ハートのエースは渡さない

凪野海里

ハートのエースは渡さない

 高校の卒業式を昨日で終え、晴れて今日より高校生なのか、大学生なのかわからない日を迎えた。

 藤馬とうまはその日、待ちに待った春休み第1日目を、ベッドの上で目をつむって楽しく過ごしていた。すなわち、睡眠である。

 何もする気は起きないし、何もする必要がないのだ。だったら今はただ寝るに限る。腹が減ったら起きればいい。

 そんな惰眠をむさぼる彼を、一気に夢から覚まさせたのは隣に住む幼馴染みの華夜はなよの声だった。


「藤馬ー、いるんでしょー!」


「…………」


 思わず顔をしかめて、頭から布団をかぶった。


「おーい、藤馬ー! いたら返事してよー!」


 聞こえない。これは夢だ。そうに違いない。だから藤馬は眠り続ける。


「とうまー!」


 突如自分の名前を叫んだその声が、頭上から降ってきた。

 は? と思って布団からわずかに顔をあげると、夜のように深い黒の髪をショートカットにした活発そうな少女――彼女が華夜だ――が、今まさに自分の上へ落下してくるところだった。


「ぐへっ!」


 突然のことに避けることさえできず、藤馬の腹に華夜は見事に命中した。

 しばらくそこでのびていると、華夜は慌てたように藤馬の上から降りて、「大丈夫!?」と聞いてきた。


「なわけ、あるか……」


 死ぬほどではないが、突撃された腹が死ぬほど痛い。

 華夜は「ごめんなさいっ!」と両手をパンッと打ち鳴らしながら、頭をさげて謝ってきた。


「でも藤馬もいけないんだよ? こんなぽかぽか日和の春休みにぐうたら寝てるんだから」


「春休みだろ? なら寝させてくれよ。どうせ部活もないし、4月からは大学生の、唯一貴重な時間なんだからさぁ」


「そんなのだーめっ!」


「いで、でででっ」


 今度は耳を引っ張られ、無理やり上へと持ち上げられた。こう見えて華夜は、男子顔負けの怪力さんなのである。

 観念して、藤馬は布団から起きることにした。


「で、お前。どっからきたんだよ」


 部屋のドアは閉じられている。そこが開いた形跡はもちろんない。だとしたら、と藤馬は部屋に入ってくる心地よい風を感じながら、華夜の言葉を待った。

 どこって、と華夜は少し首をかしげて。


「窓からだけど」


 またか。


「あのなぁ、いくら俺の部屋の窓が開いてるからって、んな危険な真似すんじゃねぇよ。落ちたらどうすんだよっ!」


 藤馬の部屋と華夜の部屋は、ちょうど向かいに位置しているのだ。つまり、藤馬の部屋の窓からは華夜の部屋を見ることができるし、華夜の部屋の窓からは藤馬の部屋を見ることができる。

 もちろん、どちらの部屋も2階であるから、一歩間違えれば最悪死ぬ可能性だってありうるわけだ。


「えー。別にいいじゃん。怪我しなかったし」


「今回はな。今回は! 次怪我したらどうすんだよっ!」


「そのときは藤馬が受け止めて?」


「できるか、そんなことっ!」


 まったく。せっかくの春休み初日がこれでは、先が思いやられる。

 藤馬ははぁ、とため息をついた。


「で、お前。それ何持ってんだ?」


「ん? ああこれね。よくぞ気づいてくれた!」


 華夜は「じゃじゃーん!」と言いながら何故かトランプを取り出してきた。


「七ならべしようっ!」


「……は?」


 突然の提案に、藤馬はあっけにとられた。


「あれ。藤馬ってばもしかして、七ならべ知らないの?」


「七ならべくらい知ってるわ」


 そうじゃなくて、何故七ならべなのか。

 このご時世、トランプゲームをする人間なんてそうそういない。ましてや高校生……あるいは大学生だぞ? 今時はそう、たとえばPS4だったり、Switchだったり。色々あるだろう。

 よりによって、カードゲーム。しかも誰もが気軽にできるような、トランプである。

 あきれている藤馬を前にして、華夜は「チッチッチッ」と人を小バカにするように舌打ちをした。

 あげく、人差し指を横に何度も振ってさえしてみせる。


「甘いなぁ、藤馬くんよ。ただの七ならべと思ったら大間違い」


「……はぁ」


 とてもついていけない。

 まあ彼女のこんなテンションは、わりといつものことだからここは黙って聞いておくことにしよう。


「で、その七ならべとやらは何がどう違うんだ?」


 先をうながすと、ふふんと華夜は笑った。


「この七ならべに勝った者は、相手に命令を、なんでも1つ聞かせることができますっ!」


 満を持しての発表かのように。高らかにそう宣言した華夜に、藤馬は三度目の「はあ」をつぶやいた。

 藤馬の薄すぎる反応に気がついて、華夜はぷう、と頬を膨らませる。


「いいじゃーん。少しくらい私の遊びに付き合ってくれたって! 私も暇なの。暇すぎ、暇すぎてつまんなーい!」


「じゃあ寝てればいいだろ。睡眠はいいぞ~。春休みにはうってつけだ」


「藤馬はそう言っておきながら、学校の授業でも居眠りしまくって危うく学校卒業できなくなったよね。おばさんはそれ、知ってるのかな?」


「ぐっ」


 鬼か、こいつは。

 授業中の居眠りのせいで成績が危ぶまれたことを親は知らない。もしもそれを彼らに知られてしまったら、もうすでに終わったこととはいえ、怒られるのは明白だ。

 仕方ない。


「わかったよ。やればいいんだろ、七ならべ」


「やったー!」


 華夜は両手を挙げて喜んだ。

 さっそく、藤馬の部屋の床にトランプのカードが並べられていく。


「おいそれ、ちゃんと切ってあるのかよ」


「もちろんだよ。ここに来る前にすでに終えてあるのだ」


 そうして、2人ぶんにカードは分けられた。藤馬たちはそれぞれ自分の手札から4種類の7のカードを探して、床に並べた。


「先攻は藤馬でいいよ」


「わかった」


 手札を持って、まずはスペードの8を置いた。

 そうして、七ならべは開始された。 



 近くの市内放送用のスピーカーから鐘の音が鳴り響いた。顔をあげて壁にある時計を見ると、いつの間にか時刻はお昼になっていた。

 視線を七ならべへと戻し、現在の状況を確認する。まだゲームは終わっていなかった。


「うーん……」


 がしがしと頭をかきながら、藤馬は考えにふける。彼の手札は、あと1枚。ハートのエースだけだった。

 一方で、華夜の手札はあと2枚だ。パスは無限のルールにされているとはいえ、ここまでハートの手札がでてこないとなると、どうやら華夜が隠し持っていることは明白だった。


 どう考えても、このままでは負けてしまう――!


 いやでも、ちょっと待てよ。

 床に並べられている七ならべは、13×7で、91枚のはずだ。それ加えて何にでも置き換えられるジョーカーがあるはずだが、すでに藤馬はその2枚のジョーカーを使った。むろん、華夜の手札にはそれがないのである。

 それなのに空白は、ダイヤのK、ハートのエース、2、3。どう見ても藤馬の手札と華夜の手札を合わせても、場にでているトランプと数が合わない。

 そして今、ダイヤのKが置かれたことによって、華夜の手札も残り1枚となった。


 なんだか、嫌な予感がした。


「華夜、もしかしてズルしてね?」


 思わずそう指摘すると、「ふっ」と華夜の口から笑みがこぼれた。

 顔をあげて、思わず彼女の顔を見る。

 彼女は悪巧みが成功したかのように、「ふっふっふっふっ」と気味の悪い笑みをその頬にたたえていた。


「気づくのが遅すぎたね、藤馬くん」


 その怪しげな口ぶりに、まさか、と藤馬はトランプを見た。

 このトランプを持ってきたのは華夜だ。そして七ならべをしよう、とゲームを持ちかけてきたのも華夜だった。


「このトランプは、私が前もって、ハートの3をはずしておきました。そして、その代わりにっ!」


 突如、彼女はズボンのポケットからもう1枚の、新しい別のカードを取り出す。そしてそれを勢いよく床にたたきつけた。


「なっ!」


 それはなんと、ジョーカーだったのである。フクロウの絵柄をしたジョーカーがハートの3の代役を務めだした。

 驚く藤馬を前にして、華夜は告げる。


「初めから仕込ませてもらったんだよ。このトランプにはジョーカーが3枚。そして、私の手札に残った最後の1枚はっ!」


 さらに華夜が床に叩きつけたのは、ハートの2であった。これにより、華夜の手札はゼロ――つまり、彼女の勝ちとなった。


「ず……ずりいいいいいっ!」


 藤馬は思わず叫び、華夜は高らかに笑った。


「残念だったね、藤馬~。私が用意したトランプを初めから疑わなければこんなことにはならなかったのに!」


「ず、ずりいぞ、華夜! こんなの反則だ。反則負けだっ!」


「反則? 何言ってるのよ、反則じゃない。こういった作戦も、勝負に勝つための大事な戦略なんだよっ!」


 挙げ句ウインクにピース、という決めポーズさえしてみせる。


「かっこよくキメたって、全然かっこよかねぇよっ!!」


「いやだなぁ、藤馬くんったら。こんなのただの遊びだよ? 何ムキになってんの」


 ぷぷぷ、と人を小バカにするように華夜が笑う。

 その態度にカチンときたが、たしかに彼女の言う通りだ。ただのトランプゲームにムキになってどうする。

 はあ、とため息をついて藤馬は床に座った。このゲームの報酬を思い出す。


「で、相手の命令をなんでも1つ聞く、だっけ? なんだよそれは」


 ここまで反則級の七ならべを持ちかけたのだ。彼女にはよっぽと藤馬にしてほしいことがあるらしい。

 どうか、無茶な命令ではありませんようにと、藤馬は密かに祈る。


「海行かない?」


「……は?」


「だから海」


 海って……。


「華夜、今は何月だ?」


「3月だね」


「季節は?」


「春だね」


「海開きは?」


「7月、だったかなぁ……」


「なら海じゃないだろ」


「いいじゃん、海! 行こうよ、海! 海水浴じゃなくていいからさ!」


「海水浴もしないのに何のために海なんて行くんだよ」


「そんなの気にしないでよ! そもそも藤馬、敗者は勝者の命令をなんでも1つ聞く。勝負の前にそう決めたよね?」


「そりゃそうだけど、何でよりにもよって海なんだよ」


 わけわからん。


「それは簡単。私が藤馬に伝えたいことがあるからです」


「伝えたいこと? なんだよそれ、今言いなよ」 


「まだ秘密」


 しーっ、と唇に人差し指をあてて、華夜は微笑んだ。


「楽しみだなぁ。藤馬と海っ!」


 

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