張るわよ。ただ、基本的にそういった機械は指定の施設で借りるのが一般的だから、必要となるのは機械を動かす為のエネルギー・ボトルとその他諸々かしら。こっちは、完全有償よ」



 ふむ、マリーは腕を組んで唸った。後ろ髪がちょいちょいと物理的に引かれて、身体の力を抜く。もうとっくに髪は梳かし終っているが、後ろに座っている少女の不安を解すために、多少の我慢は仕方がない。



「……エイミー、単刀直入に聞こう」



 ジロリと、マリーはエイミーを見上げた。



「本当に、この庭で育てることは不可能なのか? 全く、可能性すらも無いのか?」



 その言葉に、全員の視線がエイミーへと集中する。思わず、ピクリと肩を震わせたエイミーは、しばし口を噤むように唇を閉ざした後……小さな声で「いいえ」と首を横に振った。



「可能性が、無いというわけではないわ……使いたくはないけど、裏技を使えば最短で二か月近くで収穫も可能になると思う」



 二か月。その言葉に、一瞬だけだが、にわかに騒がしくなる。けれども、直後にエイミーが「ただし」と待ったを掛けた。



「……ただし、リスクが高すぎるのよ。失敗すれば、そこでお終い。後に残るのは、それまでに使用した肥料代やら何やらだけ。断言するわ……カチュの実の栽培に失敗したら、ラビアン・ローズは再び借金を抱えることになるわよ」



 ――『借金』。



 その言葉に、食堂内の空気が一気に重くなり、女性人たちは思わず俯いた。住人達にとって借金という単語は、二度と耳に入れたくない言葉であり、訪れてほしくない未来なのである。


 エイミーが話したのは、あくまで仮定の話だ。だが、仮定の話ですら、拒否反応が出てくるぐらいに、住人達はみな敏感になっていたのだ……唯一、マリーを除いて。


 エイミーの意見を聞き終えたマリーは、ふむ、と首を傾げる。さらりと揺れる銀白色の髪が、ふわりと重苦しい空気を和らげた。



「……やってみれば、いいんじゃね?」



 ポツリと呟かれた一言に、俯いていた全員が一斉に顔をあげた。



「――っ、マリー君……」



 信じられない。そう言わんばかりに、エイミーは驚愕で見開かれた眼で、マジマジとマリーを見つめる。それを見返したマリーは「仕方ねえさ」と苦笑した。



「実際のところ、借金を返した時のような幸運を、もう一度期待するわけにもいかない。とはいえ、現状、溜まった金を返すことが出来そうな方法は、マリアが提案したカチュの実、それだけ。だったら、それをするしかないだろ」

「で、でも……」



 なおも食い下がろうとするエイミーに、マリーははっきりとため息を吐いた。そして、胡乱げな眼差しで、サララを含めた食堂に居る全員の顔を、じっくりと見回して……深々とため息を吐いた。



「まあ、あんたらが、俺におんぶに抱っこでいたいっていうのなら、俺が頑張って金を稼いでくるが……それでもいいのかい?」



 ピクリ、と誰かの肩が震えた。それを横目で確認したマリーは、内心ほくそ笑みながら、ニヤリと唇を歪ませて笑みを作った。



「まあ、俺が頑張れば何とかなると思うぜ。ただ、その場合俺は一人でダンジョンに潜る必要があるから、しばらく自由気ままに振る舞うことになるけどな」



 その言葉に、褐色肌の寡黙な少女の肩が、ピクリと震える。背後から漂ってくる不穏な気配を、マリーはあえて無視した。



「……ああ、そうだ、それがいいな。しばらく俺が頑張れば済む話なんだから、あんたらは黙って家の中で大人しくしていれば――」

「さすがにそれは、恩人の言葉であっても聞き捨てならない」



 すらりと椅子から立ち上がったのは、ビルギットであった。


 そして、彼女に続いて「――ああ、それは私も同感だ」と、シャラも椅子を蹴飛ばす勢いで立ち上がった。



「よくよく考えたら、ここは私達の、皆の家だ。オーナーであるとはいえ、新参のマリーにばかり任せて、古株の私たちがこの体たらくっていうのは、我慢ならない。一度目はマリーが男の意地を見せた……次は、私達が女の意地を見せる番じゃねえのかい? なあ、みんな!」



 威勢の良いシャラの発破に、住人達の瞳に輝きが灯る。シャラの意志に呼応するように「それには、同意する」マリーの後ろの席に座っていたサララが、静かに立ち上がった。



「シャラさんと三日三晩喧嘩して、せっかく探究者として認めて貰えたばかり。私は、マリーと共に戦いたい。何もしない内に諦めるのだけは、嫌」



 私も、私もよ、私だって……ビルギット、シャラ、サララと続いて、次々に女性陣の中から声が上がる。そこには、一切の恐れも感じられない。あるのは確かな希望と、燃え上がる程に膨れ上がる、女の意地だった。



「ちょ、ちょっと……」



 一人、取り残された形となったエイミーが、この空気に付いていけず、困惑の眼差しを仲間たちへ向ける。けれども、返って来たのはエイミーが期待していたものではなく……強い、眼差しであった。



「エイミー」



 ぽん、と肩を叩かれて、エイミーはハッと振り返る。そこには、いつものような、暖かな微笑みを浮かべたマリアの姿があった。



「みんなの力を合わせるわ。どんなに辛くても、決して諦めない。それでも、駄目かしら?」

「――っ、ま、マリア……」



 マリアから尋ねられたその瞬間、エイミーが浮かべた表情は、きっとどんな言葉にも言い表せなかっただろう。


 そして、その内心は、言葉どころか絵にすら表すことが出来ないぐらいに複雑で、感情の暴風雨が吹き荒れていたのかもしれない。


 強いて近しいものをあげるとするならば、泣き笑い……というものなのだろう。色が白く変わるぐらいに唇を力いっぱい噛み締めたエイミーは……静かに目を閉じて……ゆっくりと、確かに、首を縦に振った。


 その直後、食堂に居た、マリーを除く全員から歓声が上がったのは、致し方ないのかもしれなかった



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