飛べ! 我が相棒よ

新巻へもん

魔術師エーラン

「くそっ。救援はまだかっ!?」


 若い兵士のその声に被さるように、ドンという鈍い音が響き古ぼけた扉がきしむ。城壁の外では下卑た声が叫んでいた。


「野郎ども。あと少しだ。あの扉をぶち破ればこっちのもの。さっさと片付けてお楽しみとしようぜ。男は皆殺しだ。後は好きにしな。ああ、姫さんは俺にとっておけよ。がははっ」


 辺境の領主ジード・ガルトン男爵の娘マルガリータは疲れた表情で傍らの魔術師エーランを見る。2日ほど不眠で防戦の指揮をとり目の下に隈ができていたが、辺境一と言われるその美貌は損なわれていなかった。

「結局、死に場所が少しずれただけのようだったな。いや、そなたの献策を攻めている訳ではない」


 今から3日ほど前のこと。父が王都からの招集に応じ主だった家来を連れて館を離れてから10日目。留守を預かるマルガリータの元をエーランが訪れ危急を告げた。隣国の兵が館から1日の距離まで迫っているという。

「我が使い魔が発見しました」

「数は?」

「およそ300かと」

「なんだと!」


 館に詰める兵士は20ほど。相手は夜盗に毛が生えた程度の兵士とは名ばかり連中とは言え、10倍以上の相手では勝負にならない。


「こちらの館は放棄して、森の奥の砦に避難するべきかと」

「分かった。至急村人を砦に移せ」


 武器と食料以外の物は捨て置き避難するように急かせて、千名ほどの村人と共に砦に避難が完了して半日後、砦は野獣に等しい薄汚い連中に包囲された。


 谷の奥に位置するこの砦は、もっと世が乱れていた時代にマルガリータの祖先が作ったものだ。谷の奥の泉を抱えるように建てられた砦は胸壁を備えた5メートルの城壁で守られ堅牢な作りであったが、いかんせん古く手入れも行き届いていない。城壁から弓を放ち力攻めの第一波をしのいだものの、大きな盾で身を守りながら丸太を使って門を攻撃されるようになり、砦内の人々の焦燥は募るばかりだった。


「我が身を差し出して、余人の助命を頼んでも無駄であろうな?」

 篝火に照らされる子供たちの姿に視線を送りながら、マルガリータは誰に言うでもなくつぶやく。子供たちは恐怖にかられて身を寄せ合ったいた。

「そのような気弱なことを。もうしばらくのご辛抱です。必ず助けは参ります」

 エーランの言葉にマルガリータは叫ぶ。


「王都まで通常7日かかるのだぞ。父が帰るまであと2日はかかる」

「危急を聞いて駆けてこられれば、間に合います」

「そなたの話を聞いてすぐに早馬は出したが、それでも今頃ようやく父に会えたかどうかだ。間に合わん。気休めを言うのはやめろ。それとも何か当てでもあるというのか」


 樫の木でできた杖を手にエーランはマルガリータに頭を下げる。

「もとより、手は打ってございます」

 エーランはいつもと変わらぬ静かな態度だった。


「姫様。落ち着きください。姫様が取り乱されますと皆が不安になります」

「分かった。すまぬ。今こうしていられるのもそなたのお陰だった」

 3日もの間、ここが持ちこたえられたのはエーランの活躍の賜物といっていい。取り囲む一団の飛び道具を燃やしたのも、今も丸太が打ち付けられている扉を強化したのも一見ひ弱そうな魔術師エーランだった。


「今まで皆が必死になって防戦に努めるよう伏せておりましたがもういいでしょう」

 左肩に皮が当ててある粗い毛のローブを着たエーランの黒い瞳がきらりと光った。

「お父上を含めた精鋭がすぐ近くまで来ております」


 マルガリータの顔が期待に輝く。

「それは真か。もし、この一件無事に生き延びられたら、父上に申し上げて厚く恩賞を取らせよう」

「それはあり難きお言葉。なれど私はこの場にて少しの助力をしただけのこと。お褒めに預かるほどのことは……」


 ようやく東の空の一部がうっすらと白くなりつつあるなか、まだ暗闇に沈む谷の入口の方で大きな物音が響く。金属と金属が激しく打ち合わされる音に続き、悲鳴があがった。そして、その方角から何か白いものが一直線に二人の方に向かって飛んでくる。


 その白いものは羽音をたててエーランの肩にとまると丸く大きな目を輝かせながら首をかしげてマルガリータを見た。

「こたびの殊勲者を紹介いたします。夜の番人、森の賢者、狩人にして、幸運をもたらす者。我が相棒マールに存じます。」

 エーランが誇らしげに胸をそらし、左肩のフクロウ、使い魔のマールに優しい視線を送った。

「お父上を探し出し、ここまで案内させました。マールの案内なくばこれほど早くお父上は到着できなかったでしょう」


 城壁の下では大混乱が起きていた。精鋭の騎士団に追いまくられ切り立てながら谷の奥へと逃げ込んできたならず者たちは組織だった抵抗もできずに切り捨てられていく。敵の首領らしき男が城壁の上のマルガリータを見上げ悔しそうな表情を見せた。ぎらついた視線がマルガリータをねめまわす。


「くそっ。まだ負けたわけじゃねえ。先にあいつらをぶっ殺すぞ。お楽しみが待っていることを忘れるな」

 丸太を抱えていた一団を引き連れて騎士団に向かっていく男の姿を見ながらマルガリータは安堵の吐息を漏らす。


 マルガリータはエーランに向き直る。

「このたびの貴公と……貴公の相棒の活躍は決して忘れぬ」

「ありがたき幸せ。では一つお願いが」

「なんだ?」


 フクロウを腕に乗せ、頭をそっとなでてやりながら、エーランは笑った。

「我が相棒を撫でていただけませんか?」

「いいのか? 使い魔は他人に触れられるのを嫌うと聞くぞ」

「こやつ、誰に似たのか、美しい方に目がありません。姫様に触れて頂けたら本望でしょう」


 恐る恐るマルガリータが手を伸ばしマールに触れるとフクロウはわずかに目を細めた。

「ありがとうございます。では、相棒を少し休ませてやりたく存じます。失礼を」

 エーランは一礼をして階段を下りていく。その黒髪と肩のフクロウが視界から消えるまで見送ってからマルガリータは城壁の外に目を向けた。ジード男爵が大きく剣を振る。


「助かった」

 人々が歓喜の声をあげていた。3日間の様々な思いが胸の内に蘇る中、マルガリータは兵士に向かって指示を出す。

「門を開け、父上を迎えるのだ」


 砦の中と外の人が入り混じり喜びを爆発させる中、マルガリータも門に向かう。傍らに目をやると壁を背に預け眠りについたエーランの肩でフクロウも目を閉じていた。その平和な姿にクスリと笑うとマルガリータは父の姿を探す。父にエーラン達のことをどう伝えようか考えながら、マルガリータは弾む足取りで歩き出した。

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