家紋

マスカレード

第1話

 時は平安、中臣鎌足が大化の改新の功績で藤原姓を得てから、宮中の藤原勢力は破竹の勢いで広がりつつありました。

 行きかう牛車には、どこのやんごとなきお方が乗っているかを一目で分かるように、一族で決めた紋様を刺繍した幕が垂れさげられていて、文字の読めぬ者たちにもその存在を知らしめておりました。


 この紋様は家紋として普及し、鎌倉時代には、武勲を立てたのがどこの一族であるかを証明し、敵味方の区別をつけるのにも役立ったため、爆発的に普及することになります。

 

 でも、それはまた別のお話。今はその家紋を決めるにあたり、頭を悩ませた藤原氏縁の者のお話をいたしましょう。




 さて、ここはある平安貴族の寝殿造りのお屋敷。几帳と御簾で仕切られた一室からは、何やらうん、うん男の唸り声が聞こえている。

 お付きの者も、今は主人を放っておいた方が良いと判断したのか、その部屋に近づく者はいなかった。

 板張りの床には畳が置かれていて、その上に腰掛けた藤原名無は、机に置かれた白紙に向かって、ずいぶん長い時間、頭を悩ませていた。

 一体、どうしてこんな大役が自分に回ってきたのかと最初は狼狽えたものの、責任を回避したい藤原縁者が集まって画策し、家紋を描くのは名無だと全員一致で決めたらしい。それが分かった時には、辞退することはもはや不可能になっていた。


 だが、考えても考えても、家紋は思い浮かばず、名無は几帳の上に停まったフクロウの福良を見上げて問いかける。

「福良、お前が絵を描けたらよかったのに。そうしたらどんな家紋を描いたかな?」

 そんなこと聞かれても分からないというように首を傾げた福良は、頭を抱えて一歩も外へ出ようとしない主人に業を煮やし、散歩に連れてってとばかりにその肩に飛び乗って着物を引っ張った。

「そうか、餌を探しにいかなくっちゃな」

 名無は、ずっと座っていたために丸まった背に手を当てながら、ごきごきと音をさせて元に戻し、さらに両手を上げて身体をまっすぐに伸ばして首を回す。

「はぁ~。気持ちいい。さぁ、散歩だ。福良、散歩に行くぞ」

 

 家来に用意させた馬に乗って領地を駆け、裏山のてっぺんまでやってくると、大きな翼を左右に広げて名無を追ってきた福良が、上下に羽ばたき急上昇する。

 気流に乗った福良は矢のように、一直線に広い空を突っ切っていく。

 かっこいいなと名無は思う。あの青くてどこまでも続く空を飛べたなら、自分の能力の無さをうじうじと悩むこともあるまいに・・・


「そうだ、こんな時は絵を描くに限る。福良の雄姿を描き取ろう」

 翼で風を切る福良の絵はもう数えきれないほど描いてあり、書庫の中はその絵で一杯になっている。

 今日はちょっと違う絵を描こうと、名無は福良を呼んでみた。

 大空のどこにいても、福良は名無の声を聞くと旋回して飛んでくる。本当に愛い奴だと名無は思う。

 懐から筆筒を出し、福良が速度を落とすために、水平だった羽を下向きに丸める所を脳裏に焼き付けると、名無は懐紙にさらさらとその姿を描き始めた。


 肩に停まった福良が、その絵を凝視して自分の絵だと認めると、速駆けをして乱れた主人の髪の毛を、まるで羽繕いでもするように、愛情をこめてくちばしでがじがじとかじる。

「くすぐったいよ福良」

 福良の頭を自分の耳の近くから離そうとして押しやるが、福良はじゃれているようにいつまでもがじがじする。代わりにかじらせるものも見当たらず、仕方がないので、描いたばかりの絵を福良に与えた。

 福良は懐紙を咥えると、喜びを表すように、羽をパタパタとはためかせた。



 とうとう家紋を決める日がやってきた。

 藤原氏の一族が顔を揃える中、名無は震える手を袖の下に隠し、いくつかの家紋の案を床に並べて行った。

 頭を突き合わせて、あれでもない、これでもないと話していた一族の重鎮とその長は、いまひとつぱっとしない図案に顔をしかめて、苛立ちを隠そうともしない。

 しーんと静まり返ってしまった輪の中で、名無は胃が縮み上がる思いをしながら、何とかこの場を凌ぐ方法を考えていた。

 

 すると頭の上を風が渡り、目の前に福良が飛び降りる。

「何じゃこの鳥は?この大事な時に無礼であるぞ!」

 藤原の重鎮の一人が怒鳴ったが、福良は首を180度回転させて、口に咥えた懐紙をみんなに見せびらかすようにしてから、床の上に置き、名無の肩に飛び乗った。

 

 怒鳴った重鎮の一人が、懐紙に手を伸ばし、そこに描かれた絵をじっと見た時、

 福良が、それ私というように胸を反らす。

 名無しは福良に、とんでもないことをしてくれたと文句を言いたい気分だった。

 なぜならば、水平に飛んだ身体を正面から捉え、羽が下向きに弧を描くように丸まった姿は、飛んでいるのを見たことがない者には、一見福良だとは分からないだろうと思ったからだ。


 家紋ばかりか、普段の絵にまでけちをつけられては、今後この一族の中で爪はじきにされるのは目に見えている。上の者のお目に適わない者がどのような憂き目にあったのかを、朝廷でいくらでも見聞きしている名無にとって、心底肝が冷えた瞬間だった。

 嫌な汗が脇の下を伝う。何とか言わなければと思う程に口が渇いて動かず、焦燥感ばかりが募った。

 

 重鎮の寄せられた眉の幅が広がり、目が見開かれる。

 もうだめだ!おしまいだ!

 名無はぎゅっと目を瞑り、膝の上においた拳を強く握り締めた。


「これは・・・何と!」

 重鎮から酷く罵られる前に、耳を塞いでしまい!

 名無は続く言葉を想像し、絶望で目の前が真っ暗になった。


「これは、何と、下がり藤じゃな?素晴らしいではないか!」

「えっ?」

 名無は瞑っていた目を開け、重鎮の言葉の意味を測りかねて瞬きを繰り返した。

 確かに言われてみれば、羽の模様にあたる部分が藤の花を模したものに見えなくはない。

 名無の描いた福良の絵は、次々に一族に回されて、一同は同様に満面の笑みを浮かべた。

 

 ただ、福良の頭にあたる部分が何か分からないと、そこだけ不評だったので、名無はみんなが見守る中で、別の用紙に下がり藤を描き、福良の頭だった部分に葉っぱを付けたしてみせると、それは一族の家紋として全員の賛同を得ることになった。

 名無は喜びを噛みしめながら、肩に停まった福良の頭を撫で回し、ありがとうと呟いた。


 褒められた福良が、調子に乗って万歳をした姿が愛らしかったと、一族の間で語り継がれ、後に上がり藤の家紋になったかどうかはさておき、名無は福良のおかげで一族から称賛され、幸せに暮らしたそうだ。



 今は昔、名前も知られていない男とフクロウの心温まるお話があったとか、無かったとか・・・。

 藤原氏の栄華は望月の世にも例えられ、藤の家紋は、知らない者がいないくらいに有名になりましたとさ。

 めでたし、めでたし。



                                 

 

 

 


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