白き昼隠居

久遠マリ

白翼愛づる皇子

「全く、このような状況下においても、あやつらは呑気なものだな」

 友が、樹上を見て吐き捨てた。つられてそちらに目をやれば、目立たぬように、と、枝の上に設えられた見張り櫓。そこで、雪のように白い翼をゆるりと畳み、己が得物である短槍に寄り掛かって、腕を組んで目を閉じているのは、美しい青年だ。足は、鳥と同じ、鉤爪。生成りの前合わせの戦装束の左胸に藍色で縫い取られているのは、梟紋。昼隠居と渾名される白梟の部隊を率いている。

「仕方がないさ、あの一族は、日の光が出ている間は動かない、というし」

「しかし、あのような目立つところで眠らずともよかろうに」

「まあまあ、あそこにだって、人を配置せねばならぬから」

 目立たぬように枝で隠されてはいるが、白い翼は、黄変した葉が落ちつつある枝の茶色を突き抜けて、真っ直ぐに視界へ飛び込んでくる。ともすれば遠くより射かけられそうな位置に率先して上がっているあたり、尊敬に値すると私は思うのだが、友はそうは思わないらしい。

 大河を渡って、山毛欅森の木を切り倒しながら、南の者が、軍を率いて攻めてきていた。

 性懲りもない、六度目である。

 このような北の土地が何の役に立つのだろう、と私は思うのだが、友曰く、かなり北の方で寒い土地ではあるが海流の関係で海が凍らぬために交易を行えるのは利点だ、とのことらしい。河口に存在する我が都市を拠点としてそっくりそのまま利用したい、と考えるのも当然なのだとか。ついでに、もう間もなく雪が降る季節を迎えようとしているから、焦って何度も仕掛けてきているのだ、とのこと。拠点を築けたとしても兵糧を届けるのに困難の多い冬の行軍は士気にかかわるから、だそうだ。我が友は非常に賢い。そりゃあ、そこは、軍師たる器。

「わかっておるよ。あやつらが、こないだの、五度目の侵略をあっさりと平らげたのも」

 でもねえ、もうちょっと時と場合を考えて頂けぬものかね。煙管に薫り高い葉を詰め込みながら、私はそれを聴く。耳に好い乳兄弟の声は子守歌に似ている。乳母とは全然違うけれど、怒っていても柔らかな、眠りを誘う、そんな低音。

「そうだねえ。何だか、私も仲間に入れて貰いたくなってしまうねえ」

「……あなたはここで、しゃんと座っていなきゃ、だめでしょうが」

「いやあ、君の声もいい感じに春のうららかな午後だから」

「褒めているのか、それ」

「そうだよ、シーヴィ」

 薬になると言われている虫を二匹くらい奥歯で噛んで潰したような顔をして、友は溜め息をついた。大河の此方側でまだ睨みあっているだけとはいえ、相手方は水を確保し、土塁を築き、川の上流から様々なものを運んでくることが出来る状態である……から、早めに潰しておかねばならぬ、と、友は先程説明してくれたのだ。春先まで長引かせ、上流に堰を築いて、凍えてしまう程に冷たい雪解け水を解き放つという手もあったが、それまでに森の木がなくなってしまう。土や木が流れやすい土地になってしまうのは避けたいところだった。

「時期が悪かったねえ」

「本当に」

 私は煙管を長い管に取り付けて、火をつけ、そこから一息に煙を吸った。鼻にも舌にも感じる香薫。長い呼気と一緒に吐き出す。至福。私がこうやって喫煙を愉しめるくらいには、余裕のない戦いではない。

「君の胃にも負担だしね」

「全くだ」

「でも、苛々するけれど、連れてきたのでしょう。私には、わかっているよ」

 友はもう一度樹上を見やった。青年の片目が開いている。

「昼隠居だからこそ夜に働いて貰わねばならぬ。相手は五千」

「徹夜かな?」

「否」

「宵の峠は?」

「騎馬が千、歩が千、白が千。白は、四つの部隊に分ける……あやつからの提案だ」

「私が聴くのはそこまでにしておこうかな」

「賢明だ」

 樹上にいるのとは別の白い影が、さっとどこからか飛んできて、叫び声をあげる人間の形をしたものを、陣幕のすぐ外から浚っていった。せめて大地に還って次の生命となれ。大地の精霊王の加護を賜っていた南の国の王が急逝し、国土が大地の精霊王の加護を喪って、土地が痩せ衰え、飢饉が襲ってから、一年が経つ。可哀想だが、北の大地で交易に頼り、外つ国の技術をようやっと取り入れて大地の上手い利用方法を模索してきた私達とて、生きたいのだ。しかし、己が身は民によって生かされ、民のことを思わねばならぬ身。

 国境線のことなどどうでもいいと思うものは多い。寒い我が国であっても、南からの民の流入は絶えることなく、増えている。

 青年を見上げると、目を閉じたままのその顔が、少しだけ笑っていた。


 今日だけは私も宵っ張りだ。

 夜半、音もなく飛び立つは白き影。大河を使って兵糧を河口の我が都市まで流して運んでしまうべく、水によく浮く筏を幾つも引っ張り上げて、二百が飛んでいった。十は、手練れの土術師五名が乗り込んだ籠をぶら下げていった、これは、臨時で築かれた水路を破壊し、伐られた木に働きかけて、戦力とする為。二百は、本陣へ。残りは、真正面へ。

 昼隠居の青年は、私の前でにっこりする。美しい白髪を、秋空の下、涼しい風に靡かせて。

「我が君ナランジュさま、シーヴィさま。必ずや、良き結果を御手に捧げまする」

「あいわかった。死なぬよう」

 私が声を掛けると、彼は大層嬉しそうに、眩しそうに、此方を見る。愛いやつである。

「はっ。ナランジュさまは、どうか、お戻りくださいませ」

「そうしようかな」

「麗しき、我が第一皇子よ。尊き御身であること、ゆめゆめお忘れなきよう」

 そう言い残し、彼もまた、音もなく、月のない空へ飛び立っていった。星明りは煌々と、しかし影は生まない。

「さあ、言われた通りに、私は引っ込みましょうか」

「供する」

「任せたよ」

 帰ったらすることが一杯あるのだ。さて、戦で死する者を踏み越えて、民を生かすとは滑稽且つ業の深い話であるが、南を平らげる準備を整える必要性を、人々と共に話し合わねばならぬ時は、迫っていた。

 そうして、私が眠い目を擦りながら本城の窓の外にふと目をやった時、沢山の俵が筏に乗って流れてくるのが見えた。目の裏に浮かぶようだ……さながら白き亡霊のように、陣を急襲し、空から略奪と破壊をやってのける愛しき梟たち。

 やがて迎えた朝には、初雪がちらついていた。

 昼隠居が見えなくなる冬の到来である。


お題「切り札はフクロウ」

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白き昼隠居 久遠マリ @barkies

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