第四話: よく分からない戦い、よく分からない決着

※ グロい描写、暴力描写あり





 ――地を駆ける。目の前にいた邪魔者を「退けぇ!」蹴飛ばす勢いで走り抜けたマリーは、そのままの勢いで地面を蹴って、跳んだ。



「――よいしょ!」



 ずしん、と腕に掛かる重みを、突き出した蹴りで地面を踏み抜くことで堪える。固く目を瞑り、縮こまっているサララを優しく抱き留めると、マリーは素早くその身体を適当な石にもたれさせた。


 サララの顔にこびり付いた土を、手で払う。じわりと垂れ始めた鼻血を指で拭うと、マリーはサララの胸を覆うプレートを外して始めた。


 遅れて、サララの後ろから追走するように飛んできた強化鉄槍が、二人の傍の地面に、深々と突き刺さった。後十数センチ横にずれていれば、串刺しになっていただろう初老の男が「ひぃい!」と声にならない悲鳴と共に尻餅をつく。もわあ、と男のズボンが、見る間に色濃くなっていった。


 しかし、マリーは男の様子を顧みることなく、プレートを外し終えると、全身の観察を行った。胸元に耳を付けると同時に、片手で呼吸を確認する。特別、不審な点が見当たらないことを確認したら、今度は触診を始めた。


 特に、体重がモロに掛かったであろう両腕と脇もしっかり触診する。ほんのりと、差し込んだ指先から湿り気が伝わってきたが、これは汗だ。出血ではない。


 また、極端に腫れていたり青くなっている部分も様子も見られない。土まみれになってはいるが、とりあえずは目立った負傷をしていないことが分かったマリーは、安堵のため息を吐いた。


 ……それにしても、とマリーは思う。


 イシュタリアから距離を取ろうと重心を落とした、あの一瞬。信じられないことに、コンマ何秒という、サララの意識がわずかに逸れた瞬間を、イシュタリアは狙ったのだ。



(まさか、サララの槍を掴んで放り投げるとは……見た目に反して、大した技量だ……とはいえ)



 マリーの体内に渦巻いていた魔力が、さらに膨れ上がった。精密さなど捨ててきたと思われても仕方がないレベルの、滅茶苦茶な魔力コントロール……けれども、怒りが、マリーの望む効果を生み出した。



(とはいえ……いきなりやりやがったのは、全く許せんなあ……!)



 ギリギリ、と噛み締めた歯が軋む。マリーの全身から放たれる、暴力的なまでの魔力の奔流が、もわっ、と砂埃を舞い上がらせた。



「――ゆるせん! 時間が無いからさっさとぶっ殺してやる!」

「ほほう、それは困るのう」



 背後から聞こえた声に、マリーは反射的に振り返る……と、同時に迫ってきた小さな拳が、マリーの頬を直撃した!



「うごっ!」



 凄まじい衝撃がマリーの全身を走ると同時に、ぎゅるん、とマリーの身体が回転する。その勢いは一回だけでは止まらず、一瞬の間に十数回程回転した後、サララのすぐ傍の地面を削りながら転がった。パラパラと、横たわったサララの身体に砂埃が降りかかった。



「――うぐぇ!?」



 同時に、拳を振りぬいた体勢でいたイシュタリアの顔色が変わる。不敵な笑みを瞬時に青ざめさせたイシュタリアは、腹部を両手で押さえると、その場に膝をついて蹲った。ぐぉえ、と耳に障るうめき声をあげたと思ったら、その場にぼたぼたと胃液を吐き出した。


 独特の異臭を放つそれが、地面の奥へと沁み込んでいく。自然と丸まってしまう背筋を伸ばそうにも、制御が聞かない。激痛のあまり、内臓がひっくり返りそうで、イシュタリアは苦悶に顔を歪めた。



(――む、むう、あの一瞬で蹴りを撃ち込まれるとは……!)



 腹部から広がる痛みにイシュタリアは、ぜひ、ぜひ、と呼吸を乱す。腹部を貫かんばかりに放たれた一撃……受けた瞬間、腹に風穴が空いたかと錯覚した程の威力であった。


 これ程の一撃を食らったのは、何時以来だろうか。寒気すら覚える内臓のぜん動に、冷や汗が次々と湧き出てくる。こみ上げてくる吐き気は、とうてい我慢できるレベルではなかった。


 早く、体勢を整えねば……そう思って呼吸を整えているイシュタリアの眼前に、さらりと影が落とされた。(――あ、いかんぞ)その影の主が誰なのかを理解したと同時に、イシュタリアは素早く両腕で顔を守る。


 直後、首が折れたかと思う程の強烈な衝撃と共に、イシュタリアの身体が宙を舞った。ぐるん、ととんぼ返りしたイシュタリアの背中に、マリーから放たれた鉱石が……雨あられと直撃した。



「そらそらぁ! そこらへんに転がっている鉱石の御味を、死ぬまで味わえぇ!」



 信じられない速度で投てきされた鉱石が、どかん、ばぐん、と音を立ててイシュタリアの肉体にぶち当たって、破裂する。


 ぐりん、ぐりん、と衝撃と同時に空中で何度も身体を反転させたイシュタリアは、散弾と化した石つぶてに押しやられるように地面を滑り転がっていく。その身体に、さらなる石つぶてが追い打ちされた。



「や、やべえ、逃げろ! 巻き込まれるぞ!」

「ちくしょう! 喧嘩なら他所でやりやがれ!」



 我関せずと言わんばかりに黙々と鉱石を掘っていた探究者たちが、二人の戦いを見て、取る物も取らずに次々とその場を離れて行く。


 実力が無いから地上階でチマチマ金稼ぎしている彼ら彼女らにとって、巻き込まれれば最悪命を落としかねない戦いから逃げるのは、当然の行為であった。


 髪を後ろに纏めた若い女性が、鉱石を放り捨てて逃げて行く。腕に包帯を巻いた茶髪の男は、憎々しげにマリーたちを人睨みしてから離れて行く。森林を思わせる緑色の長髪を風に靡かせた少女が、小走りに駆けて行く。


 普段は静かであった地上階は、瞬く間に阿鼻叫喚の空間へと変わり果てた。


 もわっと、舞い上がった砂埃が一気に視界を悪くする。とはいえ、若干の湿り気を含んだ土は、すぐさま地面へとパラパラと音を立てて落下する。


 ぜえ、ぜえ、と荒い息を吐くマリーの視線の先には、すっかり変わり果てた姿となったイシュタリアの背中が見えた。



「…………」



 じーっと、両手に持った鉱石をそのままに、マリーは黙ってその背中を見つめた。


 ボロ雑巾と化したイシュタリアの肌からは、夥しい量の血が噴き出しているのが見える。裂傷した傷口があるのか、白い肌に目立っている鮮血のぬめりを見て、マリーは……右手に持っていた鉱石を、イシュタリアへと投げた。


 ずどん、と音を立てて、イシュタリアの身体が転がった。


 露わになった顔は、もはや元の造形が分からぬ程に変形しており、アンニュイな美しさは、もうどこにもない。破れた衣服の隙間から見えるピンク色の頂点が、ぽつん、と顔を覗かせていた。


 マリーは、黙って左手に持っていた鉱石をイシュタリアへと投げる。直撃と同時に、再びごろごろとイシュタリアの身体が転がる。それを見つめたマリーは、素早く地面から新たな鉱石を拾うと、イシュタリアへと放った。


 ずどん、ずどん、ずどん、ずどん、ずどん、ずどん、ずどん、ずどん、ずどん、ずどん、ずどん、ずどん、ずどん、ずどん、ずどん……。


 静寂な地上階の中で、砕かれた鉱石の破裂音だけが、響き渡る。一発、一発が腹の底まで浸みる程の爆音。固唾を呑んで見守っていた探究者たちの顔色が、先ほどとは別の意味で悪くなり始めた。



『お、おい、さすがにあれはもう死んでいるんじゃねえのか?』

『と、とっくの昔に死んでいると思うぞ』

『い、いくらなんでもしつこ過ぎませんか?』

『そ、それだけ恨み買ったんだろ……声は小さくしていろよ、目があったらこっちに来るかもわからんぞ』



 ぽつぽつと囁かれる畏怖交じりの話し声を他所に、マリーはひたすら必殺石つぶてを放ち続ける。おおよそ、20回程転がったあたりだろうか……足元から手ごろな鉱石が無くなったことに気づいたマリーは、深々とため息を吐いた。



『お、終わったのか? ようやく終わったのか? なんか俺、倒れているあの子がかわいそうで仕方が無かったんだが……』

『お、俺もそれには同意だ……しかし、すげえな。途中から倒れている子が背中を見せたきり、転がりすらしなくなったぞ。体の一部が、地面にめり込んでいるじゃねえのか?』

『あり得るぞ……ていうか、噂で聞いたブラッディ・マリーって、ここまで強いのかよ……もはや人間凶器……いや、もはや歩く殺戮兵器だろ、あれは』



 そんな会話が至る所から囁かれていたが、運が良いのか、不運なのか、マリーには聞こえていなかった。


 そして、探究者たちの視線を一身に浴びているマリーはというと、動かなくなったイシュタリアの背中を見つめていたと思ったら、キョロキョロと周囲を見回し始めた。



『……?』



 騒動の中心である3人を除いた全員が、内心で首を傾げる。何をしているのだろうかと、マリーの一挙一動を見つめる……ふと、マリーの視線が有る方向で止まった。



『……? なんだ?』



 いまいち真意が掴めない大衆を他所に、マリーはツカツカと視線の先……重さにして数十キロキログラムはありそうな、大きめの鉱石の前に立った。マリーの腰回り以上もあるそれに向かって、マリーはぞんざいに手を伸ばし……一息に、それを頭上に持ち上げた。ポロリと、石底にこびり付いていた土が零れ落ちた。



『――ぃぃいい!!??』



 奇しくも、全員の感情が一つとなった瞬間であった。既に死に体であるイシュタリアへ、ここにきて更なる追撃……というか、止め。鬼畜……まさしく、鬼畜の所業である。


 畏怖から驚愕へ、そして恐怖へと変わり始めた視線の中、マリーはそれを、なんと片手で持ち支えると、ググッと振りかぶる……ふと、マリーはそこで動きを止めた。



「……………」

『…………?』



 何かがあったのだろうか。様子を伺っている探究者たちをしり目に、マリーはパチパチと目を瞬かせた。来たるであろう恐るべき未来を前に、絶句していた探究者たちが、お互いの顔を見合わせる。


 そんな彼ら彼女らを他所に、はあ、とマリーはため息を吐いた。次いで、心底面倒臭そうに目を細め、派手に舌打ちした。



「おい、いいかげん、その死んだふりを止めろ。でないと、これでお前をサンドイッチにするぞ」



 ポツリと、呟かれたマリーの言葉に、大衆たちは『はあ!?』と目を見開いた。


 ――何言っているんだ、こいつ。


 そう言いたげに困惑する大衆たちを他所に、死んだふりと言われた亡骸は……「なんじゃあ、バレとったのか」ごろりと、仰向けに転がった。



『――っ!? ――っ!?』



 もはや、大衆の驚きは限界を突破して、声すら出なくなる。けれども、気にも留めていない二人は、そのまま会話を始めた。



「やれやれ、驚くのは見物人ばかりか……もう少しは驚いてもらわんと、痛いのを我慢した意味が無くなるのじゃぞ。というかお主、ここは空気を読んで、色々気を利かせる場面じゃろうて」



 顎が砕けているのか、それとも舌を切ったのか。イシュタリアの声は、まるで年老いた婆のように枯れており、また、滑舌が悪かった。


 呼吸するだけでも想像を絶するほどの激痛があるはずなのだが、イシュタリアは気にした様子も無く、ふぇっへっへ、と奇妙な笑い声をあげた。



「知るか。いきなり連れをあんなふうにされりゃあ、誰だって頭に来るだろ……だいたい、やってきたのはお前の方から……ああ、そうじゃない。俺が聞きたいのは、それじゃない」



 マリーは気持ちを切り替える様に首を横に振った。



「てめえ、なんで“あのこと”を知っているんだ? アレは、サララにだって話していないことだぞ」



 怒気を孕んだ問いかけに、地面に横たわっていたイシュタリアは、ふてぶてしく笑みを浮かべた。


 片手の指で数えきれるぐらいにまで欠けた歯の間から、唾液交じりの血がどろりと噴き出すと、ブッ、とエナメル質交じりの鮮血を、吐き出す。スッ、と身体を起こすと、黒髪にこびり付いた土くれの塊が、ぽろぽろと零れ落ちた。



「ぬっふっふ……それを私が、そう簡単に教えると思うておるのか?」

「……………」



 にやり、と血みどろまみれの唇と、黒い目が弧を描く。押し黙るマリーを他所に、イシュタリアはもごもごと唇を擦り合せる……と、再び口を開いた。そこには、先ほどまで砕けてぼろぼろだった歯が、キレイに生え揃っていた。



「――っ、……治癒系の魔法術か……呪文の詠唱もせずに、どうやって?」

「いひひ、乙女には色々秘密があるのじゃ……ほれ、折れた手足も、このとおり……」



 そうイシュタリアが言った直後、各関節が四つも増えていた両腕と両足が、耳障りな異音を立てる。


 むぐむぐと、袖の内側で何かが蠢いた……と思ったら、イシュタリアの手足がまっすぐに伸びた。


 謎の蠢きは手足だけに留まらず、服で隠された動体にまで及ぶ。破れた胸元の間から、皮膚が波打つように盛り上がっているのが見えた。



「さすがに、内臓の再生はしんどいのう」



 とん、とダメージをまるで感じさせない足取りで、軽やかにイシュタリアは立ち上がった。ぱんぱん、と袖やら何やらについた土を粗方払い終えると、その蠢きは初めから無かったかのように収まっていた。


 そして、最初の頃と服以外はほとんど変わりない状態にまで回復したイシュタリアは、にやぁ、と笑みを浮かべた。



「まあ、それも大した問題では――」



 顔を上げたイシュタリアが見た者は、死界全体を覆い尽くさん勢いで迫り来る、鉱石の弾丸であった。



「――っ!? ぬおおお!?」



 寸でのところで、イシュタリアはそれを横殴りの拳で弾いた。さすがに、回復し終えた状態で、対応できない彼女ではない。


 しかし、全く身構えしていなかったこともあって、直撃は避けたものの、イシュタリアは堪えきれずに後方へとゴロゴロと転がった。



「……仕留められなかったか」

「こ、こりゃあ! お主、舌打ちしよったなあ! 不意打ちはいかんぞ! 不意打ちはあ!」



 振り投げた姿勢のまま悪態をつくマリーに、身体を起こしたイシュタリアが声を荒げた。怒りに顔を真っ赤にすると、ビシッとマリーを指差す。けれども、マリーはそれ以上に顔を赤らめると、怒声をあげた。



「最初に不意を突いたのはお前だろ! ていうか、結局お前はなんで知っているんだよ! ご託はいいからさっさと答えろ!」

「せこい不意打ちかますようなやつに、教えることは何も無いのじゃ!」



 ぶちり、と己の中で何かが切れる音を、マリーは聞いた……ような気がした。



「それじゃあ、お前何のために俺たちにちょっかいかけてきたんだよ! 俺もお前も、ただ殴りあっただけじゃねえか!」

「男が細かいことをグチグチグチうるさいのう! 話そうと思ったが、やっぱり止めじゃ! お主に話すことなど何もないのじゃ!」



 そう言うと、イシュタリアはそっぽを向いてしまった。なんというか、先ほどまであった、威厳というか、威圧的な雰囲気がまるで感じられない。


 ピンクの先端が露わになっているというのに、まるで気にする様子も見せない様は、むしろ年端もいかない子供のようにすら見えた。


 まあ、それは、マリーにも同じ……というわけでは無いのだが、どちらにしても、気づいていないのは当人たちばかりである。


 激怒したマリーによって、戦闘が再開したのは、それからすぐのことであった。






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