第7話

 間もなく、人が集まり始めた。まずは近隣に住む人々、中年の夫婦や、子ども連れの若い夫婦、ほぼ全員が犬を連れていて、タフタを通じた知り合いのようだ。酒やお菓子を持ってきてくれる人もいる。それから翡翠と同年代の知り合い、遠雷の仕事関係の知り合い。

 翡翠が庭先に立って、彼らを迎え入れていた。遠雷は庭と台所を行き来してた。バーベキューコンロに火が入れられ、肉や野菜の焼ける匂いが辺りに漂う。

 私は部屋にかけてあった新しい服に着替えて、集まった客に飲み物のグラスを渡したり、皿を配った。

 翡翠も遠雷も、私のことをパーティーのために呼んだ遠雷の友人だと紹介した。誰も私が人造人間だと気づかないようだった。私も翡翠や遠雷の真似をして、紹介される客たちににこやかに自己紹介を繰り返して、彼らの顔と名前を記憶した。

 日が沈んだ。木々の間につり下げた提灯が明るさを増す。そのさらに上空の晴れた夜空には、月に最も近づき、太陽の光を受けて輝く地球が、庭に集まった人々を照らしていた。

 南西の方角から、音楽が聞こえてきた。誰から音楽のデータが入った手持ちの端末を、スピーカーに繋いだらしい。庭の片隅から、騒音とは感じない音量の音楽が聞こえる。

 集まった人々の中心に、翡翠が進み出る。彼に注目を集めるために、誰かがベルを振った。小気味良い音が鳴り響く。

「皆さん、今日は我が家にお集まりいただき、ありがとうございます。越してきて三週間経ちましたが、なんとか家の中も、ここでの生活もかたちになってきました」

 客の顔を見渡しながら、翡翠が声を張って言った。遠雷を探すと、手ぶらの客に飲み物の入っているグラスを渡している。私は急いで彼に近づき、その役目を引き受けた。

 遠雷は笑って会釈し、客の間を抜けて翡翠の隣に立つ。

「今夜は地球の最接近日スーパーアースです。私の日頃の行いが良すぎるせいで、昨日まで雨だったのに、今夜はすっかり晴れて、明るい地球がこの集まりを喜んで照らしてくれます」

 そう言った翡翠に、これまた冗談めかした野次が飛ぶ。傍らの遠雷は、両手に自分と翡翠の分のグラスを持っている。

「それでは皆さん、わたくし、翡翠と、同居人の遠雷を、これからよろしくお願いします」

 翡翠はそう言って、一度深く頭を下げる。顔を上げると、遠雷が渡したグラスを手にして、それを掲げた。

「それでは…」

「ようこそ、トリスネッカーへ!」

 翡翠の乾杯の言葉を遮って、誰かが言った。集まった来客の声がそれに続き、翡翠と遠雷は驚いて目を丸くした。そこに、グラスのぶつかり合う音が響く。

 翡翠と遠雷は顔を見合わせて笑うと、自分たちのグラスを小さく鳴らし、それから客の輪の中へ飛び込んだ。

 私の周りでも、ようこそ、という声が重なって聞こえた。次に、周囲の人々がグラスを打ち鳴らす。そして私もそれに加わっていた。集まった客の真似をして、グラスを持って立っていただけだった私に、人々が近づき、グラスを寄せた。私はすぐに学習して、今度は自分からグラスを差し出した。グラスとグラスがぶつかるたびに、中の飲み物が揺れた。 液体ごしに見える人々は、みんな私に笑ってくれた。私も彼らに笑い返した。

 グラスの音が鳴りやむ頃、私はもう一度翡翠と遠雷に視線を向けた。彼らは別々にそれぞれ客と笑い合っていたが、私はひとつわかった。

 彼らがこの場にいることは、受け入れられ、祝福されていた。

 完全に陽が沈んでから一時間三十二分五十八秒経った。

 パーティーの間、私は人間らしく振る舞うため、適度に飲み、わずかな食事を口にした。そしてできる限り庭にいる人々に目を配り、グラスの空いている客には声をかけ飲み物を注ぎ、汚れた皿は新しい皿と取り替えて、洗い物の場所へ移動した。

 この時間になると、陽気に笑う人が増えてきた。酒のボトルはもう何本も空になり、家屋の裏に並べられていた。

 私は庭の真ん中あたりで、三軒隣に住んでいるという婦人に引き留められていた。彼女は犬を飼っていて、翡翠と遠雷とはタフタを通じた知り合いだと言った。中途半端に手のついた料理と、飲みかけのグラスがいくつか置かれたテーブルの脇で、私は上機嫌に話す彼女に相づちを打っていた。頬の血色と、心拍数で、彼女がアルコールを摂取していることがわかる。

 と、その時、小型の犬が彼女の背後からこちらに駆け寄ってきた。その後を子どもが追っている。子どもは犬に夢中だ。このままではぶつかる、と私が婦人に注意しようとしたその時、犬は彼女の足元をすり抜け、子どもは勢いよく彼女の足にぶつかっていた。

 小さな悲鳴を上げて、婦人がバランスを崩した。持っていたグラスを取り落とし、中身の赤ワインが私のシャツにかかった。私はすぐに両腕を伸ばして彼女を支えたので、彼女は倒れなかったが、彼女はとっさにテーブルクロスを掴んでいた。それを勢いよく引いてしまい、クロスと一緒にテーブルの上に乗っていた食器が半分近く、一斉に地面に落ちた。

 食器が次々と地面に落下する音が響き、どよめきとともに、周りの視線がいっせいに私と婦人に集まる。

「まあ、どうしよう、ごめんなさい」

 婦人が顔色を変える。心拍数と、発汗により表面温度が上昇した。

「大丈夫ですよ」

 私は彼女を立たせながら、そう言った。だが私の言葉に効果はなく、彼女は辺りに散乱した食器と食べ物の残骸を見て、狼狽していた。

「アイリス! マドレーヌ! なんてこと!」

 彼女が険しい表情で、あたりを見回す。彼女の感情は狼狽から怒りに変化し、その原因を作った子どもと犬を探している。

 これは最適ではない。私は判断した。今夜のような状況で、この場所で、彼女を怒らせ、こんな振る舞いをさせてしまうのは、最適ではない。私は彼女の宥めるために、もう一度繰り返す。

「大丈夫ですよ」

「やったことはすぐに怒らないと! シャツ、ごめんなさい」

 婦人はそう言って、辺りを見回している。私の方が先に見つけた。子どもは犬を抱きかかえて、三メートル二十四センチ離れたテーブルの影から、怯えた表情でこちらの様子を窺っている。婦人もそれに気づいて

「アイリス! 出てきなさい!」

「いいんですよ」

 そう言って婦人を宥めている間にも、周囲にいた人が食器を拾い始めていた。遠雷が近づいてくる。

「ジェイド、どうした?」

「遠雷、ごめんなさい」

「ささやかな事故です。子どもがこの方にぶつかって、テーブルの上のものが落ちました」

「怪我は?」

 婦人は首を振った。遠雷は周囲の他の人々にも目を向けたが、みんな首を振る。

「なんだ、なら大したことじゃない。すぐ片づける」

 遠雷はそう言って笑い、翡翠の姿を見つけると、なんでもないというように手を振った。それから私の方を、正確には赤いしみの広がった胸元を見て言った。

「そのシャツは、着替えてきた方がいいな」

「そのようですね」

「俺のを使ってくれ、クローゼット、勝手にあけていいから」

 遠雷が言ったので、後は彼に任せることにした。

「本当にごめんなさい、不注意で」

 と、婦人が私にもう一度言ったので、私は彼女を安心させるために笑いかけた。

「いいんですよ、気にしないで。それから、あの子を怒らないでやってください。今日はあなたにもあの子にも、楽しく過ごしてほしいんです、翡翠も、遠雷もそう思ってます」

 それから私も、という言葉は、音声にはしなかった。

「ありがとう」

 婦人はそう言って、私に笑顔を向けてくれた。私は嬉しかった。

 着替えて庭に戻ると、それを待ち構えていたように婦人と、彼女に連れられた子ども、そして今は引き綱に繋がれた犬が私のところへやってきた。

「さっきはごめんなさい、お洋服、よごしちゃって」

 アイリス、と呼ばれた少女はそう言って、申し訳なさそうに私に頭を下げた。

「もう着替えたし、洗濯すればきれいになるよ」

 私はしゃがんで子どもと向き合う。

「ケーキは食べた? 身体を動かしたいなら、踊ってくるといいよ」

 まだ食べてない、と子どもが笑った。その笑顔を見て、私は嬉しかった。婦人を見上げた。彼女はもう一度私に礼を言うと、子どもの手を引いて戻っていった。

 散らかったテーブルはすでにほとんど片づけられ、元通りだ。私は『人間らしく』新たに飲み物の入ったグラスを取って、いくつかに別れた人の塊から、少し離れたところに立ってそれを眺めた。頭上の地球の明るさのおかげで、良く見える。

 私は今、ひとりでここに立っていたけれど、自分がこの人々の輪の中にいるのを感じた。

 それは私の欠陥だった。だが、今の私は妙なことに、その欠陥を不具合だとは感じなかった。

「ねえ、あなた、翡翠の友だちだっけ」

 若い女性が私に近づいてきて言った。空いたグラスを手にしている。私は彼女が飲み物の追加を求めているのだと推測した。だが彼女は苦笑して、

「もういいの。飲み過ぎちゃって。名前、なんだっけ」と、言った。

「私は遠雷の友人です。ジェイドと言います」

「そんな話し方しないで。わたしたち同い年くらいでしょう」

 彼女はそう言って笑った。

 身長百五十八センチ、体重四十六キロ、平均的な月の女性だ。髪と目は胡桃色。今は地球の光を受けて、その色が淡く見える。年齢は二十二歳から四歳の間。彼女とは先ほど挨拶した。名前は椿。翡翠の所属する研究室の卒業生だ。

「あなたは椿さんでしょう、さっき挨拶しましたよね」

「覚えててくれたの?」

 彼女が意外そうに目を瞠った。

 翡翠の研究室の友人たちが、車から一斉に降りて来る時に短い挨拶をしただけだったが、それだけで私の記録に残る。彼女は私の脇に立って、私を見上げた。

「トリスネッカーに住んでるの?」

「いいえ、コノンから来ました」

「手伝いに駆り出されたの?」

 彼女はいたずらっぽく私を見上げる。頬の血色が増している。先ほどの婦人と同じだ。顔面に酒に酔った症状が出ている。

「そんなところです」と、私は微笑んで答える。

 椿もつられたように笑った。彼女はそのまま立ち去るかと予測したが、まだ私のそばにいた。

「ねえ、踊らない?」

 彼女はそう言って、近くのテーブルにグラスを置くと、私の腕に触れた。

 私は彼女の求める的確な回答を予測した。瞬時に正確な結果が出ない。

 私は遠雷の言葉を思いだした。回答が的確である必要はない。いいかげんに、人間らしく。ランダムに嘘を挟む。私は頷いて、彼女の手を取ると、庭の片隅にできたダンスホールで向かい合った。

 既に何人かが踊っている。さっきまで陽気だった音楽は、今は静かなものに変わっている。彼女が身体を揺らした。私は踊ったことはなかったが、周りの男性たちの見よう見まねで、身体を動かす。

 彼女の知り合いが通りすがりに、こちらにからかうような視線を向けた。遠雷もいた。

「ジェイド、コノンではなにしてるの?」

 その回答には、ロックがかかっていた。けれど今最も優先されるべきことは、遠雷の言葉だ。私は彼女に対して『人間らしく』振る舞う必要があった。そこから回答を導き出した。

「…研究所にいます」

「専門職なのね。なんだか」

 彼女は納得してくれたようだ。アルコールを摂取しているせいもあるかもしれない。けれど話の上手く会話が運んだことに、私は満足する。笑顔を向けると、椿は顔を上げ、私の顔を覗き込んだ。

「遠雷の知り合いっぽくない感じがする。って言っても、私も遠雷と知り合ったばっかりでよく知らないけど」

「遠雷は人付き合いが上手いから、私とも親しくしてくれるんです」

「ああ、なんかそんな感じ。人付き合いっていうか、世渡り上手そうよね」

 羨ましい、と椿が独り言のように呟く。

 流れる曲が変わった。椿が私の手に触れた。彼女の心拍数がわずかに早くなり、表面温度が高くなる。私に話しかけた後はアルコールを摂取していないので、これは別の作用だ。

 彼女の手は躊躇いがちに、私の手を握る。私はまた、彼女に対する的確な回答を出せなかった。けれどこの場では、私は『人間らしく』していれば良かった。

 私は弱い力で彼女の手を握り返した。椿はわずかに目を瞠り、それから照れたように笑った。

 曲の音量がわずかに上がる。彼女が私に身体を寄せた。私は彼女の行動だけで、私に対する要求を判断しなくてはならなかった。回答が正解である確率は三十パーセント以下だ。回答の的確性は平均を下回っている。けれど、彼女の要求が明確でない以上、私はそのままで次の行動を予測し、決定しなくてはならなかった。

 私は自分の腕を椿の背に回した。私の手の平が触れた時、彼女は一瞬だけ身を固くする。

この行動は不正解だったのかと判断しかけた時、けれど彼女は、私にさらに身体を寄せた。続いて、頬を私の肩に乗せる。彼女の体温が、私に伝わった。

「ジェイドはいつまで、トリスネッカーにいるの?」

 耳元で囁くように、椿が言った。これには難なく答えることができた。

「明日までの予定です」

「ほんとにパーティーを手伝うだけで帰るのね」

「遠雷も明後日から仕事が始まるので」

 私たちはそのまましばらく、黙って曲に合わせて身体を動かしていた。やがて椿が口を開いた。

「ねえ、また会える?」

 それは予想外の言葉だった。私は彼女の要求に応えたかったが、私の置かれた状況に照らし合わせて、それは最適な行動ではなかった。

「実は、コノンで一緒に暮らしてる女性がいるので」

 思考を動かすより先に、私の口から事実でない言葉が発音されていた。

 椿が驚いたように顔を上げ、一歩後ずさって私から離れた。

「そうだったの、ごめんなさい」

 彼女は言った。その態度から、私は自分の言葉が、嘘をついたことが、この場では正解だったと判断した。より正解に近づけるために、私は申し訳なさそうな表情をしてみせる。

「いえ、早く言うべきでした」

「気にしないで」

 椿は苦笑交じりにそう言った。私たちはその場に立って、つかのま見つめ合った。私は彼女が立ち去ると思った。私から離れると思った。だから言った。

「パーティー、楽しんで」

 そう言うと椿はもう一度困ったように笑い、そして私には予測できなかったことに、再び私に身体を寄せた。私の右手を取り、左肩に頬を乗せる。そして囁く。

「じゃあ今だけ、もう少し、一緒に踊って」

 曲がまた変わっていたが、ひとつ前とおなじように静かな曲調だった。周りにいる人々は、私たちと同じように身体を寄せ合っている。私はゆっくり身体を揺らしながら、椿の肩越しに頭上を見上げた。

 地球からの柔らかい光が、この庭に降り注いでいる。

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