ヒカゲモノの誇り

@kan-ma

第1話

 私は日陰者だ。暗い世界で生きている。

それを嫌だと思ったことなど一度もないし、むしろ誇らしいとさえ思う。

 私が何気なく日々を過ごしているだけでも、感謝してくれる者がいるのだ。それを思えば、この生き方のなんと素晴らしいことか。


 とは言え、私も明るい世界に憧れない訳では無い。

 私と同じような暗い世界の住人――同胞とでも呼ぼうか――の中でも、一部は意を決して明るい世界に旅立つのだ。

 私にとてもよく似た生き方をしていた友人Fも、彼らと同じように生き方を変え離れていった。それから彼とは全く会っていないが、聞くところによるとあまりうまくはいっていないようだった。


 私は大きな決心をし離れていった彼らをかけがえのない友人だと思っているし、彼らさえよければかつてのような親しい関係になりたいとも思っている。

 会うことさえなくなった彼らを慮りこそすれ、切れた友人関係を恨めしく思うことなどなかった。彼らは私の密かな憧れであった。


 かつて、毎日のライフワークを忘れ遠出しようと発起したことがあった。

 おそらくそれは私の友人Fへの当てつけだったように思う。彼はもう近い存在ではなくなってしまっているし、当然私の旅のことなど彼が知るはずもないのだが、私でも旅くらいはできると、そう彼に言ってやりたかったのかもしれなかった。


 結果的に、旅は散々に終わった。

 慣れない土地に戸惑い、飯を食うにも寝床を探すにも苦労した。

 所詮、思い立っただけの癇癪だったのだ。

 彼なら事前に綿密な計画を立て、ゆっくりと準備して悠々と旅行を楽しんだに違いない。ひょっとすると、下見さえしたかもしれなかった。

 彼と私はとてもよく似ていたが、高い志と計画力は私には無いものだった。


 私は小心者だ。

 少ない友人達にも同じことが言えたが、私のそれはより一層深刻なものだった。

 だからこそ、多大な憧れを秘めているにもかかわらず衝動的な旅行程度で終わってしまう。

 トラウマ、というべきものだろう。かつての恐怖体験から、私は前に踏み出すことが出来ないのだ。

 それを不幸だとは思わない。奥底では、あの恐怖に再び襲われる危険が少ない現状に安堵しているのだ。

 今の暮らしでも、Fの目指した暮らしでも、必ずあのような危険に遭遇する可能性

がある。程度の違いだ。

 しかしその程度の差が、トラウマの染み付いた体を致命的に固定していた。


 トラウマの原因、それが私の身に降りかかったのは突然のことだったように思う。

 陰でひっそりと暮らしていた私に、襲いくる大きな手があった。それはギラギラと捕食者の目をして私に向かってきて、私は必死に逃げる他なかった。

 奴には大きな力があり、私には何も無かった。どれだけ奥深く潜もうとも、闇を掻き分けるように追いすがる奴に言い様もない恐怖を覚えた。

 私はどうしようもなく弱かった。

 逃げている間、私はいつ死んでしまうのかと、恐怖に震えるしかなかった。眠ることすらままならず、いっそ死んでしまいたいと思うことすらあった。

 しかし、当時でも私には友人がいたし、どうにか心を落ちつけるとそれが本末転倒であることにも気づいた。

 それからしばらく寝床を転々とし、動き回って、ようやく逃げ切れたと知った。

 もしかすると、奴が私を追ったのは初めの一度だけで、あとは私の被害妄想だったのかもしれない。

 今思い返すだけでも体が恐怖に打ち震え、つい後ろを確認しまうのだ。

 私は、これを忘れることは出来なかった。


 ある日、どうしても生活に苦しくなった。

 どうにかして打開せねばならなかったが、それは私の安穏の日々の終わりでもあった。

 私は生きるため、暗い世界を脱することを決断した。

 私は友人Fを倣って綿密に準備し、万全をもって闇の底を脱した。


 慣れない明るい世界に戸惑いつつ、目を細めた。

 ――その時だった。

 かつてとはまた違う、大きな手が私を襲った。


 気がつくと、私はまた闇の世界にいた。

 しかし、かつての場所とは違っていた。

 生活に困っていた頃が嘘のように、その場所は心地よかった。

 食料はそこらじゅうにあったし、トラウマを刺激するような敵も存在しなかった。


 私はどんどん気が大きくなって、また体も大きくなっていった。


 時たま大きな振動が住処に伝わり、それがかつての恐怖を引き起こしたが、気が大きくなった私はそれすらも無視することが出来た。


 日陰者の私が調子に乗ったつけなのだろうか。


 なんの前触れもなく突如大地が揺れ、周囲の住処ごと私は明るい世界に引っ張り出された。

 一瞬の出来事だった。トラウマの奴など比べ物にもならないくらい強い力で、言葉通り持ち上げられていた。

 慌てて顔を出したのがいけなかったのだろう、とてつもなく大きなそれはギョロリとした目をこちらに向け、寝床としていた土をなんともないように払った。

 むんずと私を捕まえた大きな手は凄まじい速さで動いた。


 よく見れば私を捕まえた奴は凄まじく大きいらしく、私の全長の何十倍もの大きさで、二本の手で真っ直ぐに立ち、二本の手で私を捕まえていた。

 どうにか逃れようとじたばたと暴れるのだが、到底抜け出せそうになかった。


 気づくと、友人Fが目の前に見えた。

 記憶の中の彼だと直ぐに気づいた。くねくねと前へ前へ進む彼が、私に手招きしているように見えた。


 私は彼に言った。

 私も明るい世界に出た、お前に追いついたぞ、と。


 それは生活苦からではあったが、暗い世界を出たことに変わりはなかった。わざわざそれを彼に伝えてやる必要も無い。

 私は誇りを持って彼に伝えた。

 彼は何も言わなかったが、頷いているようにも見えた。


 景色が途切れる。かつての憧憬へと引き戻される。


 顔を上げる。目の前にあったのは、大きな口。

――ばくり。


 飲み込まれた。

 私は笑っていた。


 途絶える意識の中、一瞬だけ見えた視界に捉えた生き物、ミミズを喰らったそれは――


 ――フクロウだった。

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