霊仙教教主の虚空密室・解決編

 教主の寝床を調べ終えた頃には、もう日は傾きかけていた。朝から降り続いていた小雨は止み、夕陽が周囲を朱色に染め上げようとしている。

 外に出て、数歩、歩くか歩かないかといったところで、砂鹿はぴたりと立ち止まり、口を開いた。

「事件の真相がわかりました」

 突然の宣言だった。横野は振り向き、驚嘆の眼差しを向ける。

「ほ、本当でございますか!?」

「はい。現場で、すべてをお話ししましょう。横野さんは先に、虚空堂で待っていてください。私と警部補は、久実さんと瀬津谷さんを探して、後で向かいます」

「承知しました。そのようにいたします」

 横野は旭日と砂鹿に一礼すると、行者の階段へと歩いていった。


「では、行きましょう、警部補」

 砂鹿は旭日に声をかける。が、旭日は手のひらを砂鹿に向けて翳し、それを制した。

「待て、砂鹿。実のところ、今回ばかりは俺もわかったんだ、事件の真相ってやつが、な」

 得意満面の表情で、顎髭を撫でつける。

「わかったと言われても、怪しいものですね」

 砂鹿は訝しそうにシガレットを咥えた。先日、見事なまでの推理ミスを間近で見ている身としては、旭日の言は今一つ信用が置けない。

「相も変わらず、失礼なやつだ」

 嘆息しつつも、声音には大分余裕がある。真相を看破したという自信故、だろうか。

「まあ、正直な話をすれば、俺としても前回のような失態はもう懲り懲りだ。だから、今回は先にお前に、俺の考えを聞いて欲しい。もし、結論が同じで、異論を差し挟む余地がないのなら……真相の解明は、俺に任せてもらおう」

「いいでしょう。それでは聞かせてもらいましょう、警部補の推理をね」


 ごくりと唾を飲み込んで、旭日は話を始めた。

「監視カメラの映像によれば、虚空堂には霊仙老子以外誰も入室していなかった。つまり、犯人は密室の外側から、霊仙老子を殴打して、痕跡ごと消え失せた事になる。それを可能にする道具が、一つだけある」

 旭日は左手を伸ばして、右手で弓を引き絞る真似をする。

「クロスボウ、だよ。犯人は霊仙老子が入室している時間帯に、脚立を虚空堂の外壁に立て掛け、小窓を覗く。お前の調べでは、小窓からは、老子の遺体が見えていたはずだ。狙いを定めた犯人は、鉄格子の隙間から、予め先端に石を括りつけておいた矢を発射する……!」

 旭日は右手を開いた。矢が放たれた事を表現したいのだろう。

「即席の石矢は老子に命中、老子はその場に倒れる。このままでは凶器の石矢が現場に残ってしまうが、犯人はクロスボウと石矢を、頑丈な糸――釣り糸で結んでいた。釣り糸を手繰って小窓まで引き寄せ、凶器を回収する。これで虚空堂の、不可解な密室殺人が完成する」

 推理を開陳して、旭日はふう、と息をつく。

「この犯行が可能なのは、ただ一人。クロスボウと渓流釣りを趣味にしている、横野定彦しかいない。呑気に渓流釣りの話なんかしちまって……危うく、俺も騙されるところだった」

 砂鹿はシガレットを飲み込んでしまうと、額に手を当て、天を仰いだ。

「残念ながら、大外れです。……推理を披露しなかったのは賢明でしたね」

「何故だ!」

 考えに考えた末の結論を一言で否定されてしまい、旭日は頭をかきむしる。

「何を以って大外れなどと言えるのか、説明してもらおうじゃないか」

「言われるまでもなく。まず、あの廂ですが、可動する時に、大きい音がしたでしょう」


 ――廂を上に押し上げる。バターン! と派手な音を立てて、廂が可動する――


「廂だけではなく、外壁に脚立を立て掛け、梯子を上るだけでもかなりの音が響きます。クロスボウで狙いを定める前に、老子に異常を勘付かれるのが関の山です。一度気配を察知されてしまえば、鉄格子の隙間から、動く目標の頭を射抜くのは不可能に近い」

「老子は高齢だ。耳が遠くて聞こえなかった、とは考えられないか?」

 旭日は半ば間違いを悟りながらも、苦し紛れの反駁を試みる。

「野鳥の声に耳を傾けていた人間が、廂の開閉音に気付かない程に耳が遠かったとは思えませんね。更に言えば、そのトリックでは鍵が死体の傍に揃えて置かれていた理由も説明できません。大体、廂を調べあぐねる私に、脚立の存在を教えてくれたのは他ならぬ横野さんでした。犯行に使ったクロスボウと釣り竿を、自室に堂々と飾っておく事も含め、犯人の行動としては違和感があります」

 言われてみればその通りだった。温めていた横野定彦犯人仮説は、粉々に砕け散った。旭日は意気消沈して、がっくりと項垂れる。

「なんてこった……また、間違ったのか、俺は」

「私も似たような考えで、小窓を調べましたから、そう気を落とす事はありません。それに此度の事件は、少し風変わりです」

「風変わり?」

 旭日は首を傾げた。砂鹿には、一体何が見えているのだろう。横野が犯人でないのなら、真相は皆目見当もつかなかった。

「すぐにわかりますよ」

 砂鹿はそれだけ言って、一足先に歩き出した。



「お集まりいただけましたね」

 虚空堂には、呼集に応じた横野、久実、瀬津谷の三人、そして警察関係者たちが一堂に会していた。鑑識班も作業を中断して、砂鹿の話を聞く体制に入っている。

「では、事件の真相をお話ししましょう」

 砂鹿は全員を一瞥してから、語り始めた。

「先ずは、ここ、虚空堂が密室になっていたのは何故なのか、を紐解いていきましょうか。設備管理室で、虚空堂入口の監視カメラの映像を確認しましたが、朝方から死体が発見される昼頃まで、霊仙老子以外の人間は虚空堂の中に入っていませんでした。何らかのトリックを用いて密室を構築したのではないかとも考えましたが、いずれも実現可能性に乏しいというのが私の見解です。そこから導かれる結論は一つ。老子が死亡した時、虚空堂は正に『完全な密室』だった。老子は怪我を負った状態で虚空堂に入室して、内側から施錠、そのまま死亡したのです。検死結果はまだだと思いますが……私の推理が正しければ、老子の死因は、頭部外傷による急性硬膜下血腫、ないし、急性硬膜外血腫」

 密室はそのまま密室で、何の細工も施されてはいなかった。砂鹿の推理に、堂内は俄かにざわめく。

「順を追って説明しましょう。今朝は小雨がぱらついて、足元も悪くなっていました。高齢の老子は、長い行者の階段を登る途中で、バランスを崩して転倒、したたかに頭を石段に打ちつけた。衣服の膝から下が泥で汚れているのが、老子が転倒した何よりの証拠です。老子としても、最初は大した事がないと思っていたのでしょうが、その後、石段の昇降運動を行った事により血腫が急激に増悪。虚空堂に入り、祈りを捧げようと座ったあたりで体調の異変に気付くものの、時すでに遅かった。鍵を手に取り、虚空堂から出ようとしたところで、老子は前方に倒れ込むようにして力尽きた」

「では、教主様は……!」

 横野は身を乗り出すように上半身を傾がせ、声を上げる。

「事故死、ということになります。雨のおかげで微細な物的証拠は消失してしまっているかもしれませんが、現場検証、司法解剖で裏付けは取れるでしょう」

 砂鹿の発言を受け、鑑識班が顔を見合わせる。

「私の推理は以上です。それでは――」


 砂鹿が話を切り上げようとしたその時、

「ま、待って……!」

 虚空堂に声が響いた。久実だった。

「黙っていようか、ずっと迷ってて……でも、今、今言わなかったら、一生後悔するから、だから……!」

 久実は全身を震わせながら、砂鹿を見据え、言葉を絞り出す。

「今の推理は間違ってる。あたしが、あの人を、霊仙老子を殺したの……!」

 不意の告白に、虚空堂は、しん、と静まり返った。誰もが彼女を見つめたまま、唖然としている。そんな中、唯一砂鹿だけが、柔和な微笑を浮かべていた。

「ええ、知っていました。それがあなたの選択なら、私は尊重しましょう」

「知ってた……? それって、どういう」

 不思議そうな顔で、砂鹿を見る。

「教主の寝床で、あなたは老子に怪我を負わせたのでしょう」

 久実は吃驚して、頷いた。

「そう。あたし、朝、教主の寝床で、進路の事であの人と言い合いになって……売り言葉に買い言葉で、あたしの事なんて全然見てくれてないって怒って、大事にしてる聖石を思い切り投げたら、丁度、頭に当たって……それで、あの人も『もう知らん』って怒ったまま、出て行った。何ともない風だったから、そんな、死ぬような怪我してたなんて」

 久実は唇を噛んだ。エスカレートした親子喧嘩の行き着いた先は、老子の死だった。

「でも、どうして――」

「あなたは、昨夜遅くゲストハウスに到着してすぐに寝てしまい、今日は自室でスマホアプリに興じていた、と証言していましたね。同時に、霊仙老子をこう評していました――『いつも霊仙教の話ばっかで、あたしの話には真剣に取り合ってくれないし、高い値段で悪魔だとか渦巻きだとか、気持ち悪い絵を買って飾ったりするし』――とね。横野さんが教えてくれたのですが、あなたの話に出た渦巻きの絵は、前衛芸術家、ゴーゴン下田の新境地とも言うべき作品で、老子が昨日購入したばかりの品だそうです。私はそれを知って、疑問に思いました。久実さんは一体いつ、教主の寝床で『渦巻きの絵』を見たのだろうか……と」

 砂鹿は久実に向き直り、相対する。

「あなたは霊仙老子の死の直前、教主の寝床を訪れたはずなのに、自室に居たと嘘をつきました。理由は一つ、あなたが老子の死に関わっているからに他なりません」

「どうしてっていうのは、そういう事じゃなくって、最初、事故死って言ったのは――」

 久実は当惑の表情を浮かべる。即座に淀みのない推理が出て来た事から、知っていたという発言に嘘はないだろう。では何故、砂鹿は久実が犯人であると知りながら、事故死などという出鱈目を並べ立てたのか? 久実には意味がわからなかった。

「それが、被害者の――霊仙老子の、遺志だったからです」

「え……」

 信じられない、といった顔だった。

「老子の遺した、手の形。霊仙教では『赦し、調和』を意味するそうです。これは間違いなく、あなたに向けたダイイング・メッセージです。『あなたを赦す』老子は死の際で、そう伝えたかったのでしょう。あなたが自分の死を、気に病む事がないように」

「そんなの……」

「信じられませんか? 私はこの事件に、言いようのない違和感を覚えていました。命にかかわる傷を負ったと悟った人間が、途中で助けを呼ぶでもなく、長い行者の階段を踏破して、自ら作った密室の中で死亡する……常識ではこんな事はあり得ません。老子の行動には、強い意志を感じるのですよ」

 砂鹿は大きく息を吸い込んで、続ける。

「ここからは、私の推測になりますが……老子は行者の階段を登りながら、体調の異変に気付きました。当然、先程の怪我が原因である事も直ぐにわかったでしょう。ですがここはG県の山奥で、その上、長い長い階段の途中です。階段を降りて助けを呼んで、通報を受けた救急車が到着、受け入れ先の病院を探して搬送する――とてもじゃないが、それまでは持たない。実際の処、どうだったのかを知る術は今となってはありませんが、少なくとも老子はそう判断した。だから、残る力を振り絞って、虚空堂を目指した。衣服を泥で汚して転倒を偽装した上で、監視カメラの作動を確認して、内側から施錠、一目見て虚空堂が密室である事がわかるようにキーホルダーから鍵を外し、刻印を上に向けて揃えて、絶命した。すべては加害者である、あなたの将来を守るために。あなたは『あたしの事なんか全然見てくれていない』と言ったそうですが……老子は父親として、誰よりもあなたを気にかけてくれていたのです。それこそ、死の瞬間まで、ね」

「あり得ない! なんだそれ、証拠もなしに見て来たような事言うなよ、あの人、聖人君子かよ、全部が全部、妄想じゃん!」

 久実が絶叫する。瞳から涙がこぼれた。あの人、と呼び、蛇蝎の如く嫌っていた父親が、自分の為にそこまでした事を認めたくなかった。

 砂鹿は困り顔で、頭を掻く。

「証拠がないと、ですか。私と同じですね。人の心は畢竟、誰にもわからないものですが……」

 言いながら、砂鹿は胸ポケットを探る。

「遺された物品から、心情を推し量る事くらいはできます。あなたも子供の頃は、老子と仲良く、穏やかな時間を過ごしていたのではないですか?」

 取り出したのは、折り紙で作られたメダル。

「それ……あたしが昔、作ったやつ……」

 慌ただしい日々を過ごす内、いつしか父娘の距離は離れていた。だから、作った本人の久実も忘れていた。

「教主の寝床、横野さんも入れない寝室に、大切に仕舞われていました。老子にとっては、何にも代えがたい思い出だったのでしょう」


 砂鹿の言葉に、折り紙で作られたメダルに、頭の奥底に沈んでいた記憶がフラッシュバックする。そうだ。振り返れば、喧嘩してばかりじゃなかった。宗教って言葉の意味もわかっていなかった頃、楽しい事もたくさんあった。お互いの誕生日を一緒にお祝いした。二人で街までケーキを買いに行った。お父さんの誕生日なのにあたしの好きなケーキを買ってくれた。サプライズで用意した拙いメダルに感激してくれた。調子に乗って何度も同じ物を渡したのにその度に笑顔でありがとうって言ってくれた。泣いている時には困った顔をして頭をそっと撫でてくれた。


「ばっかじゃないの……!」

 悲嘆のこもった声が、空気を震わせる。

「なーにが、赦し、だか。大怪我したんなら、やばいってわかったなら、諦めたりしないで、さっさと病院、行けばよかったのに……最期まで、頑固で、偉そうなんだから……」

 久実は、その場に崩れ落ちるようにして膝をついた。顔を覆い、嗚咽を漏らす。

「ごめん。お父さん……ごめんね……」

 その後は、言葉にならなかった。こうして、霊仙老子殺害事件は、一日を待たずして解決した。



霊仙教教主の虚空密室  了

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砂鹿宝一と奇怪な事件たち ぽこまる @unknownhuman

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