【KAC1】フクロウおじさん、あなたもしかして……

木沢 真流

第1話 フクロウおじさん

 ピシッ。

 父に殴られたのはこれが最初で最後だった。だから私はこの時のことは忘れもしない。


「フォルタナの森にはあれだけ入るなと言ったのに! 悪い娘だ」


 6歳になったばかりの私はあの日、花摘みをして遊んでいた。気づいたら奥へ奥へ、いつのまにかフォルタナの森に入っていた。


 ——フォルタナの森に入ってはいけないよ……恐ろしい獣人に食べられてしまうからね——


 そう母から何度も聞かされていたにもかかわらず、あの日の私は見たことのない花を集めるのに夢中で、そんな言い伝えもすっかり忘れていた。

 うっそうと茂る草木の中。木漏れ日に照らされた四つ葉のクローバーを見つけ手を伸ばした時、私は大きな影に気づいた。

 見上げると、そこには白ひげで覆われた大男が立っていた。

 肩にはフクロウ、手にもフクロウが乗っていた。


「おじさん、だれ?」

 大男は少し首をかしげた。

「私を見て驚かんのか?」

 私はその意味がわからずぼーっとしていたが、やがて男はにっこりと笑うと、ついておいで、と言った。

 私は言われるがままにそのまま男についていった。

 木で出来た男の家でフクロウにえさをやったり、特製のスープを飲み干したりした後、私は帰ることにした。

 私の遊ぶ姿をじっと見つめる、その大男の瞳が不思議と今でも忘れられない。


 帰り道、男は途中まで道案内をしてくれた。私が発するたくさんの取り留めもない話を、ただただじっと男は聞いていた。

 気づくと横にもう男はいなかった。代わりに、血眼になって私を探していた両親が視界に入った。

 そのあとは冒頭の通りである。 


 なんでも私が会ったのは、人を喰うとても恐ろしい獣人なんだそうだ。私にはとてもそんな悪そうな人には見えなかったが、真実を知ったのはあれから20年以上後のことである。



 あの不思議な体験も次第に忘れそうになっていたある日のこと、目を覚ました私は世界が重たいことに気づいた。

 燃え上がるように火照る身体、倦怠感、全身のあらゆる細胞が悲鳴をあげていた。


「……間違いない、紫蝶病じゃ」


 村一番の医者はそう言った。

「このまま行けば、十日は持たんじゃろう」

 父はすがるようにこう食いついた。

「治す方法は?」

「一つだけある。カチコの実を煎じて飲む」


 それを聞いて、両親は血の気が引いたという。

 カチコの実。それは以前はこの村にはたくさん成っていた栄養価の高い実のことだ。しかし乱獲のせいで、今は一つも手に入らなくなってしまった。たった一つ残されたカチコの木が嘆きの岬に残っている。しかし、それは人がたどり着けない場所にあった。


 森を抜け、河を渡り、崖をよじ登って辿り着く嘆きの岬。その数十メートル海側に突き出た岩の塊、そこにカチコの木が残っているという。しかし、そこは人の手が届く場所ではなかった。

 むしろ、そんな常人の辿り着ける場所でなかったからこそ、唯一乱獲されずに済んだといえる。


 私の病態は日増しに悪くなっていき、やがて意識も混濁していった。


 ある日、村人の制止を振り切って父は嘆きの岬へと向かった。

 村の人々は皆、父に会うのはこれが最後だろうと思った。


 しかし父は帰ってきた。

 髪を乱し、全身に傷を負って、息も絶え絶えに。

 そしてゆっくり開けた手の中から、たくさんのカチコの実がこぼれ落ちた。

 母は急いで医者を呼び、それを煎じて私に飲ませた。すると私の体調はみるみるうちに回復し、今までの体調不良がまるで嘘のように改善した。むしろ父の方が全快するまで少し時間がかかったほどだ。


 一度だけ父に聞いたことがある。

 どうやってあの断崖絶壁にあるカチコの実に辿り着いたのかを。

 すると父はまるで夢でも思い出すかのようにこう話してくれた。

「あれは不思議な体験だった。神様っているんだな、って思ったよ。父さんが岬までなんとか辿り着いた時。遠くにカチコの木が見えた。後少しなのに、どうしてもその崖は人間には乗り越えられる代物じゃなかった。もう駄目か、そう思ったとき一羽のフクロウがカチコの実をつっついているじゃないか。おいやめてくれ、それは大事な娘の命なんだ、そう思った。でもね、次の瞬間フクロウがなんと私のところにその実を持って来たんだ。一個じゃない、何個も何個も。父さんは必死になってそれを集めた。そして残された力を振り絞って家まで帰ってきたんだ」


 私はその話を聞いた時、そのフクロウを飛ばした正体がなんとなく分かったような気がした。しかし、父の機嫌を損ねないようにするためにも、私はぐっとその仮説を胸の中にしまい込んだ、そして今に至る。


 あれから20年、私が結婚して母親となっていた頃、父が病気でこの世を去った。その時、私は母から初めて、自分は両親の実の娘ではないことを告げられた。

 私の実の親は重い障害を持っており、私を育てることが困難だったようだ。そのため、私の育ての両親が代わりに私を引き取ったのだという。本当の両親は誰なのか、それだけはどうしても教えてはくれなかった。


 私は本当は誰の子なのか? 実の親はどこで何をしているのか?

 そんなことは今やさほど重要ではない。私はたくさんの人に守られている。そしてここまでやって来た。そして今ここにいる我が子を同じように大切にしたい。


 フクロウを見るたびに今でも思い出す、あのなぜか懐かしく、温かな瞳を。

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